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フロイト=アイティンゴン往復書簡(1906〜1907年)

 ユングの同僚であったマックス・アイティンゴン(1881-1943)は、フロイトに教育分析を受けた最初の人であり、フロイトの弟子にはめずらしく、生涯フロイトに忠実でありつづけた。1927年に国際精神分析協会の会長に選出され、ナチズムの台頭と同時にパレスチナに亡命。それ以後かの地で精神分析の普及に身を捧げた。フロイトとのあいだでフロイトの死の年にいたるまで821通におよぶ書簡を交わしている。


1E(06/12/1906)
 ブロイラーとユングをとおして知ったフロイトの著作を繙き、ヒステリーおよび精神分析の方法について目を開かれた次第。哲学を専攻するロシア人の女子学生の症例についてご意見を仰ぎたし。精神神経症とヒステリーを併発している。神経衰弱、強迫、恐怖症にくわえ、「ヒステリー的転換の全開過程」とみなすべきものが観察される。心的なものへの転換である。仕事は手につかず、自殺の企図がある。精神分析を適用する余地があるのではないか。ウィーンのサナトリウムに入所させることは可能であろうか。

2F(10/12/1907)
 精神分析の対象になるであろう。ウィーンのサナトリウムは高額である。経済的、健康上の問題がなければわたしどもでお預かりします。

3E(03/01/1907)
 問題ありません。よろしくお願いいたします。

4F(07/01/1907)
 患者をウィーンに寄越してください。わたし本人が診察します。

5F(27/01/1907)
 あなたがスルツ(Emile Löwy Sulz)を評価していないのは残念です。ロシア人医師のサナトリウムをお勧めします。

6F(18/09/1907)
 2時から3時半頃は在宅しておりますので、その時間にご来訪ください。発信地はローマ。アイティンゴンはフィレンツェでフロイトに(偶然?)出会い、ともにローマに来ていた。翌19日にフロイトを訪問している。


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1907年のフロイト=アブラハム往復書簡(その2)


3F(26/07/1907)
 早発性痴呆が進行すると、幼児期の性的空想を抵抗なしに報告するようになる。まるでそれが無価値なものとなったかのように。パラノイアにおいては自体愛から対象愛への移行が不完全。このことは早発性痴呆(後退 involution)の土壌となる。リビドーの解離は部分的である。強迫神経症についてはいまだわからないことが多い。


4A(09/08/1907)
 癲癇患者と早発性痴呆の違い。前者にあって心的機能の衰退は漸進的であり、感情的な反応を保持しており、対象愛を示す。癲癇患者は痴呆に陥りつつ対象リビドーを保持しているのに対し、慢性的な精神疾患患者は痴呆に陥ると対象リビドーを失う。痴呆という概念の明確化が必要である。慢性的な精神疾患患者の痴呆は解消可能であると思われる。早発性痴呆において起こっているのは、表象と感情の一時的凍結である。それが解消可能であるかどうかは「コンプレクス」の重度としつこさ如何である。
 慢性的な精神疾患患者においては痴呆という概念を変更すべきである。対象愛への移行の不十分さは「人格」の開花の制止である。人間の人格とは、外的刺激への反応の個人的な仕方である。その反応はフロイトの著作からわかるように性的なことがらと密接に結びついている。早発性痴呆の発作は人格の発達にたいする障害である。したがって、「痴呆」ではなく、人格の発達の停止と呼ぶべきである。


5A(06/10/1907)
 一月以内に辞職してチューリッヒを離れる予定。ドイツではユダヤ人として、スイスでは非スイス人として、いままで7年間、助手のポストに甘んじてきたが、ベルリンで開業する決意を固めた。そこで精神分析を実践し、ベルリンの医師たちにはない精神医学的知見を生かすつもり。ベルリンで医者を探している人がいたら紹介していただきたい。


6F(08/10/1907)
 ベルリンのフリースとの友情がまだ続いていたら、あなたの進む道も平坦であったであろうが、残念ながら、この道は完全に閉ざされている。これまでドイツから患者が来る度に、かの国に信頼して紹介できる医師がいないことを残念におもってきた。あなたをわたしの弟子にして盟友と呼ばせていただけるならできるかぎりのお力になりたい。ドイツではわたしの名声がひろまりつつはあるが、排斥感情もある。ベルリンに向かう途中でウィーンにお寄りになっては?


7A(13/10/1907)
 よろこんであなたの弟子とみなしていただきたい。わたしのほうではすでにあなたを師と考えてきました。ベルリンではかつて働いていたが、チューリッヒよりもひどい待遇であった。前途遼遠ではあるが、結婚もしたことであるし、がんばりたい。フロイト協会の第二回会合には遠方からの参加者も含め二十名ほどの医師が列席。次回は自分が幼児の性的外傷について報告する予定。


8F(21/10/1907)
 8月9日付書簡の内容に同意しつつ、痴呆に代わる呼称については留保を置く。アブラハムは夢に痴呆(心神喪失)概念を適用することを濫用としているが、そのような契機は夢について本質的である。「人格」は表層心理学に依拠した概念であり、あなたの師ブロイラーの「自我」概念ともども、メタ心理学にとっては何も得るところがない。


9A(31/10/1907)
 11月後半に訪問してもよいだろうか?


10A(24/11/1907)
 近く開業予定。幼児性的外傷についての論文を送付したし。


11F(26/10/1907)
 論文の賞讃。抑圧への傾向に言及できていればベターであった。


13A(21/12/1907)
 ウィーンでの歓待およびフロイトがアブラハムの鞄に忍ばせた贈り物(エジプトの彫像)への礼。ゲールリッツの少年と面談(4月14日付ユング宛書簡参照)。重度の錯乱性精神病との診断。水曜会の面々によろしく。


14F(01/01/1908)
 ゲールリッツの少年は幻聴を経験しており、もはやヒステリー=強迫神経症の範疇にはない。性行為あるいは[両親の]性行為への怒りを表す発作を目撃。患者の性的拒否には器質的基盤(性器の未発達)があり、治癒の見込みはないと両親に告げたが、回復の見込みあり。早発性痴呆との診断は間違いない。早発性痴呆のヒステリーおよび強迫神経症との関連ははっきりしない。

「強迫神経症の一症例のための原覚書」

*「強迫神経症の一症例のための原覚書」

 1955年にまず英語版が、1974年にドイツ語版が刊行された。

 論文本篇では言及されなかった次姉カミーラとの強い絆。「あなたが死んだら、わたしも死ぬ……」。患者はおまるに座るカミーラを見て性差にめざめた。「かれは姉妹を通じて性的な事柄を知るようになったのではないか、ことによると、自分からではなく、誘惑されたのではないか」。あるいは患者が妹オルガに対してはたらいたとされる「暴行」……。

 いくつかの「予知夢」および「偶然」(鼠刑が従妹ギゼラに起こらねばよいがと念じたときに大尉が [ギゼラの姓]Adler という名を挙げた、etc.)。

 従妹は神経症を煩っていたらしい。彼女の名前の代わりにあるときフロイトはみずからの初恋の相手(ギゼラ・フルス)の名前を書き記してしまう……。

 患者は「従妹をいっさいの汚らわしい事柄から切り離そうとしている」……。「覚書」には論文本篇より肛門期的な汚穢に満ち、グロテスクで混沌とした世界がひろがっている。

 「従妹と結婚していたら、彼女の足にキスしてやるのに。ところが、その足が清潔ではなく、黒く縞状に汚れている(この黒い縞に彼はぞっとする)」。これは自身の身体の汚れの転嫁である。「自分の体を洗うな」という命令への服従を先送りした結果、患者は「自分の喉をかき切れ」という観念にとりつかれる……。女性のむきだしの尻と、シラミの卵や幼虫のついた陰毛。これは裸のオルガをみたときの快感に対する処罰……。フロイトの母親が裸になっており、二本の刀が胸のわきに突き刺さっている。性器はフロイトとその子供たちによって食い尽くされている(転移空想)。二振りの日本刀は結婚と性交を表しており、結婚と性交によって女性の美しさが破壊されるという、患者本人も苦笑する解釈……。従妹が患者を90歳の祖母のベッドに連れて行き、祖母の性器を剥き出しにしてその美しさを示す……。患者がフロイトの娘の上に仰向けに横たわり、彼の肛門から垂れ下がった大便を用いて彼女と性交している。「見事な肛門幻想」……。鼻くそをほじるフロイトに投げつけられる「薄汚い豚野郎」という呪いの言葉……。ソファに横たわる母親がスカートから黄色いものを引っぱり出す。これはフロイトの家族の女性が汚い分泌物の海の中で窒息しているという転移空想に送り返される……。屍体陵辱の空想……。

 五人の姉妹、母親、祖母、従姉妹、初恋の女性、メイド、娼婦、フロイトの母親と娘たち……何人もの女性の面影が交錯してわけがわからなくなってくる。「かれはいつも同時に複数のものに興味を抱く」(「アンナI」「アンナⅡ」……)。

 マホーニーが指摘しているように、論文においてフロイトは母親をはじめとする女性との関係を無視し、父親とのエディプス的関係に焦点を絞ろうとしている。

1907年のフロイト=アブラハム往復書簡(その1)

*1907年のフロイト=アブラハム往復書簡(その1)

1F(25/06/1907)
 アブラハムの同年の論文「早発性痴呆の症状学にとっての幼児性的外傷の意味」の高い評価。ヒステリーの前史との注目すべき一致。早発性痴呆において、外傷経験を外化させることはヒステリーよりも容易である。ほかの人たちが取り組もうとしない性的な問題にアブラハムが取り組んでいることはなによりもよろこばしい。


2F(05/07/1907)
 性的外傷は神経症の本来の意味での病因ではなく、神経症の症状学にかたちをあたえるものである。ヒステリーにおける対象愛と早発性痴呆における自体愛。3〜5歳以後の性的外傷は事実であるが、それ以前のケースは空想であるか、そうである可能性がある。幼児が(乳母などによる)誘惑を報告しないのは、外傷時に得られる快のためであり、それが罪責感を生む。マゾヒズム。肛門性欲といった幼児の倒錯性は正常な成人にもある。最初期の幼児にあっては意識と無意識の区別がいまだ生じていないので、幼児は性的衝動に対して無意識的に反応する。神経症の条件は性的潜伏期にあり、事後的に抑圧が起こって発病する。早発性痴呆の自体愛は幼児の正常な自体愛への回帰にほかならない。

『強迫神経症の一症例に関する考察』(鼠男の症例)

*『強迫神経症の一症例に関する考察』(1909年)

 この症例は、当時の盟友ブロイラーの提出したアンビヴァレンツという観念に導かれているとおもわれる(1910年「アンビヴァレンツについての講演」)。フロイト自身、ブロイラーにたいしてアンビヴァレントな態度をとっていたことがユング宛書簡からわかる。

 患者をくるしめていたのは、愛する人にわるいことが起こりはしまいかという恐れとそれにともなう強迫的な[自害]衝動であった。強迫行為は「つねに愛と憎しみとの対立の表現」である。くだんの恐れは本人にたいする憎悪の裏返しであり、強迫はその憎悪に対する罰である。勉強している自分と自慰に耽る自分を見せる衝動は[死んだ]父親への、どけた石をもとに戻す行為は恋人への愛憎を同時に(厳密にはヒステリーとは異なり継起的に)表現している。
 
 ヒステリーに現実神経症のカテゴリーがあるのとは異なり、強迫神経症はつねに幼児期の性生活に病因がある。父の死という考えは患者が6歳の頃に遡る。強迫神経症患者の常として患者は3〜4歳頃から窃視欲動(Schaulust)が発達していたが、「私が女の裸体を見たいと思うならば、私の父は死ななければならない」という「無気味」で「迷信的」な考えが浮かんだ。その際、両親が自分の気持ちを見抜いているという「妄想」が抱かれるが、これが父親憎悪の発端となる。その後、12歳のときに、片思いの少女に対し、「父が死ねば自分を愛してくれるのではないか」という「思いつき」がひらめいた。さらに父の死の半年前、「父が死ねば恋人と結婚できるだけの財産が手に入るのではないか」という考えが浮かぶ。これは成人して性的興奮が高まったときに、幼児期の「感覚的願望」が再賦活されたのだと説明される。さらに父の死の当日には、「父親に死なれる以上にその死が辛い人が自分にはいる」という考えが浮かぶ。26歳で性交を体験したとき、「このようなすばらしいことのためならば父を殺すことがあるかもしれない」と思う。さらに治療が開始される直前、軍事演習中に鼠刑の話を聞いたことで、立て替えてもらった金を返すと、[死んだ]父親と恋人に鼠刑が行われるという恐れが生じ、それに対して、金を返さなければならないという強迫が起こった。このときは、若い将校として女性の好意を集めていたことと禁欲生活とが重なり、リビドーが活発化していたために、幼児期の性的興奮が再活性化し、残忍な大尉の人物像が、幼児期に遡る父親への憎しみを甦らせたのであった。無意識的な願望は、ポンペイのように、埋もれていたおかげで保存されているのである。

 患者が11歳の頃、父親が自慰的な行為を罰し、それによって父親が性的快楽の障害と見なされるようになったが、父の死という考えはそれ以前に遡るものである。この事件は、幼児期健忘によって抑圧されていた外傷ないし葛藤を再賦活し、この時点で幼児期健忘は終わる。患者が16~17歳の時には自慰は盛んではなかったが、21歳のときに自慰が再開される。この時は美しい場面に立ち会うことで自慰の衝動が生まれた。これは父親へのアンビヴァレンツ(「人格の分裂」)を表している。

 父親へのアンビヴァレンツはエディプス的な感情によって理解できるが、一方、恋人へのアンビヴァレンツがどこに発しているかというと、自分にたいする気持ちに疑念をもたせるような弁明をした出来事が、恋人への憎悪を植えつけたとされている。アンビヴァレンツという観念を理解させるためにフロイトが召喚するのはシェイクスピアの『ジュリアス・シーザー』であり、プラトンの『饗宴』である(「リビドーの中のサディズム的要素と愛の否定的因子の関係」)……

 鼠とは同時にさまざまなものの象徴であるが、なかんずくそれは子供である。恋人と父親が鼠刑に処せられるという恐れは、不妊の恋人と男性である父親が「出産」するという実現不可能な事態であり、このような不合理さは嘲弄[による復讐]を意味している。

 金を返済すべき状況において、患者は借金していた父親に同一化している。さらに父親には貧しい恋人を捨てて裕福な母親と結婚したという過去がある。ウィーンへ向かう車中で患者は金を返すか返さないかというジレンマに陥るが、金を返さないことは父親の科を反復することであり、逆に下車して金を返済することも、恋人を裏切る[他の女と関係する]という父親の科を反復することである。患者の強迫のシナリオにおいては、金を立て替えたのがA中尉ではないということが意図的に忘却され、実際に金を立て替えた受付嬢の存在が隠蔽されていた。父親への愛憎と恋人への愛憎が組み合わされたこのジレンマにおいて、患者は父親と恋人への憎悪にたいして復讐を受けている。

 裕福な娘との縁談に際して、患者は父親のジレンマを反復している。患者は発病[=学業の中断]によってジレンマを回避した。

 「パパとママのどちらが好き?」という両親の問いにはじまる「あれかこれか」のジレンマを正常者はそのうち克服してしまうが、患者において「父親か恋人か」というジレンマが解決不可能なものとして維持されている。ところでブロイラーは、アンビヴァレンツ概念によって精神病の病因となるダブルバインド的状況を説明しようとしているようだ(ラプランシュ=ポンタリス『精神分析事典』)。

 強迫神経症患者は迷信ふかい(「思考[願望]の全能」)。患者が来世(父親の「幽霊」)にまで考えを及ぼすことは(「誰のことでも不在のままでその人物を抹殺するのは難しい」)、来世のことはだれにもわからないという人間の思考の不確実性そのものを利用して、父の死への願望を抑圧しているのだ(時計嫌い)。「一方では父の死という現実にさからい、一方では父の死の願望を充足するために父の死を来世というかたちでふたたび止揚しているのだ」。強迫神経症患者の迷信がつねに死を主題にしていることはその証左である(「死コンプレクス」)。そして、強迫神経症患者はだれの死にたいしても敬虔である(「屍鳥」)。「彼は空想のなかでたえず人を殺しては、その遺族に対して心からの同情を表明した」。

 強迫神経症患者は「不確かさをわざわざつくり出して問題化する」ことさえ辞さない。「強迫神経症患者は、不確かさや疑惑にたいしてこのような愛着を抱く結果、いついかなる場合にこれらの不確かさが一般にだれでもがそう感じる疑問になるのか、どういうときにわれわれの知識あるいは判断が必然的に疑わしいものになるのか、というテーマに自分たちの思考を特別に執着させる。なかんずくこのようなテーマとして次のようなものが挙げられる。すなわち、父と子の血のつながり、寿命、死後の生命・記憶などである。たとえば記憶の確かさについてわれわれは、一片の証明もないのに習慣的にそれを信じているのが常である」。

 このような態度は文化の発達の条件でさえある。「人間が自分たちの推理によってえられた結論を感覚の証明と同じ価値をもつものと認め、母権制度から父権制度へと踏み出す決心をしたとき、そこに偉大な文化的進歩が起こった」

 『日常生活の精神病理学』において述べられていたように、迷信は投影の産物である。投影によって、無意識的な願望の「内的知覚」が現実化する。それが無意識的なものであればこそ、本人は迷信に確信を抱くのである。そして迷信というものがそもそも強迫的な性質をもっている。

 強迫神経症にあっては、ヒステリーとは異なって、直接的に病因となった出来事が忘却されない。ただし情動が抑圧によって撤回されることで因果関係から切り離された表象が残り、そのいっけん無意味な表象が強迫となる(強迫は夢と同じく移動と歪曲を被る)。強迫行為は欲求にしたがってなされるのではなく、無意味な「考え」を動機としてなされ、それゆえに「迷信的」であるということにもなる。「迷信」とは言い条、強迫神経症患者の「譫妄」は強迫的思考と理性的思考の混淆物である(概して強迫神経症患者は知的レベルが高い)。


 P・マホニーは、フロイトのエクリチュールが逆転移をとおして強迫的になっていると述べている。たしかに同年のハンス症例のシンプルなスタイルにくらべてずいぶんと錯綜した論文だ。

 訳文は『フロイト著作集』(人文書院)に依拠した。


フロイト=ユング往復書簡(1908年)

*フロイト=ユング往復書簡(1908年)


58F(01/01/1908)
 敵対派の医師が身に覚えのない女性患者をめぐるフロイトへの中傷をひろめているとの噂について。


59J(02/01/1908)
 「かれ[アブラハム]はわたしよりもあなたの方にいっそうの親近感を抱いたように思われます」。二十六歳の女子学生のヒステリー症例。


61F(14/01/1908)
 アブラハムのユダヤ人気質について。


62J(18-20?/01/1908)
 ザルツブルクで開催予定の第一回フロイト心理学会議のプログラム案。


66F(27/01/1908)
 ユングの「早発的痴呆」論への「精神薄弱児風抗弁」にたいする皮肉。批判者らは「ヒステリーの病原菌もしくはプロトゾーンの発見にいまなお期待をかけている」


70F(02/17/1908)
 パラノイア(フロイトは早発的痴呆というカテゴリーを頑に拒否している)についての特ダネ(Geheimniss)。同性愛的構成要素からのリビドーの「部分的」分離。これはいっしゅの抑圧であり、この分離が完全であると自体愛への回帰が起こり、早発的痴呆になる。
 「フリースはわたしにたいする感情的傾斜を放棄したのちに正真正銘のパラノイアを悪化させました」


72J(20/02/1908)
 フリースについてのフロイトの言葉を受けて「わたしといたしましては、対等な者どうしの信頼関係ではなく父と息子のような信頼関係として、今後のあなたとの御交誼を願えないものかとの感想を抱きました。……この距離をつくるだけでもさまざまな誤解の生じるのを未然に防止できましょうし、自己主張の強いわたしども二人の人間の共存を容易にし、拘束を受けないおつきあいを継続できる鍵となるのではないかとわたしには思われるのです」。
 「ヒステリー者の空想とその両性性との関係」における「公式」について、「このテーゼをもっとはやく、いうなればアムステルダム報告以前にうかがえなかったのがかえすがえすも心のこりであります」。「ヒステリーは主として『種の保存』の領域で動揺し、他方パラノイア(早発的痴呆)は自己保存、すなわち自体愛の領域で動揺しています」


76F(03/03/1908)
 強迫神経症、ヒステリー、パラノイアの神経症選択についての仮説。


79J(11/03/1908)
 三十四歳の女性の症例(「分離」)。ザルツブルクで早発性痴呆について発表予定のアブラハムにたいする嫉妬。「かれの報告が気に入らないのは、あなたのご構想のもとでわたしが想像の翼をひろげていたもの……がかれに先取りされてしまうからです」


83J(18/04/1908)
 早発性痴呆の心因性についてのユングの見解を評価したフロイトにたいし、体質という条件を考慮しなければ「唯心論」(「心という名の実体」)に陥ると留保を置く。児童のヒステリーの成人への適用には、思春期の果たす役割の大きさゆえに限界がある。


84F(19/04/1908)
 児童のヒステリーについての反論。ブロイラーの性的要因の軽視についての批判。ザルツブルクで発表予定のハンス症例は寛解の保証なきゆえ、鼠男について報告することになるであろう。この三日後、ザルツブルクにてフロイトは鼠男についての4時間を越える報告を行った。


87F(03/05/1908)
 「痩せて飢えたカシウス」を彷彿とさせるジョーンズの「節度」のなさにたいしていだいた「人種的な疎遠さ」。遺伝的要因を全否定するジョーンズはこの点でフロイトさえもを反動的とみなしている。
 「あなたとアブラハムのあいだで醸成されつつある確執を看過するわけにはまいりません」


91J(07/05/1908)
 「わたしのアブラハムにたいする客観的判断には、いささかたりとも曇りはないのです。そしてそれゆえにこそわたしとしては同僚アブラハムの特異な個人的性癖にたいして、剥きだしの軽蔑を抱かざるをえないのです」


98J(19/06/1908)
 「ヒステリーの場合にはポンペイとローマの両方が問題になりますが、早発性痴呆においてはひたすらポンペイのみが問題となります」


99F(21/06/1908)
 オットー・グロースの病状はパラノイアであり、早発的痴呆という診断は認められない。早発性痴呆はコカインによる中毒性パラノイアではないか。ユングをめぐるブロイラーへの嫉妬。「かれなんかにあなたを奪われてなるものか」。


102J(12/07/1908)
「わたしにはジョーンズの得体が知れません」


103F(18/07/1908)
 「仲間内でのさまざまな人種の混淆状態はひどく興味深いものでありますが、かれ[ジョーンズ]はケルト人ですので、その点では結果的にはわれわれとまったく無縁なゲルマン民族や地中海人種と軌を一にいたします」


106F(13/08/1908)
 「神経症からはじまったわたしの研究を精神病の各領域に応用していただいて、わたしの衣鉢をついで完成していただくようあなたに懇願したいのです」。「わたしはあなたに好意をもっておりますが、そういった私情をさしはさまないくらいの心得はわたしにだってある、とつけ加えておきます」。
 「いまでは神話が神経症とおなじような核を有しているのではないかと思うまでにいたってまいりました」。滞在先(ベルヒテスガーデン)で「人間としてたいへん魅力をそなえている同志」フェレンツィの度重なる訪問を受ける。


110F(15/10/1908)
 「わたしは Offizierskorps」という思いつきにとりつかれた不安症の男について、「わたしはスイス」と述べるユングの患者との関連性を打診。「ψAにおいて意識化するようになる無意識的なパラノイアが存在するのであって、この観察は、分析中われわれがヒステリー患者を早発性痴呆の過程に誘導しかねないというあなたの御卓見のすぐれた傍証となります」


112F(08/11/1908)
 『夢解釈』第二版。


114F(11/12/1908)
 「[ベルリン精神・神経病学会で攻撃にさらされた]アブラハムから、ベルリンという最前線を死守したとの報告を受けました」


116F(01/01/1908)
 ユングが批判したブリル論文の「ペンシルバニア/パルジファル」を評価。C夫人における男性との同一化。


117J(29/11/1908)
 アブラハムと「いまではこころよく和解できる心境になっております」


118F(11/12/1908)
 「いま『小さなハーバート』症例の中心とおぼしき神経症における核コンプレックスの観念にすっかり魅了されておりまして……」


121J(21/12/1908)
 早発性痴呆における「補償の試み」。「町で行き交う男性という男性にコイトゥスをせがむ」女性の症例。


122(26/12/1908)
 「ハンス」初校と「ドラ」再版。フェレンツィの論文「摂取と転移」。ユングの「補償」説をフェレンツィとともに検討した結果、パラノイア疾患の現象形態(妄想 etc.)が回復の努力であるかぎりでそれは「補償」といえるが(それが成功すればパラノイアからヒステリーになる)、自体愛を「補償」に還元することはできない。「もしあなたがH・エリスのようになんでもかんでも自体愛という用語を適用すべきではないとおっしゃるならば、……真性の自体愛的対象放棄のみに限定するよう提案いたしたくおもいます」


123F(30/12/1908)
 クラーク大学からの講演依頼があるも、仕事を減らすことによる経済的損失を優先する所存。


「ある五歳児の恐怖症分析」(症例ハンス)

*「ある五歳児の恐怖症分析」(1909年)

 すべての神経症は幼児期の性的抑圧に原因をもつ。それゆえ、幼児には抑圧された性的興奮や欲望が「なまの形で」発見できるのではないか。これが本症例のコンセプトである(これについては同時期の書簡において、ユングが思春期の重要性という観点から疑義を呈している)。

 「心的世界のなかにはちゃらんぽらんなどというものはない」。それゆえ、幼児の一見ちゃらんぽらんな言葉は分析可能である……

 みずからの「性理論」にしがみつくハンスは、女性におけるペニスの不在を認めることができず、小さなペニスとしか認識できない。それはあたかもヴント学派の心理学が無意識というものを認め得ずに、微意識などと言い逃れする態度にひとしい。

 ハンスの性理論は膣の存在を許容しない。それゆえ、エディプス的欲望を意識化することができず、みずからの内に萌す「性交の予感にしたがった」「母親に対する暗いサディスティックな情欲」と折り合えない。とはいえ、かれは出産の際の母親の体型の変化にめざとく気づいており、さらに、「ハンナとハンスは自分の子供」という父親の言葉から、父親が子供の誕生に一役買っているらしきことを察知する。さらに、排便の際の快感から、分娩が快感と結びついているらしいことを推論し(「出産=排便」説)、錠前屋が浴槽のネジをはずし、錐で腹を突いたという空想や、人形の足の間からポケットナイフを取り出すという「症状行為」を創り出す(「象徴的な性交空想」)。馬は(性交という)「暗い運動衝動」の「手本」であり、倒れる馬は「妊娠の象徴的代理物」であった。錠前屋の空想の新版であり、そのパロディである、工事夫が大きなペニスを取り付けてくれるという「勝ち誇った空想」において、すでにハンスは「去勢不安の克服」を経験している。この空想は、鸛のお伽噺をもちだすことで生の事実を隠蔽し、じぶんを欺いた父親への復讐である(父親は母親を奪い取るだけでなく、子供を欺くがゆえに余計に罪深い)。ハンスは父親に復讐を遂げると同時に、父親をその母親と「結婚させてやる」ことで父親の願望を遂げさせてやる(「ハンスは、死ねばいいという願望をいだいている父親のことも内心では愛しているのである。……人間の感情生活一般は、もろもろのこのような対立的組み合わせによって成り立っている」)。かくてかれはみずからのエディプス的欲望と和解する。「万事めでたしである」。

 フロイトは両親の放任主義がハンスの症状の原因であることを認めている。「かれが威嚇もされず、できるだけ大事に、できるだけ強制も受けずに育てられていたので、彼の不安も比較的大胆に出てきたのであろう。かれの不安には良心の呵責や懲罰への恐怖という動因は欠けていた。ふつうならばこれらの動因がかならず不安の縮小に貢献する」。とはいえその一方で、父親の放任主義をたたえ、父親による分析の成功とハンスの治癒を結論づけている。それどころか、ハンスの神経症は「両親の注意を、文明教育における天性の欲動構成要素の克己がこの子にもたらさざるをえないさまざまの避けられない困難へと向け」、父親の援助を引き出したことにおいてハンスのためになったのであり(「父親はじぶんが尊敬という点であるいは失うかもしれないものを信頼という点で取り戻すのであった」)、「かれにはいまや他の子供たちにくらべて、のちの人生においていつでも何かしでかさないとはかぎらないような、またもし後年になって神経症に罹りやすい素質でなかったとしたならば、かならずやなんらかのていどでの性格の歪曲を招来するところの、あの抑圧されたコンプレクスの萌芽をもはやもってはいないという利点がある」とさえ述べられている。これは文字どおりのジョークにほかなるまい。花嫁候補がすでに不具なのでこれから事故にあって不具になる心配がないとのたまわった結婚仲介人のジョークを想起しよう(『機知——その無意識との関係』)。ついでに思い出したが、本論文にはユダヤ人をめぐるつぎのような件りも読める。「去勢コンプレクスは反ユダヤ主義のもっとも深い無意識的根源である」。

 「当初抑制された欲動は、あくまでも抑制されたままである」が、分析は「自動的で過度の抑圧過程を、心理的最高審の援助による節度ある、目標ある克服に換える」。つまり、「分析は抑圧を有罪宣告に換える」。不快な欲動を社会的に利用可能なものへと昇華することで抑制することが教育の目標として提案される(意識化の効能については、1923年につけくわえられた注において留保が置かれている)。

 父親はハンスに性教育を授けることを選択しなかったが、自分であれば生の事実をかれに教示したであろう、そしてハンスはそれによって純真を失うことも、母親への素直な愛情を放棄することもなかっただろうとフロイトは述べている。スーパーバイザー的な役回りのフロイト先生にハンスは転移を起こしていた(「あの先生は神様と話をするから、あんなことをまえから知っているの?」)。父親のマックス・グラフはフロイトの信奉者であり、やはりフロイトに心酔している妻はかつてフロイトの患者であった。フロイトはハンスの素質の遺伝性を否定し、「神経質な子供と正常な子供とのあいだに明確な境界線はなく、“疾病”は量的概念である」ことを強調している。

 「ドラの症例とは対照的に、ハンスの症例はフロイトにとって心から満足のゆくものであった」(ピーター・ゲイ『フロイト』)。この症例は「典型的、規範的な意味」しかもたず、「私はこの分析から、新しいことは何一つとして知りえなかった」とフロイトはうそぶく。逆にいえば、フロイトはハンスの症例において、既知のことがらを確認しているにすぎない(ドラ症例の轍を踏むまいというバイアスがかかっていたことは大いに考えられる)。マックス・グラフの凡庸な解釈を大筋において追認しつつ(できすぎの感のあるハンスの言動が父親の「暗示」ないし誘導尋問の結果でないことがくどいほど強調されている)、自説に矛盾なく合致するエディプス的なシナリオを都合よく読み込んでいるにすぎない。「ハンスに関する報告はいわば付録のようなもので、かれが『性についての三篇』のなかできわめて凝縮した形で述べた結論を例証した」(ゲイ)。ここにはフロイトじしんの欲望が刻印されている。その欲望は精神分析運動史の立ち上げと結びついている。この症例がまさに「運動」の出発点において発表されている(『精神分析・精神病理学研究年報』の創刊号に掲載)ことの「政治的」意味はいくら強調しても強調しすぎることはないであろう。ちなみに運動の担い手たちについては、ユング(早発性痴呆)やシュテーケル(不安ヒステリー)への言及があるほか、アドラーが攻撃欲動を「普遍化」「実体化」し、性欲動の上位に置いていることが批判されている。

「神経症者の家族小説」

*「神経症者の家族小説」(1909年)

 両親は幼児にとって唯一の権威であり、信仰の源泉であるが、幼児が成長するにしたがい、よその両親と比較して両親を客観視するようになる。きょうだいの存在などの諸事情により両親の愛を独占的に享受できない子供は、じぶんが義子であるというかねてから育んでいた意識的な空想に慰めをみいだす。これが強化されたものが神経症者の無意識的なファミリー・ロマンスである。

 神経症者やクリエイティブな才能をもった人は旺盛な空想活動を特徴とするが、この空想は幼児期の遊戯にはじまり、思春期までにそのテーマが家族関係をメインとするようになる。社会的地位の高い人と接した経験が嫉みの感情を生み出し、空想のなかでじぶんの両親をもっと社会的地位の高い両親に置き換えようとするバイアスがうまれる。

 やがて性についての知識を得て、父性の不確実性を知るに至り、家族小説はもっぱら父親を対象とするようになり、母親が不義をはたらいてじぶんを出生したのであってほしいと考えるようになる(「姦通小説」?)。家族小説が性的な性格のものとなったこの段階では、復讐という動機は両親に自慰を罰せられたことへの復讐というかたちで生き残る。

 家族小説のヴァリエーションとしては、じぶんだけが正嫡子でほかのきょうだいは不義の子であるというヴァージョンや、じぶんが愛着を感じているきょうだいとの血縁関係を否定するというヴァージョンがある(母親との近親相姦を正当化するために血縁関係を否定するということは述べられていない)。

 家族小説は両親に対する裏切りではない。なぜなら、実の両親に取り替えられる身分の高い両親とは、実の両親の輝かしい記憶に由来する創造物であるからだ。「実の父親をもっと身分の高い父親ととりかえようとする子供の試みはすべて、過ぎ去った幸福な時代――いちばん偉くて強い男性は父親で、いちばん優しくて美しい女性は母親だと思えた時代――への憧れの表現にすぎない。子供派、いまじぶんが知っている現実の父親に背を向けて、もっと幼かったころ全幅の信頼を寄せていた父親のところへ戻って行ったのであり、その空想も、元来は、そうした幸福な時代が帰らぬ昔になってしまったことにたいする嘆きの表現にほかならない」。成人においては、王や王妃が登場する夢としてこの空想が継承されている。

 新たな同志のひとりランクとの交友の産物であるささやかな傑作。幼児を理論化とみなす「幼児期の性理論」につづき、ここでは幼児が小説家とみなされている。家族小説という概念の萌芽は、フリース宛書簡119(24/01/1897)に見出され(パラノイア患者における「素性に関する疎外の虚構」)、家族小説という用語そのものは書簡170(20/06/1898)に遡る。

「ヒステリー発作についての概略」(1908年)

*「ヒステリー発作についての概略」(1908年)

〔A〕

 ヒステリー発作は運動的なものへと「投射」された空想の「翻訳」であり、「パントマイムふうに上演されたもの」。

 症状と夢の並行性。夢がそれ自体が発作の「代替」となっている場合もあるが、夢が「説明」となっている場合のほうが多い。

 歪曲のパターン
 (1)縮合
 ひとつの素材でいくつかの空想を上演。たとえば、さいきんの欲望と再活性化した幼児期の印象のそれ。いわば「おなじひとつの神経支配が二つの意図に仕えている」。
 (2)多重的同一化
 患者が空想の二人の登場人物を掛け持ち。
 (3)敵対的逆転
 両腕を背中で交差させる身振りによって「抱擁」場面を上演するなど。
 (4)時間順序の反転
 空想のシナリオを逆の順序で上演。(3)と同様、「抵抗」をかいくぐるための苦肉の策。


〔B〕

 抑圧されたコンプレクスは情動と表象(空想)から構成されている。

 発作の誘因
 (1)連想
 (2)器質性の促し
 (3)一次的疾病利得(疾病への逃避)
 (4)二次的疾病利得(発作による目的の達成)


〔C〕

 ヒステリー発作(失禁、舌噛み、自傷行為、意識喪失 etc.)は幼児期の自体性愛的満足の代替。それは以下のような諸段階を経る。
 (a)[自慰]行為のみ
 (b)行為と空想の結合
 (c)空想を保持したまま行為を断念
 (d)空想の抑圧
 (e)抑圧の失敗、抑圧されたものの回帰(=発作)


 〔D〕

 ヒステリー性の痙攣発作(反射)は性交の等価物。

 女性患者が多く幼児期の男性的な性活動を蘇生させるのは、ヒステリーは両性性の抑圧に由来するから……

 
 ストレイチーによれば、とくにセクション〔B〕が、のちに発展させられる問題意識をおおくふくむ。
 
 
 訳文は『フロイト全集』(岩波書店)によった。

フロイト=ユング往復書簡(1907年)

*フロイト/ユング往復書簡(1907年)


11F(01/01/1907)
 『早発性痴呆の心理について』についての「批判」への弁明(「これほど遠方にありながらわたしに味方してくださる、もっとも腕利きの協力者たるあなたの気に障るまねをするのは愚かきわまる所業」)……ユングの夢分析への疑義(願望充足の捉え方について)。「原木=ペニス」という解釈の提案……「精神医学のお偉方」には耳を貸すな、「未来はわれわれのものである」。ウィーンでは「わたしどもの新しい理想に手を貸してくれる運動」が芽生えている。「わたしたちの性格、ならびに立場上のちがいにしたがって役割を分担するのが良策ではないでしょうか。つまりあなたにはあなたの上司にあわせながら調停の労をとっていただき、わたしは糖衣を剥いだ錠剤を呑み込む大衆に期待をかける頑固な独善家を演じつづける、といった役割であります」……ユングが論評した「防衛-神経精神症再論」(1896年)の症例にくだした診断(パラノイア)への確信。……「精神毒素」への関心に対する警告。


12J(08/01/1907)
 原木=ペニスという性的解釈への抵抗……ウィーン訪問の決意……「毒素」援用の弁明(「実体的要因」を排除するため)……「防衛-神経精神症再論」における症例についての見解の相違は、たんなる命名上の相違に帰しうる。パラノイアと早発性痴呆症の相違についての若干のコメント。


17J(31/03/1907)
 3月3日、フロイト初訪問後の最初の書簡。「拡大された性欲概念」である「リビドー」に代わる「もっと耳障りにならない包括的な概念」の提案。


18F(07/04/1907)
 「経済活動を支えてゆくのにふさわしい性質として、人があたえたもの、受け取ったもの[の差額]をこまかく取り締まらない一種の知識の共産制を承認しなければなりません」……リビドー概念をめぐる「すっぱいリンゴを甘くしてやろうという努力」をやんわり却下。「抵抗が避けられないのであれば、なぜ最初から抵抗に正面から挑まないのでしょうか」……オットー・ランクは期待薄……『グラディーヴァ論』を送付したき所存。


19J(11/04/1907)
 「ヒステリー型」の早発性痴呆の症例。「ヒステリーにおいては、いつでもコンプレクスと人格全体との総合が認められる」のに対し、早発性痴呆においては「コンプレクスはたがいに孤立して存在する」。「まるで患者の人格というものが、もはやいかなる相互影響もおよぼさないばらばらのコンプレクスに解体してしまったかのような観を呈する」……「しかしなぜ自体愛期への退行が起こるのでしょうか。あきらかに自体愛はなにがしか幼児的なものであり、しかも幼児性は早発的痴呆とは完全にべつものであります」……アムステルダム国際会議にて「現代のヒステリー学説」について報告予定。宿敵アシャフェンブルクとの一騎打ちは必至。


20F(14/04/1907)
 フロイトのほうもアムステルダムでの報告を依頼されていたが、ジャネとの「果たし合い」を余興に仕組んだ悪意あるプログラムゆえに受諾せず。……症例「ゲールリッツの少年」。患者は「エディプス・タイプ」であり、「交接の傍観者」の役割(鍵穴に指を差し込む身振り)と、射精する男性(唾吐き)の二役を演じている。


21J(17/04/1907)
 「ゲールリッツの少年」について[緊張病型ではなく]ヒステリー型との診断。神経症から早発性痴呆への移行過程は解明されていない。そもそも、早発性痴呆の本質そのものがほとんど何も知られていない。……糞尿を飲食する教育ある若い緊張病患者の症例(妹との関係、両性性)。性的興奮の肛門(みぞおち)への置換。


22F(14/04~21/04/1907)
 考察「パラノイアにかんする若干の理論的指標」

 抑圧された性的欲望の回帰としての投影は、内部における「量」的備給が外部において「質」として「知覚」される過程である。不安ヒステリーは自体愛をうわまわる「対象備給の過剰」を特徴とし、外部知覚が内的な備給の過程として見なされ、「なまの言語表象」が恐怖感となる。心気症は対象備給が自体愛に回帰して器質的な不快に転換したもの。心気症とパラノイアの関係は、不安神経症とヒステリーの関係に似ている。いずれも前者は身体的な基礎をもつ。パラノイアにおける防衛は、知覚において不快な表象を意識化することでつねに失敗する。そのためリビドーはふたたび自我に備給し、知覚となった表象を幻覚に変える(二次的な防衛過程)。この幻覚の現実性が妄想において確信される。「投影は抑圧の変種である」。


24J(13/05/1907)
 汚物を体になすりつける教育のある緊張病女性患者の症例(幼児期の記憶の噴出)……フロイトのパラノイア理論への回答。妄想がリビドーに由来するのは正しい。ただし、フロイトの「外部投影」論においては迫害観念の起源しか説明されていないが、早発性痴呆においてはあらゆる個々の事態が外部に投影される。妄想は願望充足と迫害感の混合である。宗教的忘我状態にあって神の幻を見た人が、現実との矛盾によってその対立物をも生み出し、神は悪魔になり、神と一体化する性的愉悦が性的不安に転化するというアナロジー。「現実に向けられる根源的願望」があり、それが妄想を生み出すのだ。「リビドーが対象から撤収されるとあなたが主張なさるとき、その意味をわたしは、リビドーが正常な抑圧理由のため現実対象から引き上げるのであって、さらにリビドー自体は現実対象の空想による模倣に依存し、その結果としてリビドーは幼児期の古い自体愛的遊戯に耽るのだと解釈します」。
 この書簡でユングは自体愛という概念を確信犯的に濫用している。ゲールリッツの少年は「自体愛の最低水準におけるまぎれもない緊張病症状を呈しております」……六歳の少女の症例(誘惑による外傷の捏造)。


25F(23/05/1907)
 「対象からのリビドーの撤収」についての反論。「定義上リビドーは、現実的なものであれ空想上のものであれ、なんらかの対象を保有するかぎり自体愛的ではありません。むしろわたしの考えではリビドーは対象表象から剥離し、そのためリビドーを内面的なものとして特性づけている備給から剥奪し、その結果として外部に投影、すなわち知覚されるようになります」。「パラノイアにおける外部への投影と他の投影との相違」については、明解な回答をあたえていない。……六歳の少女の症例へのコメント。『グラディーヴァ論』で言及された幾何学狂の青年の経過。


26J(24/05/1907)
 『グラディーヴァ論』賛。「鳥」のシンボリズム。早発性痴呆について執筆中のブロイラーは『ブラディーヴァ論』に否定的。「フロイト戦争」の行方は?


27F(26/05/1907)
 イェンゼンからの返事……『日常生活』第二版……alquis の度忘れ


29J(04/06/1907)
 「既得権を自由に駆使するのは許される」という主旨への賛同……早発性痴呆における鬱病の症例(兄への関係)……パラノイアの症例(「断髪」)


30F(06/06/1907)
 「わたしたちの新興思想の社会的承認をもとめる激烈なたたかい」の第一歩としての雑誌発刊の提案。……29Jの二症例についてのコメント(「兄に対する抑圧されざる愛」が兄を思わせる男性からの求婚を契機に抑圧され発病……)。


31J(12/06/1907)
 「大目的」への賛同……三十六歳の女性の症例(母親との癒着)……教育を受けていない患者の症例(コーヒーに入れたパンのかけらを吐く)


32F(14/06/1907)
 パンのかけらを吐く患者へのコメント(排泄物)……「パリ・コンプレクス」と「ウィーン・コンプレクス」


33J(28/06/1907)
 フロイトを訪問したいとのフェレンツィの意向……女子学生の論文……『日常生活』第二版への謝辞と『夢解釈』再版への激励……パリとジャネへの失望……ビンスヴァンガーは精神分析を研究中。


34F(01/07/1907)
 『グラディーヴァ論』の反響いまだ無し……「無意識なるものの認識論上の難点」についての著作の構想……「批判能力を欠いている」シュテーケルによる不安ヒステリーの症例に関連して、不安ヒステリーと転換ヒステリーの関係というテーマ(ハンス少年の症例において扱われることになる)。


35J(06/07/1907)
 パリで知り合ったアメリカ人女性(コーヒーを飲まない、脱肛)……「籠の鳥」についての詩の想念に取り憑かれた女性患者(編注によればザビーナ・シュピールライン)……メスメル、ガル、フロイトという三題噺(ウィーンからパリを経由してチューリッヒへ)……ブレーメン(フロイトを認めたドイツで最初の公立精神病院)出身の助手アブラハムへの期待……ローザンヌでの兵役


36F(10/07/1907)
 新たな文通相手アブラハムへの関心。


37J(12/08/1907)
 アムステルダムでの講演草稿の多難。「悪意に対してあなたがそれ相応の理解を示そうとなさらないのは正しいのだと、最近わたしはだんだんと納得するようになってまいりました。……アメリカは活気に満ちております。三週間前アメリカ人6名、ロシア人1名、イタリア人1名、それにハンガリー人1名が来訪いたしました。しかしドイツは抜け落ちています」


38F(18/08/1907)
 その「ヒステリー的」素質(感銘をあたえ、影響をおよぼしたいという気持ち)ゆえユングは教師として、そして指導者として適役であると鼓舞。


39J(19/08/1907)
 「真理に対する私の噓偽りのない熱誠は、[「ヒステリー的」素質ゆえでなく]あなたの教えを広めるためあれこどの方法を模索し、大目的をその裂け目につぎこむのが最善の策となるのではなかろうかというのがその内実なのです」……フロイトと文通を始めたアブラハムへの「嫉み」。アブラハムのさまざまな悪評……「あなたは性欲をあらゆる感情の母胎として把握なさるのでしょうか。あなたにとって性欲とは人格の一構成要素にすぎないのではないでしょうか。……ヒステリー症状を決定するものの一つとして性的コンプレックスがあげられるとはいえ、昇華や非性的コンプレックス(たとえば職業、身分など)が支配的な条件とはならないものでしょうか」


40F(27/08/1907)
 アブラハムのユダヤ的な出自への関心……「われわれには二つの欲動源があて、性欲はその一つにすぎず、一つの感情は欲動備給の内的知覚であるように思われます。そして二つの欲動源の結合から発生する諸感情がたしかに存在します」


42F(02/09/1907)
 アムステルダム講演を前にしたユングの宣伝役としての適性。「わたしという人間なり、わたしの考え方や話し振りのなかに、なにかよそよそしく人々を反撥させるものがあるのをつねづね自覚していたが、これにくらべてあなたはたれにたいしてでも胸襟を開ける。あなたのような明朗闊達なかたが自己をヒステリー・タイプと考えるなら、さしづめわたしはその一人びとりが閉じこめられた世界で生きつづける『強迫』タイプに属すると告白しなければなりません」
 「いちばん身近にいた友人たちの無関心や無理解」にくるしんだ「苦悩に満ちた孤立の歳月」にあって、「大時化の海で岩にしがみつくような思いをしながら『夢解釈』にしがみつき、それが少しずつ揺るぎない確信となっていって、未知の仲間たちのなかから一つの声がわたしに応答をもとめるまで待命する気になった」。この一つの声こそ、あなたの声であった……。


43J(04/09/1907)
 アムステルダムより。講演は制限時間の延長をみとめてもらえず、途中講壇の憂き目に遭うも、アシャフェンブルクには一矢を報いる。


44J(11/09/1907)
 アムステルダム続報。ジョーンズとの邂逅は収穫。ジャネは「夜郎自大なうすのろ」。フロイトの写真を所望。


45F(19/09/1907)
 ローマより。メダル進呈したし。アイティンゴンがアムステルダムのみやげ話を携えて来訪の予定。


46J(25/09/1907)
 アイティンゴンは「文句なく無能な空論家」……グロースによれば、転移は夫一婦志向の象徴……「性的な抑圧はよしんば多くの病弱な人びとの発病をうながすものであれ、きわめて重大かつ不可欠な文化促進要因であるように思われる」


48J(10/10/1907)
 女性患者の症例。転移によって性的な満足をあたえつづけるべきか、治療を中断すべきかとの相談。「フロイト」協会第1回会合(アブラハムらが参加)の成功。


49J(28/10/1907)
 みずからの「保身コンプレックス」の吐露。「あなたにたいするわたしの畏敬の念が、なにかある宗教的な心酔の特性を帯びる」ことに対する「嫌悪と不信」。それは少年時代に敬愛していた人物から受けた同性愛的な挑発に由来している。女性に注目されることの嫌悪も同根。「わたしはあなたの信頼がこわいのです。反対にわたしが内証事を打ち明けるならば、あなたから同じような反応が返ってくるのではないかと怖れているのです」


50J(02/11/1907)
 フロイトが「異常なまでに弱々しい老人」の姿にかわりはてた夢。「わたしの夢はあなたの災厄+++を代償としてはじめてわたしの心を落ち着かせるのです!」……イェンゼンの「赤い日傘」「ゴチック風の家にて」の分析……「全米心霊研究協会」の名誉会員となる……クリスマスにチューリヒにお招きしたい。


52F(15/11/1907)
 じぶんにたいするユングの「宗教的傾向を帯びた転移」への危惧。


53F(24/11/1907)
 法学者A博士の症例とイェンゼンの2短編との親近性(兄妹の関係)。
「わたしたちの愛の対象は数珠つなぎにつながれているのですから、ある男性の愛の対象には法則がはたらいていて、それはべつの愛の対象の回帰となり、対象同士は無意識的な幼児期の愛の復活をしめす」……グラディーヴァ・ウォークの起源についての憶測(イェンゼンには結核で死んだ足のわるい妹がいた?)


54J(30/11/1907)
 講演「神経学と精神医学にたいするフロイト学説の意義について」の成功。ジョーンズによるフロイト派会議立ち上げの構想。


56J(16/12/1907)
 会議の立ち上げと同時に雑誌創刊の構想。「雑誌の性格は必然的に国際的なものにならなければなりません」。


57F(21/12/1907)
 イェンゼンからの否定的な返信。


「幼児期の性理論」

*「幼児期の性理論」(1908年)

 「われわれの精神分析による探究のもっとも価値ある成果のひとつは神経症の人も、なにも特異な彼らだけに固有の、それ相応の心的内容をいだいているものではなく、C・G・ユングの表現をかりれば正常人も悩んでいるようなコンプレクスに悩まされているものだということである」

 幼児の性「理論」は、満二歳になった頃に、下のきょうだいが誕生することで喚起される「どこから兄弟はくるのだろう」という謎に起源をもつ。ハンス少年の事例が示すように、幼児は出産にともなう母親の体型の変化を見逃さず、この変化が子供の登場と関係があることをするどく見抜く。とはいえ、両親がこの謎への誠実な答えをあたえてくれないので、幼児は大人への不信を抱き、秘密裡の「理論的」探究に赴く。この探究心が幼児にとっての「思考力」一般を育む。またこの段階で、幼児は最初の「心的葛藤」を経験する。正しいと信じている意見でも大人からみれば「正しくない」意見は抑圧され、無意識的なものとなる(「心的分裂」)。これが神経症の「中核的コンプレクス」を形成する。

 幼児の性「理論」は誤ってはいるが、謎にたいする「天才的」な解答であり、一片の真理を含んでいる。その「理論」は幼児のうちにすでに萌している性欲動に裏付けられているからである。けっして勝手な思いつきや偶然的な印象などではないのである。

(1)「すべての人間はペニスをもっている」
 ペニスをもつ女性という夢や古典古代の両性具有の神話はここに由来する。この観念が固着すると同性愛者になる。ペニスが子供の誕生に関係していることを考えているときにペニスが興奮することがこの説の正しさを確信させるが、膣の存在はこの説と矛盾するから探究は挫折する。

(2)「出産=排泄」
 汚物愛的な傾向をもつ肛門期の幼児にとってこれは理に適っており、ある種の動物の観察によってもたしかめられる(他方、接吻による子供の誕生という理論は、口唇欲動の優位性に由来する)。この説は出産するのが女性だけであるという事実を説明できない。あるしゅの精神病者にはこの「理論」の名残がみられる。

(3)「性交=サディズム」
 原光景の目撃から着想される説(じっさい、子供の取っ組み合いにも性的な快感がともなうことがある)。かつて経験した内なるサディズム衝動がこの説の裏付けとなる。ベッドや洗濯物の血痕もこの説への確信を深めさせる(血への嫌悪はここに発する)。この説はそれじたいでは誤りではあるが、「生来的にそなわる性的な要素[サディズム衝動]の表現」でもあるかぎりで一抹の真理を含む。


 以上、子供がどこからやってくるかについての三つの「理論」にくわえて、幼児は

(4)「結婚の本質」とは何か? 

 という知的探究にのりだす。その答えは、偶然目撃した原光景とみずからの性的欲動とをどう関係づけるかに応じてさまざまなヴァリエーションをとるが、結婚が快の満足を約束し、羞恥心を捨て去ることを意味することはすべての答えに共通している([恥ずかしがらずに]放尿し合う、尻を見せ合う、など)。神経症においては、婚期における結婚願望が幼児期の「結婚理論」を甦らせることで[結婚]恐怖やその現れである諸症状を生み出すことがある。

 スタンダード・エディションによれば、「去勢コンプレックス」という用語はハンス症例に先立つこの論文が初出。また、「中核的コンプレックス」は後にエディプス・コンプレックスと呼びなおされるだろう。


「性格と肛門愛」

*「性格と肛門愛」(1908年)

 性格は素質的な欲動に由来する。「几帳面+倹約家+わがまま」という「性格コンプレクス」は、肛門領域の欲動に由来している。排便を遅らせることによる「副次的な快感」については、1906年のユング宛書簡に言及がある。排便コンプレクスと金銭コンプレクスの関係は、臨床的に実証されているし、吝嗇を金に「汚い」と表現する言葉遣いは、古代文化以来の金銭と糞便の強い結びつきの一例にすぎない。「神経症が言語慣習にしたがうときには、言葉をその本源的な含蓄の深い意味にとるのであって、神経症が一つの言葉を象徴的に表現していると思われる場合にも、一般にその言葉の古い意味だけが再現されている」。こうしたダーウィン的認識は、すでに『ヒステリー研究』で主張されているところである(これはフロイトによる系統発生的な見解の嚆矢とされる)。

 「残っている性格傾向は、根源的な欲動の不変の継続であるか、それとも欲動の昇華ないし欲動に対する反動形成であるかのどちらかである」という「公式」が結論部において提示される。

 「根源的な欲動の不変の継続」は、排便の性的快感が消失する時期に金銭への関心が現れる事実によって証明される。もっとも価値のないもの(糞便)からもっとも価値のあるもの(金銭)への移行は、「昇華」ないし「反動形成」と呼べるであろう。夜尿症が「燃えるような」名誉欲を形成した例も同様。

 ストレイチーによれば、この論文は「ねずみ男」の分析の終了まもない頃にその影響下に書かれている。


「ヒステリー患者の空想と両性性に対するその関係」


*「ヒステリー患者の空想と両性性に対するその関係」(1908年)
 
 自慰は、空想をかきたてることと、その空想の絶頂において自己満足にいたるための活動的な営みとの「はんだづけ」によって構成されている。当初は自己愛的な身体的快感を目的としていた自慰は、やがて対象愛の領域に由来する欲望の表象を満足させることを目的とするようになる。そのような空想的満足が放棄されると自慰行為そのものは行われなくなるが、空想は意識的なものから無意識的なものに変わる。その後、性的欲求不満の状況において、この無意識的な空想が症状として「外化」する。ヒステリーの症状は、このような無意識的空想の上演である。倒錯者の空想やパラノイア患者の妄想は、ヒステリー者においては無意識的な空想が意識化されている状態である。ヒステリー患者も無意識空想を、症状として表現せずに、意識的に現実化し、殺人・暴力・性的陵辱などを「演出演技」することがある。

 それゆえ精神分析は症状の背後にある空想を知ろうとするが、症状と空想の結びつきはきわめて複雑で錯綜している。重度の神経症においては一つの症状は複数の空想に対応している。それゆえ、一つの空想を意識化しても症状は消えない。

 症状を解消させるには二つの空想の意識化が必要であるが、その一方は男性的、他方は女性的な性格をもつ(それゆえいずれかは同性愛的な欲求を表現している)。これはすべてのヒステリー者にみられる事実ではないが、人間の生得的な両性性が神経症者においては明瞭に認識されるという自説を支持するものだ。自慰にふける者は、空想のなかで男性にも女性にも感情移入する。一方の手で着物をまくり上げようとし、他方の手で着物を押さえようとするヒステリー患者の発作もこのことを示している(「矛盾する同時性」)。患者は分析中に一方の性的意味から逆の意味の領域へと「隣りの線路の上へそらせるように」たえずそらせようとする。

 このような認識は、ドラ症例の失敗の教訓であろう。 

子供の性教育にむけて


*「子供の性教育にむけて」(1907年)

 フロイト先生の性教育論。

 性的なことがらについて子供に教えようとしないのは、子供には性欲がないとおもわれていることが大きい。じっさいには「生殖能力を除いて子供は完成した愛情をもっている」。

 Wiwimachen に対するハンス少年の旺盛な好奇心は、かれの病的素因を示すものではなく、両親が秘密主義を採用しなかったために子供ほんらいの思考が歪曲されずに現れたものである。

 子供のもっとも切実な問いである、子供がどこからやってくるかという問いは、下のきょうだいの望まれない誕生を契機としている(オイディプスに投げかけられたスフィンクスの謎)。この問いに対する両親の不誠実な答えは、大人への不信を子供に植え付け、これ以後、子供は最大の関心を大人に隠すようになる。大人からの答えを受け取れないことは子供に罪悪感をあたえ、性を厭うべきものと考えるようになる。ある少女はそれによって強迫性詮索症になり、やがて早発性痴呆症になった。

 動物学の一貫として生殖の事実を教育することが望ましいが、子供の教育が聖職者に委ねられ、「不滅の魂」を根拠に人間と動物の同質性を認めない国においては、それが困難である……。


「『文化的』性道徳と現代人の神経質症」(1908年)


*「『文化的』性道徳と現代人の神経質症」(1908年)

 いわば晩年の『文化における居心地わるさ』(1930年)の原型をなす論文。「素質[=欲動]と文化要求との間に横たわる矛盾」。「われわれの文化は諸欲動抑圧の上にこそ築かれてきたものである」。こうした根本的な認識にもとづき、厳格な文化要求(性的禁圧)が神経症や倒錯を必然的に産出し、文化が基づくべき結婚生活、ひいては性交そのものの価値を低下させるとし、「現代の『文化的』性道徳は、それが課す犠牲に見合うだけの価値をもつか」という疑問を呈さざるをえない」と結論される。

 性欲動は人間の文化建設という仕事に厖大なエネルギーを供給する。なぜなら、「性欲動にはある特別な性質があって、自己本来の(性的)目標に振り替え、しかも大体においてそれ本来のエネルギー量が損なわれることがないから」。この特異な現象が「昇華」と呼ばれる。

 個人の「性欲動発達史」に基づき、文化の発達はつぎの段階をたどる。
(1)性欲動が種の繁栄という目標を無視して自由に行使される
(2)種の繁栄を目指す以外の性欲動の一切の行使が抑圧される
(3)一夫一婦制の下での種の繁栄を目指す行使に限定される

 ところが、人間の性欲動が種の繁栄を目指すものではなく、特定の快感獲得を目指すものである以上、(2)は失敗を運命づけられている。現代社会の構成員の大半はこの要求にたえられず、幼児期の性愛への固着によって倒錯者(der Perverse)、同性愛者、性倒錯者(der Invertierte)という「病的な逸脱」がはびこる。かれらは「社会的に使いものにならず、幸福にもなれない」。かれらのうちで、性欲動がそれほど強くない者は、倒錯を押さえつけることに文化建設に使うべきエネルギーを消耗してしまう。一方、性欲動の強い者は、一生倒錯者のままであるか、さもなければ抑圧の失敗が神経症というかたちで外化する。現代社会における神経症の増加は性の自由の制限に由来している。
 
 家族のなかの兄弟が性倒錯者、姉妹が神経症者のケースがきわめて多く、その結果、夫婦のうち夫が倒錯者であり、妻が神経症者である割合が高くなる……。

 ここでフロイトは三つの問いを立てる。
(1)第三段階における課題とは?
(2)社会的に容認された欲求満足によってそれ以外の欲求が満足させられ得るか?
(3)欲求断念によるデメリットは如何?

 じつは現代の文化的性道徳は、産児制限というかたちで一夫一婦制における性交をも制限しており、その結果、夫婦は結婚後数年しか満足な性的満足にあずかれない。避妊具や妊娠への不安がさらに神経症を促す。

 「多くの結婚生活の行きつく先は、精神的幻滅と肉体上の不満であり、こうして夫婦は自分たちが結婚以前の状態に舞い戻ったことを知るのであるが、ただ以前の状態と現在の状態とでちがう点は、結婚しさえすれば十二分な性的満足がえられるという見込みが錯覚だったことが判明して、今後はますます性欲動を制御し、ほかへそらさねばならぬと覚悟せざるをえないということである」

 女性は「人類の性のことがらの本来の担当者」であり、男性よりも昇華の能力に欠けている。性対象の代用品としての子供も成長すればもはやその役割を果たせず、女性は神経症を運命づけられている(姦通という逃げ道は一時的なものにすぎない)。

 結婚生活において性的不満な母親が子供に性愛欲求の捌け口を見出すことにより、子供は性的に早熟になるが、厳格な教育がこれを抑圧することで子供をも神経症へと追いやる。

 性的禁欲は心的エネルギーの無駄な消耗であり、しかもよりによって若者が社会の中に地歩を占めるために心的エネルギーを費やさなければならない時期にあってもっとも禁欲が求められるのは背理である。禁欲は「きまじめな弱者」だけを生産し、群衆に埋没させる。「群衆というものは、いやいやながらも力の強い個人に引きずり回されるのがつねである」。結局、文化じたいにとっての脅威を生み出す。

 若い女性は、婚前の禁欲のためにいざ結婚生活に入っても性生活を営めない。不感症は教育の産物であり、妻の不感症は夫の欲求不満の原因にもなる。性的快楽を得ずに出産する女性は、出産を厭うようになる。「結婚生活への準備が結婚生活そのものを否定するようなことになる」。

 結婚した女性の運命は、性的不満か、姦通か、神経症かの三つにひとつだという図式がふたたび提示される。

 ある人の性生活をみれば、社会生活上の行動パターンがわかる。とくに女性についてはそうだ。女性は性的好奇心の旺盛さにもかかわらず、教育によって性的問題に対して知的に取り組むことができないようにされている。それゆえ、一般にものを考えるということそのものを尊重しなくなる。「ひじょうに多くの女性が知的に劣等であるという疑うことのできない事実は、性抑圧に必要な思考阻害の結果だとわたしは考える」。

 禁欲には一切の性行為の禁断と性交の禁断とがあり、実現可能な禁欲は後者である。自慰という「代用手段」を通しての後者の実現は、幼児期の性生活への退行を促し、神経症へと至る(「神経症や精神病は、性生活がむかしの幼児的諸形式へと立ち戻っていくところから起こる」)。

 自慰は「人生の意義重大ないろいろの目標に、安易なやり方で達しようとすることを教える」ことで人を「甘やかす」。さらに、自慰は性的対象を現実的にはないような理想的なものに高めてしまう。厳格な文化要求は自慰や倒錯や同性愛を助長する。倒錯行為は性交という「真剣な人間的行為」を「魂の抜けた安易な遊戯」にしてしまうので、「道徳的にみて許しがたい」。これらは結婚生活というものを成り立たなくさせ、性交を忌避させる。これは「民族」の存亡にもかかわる由々しき問題である。

 神経症とは文明病であり、ふつう考えられている以上にはるかに重大な病気である。性の抑圧は反社会的分子の壌土となり、文化そのものの脅威となる。かくて「文化的性道徳」には文化建設のために払う犠牲というだけでは済まないデメリットがある。もっとも、文化発展の目標から個人の幸福という目標を除外するのであれば別であるが……。痛烈な皮肉とともに論文は閉じられる。

 訳文は『フロイト著作集』(人文書院)によった。


『日常生活の精神病理学にむけて』第二版(1907年)


*『日常生活の精神病理学にむけて』第二版(1907年)


 Ⅲ章「名前と文章の度忘れ」が新たに立てられたほか、Ⅳ章「幼児記憶と隠蔽記憶」、XI章「重複した錯誤行為」、XII章「決定論、偶然の存在を信ずることと迷信、いくつかの観点」に長い追記がなされている。

 新たに掲載された事例のうちには、フェレンツィはじめユング、アドラー、シュテーケル、ザックス、ランク、ジョーンズら新たな同志たちの報告例がかなり含まれている。「事実状況診断と精神分析」におけると同様、「コンプレクス」というチューリヒ学派の用語がいくども使われている。「個人的コンプレクス」「家族コンプレクス」「コンプレクス準備状態」など。

 わたしがとくにおもしろいとおもった事例は、

・「箱の中の母親」(フロイト自身の幼時記憶)
・「家族の女の一人」のために犠牲に供されたヴィーナス像
・主治医だった男性に出くわす「予知夢」
・少女時代に訪問した友人宅での「既視感」
・フェレンツィによる「ヴェローナ」の度忘れ
・カンカン踊り
・夫と結婚していることを「度忘れ」した新婚の妻(「私はこの話を聞いたとき背筋の寒くなる思いがした」)
・次女の出生届の際に長女の名を告げる
・『マクベス』の度忘れとテロ組織に関与していた過去、

 などである。さいしょの二つはフロイト自身の経験であるが、とくにヴィーナス像のエピソードは衝撃的というほかない。フロイト自身の経験に基づく別の事例には、「母の名」アマーリアが登場するものもある。そのほか、シュテーケルによるいくつかの失敗談のほのぼの感も捨てがたい(「ではさようなら、ご主人」。あるいは、差し出した手で女性の部屋着の紐を解いてしまう、etc.)。


 以下、読みどころをランダムにピックアップする。


 「錯誤行為には役に立つ場合もある」……

 フロイトには偏頭痛がはじまる数時間前に重度の固有名詞の度忘れが起こっていたという。とはいえ、このことから度忘れを脳の機能障害に帰すことはできない。「ある未知の心的な力」が身体機能の衰弱を利用して度忘れを起こさせるのだ。それは暗闇や人気のなさが盗難の直接的な原因ではなく、盗賊が利用した状況にすぎないのと同じである。……

 名前の度忘れはもっと頻発する錯誤行為であるとされ、相手の名前を度忘れする興味深いケースがいくつか紹介されている。名前についてはほかに、フロイト自身の名前がブロイアーのそれと圧縮によって結びつけられたり(Freuder)、同じ名前の別人に紹介された際の軽い不快。……


 Ⅳ章では、隠蔽記憶についての追記がある。

 幼時健忘はふつう不思議であるとは考えられていないが、四歳児の知能の高さを考えると、そうはいえない。幼時健忘は「あらゆる神経症の症状形成の契機」とされる健忘を理解する手がかりたりうる。

 夢と同じく幼時記憶は視覚的な性質をもつ。視覚型の人以外についても同様である。「したがって、視覚的な記憶[というもの]は幼時記憶の性質を受け継いでいる」。


 フロイトが自身の幼時記憶に関心を抱くのは43歳のときであったというが、「私の場合、視覚的な記憶は幼児期のごく初期のものにかぎられている。それは細部にいたるまで明確な形をもった情景で、これに匹敵するものは舞台の場面以外に考えられないほどである」。

 幼児期以後の記憶には自分自身が登場することはないが、幼児記憶においては自分自身が当時の姿のまま登場する。これは幼時記憶がすべからく歪曲を被っていることと関係がある。「われわれの『幼時記憶』はすべて『隠蔽記憶』としての意味をもっており、また伝説や神話という形で伝えられている諸民族の幼時記憶とのあいだにも注目すべき類似点が生じてくる」。知られるとおり、のちの『モーセと一神教』において、「隠蔽記憶」という性質は「歴史」一般にまで拡張されることになるだろう。

 幼時記憶の事例として、m と n の区別に対する質問が性的差異についての好奇心を隠している例、母親の分娩(Entbindung)の記憶が上着の「紐を解く」(Aufbinden)という記憶によって「隠蔽」されていた事例(「言葉の架橋」)、さらに「箱の中の母親」をめぐるフロイト自身の記憶(「箱にぶちこまれた」乳母、「すらりとした」母)が挙げられている。……


 「医者が精神療法においてどれほどの効果をあげているかは、彼が一ヶ月のあいだに蒐めうる雨傘、ハンカチ、財布度の他の数によっておおよそ推定することができる」(ジョーンズ)……

 「真実を求めようとするわれわれ人間の気持ちが、われわれにふつうに考えているよりもこれほどまでに強いということには、誰しも驚嘆せざるを得ないであろう。ついでながら、私がもはやほとんど嘘をつくことができないのは、精神分析を仕事としている結果であろうと思う」……

 予知夢、テレパシーなどの超常現象は、「卓越した知識の人々が詳細な観察を数多く発表しており、さらに研究がつづけられることが望ましい。そして、これらの観察の一部が、無意識的心理過程について生まれはじめたばかりのわれわれの知識によってうまく説明され、しかも、われわれの考え方はなんら根本的に変更される必要はないということすら期待されるのである。なおそのほかに、たとえば降神術者たちが主張しているような現象まで実証されるようになれば、われわれは、宇宙の万物の関連を見あやまることなく、われわれの『法則』にその新しい経験の要求する修正を施せばよいのである」。

 主治医と会うという「予知夢」は、別の男性との「出会い損ない」の記憶が喚起されたことによる「錯覚」であり(「一定の場所で、かねての予想どおりにある人に会う、これはまさしくランデヴーの構成要件である」)、女性患者の両親夫婦のことを考えているまさにその時に本人たちに出くわすというフロイト自身の「不思議な邂逅」は、夫婦への無意識的な不快感ゆえに、反対方向から歩いてきた夫婦の姿を目にとめつつも意識されないでいたせいであり(「陰性幻覚」)、「不思議なもの・不気味なもの」という「カテゴリー」に分類される既視感も、「無意識的な空想」の為せる業にほかならない。少女時代に友人宅で既視感を体験したくだんの婦人は、幼時における弟への殺意から友人の弟の死の記憶を抑圧し、その記憶にともなう感情が家や部屋に転移して「既視感」として甦ってきたのである。

 ところで、第二版の時点で超常現象の体験が一切ないと語っているフロイトだが、1924年(第十版)の注では、「近年、テレパシー現象としての思考転移を考えれば容易に説明がつくと思われるような注目すべき現象をいくつか経験したことを白状しなければならない」と述べている。


フロイト=ユング往復書簡(1906年)

フロイト=ユング往復書簡(1906年)


1F(1906年4月11日付)
 寄贈された『診断学的連想研究』への謝辞。近作の「精神分析と連想実験」への賛辞。これらの仕事については、「事実状況診断と精神分析」でも言及されている。

 「今後あなたがわたしを擁護してくださる立場に立たれるものと確信しておりますが、わたしといたしましてもよろこんで[自説への]修正を受け入れるに吝かではありません」。


2J(1906年10月5日付)
 フロイトの「心理学的な見解」への共感と性理論への疑義。じぶんはヒステリーの臨床体験に乏しいと断りつつ、「あなたの[ヒステリー]療法は徐反応によって解放される情動ばかりではなく、特定の個人的なラポール[転移]にも依存しているため、ヒステリーの起源においてよしんば性的要因が支配的であろうとも、もっぱら性のみに依存しているとはいえないようにわたしにはおもわれます」。

 アシャフェンブルクのフロイト批判に与したことへの言い訳。『早発性痴呆の心理について』の刊行のしらせ。ブロイラーがフロイト派に「改宗」したとの添え書き。


3F(1906年10月6日付)
 アシャフェンブルク批判。「かくてわたしどもは、彼我あい争う二つの世界のいずれかに属する結果とあいなるわけでありますが、いずれは没落するであろう世界といずれは赫赫たる勝利をおさめるにちがいない世界に袂をわかつようになるのは、火をみるよりもあきらかです」。


4J(1906年10月23日付)
 フロイト性理論への留保。性的な欲動を「もっと初期の基本欲動である饑餓の亜種 sub specie として捕捉できるとはお考えにならないでしょうか」。食物摂取の欲動と性欲動という二つの「コンプレックス」はつねに癒着しており、一方の布置はおのずから他方の布置を含んでいるはずだ。

 二十歳のロシア人女子学生のスカトロジックなヒステリー症例。


5F(1906年10月27日付)
 「ヒステリーと強迫神経症のうちにみとめられる基本欲動は、両者間に現存する吻合から、さらには栄養摂取欲動による性的構成要素の侵害からも容易に説明されるはず」としてユングの提案に一定の理解をしめしつつ、「この点はいまなお徹底的な検討を要する「きわどい(ハイクル)」問題である」として自説を譲らぬ構え。いつの日か精神病の研究が答えを出してくれるのではなかろうかとの期待。

 ユングの症例(排便を遅らせることから快感を引き出す。トラウマが三、四歳に遡ること)は、『性理論のための三篇』における自説を裏付けるものである。「父に向けられたリビードの幼児性固着」「肛門期自体愛」。「肛門愛の昇華態である異常に整頓好きで吝嗇かつ強情な性格特性」。症例の基底にある「抑圧された性目標倒錯」……。「いささかあなたをうんざりさせてしまったかもしれません」とのエクスキューズで結ばれる。


6J(1906年11月26日付)
 「あなたのお考えはスイスにて急速な成長をしめしはじめております」。


7J(1906年12月4日付)
 アシャフェンブルクへの協力が「政治的」な理由によるものであったと重ねて弁明。「あなたの主張のいくつかはいまなおわたしの理解を越えたところに屹立しております」。フロイトの治療理論への全面的な傾倒を吐露しつつ、Psychanalyse に対するいくつかの留保。(1)教育のない患者に対する効果への疑念。(2)精神分析が大衆化することによる質の悪化。(3)ヒステリー概念への疑念(破爪病、緊張病)。


8F(1906年12月6日付)
 ユングの返信の「反応時間の加速」。これは「事実状況診断」におけるメソードを念頭に置いたギャグ。

 「わたしは『移設を唱える者』においてはじめて解き放たれる、あのありとあらゆる悪霊につきうごかされざるを得ないわけでありまして、この強制たるや、もっとも御しやすい悪霊といえども支持者たちをわたしとは無縁な独善的で訂正をみとめない奇人や狂信者にしたてあげてしまうのです」。

 治療理論への自信。「転移は神経症が個人の愛情生活に従属しているまぎれもない事実を、なにものにもかえがたい議論の余地ない唯一の証拠として提示しております」。


9J(1906年12月29日付)
 『早発性痴呆の心理について』がフロイトの理論に「特殊な修正」を施したことへの謝罪。ユング自身の夢分析(「裕福な結婚のできなかったこと」)の座礁。「どこにもわたしは幼児的根源を発見できず……解釈を加えるのに途方に暮れてしまいます」。「夢が完全に分析されなくても、夢の象徴作用の立証として利用できるのではないかともおもいます」。「曖昧さ」概念の効用。


10F(1906年12月30日付)
 ユングのヒステリー患者への参考のためとして、排尿をおくらせることで快感を得ていた少女時代の習慣に発する鬱病(不感症)の症例が紹介される。症状は出産不安に関係しているようだが、早発的痴呆との診断は不可能だろうかとの質問。

 訳文は『フロイト=ユング往復書簡集』(誠信書房)に拠る。

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