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フロイト/フィスター往復書簡(1909年1月)


 ユングをとおして知り、フロイトともっとも篤い信頼関係によって結ばれることになるフィスター牧師との文通はフロイトの死にいたるまでつづいた。

1F(18/01/1909)
 「妄想的観念と学童の自殺」贈呈への謝辞。若く申し分のない(vollwertig)人たちの心理に通暁している牧師を精神分析の世界に招き入れることのできることのありがたさ。「われわれは半ば冗談で、そしてまたおおまじめに、つぎのやうな責めを精神分析に負わせる習慣があります。精神分析の使用を可能にするためには正常な状態をひつようとすること、心の営みの有機的な面の異常ばかりを対象にしていると壁に突き当たるので、けっきょく精神分析が最適条件にぶつかるのは、精神分析を必要としない場合、つまり健康人の場合であるということです」。その最適値をフィスターが提供してくれるというわけだ。

 この日および5月10日付けの書簡は長男の編集になる書簡集(Briefe 1873-1939、『フロイト著作集8』はその邦訳)にも収録されている。



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フロイト/フェレンツィ往復書簡(1909年10月)


73 Fer(05/10/1909)
霊媒ザイドラー夫人の読心術(フェレンツィはフロイトおよびその親族の画家ヨーン・フィリップとともに Séance に立ち会った)。霊媒によるフロイトの「熟練」「年齢」への言及は、フェレンツィ自身の未熟さにたいする抑圧されたコンプレクスが言い当てられたものか。霊媒はフェレンツィとフロイトがじゅうぶんに理解しあっていないと述べた。「フェレンツィとはまだ11:45」とするフロイトの夢。フェレンツィの抑圧された「ユングへの嫉妬」がフロイトへの承認欲求の不満足として現れた? フェレンツィは読心術を信じたがっている一方で、じぶんはオカルティズムには陥っていないと弁明している。「アメリカは夢のごとし」。こんかいの旅は現地で行き遇ったことよりも道中の交友のおかげで実り多いものであった。

74 F(06/10/1909)
くだんの霊媒の透視はトリックだが、テレパシーはそのかぎりではなさそうだ。しばらくこの件はそっとしておくべし。

75 F(11/10/1909)
予言はナンセンスだが、思考の転移はありうる。「この実験の結果、オカルティズムに与しなければならないのだろうか。もちろん、否。事はたんなる思考の転移である。仮にこのことが実証されれば、信じなければならない。そのばあい、それは心理的な現象ではなく純粋に身体的な現象である。これは第一級の新発見だ。さしあたってこの件は極秘にすべし。……そのうちユングをこの件に引き入れるべし」。

76 Fer(14/10/1909)
ザイドラー夫人への手紙。同性愛患者。

77 Fer(16/10/1909)
夢についての講演。

78 F(22/10/1909)
夢講演を英語媒体で発表しては? アベル「原始語の反対の意味」。レオナルド。

79 Fer(26/10/1909)
フロイトの批判者たちはフロイト理論の断片だけを認めている。ブロイアーをもちあげたり、ユングをもちあげたりといったように。あらゆる批判をまとめれば、フロイト理論を完璧に承認している結果になるが、個々の反対者の結論は概して糾弾的である。「わたしの個人的な[心理的な]健康はイゾルデ嬢(フェレンツィの夢のなかにギゼラ・パロスがこういう名前で登場した)との緊密な交際により良好である。わたしとわたしのかのじょとの関係における完全な率直さをうみだすつらく苦痛な作用は急速に進展している。かのじょの知性と分析の心理学的側面へのかのじょの関心は、克服されることへの抵抗と、ありのままの事実がそれにみあった長い防衛のすえに受け入れられることの辛さを可能にするほどに大きい」。夢による自己分析(たくさんの幼児性)。「わたしはかのじょのうちにあまりに多くのものを見出している。恋人、友、母、学問上の弟子、子供」。
講演をドイツ語で出版するつもりにつき、序文を書いてもらいないだろうか。

80 Fer(30/10/1909)
ギゼラ・パロスの失錯行為の報告(「コーヒーメーカー」、フェレンツィの義兄との関係)。
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