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『夢解釈』第3版以降(1911〜1930年)

*『夢解釈』第3版以降(1911年〜1930年)

 初出の指摘であると否とを問わず、多少ともピンと来た点のみ頁順に列挙。もとより網羅性を意図するものではない。

・フリース周期説への反論(1911年)。

・「法王が死んだ」という夢(1914年)。

・「子供の無際限な自己愛にとっていっさいの障害はいつも一個の反逆罪であって、峻厳なドラコンの立法のごとく、子供の感情はこのような罪過のいっさいにたいしてただひとつの斟酌の余地なき刑罰、死刑を宣告する」(1919年)。

・夢の内容が夢の形式で表現される例(Lücken)(1911年)。

・「一夜のうちにみるいくつかの夢はすべて、その内容上からは、ひとつの夢とみなすべきである」(1911年)。

・「『夢のなかの夢』は現実の表現・実際の記憶を含み、そのあとにつづく(いわば地の)夢は、たんにその人間によって願望されたことの表現を含んでいる。……夢の作業は『夢をみる』ということそれじたいを拒否の一形式として利用する」(1911年)。

・不安がリビドーに由来するという見解の訂正(1930年、脚注)。

・「象徴は発生史的性質のものである。こんにち象徴的に結ばれているものは、太古の時代にはおそらく概念的かつ言語的な同一性によって一つになっていたのである。象徴関係は、かつての同一性の名残であり記号であるようにみえる」(1914年)。この指摘につづいて夢における象徴についての追記が延々つづく。

・懲罰夢などマゾヒスト的な夢(1911年)が願望充足理論に抵触するとの疑念は、第二局所論の導入におよんで説明可能になる。

・苦しい徒弟時代に戻るロゼッガーの夢に関連して、フロイトじしんの類似の夢が報告される。これは老いを迎えた男のみる若さへの夢である(1911年)。

・ニーチェの引用とともに(夢のなかには「一片の原始の人間性がはたらきつづけており、われわれはそこへちょくせつにはほとんど到達しがたい」)、夢は系統発生的な幼年期へとつれ戻すことが確認される(1919年)。

・「不快夢もまた願望充足である」ことが、出征中の息子がスポーツウェア姿で現れるフロイトじしんの夢にそくして確認される(1919年、既述)。

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