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『日常生活の精神病理学』(初版)

*『日常生活の精神病理学』初版(1901年)

 タイトルを直訳すると「日常生活の精神病理学について」。もともと予定されていたタイトルが『日常生活の心理学』であったことも意義深い事実だが、ベッテルハイムは、それ以上にタイトル中の「〜について」( zur) に注意を促す。ベッテルハイムはそこにフロイトの謙虚さあるいは慎重さを見てとっている(『フロイトと人間の魂』)。

 フロイトの著作中、『夢解釈』『性欲論三篇』と並んで後年の追記部分が多い書として知られるが、ストレイチーが述べているように、その骨格は初版以来大きく変わっていない。本書は何よりも『夢解釈』と同様の自伝的側面において価値をもつ(『夢解釈』よりも陽気でユーモラスなトーン)。アンジューは死、金銭、贈り物の主題に特に注意を促している。なお、各章は事例に即しての論証という形をとるが、最終章のみ理論的な考察に当てられている。アスーンはこれを本書の構成上の特徴として挙げている(Dictionnaire des œuvres psychanalytiques)。
 冒頭に掲げられたSignorelli の度忘れ以下、とくに注目すべき事例は次のようなものであろう。(◎はフロイト自身の体験。○はその他)

◎『アエネイス』における aliquis の度忘れ(Ⅱ章)
 フロイト自身の体験とされる。ここでフロイトが妊娠を恐れているのはミンナ・ベルナイスであるという説がある。

◎ Der Apfe の言い違い
 娘アンナへの憤りが招いた言い違い。

◎「マテーウスさん」の言い違い(以上、V章)
 婚約時代に妻が住んでいた通りの名の忘却。

○「がらがら蛇」の言い違い
 女性患者の事例。交錯する文学的参照項の背後に反ユダヤ主義が絡む。

◎Odyssee/ Ostsee の読み違い
 同じ主題を扱った著者への優越感。

◎ zu Fuß / im Faß の読み違い
 弟アレクサンダーの教授就任への嫉妬。

◎ die arme Wilhelm M. の言い違い
 フリースの健康状態への危惧。

◎日付の書き違い
 フリース宛書簡に言及がある。

◎438クローネの為損い(以上、VI章)
 フリース宛書簡に言及あり。

◎妻を笑い者にする意図の忘却
 「夢について」で紹介された経験であろうか。

◎手提金庫のあるショーウィンドーを見つけられない
 ブロイアーへの不快ゆえの失錯行為。フリース宛書簡に言及あり。

◎行き先のビルを見つけられない
 診断ミスへの罪悪感。

◎カタログの置き違え
 剽窃への不安。

◎両性性をめぐるフリースとのやりとりの忘却
 やはり剽窃への不安。

◎ドーデの「ナバブ」についての記憶違い
 『夢解釈』での記憶違い。

◎煙草屋で代金を払い忘れる
 この事例を含む「計画の度忘れ」の項につぎのくだりあり。「専門の精神分析家でなくても、計画の度忘れという心理現象が、もはやその動機を追究することのできないような要素的な心理現象であると主張することは許されず、無意識の動機の結果であるという説明を自ら認めざるを得ないような場合が二つある。すなわち、恋愛関係にある場合と軍務に服している場合とがそれである」。

◎ 吸い取り紙(Fließpapier)
 フリースは1904年の版で「私の友人」から「ある友人」に書き換えられた。

◎「夢について」校正刷りの置き忘れ(以上、VII章)
 過去の著作権侵害に対する罪悪感。「一度忘れたことは、その後もくりかえし忘れる」。

◎ノックをする代わりに鍵を取り出す
 患者への好意の表れ。

◎階段を一階分上りすぎる
 「イルマの注射の夢」あるいは「階段で動けなくなる夢」にも登場する老婦人宅での体験。「高く、ますます高く」という野心、および「行き過ぎる」という非難。

◎ハンマーと音叉の掴み違い
 「私は白痴だ」。診断ミスへの自責の念。「掴み違いは自責の手段として利用されることが非常に多い」。

◎インク入れの蓋を落として壊す
 「腕を振り回したときの私の動作は、不器用に見えても、実際には非常に器用に目的を意識していて、近くにあったもっと高価な品物はみな注意深く避けることを心得ていたわけである。……このような不器用な動作には痙攣や失調性運動のように、無理なところや唐突なところが見られるのは事実である。しかしながら、それはある意図に支配されていることが明らかであり、意識的に意図された動作にはふつう見られないような確実さで、その目的を達するのである。大袈裟なことと目的達成の確実さというこの二つの性質は、ヒステリー患者の運動性の症状にも、また部分的には、夢遊症の運動機能にも共通するものである」。

◎女性の腰を抱き込むように椅子を運ぶ
 数年前に好意を抱いていた「一人の少女」をめぐる性的ないみあいの体験。

◎眼薬とモルヒネの注射の取り違え
 前出の齢九十を越す老婦人は、本書中もっとも多く登場する患者。男性患者の「エディプス夢」が招きよせた「年とった女を犯す」という想念。「エディプス王伝説では、エディプス王の実母であり、ライオスの妃であるイオカステの年齢がなんの妨げにもなっていないという奇妙な事実は、自分の母親に恋する場合、それはけっして現実の母親にたいしてではなく、幼年時代の記憶にある若い母親にたいしてであると結論するのに都合がよいように思われる。こういうおかしなことが起こるのは、その空想が異なった二つの時点のうち、いずれについてのものなのかはっきりしないので、それが意識されるときには、一方の時点に結びつけられるのがふつうだからである」。

○子殺し未遂(以上、VIII章)
 自傷行為あるいは自殺未遂が無意識的な願望に由来する例は、「けっして稀ではない。なぜなら自己破壊への傾向は、それを実現してしまう人々よりもはるかに多くの人々に多少なりとも存在するものであるから」。そのような例においては、「口では不運であったと称しながらも、非常に平静である」といった「奇妙な特徴」が見られる。
 さらに注において、「戦場は、意識的に自殺を意図しているが、直接自分で手を下すことを憚っている者にとって都合のよい状況であることは明白である」とあるのはわかるとしても、女性の暴行被害においても同じ「無意識の衝動」が働いているとしているのはいかがなものか。
 それにつづいて紹介される他殺願望の事例。気の会わない妻との離婚の妨げとなる子供を邪魔者扱いする無意識的な想念が、子供の生命を危険にさらす行為を招き寄せた。

○百グルデン札を二つに破る
 ある婦人にフロイトを紹介されたことへの感謝と、別の人に交際相手を紹介されたことへの感謝が融合。

○パンを団子のようにこねる
 重傷のヒステリー患者である十三歳の男児。自分の行為をフロイトに悟られていることを自覚することで治癒。

◎旅先で知り合った男(以上、IX章)
 椅子に上着をかけて塞ぐことで、歓迎されざる招待客を拒む。

◎シラーの生地についての記憶違い
 『夢解釈』で犯した記憶違い。

◎ハンニバルの父親の名の記憶違い
 同上。異母兄エマヌエルをめぐるファミリー・ロマンスのたまもの。

◎ゼウスがクロノスを去勢したという記憶違い(以上、X章)
 同上。以上三つの例はすべて父ヤコプの死と関係がある。

◎「ドラ」の名前の選択
 雇い主の名前とまぎらわしいために自分の名前を名乗れずに通り名のドラを名乗る妹の家の家政婦。

◎2467箇所の間違い
 フリース宛書簡に言及あり。

◎馬車で違う通りに連れて行かれた(以上、XII章)
 くだんの老婦人宅へ向かう途中の体験。フリース宛書簡に言及あり。フロイトによれば、心的な偶然はない。「私は、外的(現実的)な偶然は信じるけれども、内的(心理的)な偶然は信じない」。パラノイアおよび迷信は、内的な必然を外的な偶然に「投射」する現象。楽園・原罪・神・善と悪・不死といった神話や宗教における「超感覚的な現実」も無意識的な認識の投射であり、それは「無意識の心理学」に翻訳が可能。ここでいう「無意識の心理学」は「メタサイコロジー」とも言い換えられている。出版されたテクストにおけるこの語の初出になるようだ。

  
 
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「夢について」(1901年)

「夢について」(1901年)

 フロイトの最近の夢である「会食用テーブルの夢」をメインに、そのほか『夢解釈』で紹介済みのいくつかの事例に即して『夢解釈』の要約的記述を試みた論文。
 
 「会食用テーブルの夢」は、アンジューによれば1900年10月半ばに見られた夢であり、『夢解釈』における模範的な夢である「イルマの注射の夢」がイルマに対する逆転移を背景にしていたのと同じく、新しい患者ドラに対する逆転移が関与している。のみならず、いずれの夢においてもブロイアー、フリース、オスカル・リー、妻マルタとの関係が反映されている。

 E・L夫人は複数の知人が圧縮した人物像である。「私が金を借りていたさる人物の娘」とあるから、さしあたってブロイアーの娘ベルタの姿かたちをして登場していることになる。恩人の娘に誘惑されるという疑似エディプス的な状況は、ブロイアーへの恰好の復讐といういみをもつだろう。ちなみに「イルマの注射の夢」にはベルタの姉アンナが関与していた。また、ブロイアーがアンナ・Oの治療中につくった三女の名前はドラであり、フロイトの新しいヒステリー患者ドラと同年齢である。ドラに対するフロイトの逆転移は、否応なくアンナ・Oに対するブロイアーのそれを想起させる。E・L夫人にはまた、数カ月前にフリースの友人アルテュール・シフと結婚したばかりのブロイアーの姉グレーテルの面影もやどる(この結婚をフロイトはフリースの「ブロイアー化」を示すものと危惧していた)。当時、フロイトは学問的には袂を分かったブロイアーが借金を返済させてくれないため、いらぬ罪悪感にくるしめられていた。アンジューによれば、フロイトが膝から払いのける手とは、ブロイアーの手であるとも解釈できる。また、病気の母親の面倒をみたことでフロイトに対する好意を隠さなかったフリース夫人イダ(患者ドラの本名でもある)をE・L夫人と考えれば、この状況をフリースに対するエディプス的復讐とも解釈できる。
 E・L夫人の誘惑が婚約時代の妻マルタとのトラブルの反復であることはフロイト自身の認めるところであるが、一方でE・L夫人は、その人との馬車旅行に巨額の出費を厭わなかった「家族の一員」の分身でもある。この「家族」とは、前月イタリアでみずいらずの馬車旅行に同行したミンナのことである(その際にフロイトの子を堕胎したという説がある)。自分の夢の分析において、フロイトは一度もミンナに言及していない。「ミンナは検閲されている」(アンジュー)。アンジューはここにフリースへの同性愛的関係からミンナへの異性愛的近親相姦への移行を見てとり、二人の性的対象のあわいを揺れ動くフロイトに「両性性」の主題を読み取ろうとしている。両性性の主題はまた、男たちの社交に供される「テーブル」と女の誘惑を受ける「会食用テーブル」との分岐のうちに、また患者ドラの両性愛のうちにもよみとれるだろう。また、ほうれん草のモチーフをとおして、E・L夫人は母アマリアにも重ねられる。
 「二つの眼あるいは眼鏡の枠のようなものが、図形になっているのが、朧気ながら私の眼に入る」という末尾の一節を、アンジューは両側性理論にこりかたまったフリースの眼が「節穴」であることの表現と解釈している。

 論文には『夢解釈』には言及のないフロイト自身の夢がほかに二つ紹介されている(「プールの夢」「移動式ベンチの夢」)。
 

母が鳥の嘴をした人々に運ばれてくる夢:『夢解釈』第7章(2)


◎母が鳥の嘴をした人々に運ばれてくる夢
 事実上『夢解釈』の掉尾を飾るこの夢が、フロイトの著作と書簡を通じてフロイト自身の幼児期の夢に言及された唯一の例であることは意味深長である。1898年3月24日付のフリース宛書簡中に不安夢の問題にとりかかると予告されていることから、アンジューはこの夢の分析が3月末(同じ月に「植物学研究書の夢」が見られている)、もしくは幼児期の同じ記憶が素材となっている同年8月の「トゥーン伯爵の夢」までの間になされたと見積もっている。アンジューは、この夢のあと不安夢を見ていないというフロイト自身の言明には留保を置いている。「7歳か8歳の頃」の夢とされているが、母方の祖父ヤコプ・ナタンゾーンは1865年10月3日に没している。その「数日後」の夢であるから、フロイトはこのとき9歳半のはずである。この夢の直後に紹介されている男性の夢(「斧を持った男に追いかけられる夢」)は、9歳の時に目撃した両親の性交がきっかけで見られた11歳から13歳にかけて不安夢である。それゆえ、フロイトの計算違いは、この夢との主題的な同一性が招いた失錯行為であろう。「トゥーン伯爵の夢」においては、両親の寝室で用足しをして父ヤコプに叱責される幼年期の記憶が想起されているが、この場面がまさに「7歳か8歳」の頃のものとされていたのだった。したがって、「母が鳥の嘴をした人々に運ばれてくる夢」に描かれている場面が、同じ両親の寝室であり、不安を生じさせたのが両親の性交場面であることに納得がいく。
 「嘴」の形状とかベッドに「横たわる」母の「穏やかな表情」はもちろん、「奇妙な布を巻き付けた」「ひじょうに背が高い」者たちとは、シーツの中で通常でない姿勢で横臥している二人を思わせる。アンジューは、二人の男がヤコプと異母兄フィリップを想起させるとしている(幼き日のジギスムントにとって、ほぼ同年齢のアマリアとフィリップは夫婦としてイメージされていた)。「門番のしつけの悪い息子」と異母兄が同じ名前であるのはたんなる偶然であろうか。アンジューは、ジギスムントと門番の息子の遊び場である「野原」が論文「遮蔽想起について」の舞台と類似していることに注意を促している。また、門番の息子の「顔つき」が、母の「表情」(祖父のそれにだぶらされる)と同じく、性的な事柄に関わる何ごとかを視覚的に教示する役割をになわされているのも意味深長な細部である。ところで、「鳥の嘴をした人」が「二人(あるいは三人)」いたという記述に注意すべきだ。周到に丸括弧の中に隠された三人目の「鳥の嘴をした人」とは、この夢に直接登場しないジギスムントにほかならないのではないか。目覚めたジギスムントは、「眠っていた両親を起こす」ことで、夢で成就しなかった願望(=両親の性交の中断)を実現しているとアンジューは述べている。
 
 分析のまとめ。

 「……夢のこうした二次的解釈は、すでに生起していた不安の影響下でなされたのだった。母が死ぬという夢を見たから不安になったのではなく、私がすでに不安の支配下にいたので、私は前意識的な加工において夢をそのように解釈したのである。しかし、この不安は、ぼんやりとはしているが、しかし明らかに性的な欲情にまでさかのぼることができる。そこには抑圧が生じているのだが、その欲情は、夢の視覚的内容において十分に表現されていた。[……]大人の性交が、それに気づいた子どもたちに不気味さをあたえ、子どもの内に不安を呼び覚ますというのは、日常的に経験される出来事である。[……]そこでは性的な興奮が生じているのだが、子どもの理解力では処理しきれず、またたぶん両親がそこに絡んでいるがゆえに、その興奮は拒絶に行き当たり、不安へと変わるのである。もっと幼い年頃であれば、両親のうちの異性の親への性的興奮はまだ抑圧に行き当たらず、[……]自由に発現する」。

燃える子どもの夢:『夢解釈』第7章(1)


第7章 夢行程の心理学

○燃える子供の夢
 女性患者がある講演で聞いた話。最終章の導入として提示される。
 
 「私たちはこれまで主として、夢の秘められた意味はどこにあるのか、それはどのようにすれば見いだせるのか、そして、夢の仕事はどのような手段を用いてそれを隠すのかという点にこだわってきた。つまり、夢解釈という課題が今まで私たちの視野の中心部にあった。ところが、[……]この夢では、その意味はあらわになっており、解釈の要はない。にもかかわらず、この夢は、私たちの覚醒時の思考から夢を目立って逸脱させる、ある本質的な性格を帯びており、それがゆえに、これを説明せんとする欲求が私たちの内で涌き起こる。解釈の仕事にかかわることすべてを済ませた今になって、ようやく、私たちは私たちの夢の心理学がいかに不完全なままになっているかに気づく」。

 「この感動的な夢はひじょうにたやすく説明できる」。夢は願望充足であり、父親は死んだ息子と夢の中で少しでも長くいっしょにいたいと願ったがために、部屋が燃えているのにもかかわらず、眠りを一瞬延ばしたのだ。一方、ラカンの有名な解釈によれば、父親を目覚めさせたのは火の気配ではなく、夢の中で息子が父親の罪を問いつめるようにすがりついてくる外傷的場面の恐怖にほかならない。

 「夢の機能が眠りの延長だとしたら、そして夢はそれを呼び起こした現実にこれほどまで接近することができるとしたら、眠りから離れることなく夢はこの現実に答えている、と言えるのではないか。……それまでフロイトが示してきたことからわれわれがここで立てる問い、それは『何が目覚めさせるのか』ということだ。目覚めさせるもの、それは夢『という形での』もう一つの現実にほかならない」(『精神分析の四基本概念』)。
 
 ラカンはこうした「もう一つの現実」を<現実的なもの( le réel)>と呼んでいる。ラカンは「イルマの注射の夢」でフロイトが覗き込むイルマの口中のグロテスクな眺め(「白い斑」「しわの入った奇妙な形成物」)に同じ契機をみてとっている(『フロイト的自我』)。また聞きの夢にすぎないので、「抑圧を被ったものに由来する他の欲望は[自分は]たぶんつかみ損ねている」と留保を置いているものの、この章中でフロイトは夢が願望充足であるというテーゼに対するあり得べき反論を想定して、この夢を事例に自説の正当性をくりかえし説いている。夢の機能が願望充足であることにフロイトが疑問を抱くのは、「快感原則の彼岸」を俟ってのことだ。

 
○追加注文の際の決まり文句の夢
 日中は抑え込まれていた欲望が夢の中で鬱憤を晴らす事例。


◎出兵中の息子の夢
 1919年の版で注の形で追加された夢。それに先立つ一週間のあいだ、戦場の息子からの便りがなかったことが背景になっている。苦痛を伴う待機という日中残滓を夢の工作がどのように扱っているかを示す事例。夜半に目を覚ましたとき、「不安はなかったが、動機がしていた」。アンジューは一種の不安夢と解している。
 夢は将校の息子に「スポーツウェア」をまとわせることで、息子を[戦場で]「倒れる人」ではなく[山に]「登る人」に変えている。このことはスキー場での息子の骨折の記憶を想起させると同時に、「戸棚」の上にあるものをとろうとした際に椅子から転落して顎を怪我したフロイト自身の幼年期の記憶をも呼び起こす(息子は「口の中で何かを直している」)。顎の怪我から連想される「当然の報い」という想念は、勇敢な兵士への悪意ある囁きのようにも響く。息子のにぶく光る灰色の髪は孫エルンスト(「あざらし」)の父親である義理の息子を思わせるが、彼は戦場で負傷した。「当然の報い」という想念は、フロイトが「若さへの妬み」ゆえに義息の負傷に対して向けたものだ。義息が負傷した悲しみを癒すべく、ずっと押し殺してきた妬みが呼び起こされたのだ。

海辺の城の夢/野外の便所の夢:『夢解釈』第6章(13)


(g)夢におけるさまざまな情動

 「[夢の]表象内容はずらし(Verschiebung)や置き換え(Ersetzung)を被るのに対し、他方、情動は不動のままである」。例えば、「夢の中で盗賊に恐怖を抱くとする。その際、盗賊は想像上のものだが、その恐怖は現実である」(シュトリッカー)。

○三頭のライオンの夢
 ある女性の夢。「ライオン」のモチーフはさまざまな源泉をもつが、そのひとつひとつは恐怖を与えるようなものではない。逃げ出して木によじ上ることは、ライオンへの恐怖によるものではなく、小説の一場面の記憶。

◎海辺の城の夢(1898年5月10~11日)
 フロイト自身が「ここ数年の間に見た夢のうち最も美しく最も生気に満ちた夢」と述べている。前月のアレクサンドルとのイストリア旅行の記憶に彩られている(4月14日付フリース宛書簡に報告されている)。アメリカとスペインの海戦という時事的な状況も背景になっている。アメリカにはマルタの兄弟エリ・ベルナイスとその妻でフロイトの妹アンナ、およびその子供たちが住んでいた。

 情動は、(1)P氏の死に対する「無感動」、(2)敵の軍艦への「驚愕」「恐怖」という二箇所に確認される。P氏と「私」は同一人物であり、この夢の思考は、「私」が早死にした後の家族の将来をめぐっている。それゆえ、二つの情動はいずれも家族の将来をめぐる苦痛な情動が形を変えたものである。(2)は、ヴェネツィアでの楽しい思い出(「イギリスの軍艦がやってくる」)の「逆転」である。「朝食船」というモチーフも、至福感の背後に死の想念を隠している(νεχυζ[遺体]→ Nachen[小舟]、Toilette[喪]→breakfast[断食])。

 夢の構成は視覚的イメージに続いて言語的表現で締め括られるおなじみのパターン。フロイト自身の死は、父親およびフリース(病気中)への殺意、あるいは危険な状況に暮らすアメリカ在住の義弟への同一化をほのめかす。「司令官」はフリースという説がある。「喪」という主題はやはり父あるいはフリースとの別離に関わっていると思われる。「膨らんだ甲板」「高速」での走行、「つらそうな息」は原光景を想起させる。「フロイトは夢でイメージによる思考という形で表現されているものの明確な知的理解に至れないままでいる」(アンジュー)。原光景の発見をアンジューは同年の7~8月に位置づけている。ただし、原光景という言葉そのものはすでに1897年5月2日のフリース宛書簡に登場している。遠目に眺められる風景と女性の身体(城、海、運河)との関連は「ローマの夢」を想起させる。夢の中の色彩はイタリアの風景の視覚的記憶に基づいているが、これは夢見の前日に子供がブロックで作った建物を見たことで呼び起こされた。鮮やかな色彩は、「植物学研究書の夢」および「遮蔽想起について」の幼年期記憶を思わせる。後者においては色彩の鮮やかさが性的な衝動と結びついていた。「夢における色の美しさは、想い出のなかで見た色の美しさの反復にすぎない」。


◎野外の便所の夢(1898年7~8月)
 「ホルトゥルンの夢」の数日後に見られた夢。夢における対立する情動の中和化の事例。糞便は日中の絶望的な気分の表現であり(「人間の汚れのあふれるこの場所」)、放尿はそれを洗い流す。スカトロジックなモチーフが両義的に用いられているのがわかる。「夢内容は同じ素材で過小妄想と自己の過大評価の両方を表現できるように形成されねばならなかった。この妥協形成の結果、両義的な夢内容が生じたのだが、しかしまた、対立が互いに抑止し合うことによって、とるにたらない感情の調子が生まれた」。
 ヘラクレス(ギリシャ)、ガリヴァー(イギリス)、ガルガンチュワ(フランス)という「巨人」への同一化とマイヤーの主人公へのマゾヒスティックな同一化。ノートル=ダムとは母親であり、「私」がそこに跨がり放尿していると考えれば、エディプス的な主題は明白。「トゥーン男爵の夢」について言及した両親の寝室での放尿(性的欲望の火を消す)の記憶が想起される。


(h)二次加工

 「まず素材から仮の夢内容が形成され、そして、そののち、第二の機関の要求をできる限り満たすようになるまで、この仮の夢内容に事後的な変形が加えられるのだろうか。これはどうもありそうにない。むしろ、こう想定せねばならない。すなわち、第二の機関の諸要求は、まったくの出だしから夢が満たすべき条件のうちの一つとなっており、そして、この条件は、圧縮、抵抗による検閲、描出可能性という条件と同じく、それらと同時に、夢の想念の大きな素材に対して、誘導的に、また選択的に作用するのである」(G.W. 503)。

 「夢の想念を作り出す仕事」に対して、その想念を「夢内容に変換する仕事」が二次加工であるととりあえず定義できる。とはいえ、このプロセスは夢の想念を作り出すプロセスにおいてすでに作用している。例えば、空想という形ですでに上演可能な形にあつらえられた脚本を素材として利用すること。

○行きつけの居酒屋で逮捕される夢
 未婚の男性の夢。夢の想念をかたちづくる結婚空想が逮捕空想という脚本に作り替えられている。ゴルトンの「合成写真」の比喩。

ホロトゥルンの夢:『夢解釈』第6章(12)


◎ホロトゥルンの夢(1898年7月18~19日)
 夢の中の「判断」が夢の活動ではなく素材そのものに由来する例。鉄道旅行中の夢。別の車室への「場面転換」を「私」は「自動徘徊」症によって「説明」しようとするが、その背後には、「殺人」についての強迫表象に苦しむ患者との同一化がある。発病の原因は性をめぐる父親への敵意であり、したがってこの夢にはフロイト自身の幼児期の願望(父殺し)が関与している。なお、1897年10月に老婆への注射に際してミスを犯しそうになったときフロイトの念頭にあったのは、その前日にこの患者から聞いたエディプス的な夢のことである(『日常生活の精神病理学』)。また、第5章のエディプス・コンプレックスについてのくだりの直前にもこの同じ患者への言及がある(G.W. 266)。夢のとりあえずの願望は、同室の無礼なカップルへの復讐であるが、カップルの不機嫌が性交の計画を闖入者に邪魔されたことに由来するとする邪推は、両親の寝室に闖入して叱責された幼年時の記憶へとフロイトを連れ戻す。フロイトが自身の夢に結びつけて原光景に言及したのはここが最初。
 また、夢の忘却(末尾のくだり)に関連して、19歳の時のマンチェスター滞在(エマヌエルから出生についての事実を知らされたのはこの時)の記憶が召喚される。アイリッシュ海(→「イギリス人」)でヒトデ(→「ナマコ」?)を見つけたときに、少女の質問に対して「He is alive.」(→「It is from [Schiller]」「It is by [Schiller]」)と答えた経験が、「性的なことをそれにふさわしくない場所に持ち込む」という主題の背景として想起される。こうしたふるまいは、夢を見た当時のフロイトが性的病因論によって非難を浴びていた事実とも並行的である。from が fromm を連想させるように、by は Beischlaf を連想させる。それゆえ、from を by に訂正することは、父のイメージの変更に関わる。文法的な「失錯」行為は父への敬意の「逸失」の隠れ蓑にほかならない。シラーの生地であるマールブルクは父の失敗した事業の相棒の名でもある。反宗教革命はシラーの戯曲に由来する。フロイトの教養体系において、シラーはゲーテよりも暗く、暴力的な役割を果たしている。
 マックスウェルの『物質(Matter)と運動(Motion)』への言及がスカトロジックな由来をもつことはフロイト自身が分析している通りであるが、グリンシュタインによれば、『物質と運動』は、その体裁や内容(慣性etc.)において『心理学草稿』を想起させる。同時に言及される『国富論』(金=糞、「茶色」の革装)は、革命的な大部の書という点で『夢解釈』を想起させる。人間を本質的に自己中心的ととらえ、自然法則に任せる(市場主義、自由連想)ことが[経済的=心理的]システムの安定に寄与するとしたことにおいてアダム・スミスとフロイトは通じ合う。フロイトの心的「経済論」と心的「力動論」は、それぞれスミスとマックスウェルに送り返すことができる(「私の本でもあるようだし……」)。マックスウェルもスミスも「イギリス人」であるが、同道者の「イギリス人兄妹」は、甥ヨーンとその妹パウリーネを想起させる。また、フロイトがこの頃ミンナとのイタリア旅行を企てていたことを考えあわせれば、この「兄妹」はフロイト自身とミンナである可能性もあるだろう(不機嫌な同道者カップルが夜間に性交を企てていたという邪推)。ミンナとの「近親相姦」という想念は、やはり幼年期の欲望へと送り返すべき要素である。「ナマコ」というモチーフについては、男性器の象徴であると同時に無脊椎動物の「両側性」(フリース)という特徴を想起させるとアンジューが述べている。

ドーニ夫人の夢:『夢解釈』第6章(11)


◎ドーニ夫人の夢(1898年12月5~6日)

 夢に出てくる判断行為が、夢を見る人による活動ではなく、夢の想念の一部であることの事例。目覚めの際に感じた「満足」は、「そのことならもう前に夢に見たことがある」というほくそえみではなく、夢の内容そのものに由来する(結婚して子供を得た満足)。
 長男マルティンの誕生日の前夜に見た夢と報告されているが、実際にはその翌晩であるようだ(同じずれが「『両目(片目)をつぶってください』の夢」にも認められる)。「ドーナ・A…y夫人」は、実際にはRegina Albahary という55歳の女性であり、死因が「産褥」であるなどとは死亡広告には記されていない。Dona は広告主の一人である故人の独身の娘の名。Donna が登場するイギリスの小説とはジョージ・エリオットの『アダム・ベードゥ』(1859年)らしい。主人公の婚約者は、Donnithorne 大尉に生まされた子を殺して獄死する。なお、夢の前日のフリース宛書簡にはC.F. マイヤー逝去の折りに未読だった著書を三冊購入したことが記されているが、そのうちの一冊『ペスカラー』では、ドンファン的な男性の子を宿したまま男に捨てられた女性がお腹の子を道連れに自殺する。グリンシュタインはこれらの子殺しのモチーフをフロイト自身の母親への憎悪に結びつける。もし母親が小説の女性のように生まれてくる子を殺していたら、フロイトは母親とみずいらずでいられただろう。あるいはまた、母親がユリウスを適切に世話していたら死なせずに済んだであろう。つまり、ユリウスの死を母親のせいにすることで、フロイトは競争者ユリウスへ向けた自らの殺意を認める必要がなくなる。
 フロイトはくだんの「満足」が子供を得たことへの満足であるとする一方、夢で二人の娘を放っておいた妻マルタへの「ある種の非難」を認めている。フロイトが「産褥」で「殺した」故人の女性は妻マルタでもあるのだ。グリンシュタインによれば、ここには、妻が産褥で死んでいたら、子供の養育費に煩わされることもなく、仕事の上でもっと輝かしいキャリアを築けたであろうという願望が潜んでいる。また、アンジューによれば、「ドーニ夫人」はミンナ・ベルナイスである。ミンナも故人の娘と同じく独身であり、フロイト家の「裏」の部屋に住んでいた。「Martha から Minna への母音の変化は、Dona から Doni へのそれと同じである」(アンジュー)。マルタが死ねば、子供たちの世話をしてもらうという名目でミンナと晴れて結婚できるだろうというのこの夢の願望である。さらにアンジューは、 Minna が Nannie (乳母)のラフなアナグラムになっていると指摘している。この夢では幼年期の願望が産褥というモチーフというかたちで表れている。ここには女性器に対する幼児の好奇心が読み取れる。1909年の追記には次のように読める。「夢の中で、私はすでに一度ここに居たことがあったのだ、という確信が強調されるような、風景とか場所とかに関わる夢がある。この『既視感』は夢においては特別に意味するところがある[この一文のみ1914年の追記]。それは、その際の場所が、常に母親の性器であるということである。実際問題として、人がこれほどの確信をもって『すでに一度ここに居たことがあったのだ』と主張できるような場所が、ほかにあろうはずもない」(G.W. 404)。なお、アンジューによれば、案内人(他の多くの夢にも登場するキャラ)はブロイアーとフリースを指している。

Geseres と Ungeseres の夢:『夢解釈』第6章(10)


◎ Geseres と Ungeseres の夢(1898年1月初頭)

 不条理な夢のさらなる例。アンジューは、1897年のクリスマスにブレスラウで行われた「会議」直後の12月29日から1月4日ないしその前後と推定している。この頃、フリースとの決裂の最初の徴候が確認される。12月29日付の書簡にはこう読める。「ブレスラウでの僕たちの日々の快い思い出を持って、家に戻り、再び仕事に従事しています。Bi-Bi[bisexalité-bilatéralité]が僕の耳のなかで鳴っています。しかし、僕はまだ、真面目に仕事をするには気分が良すぎます。……僕は今、左利き理論の冷酷非情な追試のための十分な資料を望んでいます。……ついでながら、その後に続く問いは、僕たち二人の予感と好みが同じ道を歩まない、これまでの長い間で最初のものです」。フリースはこの疑念を「冷静に受け取ることができなかった」(『フリースへの手紙』編注)らしく、続く1月4日付書簡でフロイトは自分の立場を明確にしている。両性性には共感するが、両性性と両側性を結びつけることに対しては抵抗を覚えるという立場である。

 前出の「私の息子、あの近眼が……」はこの主要な夢に先立つ「序の夢」。序の夢はアウトラインしか提示されていないが、以下の3部構成になっている。(1)M教授が「私の息子、あの近眼が」と言う。(2)短い言辞と返答からなる会話。(3)フロイトと息子たち。

 主要夢は、長男が別々の方向を向きながら口にする「Auf Geseres」と「Auf Ungeseres」という謎めいた別れの挨拶をめぐって展開する。Geseres は「定めとしての苦しみ」「宿命」「嘆き悲しむこと」を意味するヘブライ語。 Ungeseres はそれに否定辞がついた「好ましい」意味あいの造語。この対句は、gesalzene-ungesalzene(塩漬けされていない、より高級なキャビア)の対立を経て、gesäuert-ungesäuert(出エジプトに際して食された種なしパン)の対立へと送り返される。「近眼(Myop)」はフリースの両側性理論(「キュプロス Zyklop のように一つ目だとしたら……」)に関わっている。「近眼」とされるM教授の息子は子供の頃に眼病を患った。医師は片目だけの間は心配ないと言明したが、他方の眼も冒されるや、「どうして嘆き悲しむのですか[Was machen Sie für Geseres]]?」と見解を「別の側に」翻す。序の夢についてはすでに、M教授と息子はフロイトと長男の「藁人形」にすぎないとコメントされていた。長男はお下がりの勉強机を譲り受けたことでM教授の息子に重ね合わされる。その勉強机は「近視や片側成長にならないように」設計されていた。夢で長男が別々の方向に挨拶するのは、知的な面も含めて長男が「左右相称を慮って振る舞」ってほしいというフロイトの願望の成就にほかならない。フロイトは「片側に関する気がかりは多義的である」という留保をつけている。アンジューによれば、この夢の意味は「両側性理論はナンセンス」と要約される。

 以下、アンジューが提供している解釈のヒント。Myop は造語であるが、ドイツ語の myope は、視野の狭さという含意をもつ(フリースへの嫌み?)。キュプロスは神話的な存在にすぎず、これもフリースの理論への疑念の現れか? 「あの子も将来の人生で、自分を導いてくれる人を選ぶときには、もっとすぐれた眼力を発揮しれくれるといいんだが」という「私」の台詞も、導き手としてのフリースの資格を問いなおしている? だとすればそのとき、フロイトは少女に同一化していることになる。すなわち、フリースへの同性愛的同一化? Geseres と Ungeseres という無意味な対句は、両側性理論への揶揄? 医師の前言の撤回は、12月29日付書簡から1月4日付書簡へのフロイト自身の態度の変更に対応している?  
 アンジューによれば、この夢の思考は、息子が(1)反ユダヤ主義の被害を被らないでほしい、および(2)悪い女にひっかかって梅毒に苦しまないでほしいと要約し得る。(1)については、出ローマ、ヘローデ、ユダヤ人医師の離職、『新たなゲットー』[=シオニズム]というモチーフのほか、フリース宛書簡で言及されるドレフュス事件、(2)については、接吻を拒まれる女、「子守=修道女」すなわち「禁じられた女」(アンジューはこの系列にミンナの存在を含めている)という文脈が探り得る。
 幼年期の欲望も夢において少なからぬ役割を果たしている。二人の少年を託される父は「私」ではない、とはつまり、「私」は少年の方ということになる。顔の見えない年少の少年はユリウスを、女の「赤い鼻」は飲酒癖のあった乳母を、「何かが起きた」ことを原因とする女との別離は、乳母との別離=フライブルクからの出発という状況をそれぞれ想起させずにはいない。夢の対句は、ウィーンとマンチェスターという二つの方角への家族の離散を暗示する。その場合、前者が不吉な方角であり、反ユダヤ主義を免れた後者が幸いな方角ということになる。この推論は、「もしエマヌエルの息子であったなら」という幼いフロイトのファミリー・ロマンスを正当化する。「門の前」には性的含意が読み取れる(ante portas)。「古代様式」とは「幼児期の記憶」と同義である。姪パウリーネの「二重門」を見たいと欲した罰として、幼いフロイトは英国へ去った彼女と引き裂かれ、その姿を拝めない(近眼、隻眼)という罰を受けたのだ。隻眼のハンニバル、斜視のシャルコーへのフロイトの同一化はこの仮説と矛盾しない。フライブルクの隻眼の医師の治療した顎の傷は、フロイトにとっての眼の疾患の隠喩であるかもしれぬ……。こう来れば当然想起されてしかるべきオイディプスへの言及がないのは奇妙である。この夢が、エディプス・コンプレックス発見(10月15日付書簡)後に報告された最初の夢であるのにも関わらず! くだんの対句は、一方が他方の否定形(Un-)であることによって、性差についての幼児の性理論(去勢)を暗示する。フロイトにとって、両性性理論は去勢不安への「防衛」として機能していたかもしれない。フロイトにとっての両性性はあくまでも心的な両性性であり、フロイトはフリースへの同性愛的な「転移」関係においてそれを予「見」していた。とすれば、「二重門」は、男性的同一化と女性的同一化の二重性に対応しているかもしれぬ。なお、夢の序盤が視覚的で、後半が聴覚的というのはフロイトの夢の典型的なパターン。

 「このように夢はしばしばもっとも狂っているように見えるところもっとも意味深長である。何かを言わねばならないが、しかし、それを言うと災難が降りかかる者たちは、どんな時代でも道化の三角帽をかぶりたがる。……ハムレットは、自分のほんとうの状態を冗談めかしたわけのわからない状態に置き換える。これは夢にもまたあてはまる」(G.W. 446)。

ゲーテがM氏を攻撃する夢:『夢解釈』第6章(9)

 「不条理な夢」のつづき。

◎ゲーテがM氏を攻撃する夢(1898年4月14~27日)
 時間関係の不整合は「1851年と1856年の夢」と共通している。

 次の三つの文脈が交錯して織り上げられた夢。
(1)M氏の進行性麻痺症の弟[『全集』では「兄」](M氏の「若気」の至りを暴露)
(2)若造がフリースを酷評
(3)18歳の躁狂者
 
 ここからそれぞれ次のような図式が引き出される。
(1)「私」=進行性麻痺症者(「今が何年か確実にはわからない」)
(2)「私」=フリース(「時間関係を少し解明してみようとする)
(3)「私」=M氏(性的病因論が大多数の医師から「攻撃を受ける」)

 以上の(2)と(3)から導き出されるのは次の等式である。

 「私たち」[フロイトとフリース]=「彼」[M氏]

 夢の想念は、「もちろん(natürlich)、彼は……狂っているさ。そしてあんた方は……天才的な人々というわけだ。だけど、もしかしてそれは逆じゃないのか」と要約される。「逆転」という契機は、ゲーテの方が青二才を攻撃していること、および進行性麻痺症患者の「生年」とゲーテの「没年」というくだりにも見出される。ゲーテは、フリースの研究対象として(周期説による解釈)、躁狂者の叫び(「Nature, Nature」)として、およびフロイトの自然科学志望のきっかけとして召喚されている。

 この夢は「1851年と1856年の夢」と同様、見かけ上の「判断」行為を含んでいるが(「あり得ないように思えます」「ずっと納得がいきます」)、これは躁狂者についてフロイト自身が下した「判断」の記憶に由来する。

 1898年の復活祭にフロイトはアレクサンドルとともにイストリアを旅行し、その次第を4月14日付書簡でフリースに報告している。同じ書簡中で、フリースの論文(鼻と女性器の関係に関するもの)への酷評に反論する意志が表明されている。アンジューはこの夢がこの書簡と次の書簡(27日付)の間のいずれかの日に見られたと推測している。

 アンジューは「攻撃」(Angriff)という語の「多義性」に注意を促している(仏語の attaque からの発想であろう)。

 1832年はゲーテの没年であると同時に長兄エマヌエルの生年。年号の混同には、兄弟への競争心(“エマヌエルの没年であってくれたら”)が読み取れるかもしれない。

 「イルマの注射の夢」と同じく、フロイトはフリースの科を自ら背負う。その一方で、周期説への遠回しな疑念の表明も読み取れる(「これはどう見ても、まったくもって低能な者の計算のようにしか聞こえない」)。

 この夢は「夢について」(1901年)でも取り上げなおされている。そこでは、学生時代のフリースが大学の“老害”を除去するために一役買った事実への言及があり、「羊の頭蓋」(「愚鈍なロバ」)から比較解剖学的発見をしたゲーテが、老化現象に関連づけてふたたび召喚されている。アンジューは「比較解剖学」というモチーフに、男女性器の「逆転」という幼児の「性理論」を結びつけようとしている。エヴァ・ローゼンブラムによれば、このくだりでフロイトは「比較解剖学」上の発見者としてのゲーテに自らを重ねている(「そりゃゲーテが書いたわけじゃなし」という擬古文)。アンジューはここから夢の中でフロイト=ゲーテがフリース=M氏を攻撃しているという解釈を導き出す。「私にはこうした逆転の夢すべてに軽蔑的な言い回し(尻を向ける——『全集』では「後ろ指を指す」)とのかかわりが含まれるように思われる」(G.W. 332)。1911年の版ではこの後に次の一節が追加されている。「さらに、抑圧された同性愛的な蠢きに発する夢において、このような逆転がいかに頻繁に用いられるかということは、注目に値する」。ついでに「夢について」にはこう読める。「夢に現れる不条理さは、夢思考に含まれていた異議申し立て、嘲笑、軽蔑を意味している」。

 グリンシュタインは「逆転」というモチーフについて「素敵な夢」との詳細な比較を行っている。

1851年と1856年の夢:『夢解釈』第6章(8)

◎ 1851年と1856年の夢(1899年7月?)
 「父が臨終の床でガリバルディそっくりに見えた夢」と同様、死んだ父についての不条理な夢として導入され、さらに夢の知的活動(「判断」)の事例としてもコメントされる。『夢解釈』最終稿完成直前に見られた、ある意味で『夢解釈』を締め括る夢。

 二つの年号を隔てる5年とは、ブロイアーに経済的援助を受けていた期間であり、フロイト自身の婚約期間であり、ブロイアーに進展のなさを暗に非難された患者の治療期間であり(1899年12月21日付のフリース宛書簡に言及がある)、医学部の規定在籍期間。夢の主題は、この5年という期間を無視したい(短縮したい)ということ。その願望は、自分が生まれる前の負債(父の負債)の返済という不条理な要求に対する「憤怒」として表現される。この不条理に抗議するに際し、夢の中でフロイトは「推論」に訴えているが、夢のとる「推論」(Schlussfolge)という形式は、つねに夢の内容そのものに由来している。ここでは、大学入学者の身上調書を作成する際にマイネルトがフロイトのユダヤ性を「推測」するために父親の名前を訪ねたこと、医学部の規定在籍期間を超過しはしたが、「結果(Schluss)は出した」という弁明、および神経症の理論が「推論」にすぎないと非難されたくないということがその内容である。

 また、「51」は周期理論(28+23)によれば男性にとっての厄年。実際にフロイトの周囲で何人かの同僚が51歳で急死していた。「人生において年月など何とでもなるという他を圧する想念ときわめて鋭い対立をなす」(第7章)。5年のタイムラグを消去したいという願望は、それゆえ死への不安をも表していると解釈できる一方(シュールによれば「フロイトの心臓病の件のさなかにあっては、40歳または42歳から43歳まででも生きられれば上等であり、51歳までは無理であろうと思われていた。フロイトの心臓病の症状が徐々によくなってゆくにつれて、51歳という年齢は、希望というよりはむしろ恐怖となった」)、アンジューがほのめかすように、フリースの周期理論を否定したいという願望を読み取ることもできるだろう(周期理論への最初の疑念は1899年1月3日の書簡に認められる)。ちなみに「Non vixit の夢」では、フリースにとっての40という厄が問題になっていた。また、遅れに対する非難への抗議という主題も「Non vixit の夢」に通じる。

 「夢が別の人々に対する反逆を扱う場合も、その背後に父が身を潜めるのが一般的だ。しかしここではそれが逆転し、父が他人を覆うための藁人形となっている。そしてそれゆえに夢は普通ならば神聖視される人物をぶしつけに扱うことができるのである」。「完全に是認され、別の人々に対して模範として掲げられている」父ヤコプは、さまざまな経路を通じてマイネルトと同一視される。(1)父の飲酒癖(事実と異なる)とマイネルトのクロロフォルム中毒。(2)夢の中での父とのやりとりは大学教授による「審問」「試問」を思わせる。(3)「自分が教授か枢密顧問官の二世だったらもっと早く出世していたのに」という想念。(4)父が婚約の報告に対して私欲のない態度を見せたこととマイネルトが死の床で男性ヒステリーの存在を認めたこと。

 「私には自分が生まれたのがそのことがあった直後のように思える」という夢の最後の一節についてフロイトは何もコメントしていないが、シュールは1851年の直後(翌年)にヤコプが二度目の妻レベッカを娶っていた事実との関連をほのめかす(この事実はシャイナーによって1968年に明らかにされている)。
 
 「本当にフロイトが父に、1851年の『すぐあと』誰と結婚したかとたずねたということはあり得るか? 彼が引き出した『結論』と『4、5年はたいしたことではない』という願望充足をくり返し求めた事実とは、同じテーマの表現であり得るか? フロイトが早期記憶の重要性を主張すると、自分が『まだ生まれていないとき』の思い出を探してみようと言ってよく茶化した患者たちについての彼の連想も、彼がたぶんフライブルクの『先史』時代に教えられた、父の未知の妻に関係があり得るだろうか? 最後に、1851年というこの神秘的な年も、フロイトが51歳という危機的年齢にこだわるようになった一因であり得るだろうか? 」(『フロイト 生と死』)。

 1894年6月22日のフリース宛書簡のなかで、フロイトは物理学者クントの死んだ年を実際の54歳ではなく、51歳と書いている。当時はフリースの周期理論はまだ存在していない。ということは、51という数字がフロイトのなかで死と結びついたのは、フリースの周期説以前に遡る可能性がある、とシュールは推察する(フロイトが周期説と結びつけてこの数字に言及しているのは1896年9月29日付書簡が最初)。なおヘブライ語で「犬」を表す52は縁起が悪く、男性の厄年は52であるという言い伝えがあるらしい。フロイトにとってフリースの説はいわばこの迷信に根拠を与えるものと受け取られた可能性がある。フリース理論の骨格である両性性、鼻と性器の関係、周期説のうち、最後のものはフロイト理論に直接的な刻印を残していないが、数字をめぐる信仰をフロイトは後年まで放棄しなかった(1909年4月16日付ユング宛書簡などを参照)。

 シュールはさらにフロイトが父の二番目の妻を「無意識的に」知っていたとするのは純粋な憶測であるとしながらも、フロイトが1897年9月21日付のフリース宛書簡のなかで誘惑理論の放棄を報告したくだりを締め括るユダヤジョークのなかに「レベッカ」という名前を忍び込ませた理由を自問している。

 アンジューによれば、夢が算術ないし数学的証明を内容としていることは、理論の完成という願望の表れでもあり、「夢の象徴が、もはや化学的でも植物学的でも文法的でもなく幾何学的」であってほしいという願望の表れでもある。

 「4年や5年など、時間というに値しない」と、フロイトは「実際の5年間の時間間隔を4年または5年に変更した」(シュール)。この夢が「イルマの注射の夢」の4周年前後に見られていることを考えると、この「変更」は偶然ではないかもしれない。「4年や5年」とは、『夢解釈』出版のデッドラインを示す数字とも見做せるわけだ。

父が臨終の床でガリバルディそっくりに見えた夢:『夢解釈』第6章(7)

(f)不条理な夢、夢における知的な働き

○父が夜行列車で大事故に遭う夢
 男性患者の夢。亡父の皺が傷に置き換えられている。亡父が生きているという設定において後続するフロイト自身の不条理な夢と類似する。


◎父が臨終の床でガリバルディそっくりに見えた夢(1899年2~3月)
 Obstruktion のかけ言葉。「便秘」という「低次」の事柄が、「議事妨害」という「高次」な事柄に結びつけられる。Stuhl は「玉座」でもあり、「便座」「糞」でもある。また、Stuhl に相当するフランス語の selle とセール(Széll )・カールマーンを結びつける連想の糸がフロイト自身の中にもあったはずだとアンジューは述べている。この夢は不条理な夢の例として紹介されているが、「父は子供たちの前で死ののちに清く偉大であって欲しい」が夢の欲望であると考えれば、この夢は不条理ではない。フロイトの解釈は一見したところ明解である。しかし、フロイトが長い間この夢につきまとわれていたことは、版が改まる毎に注が追加された(後に本文に組み込まれた)という事実からも推測できる。

 1909年の注では、死者と交流する夢についてのコメントが追加されている。夢は「もしも」を現実の状況として表現する。例として、遺産を使い込んだ男が亡き祖父に申し開きを要求される夢が挙げられている。祖父はもう死んでいるはずなのにという疑念(「抗議」)は、死者はこのような申し開きをせずに済んだという「慰め」、ないしは死者にはもう口出しできないという「満足」を表している。

 1911年の注では、死んだ近親者が出てくる不条理な夢の別のタイプについてコメントされ、「心的生起の二原理に関する定式」でおなじみの、父を亡くした人の夢が紹介されている。生き返った父が自分が死んでいることを知らないというのがその内容であるが、父の死は父殺しの欲望であり、父が知らないのはこの欲望である。看病中の「父を苦しみから解放してやりたい」という思いは、幼年時のエディプス的な父殺しの欲望と結びついて夢に現れた。不条理な見かけは、無意識的欲望と日中の思考の深いギャップによる。

 1919年の注では、死者が最初は生者として、そのあと死者として、さらにそのあと生者として登場するパターンがコメントされる。この交代は「生きていようが死んでいようが同じこと」という「無関心」への願望を表す。さらに、死者が死んでいることに夢で気づかない場合、夢見る人は、「自分を死者と同じ者だと捉えている、つまり自分自身の死を夢見ている」。あとから死者であることに気づくことは、「自分自身にとっての死の意味を否認すること」にほかならない。「しかし、この種の内容を持つ夢のすべての秘密を解き明かすところからは、夢解釈はまだほど遠いところにあるという印象を、私は告白しておく」という一節でこの注は閉じられる。

 死んだ父がある政治的な役割を果たすという「父が臨終の床でガリバルディそっくりに見えた夢」が、このうちのどのケースに帰され得るのかははっきりしない。父ヤコプは生前は英雄的なところのない父親であった。死してはじめて英雄的な相貌をまとったのだ。そう考えると「父は子供たちの前で死ののちに清く偉大であって欲しい」という一節は両義的である。岩波版『全集』は、「死して後も」と明らかに一義的な解釈を込めて訳してしまっている。この誤訳は重大ではなかろうか。

 この夢においてフロイトは父の死、あるいは父の不完全性を認めているというのが大方の解釈であるようだ。スタンは、不死への幼児的欲望に、死すべき存在としての父への同一化と自らの死の承認がとって代わっていると解釈している。グリンシュタインは、父性への攻撃への罪悪感と罰への恐怖を読み取っている。なお、グリンシュタインは、[彼岸の存在である]死者が子供たちの「前に」いるというのは不条理な状況であると指摘している。夢では汚物にまみれたヤコプのイメージが「友人の親戚の父」のイメージにすり替えられ、紅潮した頬によってガリバルディと同一視されているが、これは完全な父への希求ではなく、父殺しの欲望への償いと敬意の現れとしてとるべきなのだろうか。1919年の注にあるように、夢のなかでフロイトは自身を死者と見做しているのであろうか。オリヴァーの召喚はこの解釈の妥当性を強める。父との和解的感情は、自身父親であるフロイト自身の死の承認を意味する。産声を上げようとしていた『夢解釈』が革命的な書であるとフロイトは自認していた。ガリバルディとクロムウェル(英国におけるユダヤ人の解放者でもある)の召喚はそのことと無関係ではあるまい。この革命は父との和解と両立させられる?

 父が褥を濡らすことは「トゥーン男爵の夢」、死者と交流することは「Non vixit の夢」を想起させる。この夢はフリース宛書簡にも言及がある。「ほとんど同時に僕の患者の二人が、両親の看病と死の後の非難を思いつき、僕に僕の夢がこの点で典型的なものであったことを示してくれます。非難が結びついているのはいつでも、病人の排泄の障害(尿と大便)についての復讐、ほくそ笑み、満足にです。精神生活の真に無視されている片隅です」(1899年12月9日付)。

Non vixit の夢:『夢解釈』第6章(6)

◎ Non vixit の夢(1898年10月30日前後)
 シュールによれば、『夢解釈』の主題は「生き残った者の罪」というそれに集約される。 

 パーネト(1890年没)、フライシェル(1891年没)、ブリュッケ(1892年没)、父ヤコプ(1896年没)……。かつてフロイトが殺意を向けた近親者たちが「幽霊」としてつぎつぎ回帰し、罰としての死をフロイトに迫る。

 P[ヨーゼフ・パーネト]を視線で「溶解」させた敵意は、この報われない同僚の記念碑[ヨーゼフ2世]を建ててやる(「生きた」)という情愛の裏面である。Pは助手のポストを得るために前任者(フライシュル)を追い出したいという「焦燥」に駆られていた。この思いは助手に就任する以前のフロイトにも共有されていた。Pが早死にしたのはこの“殺意”に対する罰である。Pへの(そしてフリースへの)アンビヴァレントな情動は、ヨーン(=カエサル)との関係に遡る。「Non vixit」はブルータスの台詞と同じ構文であり、さらに、ヨーンへの暴力を弁解するために「ぼくをたーたしたから、たーたした[wichsen]」と口にした記憶も寄与している。「Non vixit」は、フリースの手術に駆けつけられないことへの自責の念でもある。優先権をめぐる争いにおいて、フリースもまたヨーンの「幽霊」である。ここに、フライシュルの死(コカイン、告げ口)への自責の念、ブロイアーへの敵意(借金を返済させてくれない)、姪パウリーネ(フリースの娘と同名)への愛着、ブリュッケとの同一化、等々が絡む。

 ヨーゼフはパーネト、オーストリア国王、ブロイアー、さらにはここで言及されていない叔父に共通する名前である。

 「遅れ」への罪悪感は、フリースの“死に目”に会えないかもしれないこと、ブリュッケの研究室時代の常習的遅刻、父ヤコプの葬儀に遅れて到着したこと(「『両目あるいは片目をつぶってください』の夢」)のほか、パーネトと共有していた「焦燥」、「優先権」をめぐる競争といったモチーフにも結びつき、、究極的には「生き残った者の罪」に帰される主題であろう。

 Julius は「カエサル」であり、「7月」であると同時に、生後半年しか「生きなかった」弟ユリウスのことでもあってしかるべきだ。奇妙にもこの長大な分析の中でフロイトは亡き弟にまったく言及していない。アンジューはこの言い落としを次のように説明している。すでに1897年10月3日付書簡[141]、つまりエディプス・コンプレックスの発見(書簡[142]に最初の明確な言及がある)と同時期に、フロイトは競争者ユリウスに向けられた「邪悪な願望と子供の本物の嫉妬」を想起しているが、この頃に想起された幼年時の記憶は単なる「表象」であり、それにともなう「情動」が回帰するのは1898年9~10月である。同じ書簡に登場するヨーンの記憶は(「ローマの夢」「ヨーゼフ叔父さんの夢」においても召喚されている)、その後、フリースへの「転移」を通して「灰色の馬に乗る夢」および「Non vixit」の夢において顕在化するが、ユリウスの記憶はトラウマでありつづけ、その後の近親者たちの死に際してその都度、死への不安を呼び起こす原因となっていた。以上がアンジューの仮説であるが、ユリウスの記憶はフリースの亡き妹への言及に隠れている可能性もあるのではないか。また、シュールはユリウスがパネートと同年生まれであることを想起させている。

 フリースの手術に駆けつけることができなかったことへの必要以上の罪悪感は、40歳を迎えたばかりのフリースが周期説において厄年に当たっていたことによっている。フロイトはこのことに言及していない。フリースの誕生日は10月24日であるが、二年前のほぼ同じ日(10月26日)に父ヤコプの葬儀があり、その直後にフロイトは「両目あるいは片目をつぶってください」の夢を見ている。この夢についてフロイトは「この夢は、一般に死が生き残った者たちに与える自責の念の感情の捌け口でした」とフリースに書き送っている(1986年11月2日付)。シュールによれば、「1899年にはまだフロイトは記念日反応の重要性に気づいていなかった。この反応は、過去の決定的に重要な出来事の記念日、とくに命日に、夢だけでなく、症状行為にも現れる」(『フロイト 生と死』)。「Non vixitの夢」は、このような「命日反応」であり、さらに「『両目あるいは片目をつぶってください』の夢」の「仕上げ」である(それゆえフロイトはエディプス的な主題を夢の分析において抑圧した)。なお、フロイトのねぶとの手術はフロイト自身が思いこんでいたようにフリースの手術と同時期ではなかった。シュールによればこの勘違いは、このくだりの執筆が『夢解釈』最終稿の脱稿時(99年夏)まで持ち越されたために起こったミスであるだけでなく、罪悪感が引き起こした錯誤行為でもある。

 「Non vixit の夢では、ぼくはきみより長生きしたことを喜んでいます。このようなことをほのめかさなければならないのは、恐ろしいことではないでしょうか」(1899年9月21日付フリース宛書簡)。ここには『夢解釈』の完成後のフリースとの決裂がほのめかされている。シュールを引こう。

 「彼[フロイト]はフリースの遠大な思弁に疑いを抱いていたどころではなかったのだが、それでも、フリースの諸仮説の根本的重要性をくり返しくり返し擁護する義理があると感じていて、そのため、フリースの諸発見を承認しようとしないからっぽ頭の教授たちを一人残らず批判し、嘲笑することによってフリースに対する信頼を自分自身のなかで強化しようとした。『夢解釈』の執筆中、フロイトは、自分の諸発見の根本的真理をこの上なく確信してはいたものの、それらはあまりにも革命的な発見であったから、一抹の疑いは残っていたに違いなく、また、たぶん人間には見ることを禁じられている深淵をのぞき込んだという畏怖の感情もあったであろう。したがってフロイトにはフリースが必要だったのであり、そして、アンビヴァレンスの敵対的側面や疑惑を失錯行為や夢の方へ追いやって、おのれの判断力と理性を黙らせねばならなかったのである。non vixit の夢と、ゲーテの夢およびイルマの夢とを比較検討すれば、フロイトとフリースとの軋轢がだんだんひどくなっていった跡をたどることができる。イルマの夢では、フリースに対する敵意は、他の人たちに置き換えられることで偽装されている。ゲーテがM氏を攻撃した夢では、フリースの研究に対する壊滅的批判へのフロイトの賛意が、批判者たち自身に対する嘲笑的攻撃に偽装されている。non vixit の夢における葛藤は、はるかに先に進んでいる。もっと正確に言えば、いっそう深くなっている。それは、どちらが生き残るかという、きわめて基本的な言葉に言い表されている。[……]まさに天才だったからと言うほかないが、フロイトは、他の人たちから受けた刺激を心理学的革命の中核に転ずることができた。多くの人にとってインスピレーションの源泉であった彼自身、彼の人生でめぐり会ったある人たちに関して最終受信機であった。その一人がブロイアーであり、他の一人がフリースであった。[……]このユニークな分析場面[=自己分析]の枠のなかで、フロイトは、彼の第二の自己であり、聴衆であり、信頼できる医者であるフリースの過大評価を維持する必要があった。その上フロイトは、結局自分は、人間の事象に関する自分の精神的決定論の概念と、フリースの宇宙的決定論の概念との共存は不可能であることを知るようになるだろうと自覚した。したがってフロイトは、フリースもまた、間もなく路傍に捨てられ、『亡霊』となるだろうと予期していた」(安田一郎、岸田秀訳)。


 グリンシュタインはシラーの『群盗』への言及の背後にジギスムントに盗みを働かせた乳母の記憶が隠れているとほのめかす。「民衆のために」を「国のために」と記憶していたフロイトの錯誤行為も意味深長。

自分の骨盤を解剖する夢:『夢解釈』第6章(5)

(d)描出可能性への顧慮

 「ずらし[置き換え]は、夢の想念の無色で抽象的な表現を比喩による具体的な表現に入れ替える。……比喩的なものは夢において描出がなし得る」。夢の「機知」。

○塔の上に指揮者がいる夢
 ある婦人の夢。塔は思いを寄せる音楽家が「抜きん出ている」という願望を表すと同時に彼の精神病(Narrenturm →精神病院)を暗示するという「同格的」用法。「狂っている」という想念が不条理な(「ねじ曲がった」)視覚像として表現されている。自分の愛が報われないこの世界は「狂っている」。


(e)事例――夢における計算と言辞

○チンパンジーとゴリラ猫の夢
 ある婦人の夢。「罵り言葉[「猿」]を投げ散らす」という慣用句が視覚的に描出されている。


○不格好な頭をした子供の夢
 医師の口にした「幼年期印象 (Kindereindrücke)」という抽象観念が[幼児の頭蓋の]「圧搾(Kompression)」として具体的に描出されている。


◎ホテルの部屋の壁から水が滴る夢
 「余計な(überflussig)」という想念が「過剰な液体(über + flüssig)」として描出されている。


◎自分の骨盤を解剖する夢(1899年5月末)
 固有名詞が視覚化される例(Stannius →Stanniol[錫箱])としてここでその一部が紹介されるが、詳細な記述と分析は「(f)不条理な夢」の項に持ち越され、さらに「(h)夢における情動」[初版では(g)]の項で言及される。
 アンジューはインスブルックでのイースターの「会議」とフリース宛書簡[199]の間に見られた夢であると推測している。「会議」のあと、体調不良を訴える書簡がしばらくつづいた後、書簡[199]において「夢が突然、特別な動機づけなしに、だが今度は確実に、出来上がりつつあります」という「勝ち誇った」調子に突然移行している。「僕は、どんな粉飾もうまくいかないということ、僕のもっとも素晴らしい、たぶん唯一の生き残る発見を自分のためにとっておけるほど僕は裕福ではないから、断念するわけにもいかないということを、じっくりと考えました」と書簡は続く。
 「私はいわば夢の書の刊行によって自己分析を為し遂げる。しかし、その刊行は実際には私にとってひじょうに苦痛で、もう準備のできた原稿の印刷を一年以上も引き延ばしている。今やこうした妨げをなす感情から逃れたいという欲望が生じる」。自己「分析」によってプライバシーをさらすことが、夢では自己の身体の「解剖」として描出されている。こうした状況をグリンシュタインのように近親相姦あるいはそれへの罰としての去勢に関連づけることも容易に思えるが、アンジューは去勢幻想をこの時期の夢に読み取ることは時期尚早であると戒める。また、グリンシュタインは、この夢に死の欲動および反復強迫の概念の萌芽を読み取っている。アンジューは先行する「父がガリバルディのように死の床にある夢」との連続性を指摘している。脚を失うことは、父の死を想起させる。それは支えを失うことであり、殺意への罰としての去勢を意味する。実際、自己分析の営為は父の死を契機にしている。先行する夢に読み取れる不死への幼児的願望を(不死はハガードの小説のモチーフ)、この夢は本を書くことで不朽の名声を得る(精神的な不死)欲望に置き換えている。ブリュッケ(橋)と「案内人」は同一視できそうだ。ブリュッケはアーリア的教養人の鑑として、学生時代のフロイトが同一化しようとした人であり、フロイトに最初の論文の発表を薦めた人である。ところでいまフロイトが出版しようとしている『夢解釈』も、いわば第二の処女作である。「二人の子供」とは、処女論文と『夢解釈』のことであり、ルイーズ・Nはミンナを想起させる。「開く門」と同様、「ぬかるみ」には性的な意味があるが、ヴェジ=ワグナーは「内臓摘出」と合わせてこの「ぬかるみ」にメンスという含意を読み取り、女性への同一化を見てとっている。アンジューによれば、父の死にともない想起された母を失うことへの不安が、母への同一化を促した。エトルリアの墓地に横たわる一対の遺体は、母親と離れたくないという幼児期の願望が呼び出した記憶である。アンジューはさらに、「足」場を失うことに関して、ユングと同席中の二度にわたる失神という後年の経験への参照を促している。また、フロイトが恐怖で目を覚ましたのは、7~8歳の頃に見た「母が鳥の嘴をした人々に運ばれてくる夢」(後出)以来のことである。


○3フローリン65クロイツァーの夢
 女性患者の夢。時間が値段に置き換えられている(「時は金なり」)。


○1フローリン50クロイツァーの夢
 同じく数字の置き換えの夢。夫婦で三人分の席を買うという「ばかげた」状況は、早く結婚しすぎて「ばかだった」という想念の描出。価格が百分の一に減っているのは、夫への侮りを意味している。


○1882年生まれの女性が28歳だという夢
 「夢見る者の計算の不得意さ」。


○中庭で遺体が焼かれている夢
 夢のなかの言辞が、日中口にしたか耳にしたか目にした実際の言辞に由来することの事例。食欲と性欲の同格化を利用している。

紛失物を着服したという嫌疑をかけられる夢、他:『夢解釈』第6章(4)



○兄の両脚がキャビアに覆われている夢
 女性患者の夢。「兄からもらったもの」という資格で発疹とキャビアが圧縮された。


◎両性性の理論を語る夢(1898年6月?)
 夢の与える明瞭な印象が、夢の形式に関わるものではなく(フロイトは当初こうした夢を「睡眠中の空想」と範疇化しようとした)、夢の内容そのものである例。目覚めたときに鮮明な印象であったのは、難解な理論を明晰に語るという内容の夢であったため。「いわば夢の仕事が目覚めたのちの最初の思考へと波及し、夢では正確に描出できなかったあの部分を、その夢についての判断として私に伝えたのだった」。両性性理論の優先権をめぐる意見の相違がフロイトとフリースとの決裂のきっかけとなった問題であるのは周知のとおり。この夢の背後には、フリースの両性性理論が不明瞭だという考えが控えている。アンジューによれば、夢を「睡眠中の空想」と取り違えることで、フロイトはフリースの過ちを肩代わりしていると述べている。また、アンジューはこの夢に、フロイト自身の夢理論に欠陥がないことへの願望を読み取っている。1911年の版では、この夢の前に別の男性患者の夢が追加されている。そこでは、夢における空白部分(「夢の中の穴」)が、女性器を表している。さらに1914年の版ではその間に別の男性患者による類似の夢が挿入されている(夢の中の「暗い」箇所)。


○夢の中の人物が夫であるのか父であるのかわからない夢
 上と逆に、夢の不明瞭な印象が夢の主題そのものである例。


◎紛失物を着服したという嫌疑をかけられる夢(1898年5月)
 「何かを達成できない」夢(「運動が抑止されるという感覚」もこの範疇に含まれる)の事例。女中が帽子をどこかに仕舞い込んでしまった日中の記憶の背後に「悲しい死の想念に対する拒絶」がある。「誕生と死」というテーマは、この直前に見られた「ゲーテがM氏を攻撃する夢」(後出)と共通する。嫌疑が晴れ、立ち去ることを許されるが、「私はなすべきことをまだちっとも済ませていない。まだ立ち去ってはならない」。この一節はシラー『フィエスコの叛乱』におけるムーア人の台詞の変形。「ムーア人」は母親がフロイトの「誕生」時につけたあだ名。また、「誕生と死」は弟ユリウスのそれを暗示しているかもしれない。『フィエスコの叛乱』には、野心、父殺し(兄弟殺し)、裏切り、女性蔑視、罰といったモチーフが見出される(アンジュー)。グリンシュタインによれば「立ち去ってはならない」に読み取れる自己非難にはフリースと乳母が関係している。前者については両性性理論の剽窃、後者についてはジギスムントに小銭を盗ませたことに関わっている。コンラッド・スタンは同じ一節が母親と一緒にいたいという欲望の成就とそれへの罪悪感を示しているとする。なお、1911年の版では別の箇所で「帽子は男性(男性器)の象徴である」という一節が補足されている。だとすれば、帽子をなくすとは、去勢を暗示していることになる。

「両目(片目)をつぶってください」の夢:『夢解釈』第6章(3)


 夢は「甲あるいは乙」という二者択一を表現できない。夢の記述に「あるいは」が含まれている場合、それは「そして」の意味である。


◎ Villa, Casa, Sezerno の夢(1987年4月27~28日)
 フリース宛書簡[125]で分析されていた夢。「この夢は僕のなかに無意識的に存在している君に対する怒りを集めています」。滞在先を知らせなかったこと(Secerno ≒ segreto[秘密])への不満は、ニュルンベルクに関心を示さなかったこと、フリースが夢のなかで「父親を祖父で置き換え」て「父親病因論」を否定していること、アイダ・フリースの幼年期の誘惑者を聞き出してくれないこと等への不満を集約している。書簡[125]においては、あるヒステリー患者の分析を通して誘惑理論(「父親病因論」)への確証が得られたことでこの夢の解釈の「完全な解釈」に至ったと述べられている。『夢解釈』においてこの夢が父ヤコプの死の直後に見られた夢のすぐ前に置かれていることは偶然ではないだろう。フリース=父への「怒り」が問題になっているのだ。なお、『夢判断』のヴァージョンでは、「ヴェネツィア」という語が削除されている。


◎「両目あるいは片目をつぶってください」の夢(1896年10月25~26日)
 11月2日付のフリース宛書簡[109]においてすでに分析されている夢。死者に対する黙祷と簡素な葬儀(+遅刻)に「目をつぶる」ことをかけており、死者に対する義務を果たさなかったことへの自己非難が読み取られている。書簡では「両目を閉じるようお願いします」とのみ記されているが、ドイツ語では「おおめにみる」の意味で使うのは「片目をつぶる」の方だけ。看板が禁煙のポスターになぞらえられていることから、父親への罪悪感が、フロイトに禁煙を進言していたフリースへの罪悪感に重ねられているとも解釈できる。アンジューは「目を閉じる」に、患者に目を閉じるよう頼む分析技法、および「眠り=夢」という意味あいを見てとり、この夢が精神分析理論および夢理論そのものをもテーマにしていると述べる。禁煙ポスターの比喩は、心臓病による自身の死への不安をも呼び寄せ、「片目」はフライブルクの医師および亡父の緑内障を想起させる。床屋というモチーフは罪悪感からの「清め」という意味あいを担っているかもしれない。コンラッド・スタンが述べているように、父親の自然死は息子のエディプス的欲望の挫折を意味し、したがって父の死への罪悪感は父殺しの欲望の裏面である。ホールという舞台設定は「イルマの注射の夢」を想起させるが、駅のホールであることは、別離というテーマに由来している。「目を閉じる」とは、フロイトがその前夜、実際に亡父の目を閉じた経験をふまえている。意味深長なのは、この文面が「見る」ことを禁じているともとれることだ。いったい何を?

Hearsing の夢;Autodidasker の夢:『夢解釈』第6章(2)


◎ Hearsing の夢(1898年秋)
 Heasing は、Hearsay (風説→中傷) と [Mödl-]ing (= Medelitz ≒ meae deliciae = meine Freude) の圧縮。響きの似た Vlissingen (兄の寄港地) を介して Fliess に結びつく。Vlisseingen の英語名 Flushing は、赤面神経症についての不愉快な論文を想起させる。

 夢の日付は特定しづらいが、フリースおよびイギリスにいる家族への言及から、「Non vixit の夢」に後続する夢と推定される。アンジューは、「風説」「つまらぬ中傷屋」「赤面」がフリースに対するフロイトの立場を示すとしている。meine Freude には娼婦(歓びの娘)および同性愛(「私のフロイトちゃん」)への暗示が読み取れる。


◎Autodidasker の夢(1898年秋)
 造語が思い浮かぶ前半部と日中の空想(「N教授に喜んでもらおう」)の再現である後半部からなる。

 Autor (女性関係で才能を枯渇させた主人公→子供の将来に対するマルタの懸念→ N教授の忠告) + Autodidakt + Lasker (梅毒=器質的原因「女を探せ」) ←→ Lassalle (決闘=神経症); Alex[andre](独身)

 (患者の病因および息子の将来についての)自分[の懸念]が間違っていてほしいという願望が夢で成就されている。N教授は神経症との正しい診断によってフロイトに劣等感を植え付け、息子の将来についての警告についてフロイトを不快にしていた。「これら二つの印象は、連続する一連なりの経験によって一つに結びついた」。

 弟アレクサンドルの友人である作家ヤコプ[父の名]=ユリウス[長兄の名]・ダーフィトは、たびたびフロイト家を訪れており、フロイトに神経症の治療を受けていた可能性がある。N教授は Nothnagel と推測されるが、夢の中でかつて助言を受けたブロイアーと重ねられている。「独学者」について、フロイトは何もコメントしていない。父ヤコプは独学者であった。また、幼児は自体愛に関して「独学者」である。フライブルクを去ったフロイトは乳母との別離の埋め合わせに母に手ほどきされた読み書きに没頭した。性感帯を刺激する遊びを(Autodidaskerのような)言葉遊びで置き換えた。エヴァ・ローゼンバウムによれば、夢の記述に使われている語彙そのものが「別離」と「修復」というテーマをめぐっている。かつて乳母に導かれながら自らの性的身体を発見したのと同じように自己分析によって自己を知りつつあるフロイトはやはり「独学者」である。女性関係で身を滅ぼしたラスカーとラサールはいずれもブレスラウ生まれのユダヤ人であり、フロイトのアイドルであった。心理学の領域における最初の偉大なユダヤ人たろうとするフロイト(ただし「独学者」として)を導くのは、彼ら敗北者への同一化(またしても)である。

 アンジューによれば、フロイトが夢の加工のメカニズムを知るに至ったのは『制作』の主人公の名前(Sandoz)の分析においてであるという。


○ erzefilisch の夢
 1914年以前の版にはない。マルツィノフスキの書(1911年刊行)からの引用。



 「(b)ずらしの仕事」に続き、「(c)夢の描出手段」の項が来る。


○台所の二人の家政婦を叱る夢
 序の夢と主要夢の因果関係の事例として挙げられる女性患者の夢。序の夢で表出される出自への劣等感が、主要夢においては変形を被り、願望充足(「上流の出」)に作り替えられている。この夢はまた後出の「『「両目(片目)をつぶってください』の夢」に関連して、同じ事柄に関わる逆の要素(純潔と性的な罪)が夢の同一要素(花)によって描出される例として、さらに「(d)描出可能性への配慮」の項で花が性的な意味あいを担わされる例として言及される。

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