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1909年のフロイト/アブラハム往復書簡(3)


64A(14/02/1909)
 ご助言のとおりであった。分析は軌道に乗りつつあるが、愚かなことを言いはしまいかという不安がいまだ消えない。じぶんが愚かだという意識はサディスティックな兄に植えつけられた感情だ(患者はマゾヒスト)。身体的・心理的に苛みたいという兄の欲望はその自殺以来消えたが、患者の病を通底している。手紙で説明するのはむずかしい。ベルリンにいらっしゃれないだろうか。ベルリンの会合は盛況ではあるが性科学一般に偏っているうらみがある。とはいえ、事態はいたるところで動いている。アメリカにお行きになれないのは残念だ。ブロイラーがふたたび(部分的に)フロイトに与する論文を発表した。フロイトがよこしたブレスラウの建築家はサディズム的な幻想に執着している。背後に早発性痴呆の気配もある。すでにお話したように目下の懸案である外傷神経症についてあなたと議論したい。外傷神経症は神経症の性的基盤を無効化するだけに重要である。とはいえ性的な神経症であることはたしかだ。確信が深まり次第オッペンハイムの病院に資料を探しに行こうとおもうがいかがか。いまひとつの懸案はジョヴァンニ・セガンティーニについての精神分析的研究だ。この画家の人格と作品は性理論を通さないと理解できない。これについてもぜひ直接お話したい。セガンティーニにあって部分欲動の昇華、近親相姦的幻想の抑圧、人間以外の対象への転移が問題になっていることは驚くべきことだ。ついでに足フェティシズムについてお伺いしたい。足や靴の象徴的意味だけでは不十分である。分析中の六歳の少女の患者において、足が重要な役割を果たしている。兄と姉が足を使って自慰行為をし合っている。これはよくあるケースなのだろうか。足フェティシズムにおいて重要な要素なのであろうか。

65F(18/02/1909)
 目下のベルリン行きは困難。この九箇月半のあいだ「金銭の奴隷」になりさがっている。オッペンハイムのところに行ってもむだだろう。外傷神経症はむずかしいテーマだ。科学的研究にあたっては分析技法どうよう、抵抗が最小化する道を選ばなければならない。愚かなことを口にしないように話すことを怖れるというような典型的な症例においては技法を変更しなくても我慢強くつづけていればよい。話すことへの嫌悪は口の別の使用法に究極の原因がある。足フェティシズムについてはさいわいにして最近いくつか発見があった。足による自慰は珍しくはないが、それは足へのフェティシズムではなく症状の原因にしかならない。フェティシズムは以下のように形成される。それは部分的とよぶべき抑圧の結果であり、その過程でコンプレクスの一部が抑圧され、それと連繫した別の一部がその代償として「理想化」される。中世において女性蔑視と聖母崇拝が両立していたごとくである。目下の症例では、足の匂いがもたらす嗅覚的快楽が作用している(倒錯者には清潔な足よりも好まれる)。この嗅覚的快楽が追い出され、その代償としてかつて享楽をもたらしていた足がフェティッシュに祭り上げられる。もはや匂いは問題にならない。いくつかの衣服フェティシズムにあってはこの関係がもっと緊密だ。脱衣場面の覗き魔にとって、服は大いなる障害であった。女性の衣服フェティシズムには裸にされたいという受動的な欲動に由来している。セガンティーニについて真剣にお考えであれば「応用精神科学論集」にどうか。あなたの褒めたユリウスブルガーの仕事についてはじぶんも讃辞をすでに本人に伝えてある。来週刊行の「年報」はビンスヴァンガー論文の印刷でトラブル。拙稿「ヒステリー発作に関する一般的覚書」を同封。「幼児期の性理論」の内容の若干が中傷を引き起こしたようであるが、慎重さと沈黙とが最良の反応だ(ホラティウスの一節が引かれる)。
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