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norekdal の夢、他:『夢解釈』第6章(1)


第6章 夢の仕事

 (a)圧縮の仕事

 まず「植物学研究書の夢」が取り上げ直されたあと、患者の夢の二例がつづく。

○「素敵な夢」
 「あまりに下層に属する人たちとの性的関係にまつわる危険性」をテーマとする男性患者の夢。林檎[=乳房]のイメージを通して捨てた愛人と乳母が圧縮されている。男が女(愛人)を抱えて階段を上るという『サッポー』の状況と、女(乳母)が男(患者)を抱えるという状況が逆転によって同一視される。上下は性行為を表すが、夢の中では上下の逆転がいくつか起きている。


○コフキコガネの夢
 「性と残酷さの関係」をテーマとした女性患者の夢。コガネムシは娘のかつての残酷さに結びついている。その後やさしくなった娘は、『アダム・ビード』における外見と心根の不一致というテーマを引き寄せるが、そこには患者の好色な欲望(夫の回春)が見抜かれないということが関係している。かつて娘は蝶を殺すのにヒ素が欲しいと言った。モーパッサンの『ナバブ』(「害毒」となる書物)においては、催淫剤としてヒ素の丸薬が登場する。そしてコガネムシもまた催淫剤の材料になる。コフキコガネ(Maikäfer)は「5月のコガネ」という名をもつが、患者が生まれたのも不幸な結婚をしたのも5月であった。夫に対する「首を吊れ」という想念は[首吊りにともなう]勃起への願望。夫の留守中、彼女は夫に何か起きる[zustoßen 乱暴に閉める]のではないかと心配している。窓の開け閉めはくだんの夫との諍いの種であった。『魔笛』『タンホイザー』『ハイルブロンのケートヒェン』『ペンテシレイア』(クライスト)への言及あり。


◎norekdal の夢(1898年秋)
 語や名前が圧縮の対象になりやすいことの例。同僚の論文が「近年の生理学的発見」を過大評価していることと大袈裟さな表現を夢で揶揄して(kolossal ないし pyramidal といった意味あいで)「norekdalな文体」と表現するが、これはノラとエクダールの圧縮。同じ同僚がイプセン論も書いていた。

 アンジューはくだんの「生理学的発見」がフリースの周期理論のことであると推測している。さらに kolossal はロードス島の巨像を想起させるが、この巨像とはフリースのことであり、pyramidal はユダヤ人の抑圧者であるエジプト人の建造物を想起させる。ところで、この造語をフロイトは「[伝説上の]怪物」(Ungetüm)に譬えている。邦訳ではこの「演劇的」(アンジュー)なニュアンスはほぼ完全に消されている。Endlich zerfiel mir das Ungetüm in die beiden Namen Nora und Ekdal…を、高橋訳は「この難物は……二つの名称に分解された」とし、金関訳もこれを踏襲、新宮訳は zerfallen の「崩れ落ちる」という意味あいに引っかけたつもりであろうか、「私は[ママ]、この言葉の耳慣れなさが腑に落ちた……」としている。ちなみにフランス語版全集では le monstre。アンジューによると、一組の男女(ノラ+エクダール)が“合体”してできたこの「怪物」は、原光景を描写する際の定番的表現である「双頭で八本足の怪物」を思わせる。エヴァ・ローゼンブラムは norekdal (= no-rectal) に同性愛的な含意を読みとっている。アンジューはこれを踏まえてフリースに対する「受動的」な関係からの脱却への意志を読み取ろうとしている。イプセンはフロイトにとって重要な作家であった。第5章には次の一節が読める。「イプセンのように、太古からの父親と息子の間の闘争を書き物の前面に押し出す作家は誰でも、読者に訴えかける力を保証されたも同然である」(G.W.263)。アンジューによれば、この夢にはフロイト自身がイプセン(ipse =私自身)として登場している。


○Maistollmütz の夢
 女性患者の造語。日中の会話の断片を圧縮。


○ tutelrien の夢
 Tutel (後見=乳房) + rein (Zimmertelegraph と結合して Zimmerrein)。前夜の出来事によって、床を濡らした幼年時の記憶が呼び起こされている。この分析に付けられた注において、フロイトは「本書を最初に読み、批評してくれた人」、つまりフリースからの「夢見る人はあまりにも機知に富みすぎているように思える」とのコメントに反論している。同じ反論が書簡[213]にもある。

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友人オットーが具合悪そうに見える夢、他:『夢解釈』第5章(7)

(d)類型夢

 「(α) 裸で困る夢」の項では、「階段で動けなくなる夢」への言及がある。「(β)大切な人が死ぬ夢」においては、エディプス・コンプレックスの理論が開陳される。

◎著名演説家レヒャー博士の夢(1989年2月)
 「夢はすべて完全に利己的である」というテーゼの事例。奇妙にもドイツ民族主義者に同一化しているのは、一日10~11時間診療をしているフロイト自身が「演説家」であるため。


◎「私の息子、あの近眼が」の夢(1898年1月初旬)
 フロイト自身の自我は登場しないが、実は利己的な夢の例。「Geseres と Ungeseres の夢」の前置きとなる夢であり、第6章の「不条理な夢」の項において分析の対象になる。


◎友人オットーが具合悪そうに見える夢(1898年2月)
 「オットー」はフロイトの子供たちの主治医オスカール・リー。6年前にハイキング先でフロイトらを乗せた馬車が崖から落ちたとき、バセドー病の貴族が助力を申し出たが、寝間着を所望したR教授の頼みを断った。いざというとき、子供たちを世話してくれないだろうというフロイトの利己主義が夢の思考であり、オットーを心配している夢ではない。夢でオットーにバセドー病の徴候があるのは、万一の時、あの貴族と同じように子供たちを世話してくれないだろうとオットーを責めていると解釈できるが、そもそもフロイトにはオットーに復讐しなければならないいわれはない。オットーを貴族に同一視することで、フロイトはR教授に同一化している。R教授は年配になってから教授職を得た。つまり、教授職に就任したいというフロイトの願望が表現されている。「年配になってから」には長生きへの願望も読みとれる。バセドーは博愛主義の代名詞だが、病気の友人を心配している夢ではない。オットーへの非難は「イルマの注射の夢」にも見つかる。アンジューによれば、オットーへの非難の背後にはフリースへの非難がある。

 この夢は第7章の「(c)願望充足について」の項でも言及されている。夢のきっかけは、フロイトが日中オットーの顔色の悪さを心配していたことである。R教授との同一化は、「不死なる小児欲望の一つ、すなわち偉大なものを求める欲望」の成就である。
 
 

階段で動けなくなる夢、他:『夢解釈』第5章(6)

(c)身体面の夢の源泉

◎「灰色の馬に乗る夢」(1898年10月末)
 股間のねぶとが原因で見られた夢。ねぶとについてはフリース宛書簡にも言及がある(11月6日付書簡[182])。「三人のパルカイの夢」に後続し、同じくねぶとに関係のある「Non vixit の夢」の数日前と推定される。
 フロイトはこの頃、ねぶとの痛みにも関わらず、多数の患者を抱えていた(「むずかしい仕事」)。乗馬をしないフロイトが夢の中で乗馬をしているのは、ねぶとがあっては絶対にできない行為だからである。夢の中で乗馬をすることで、「ねぶとがあってほしくない」という願望を成就しているのだ。
 登場人物は「私」と同僚の「P」。Pの着ていた乗馬服の色が胡椒を連想させることからねぶと(香辛料が原因と思われる)と結びつく。また、Pはフロイトから引き継いだ女性患者を「曲芸師」のように治癒したことがあり、フロイトを見下していた(sich auf das hohe Ross setzen 「高々と馬にまたがる」)。フロイトを引き回す馬とは女性患者のことである。馬でホテルに乗りつけるときの羞恥心やポーターのあざけるような態度はこの負い目を表すものだろう。ホテルのある通りはイタリア旅行で見たヴェローナとシエナの合成である。女性患者の「イタリアへ(Gen Italien)[行ってみたい]」と「性器(Genitalien)」。また、乗馬という状況は幼年期のヨーンとの喧嘩の場面を想起させる。

 これに先立つ 「トゥーン伯爵の夢」の分析においては、夢を見させたのは尿意ではなく、逆に夢が尿意を催させたのだとされていた。この立場は一貫している。このあと、「三人のパルカイの夢」がふたたび想起させられる。「三人のパルカイについての私の夢は明らかに空腹の夢だ。しかし、夢には、食物への欲求を、母の乳房を求める子供の憧憬にまで引き戻す力がある。そして、そうした無害な欲求を覆いとして利用して、そんなふうにあらわに表に出せないもっと深刻な欲求をそこに隠すことができるのである」。さらに、「ある意味で夢はすべて――不精者の夢である。夢は目覚めさせず、睡眠を持続させようという意図に奉仕する。夢は眠りの番人であり、その妨害者ではない」。


◎階段で動けなくなる夢(1897年5月)
 露出夢のヴァリエーション。階段を飛んで行くこと(→心臓障害)と啖を吐くこと(カタル)という二つの行為は、喫煙という原因によって結びつく。舞台となる階段は患者宅と自宅との圧縮であるが、これは患者宅で啖を吐いて嫌がれることと自宅で喫煙して妻に嫌がられることとが結びついたため。

 ところでフロイトの喫煙を戒めていたのは誰よりもフリースである。フロイトが自己分析によって自らを「裸」にしたいと願ったのはフリースに対してである(アンジュー)。

 少し先のくだり(G.W.253)では、この夢が同時に見られた一連の夢の中の一部であることが明かされるが、その夢は乳母をめぐる幼児期の記憶に結びついている。女中は、幼いフロイトが清潔の躾に背くと容赦ない言葉で叱りつけていたこの乳母の「生まれ変わり」であろう。さらに脚注では、「唾を吐く」(spucken)と「幽霊が出る」(spuken)との音の類似から、「階段の幽霊[ esprit =機知]」へと連想が広げられる。「階段の機知[esprit d’escalier]」とは「後知恵」のことであるが、フロイトはこれを「打っても響かない人[Mangel an Schlagfertigkeit]」と説明し、フロイト自身および乳母がこのタイプの人間であったのだろうかと自問している。ここには性的な含意が読み取れるかもしれない。 Schlag には言うまでもなく「殴打」の意味があり、乳母による折檻を暗示している。

 「自己分析は幽霊や亡霊、つまり幼児に欲望や不安や羞恥を刻み付けた個人的な過去に属するぼんやりとしか覚えていない登場人物たちを呼び出した」(アンジュー)。

 突然の出現によって若者を(恐怖と欲望で)凍りつかせるこのような幽霊を、アンジューはギリシャ神話のスフィンクスになぞらえている。後に(1922年)フロイト自身がメデューサの首をめぐって同じような解釈に訴えるであろう。「固まる」夢は勃起という状況に対応している。グリンシュタインは、この硬直を原光景を前にしての幼児のリアクションと解釈している。

 1897年5月31日付フリース宛書簡[129]にも同じ夢が報告されているが、そこでは女中が背後から上って来るという違いがあり、喚起されたのが性的興奮であることがよりはっきりと述べられている。さらに7月7日付書簡[132]にも露出夢への言及があり、アンデルセンの「裸の王様」の解釈をめぐりコメントしている。同じ作品への言及は『夢解釈』本編にもあり、さらに裸のオデュッセウスをめぐるゴットフリート・ケラーの引用がある。

 なお、書簡129においてこの夢は、もう一つの夢とセットにして報告されている。「ヘラの夢」がそれであり、これは『夢解釈』では言及されていない。

 ギリシャ神話に夢中な長女のマティルデが夢の中でヘラという名前であり(これはアメリカの姪の名でもある)、フロイトはこの娘に近親相姦的な(「過度の」)愛情を注いでいる。この夢は「神経症の張本人としての pater を現行犯で捉える願望」、つまり誘惑理論(ひいてはエディプス・コンプレックス)の確証を得たいという願望の充足を表している。「ヘラ」という記載が太字で反復されることは学問的な成果への願望を暗示している。アンジューは、「父」を普遍化することで、フロイト個人の近親相姦的欲望が婉曲化されていると指摘している(他人のせいにすることは「Non vixit の夢」参照)。

「精神分析では、時間的に近接して現れたものの間には、内容的に連関があるのだと解釈することを学ぶ。一見繋がりはないが、しかし直接にきびすを接して現れた二つの思考は、推測可能な何らかの単一性に属しているのである」(G.W. 253)。それゆえ、この二つの夢がまとめて報告されていることにも意味がありそうだ。「父親像の両義性のあとに母親像の両義性、実の娘への性的な夢のあとに乳母の夢……」(アンジュー)。

トゥーン伯爵の夢:『夢解釈』第5章(5)

◎トゥーン伯爵の夢(1898年8月初旬)
 この夢はミュンヘンないしアウスゼー近郊でのフリースとの「会議」(7月)とアウスゼーへの家族旅行(8月)に挟まれた時期に位置する。

〔前提〕トゥーン伯爵をウィーン西駅のホームで見かけた。伯爵は検札係に対して高慢にふるった。伯爵と同じ待遇を要求しようと目論んでいるとき、フロイトは『フィガロの結婚』のアリアを口ずさんでおり、革命的な想念が心中を去来していた。トゥーンは Nichtstun 伯爵とあだ名されていたが、これから休暇をとり、旅行する計画をねっている自分こそまさに Nichtstun である。そのとき、医師資格国家試験の政府代表をしている人が公務員の権利を行使して半額で客室を調達させた。一方、フロイトは全額を払っているが、便所に行けない客室しかあてがわれず、乗務員に嫌みを言う。夜間、尿意を催したフロイトは、以下の夢を見る。

〔夢の記述〕学生集会でトゥーン伯爵(もしくはターフェ)が演説をしている。ドイツ人について話すよう言われ、「ドイツ人の好きな花はフキタンポポだ」と嘲るような態度で言う。くしゃくしゃに丸められた葉脈をボタン穴に挿す。「私は激昂する[ici fahre auf]。私はすなわち激昂する」。その心境を不思議に思う。不明瞭になる。

 大講堂(Aula)にいるが、逃げ出さなければならない。両側には美しい調度品のある部屋。官庁の部屋だ。家具は茶色と紫色の中間。廊下に出ると、管理人の女性が座っている。太った中年女(Frauenzimmer)。彼女と話をせずに済ませよう。彼女はフロイトがそこを通る資格があると思っており、「ランプを持ってご一緒しましょうか」と尋ねるが、フロイトはそれを制して監視を逃れた自分が抜け目がないと思う。下まで行くと、急な上り坂の狭い道。ふたたび不明瞭になる。

 今度は(建物からではなく)街から出よという課題。馬車に乗り、駅へ向かわせる。くたくただと御者が文句を言うので、鉄道路線そのものには同行させないと慰めるが、すでにその距離を踏破してしまっているようだ。駅はごった返しており、クレムスかツナイムのどちらに行くか迷うが、宮廷のあるグラーツに行くことにする。すでに車両の中にいる。ボタン穴には縒り合わせた長いものが挿してある。それには固い材料でできた紫がかった茶色の菫がついている。それは人目を引く。場面が途切れる。

 ふたたび駅の前。年配の男が一緒。誰にも見破られないようにする計画。その計画はすでに実現している(思考と体験は一致する)。男は盲目か隻眼のふりをしている。私は男に男性用溲瓶(街で買った/買わなければならない)をあてがう。男の姿勢と放尿する男根がありのままに見える。

〔フロイト自身による分析〕夢の舞台が1848年の革命時らしいのは、ちょうど50周年が祝われていたから。「学生集会」は、学生の指導者フィッシュホーフ(魚?)の隠遁地を訪ねた経験から。「50年前」が口癖のイギリスの兄。それを「15年前」と訂正する子どもたち。伯爵の「高慢さ」は、フロイトが「15歳」の頃の場面の再現。ギムナジウムの教師に対する陰謀に加担した際、その指導者がヘンリー八世(イギリス)をもって任じていた。一味のなかにキリンというあだ名の細長い体つきの貴族がおり、教師に呼び出されたとき、トゥーン伯爵と同じ態度で立っていた。「ボタンの穴に挿す」は、シェイクスピアの『ヘンリー六世』で赤薔薇と白薔薇の内戦がはじまる場面から。そこから二つの詩句を経由して赤[社会民主主義]と白[反ユダヤ主義]のカーネーションが出てくる。詩句はドイツ語とスペイン語(←フィガロ)であり、いずれも萎れる花を唄う。ザクセン地方(←アングロサクソン)を列車旅行中に受けた反ユダヤ的な「挑発」。
 ドイツ系の学生協会でアードラー(鷲)にこきおろされた記憶。「豚の世話をしていたが、父の家に戻った」というアードラーの言葉にフロイトは「激昂」し、「豚の世話をしていたのならそんな口調も『不思議ではない』」と荒くれた(saugrobe Sau)言い方で答える。自分のドイツ民族主義を「不思議に思う」。アードラーは「決闘[=挑発]」を促す声を制止、騒ぎを抑えた。
 Huflattich(フキタンポポ)→lattice(レタス)→Salat(サラダ)→Salathund(サラダ犬)
 「キリン(Gir-affe[猿])」「豚」「荒くれた(saugrobe Sau)」「犬」は罵り言葉。
 フキタンポポは pisse-en-lit[夜尿](←『ジェルミナール』)。『ジェルミナール』→「サラダ用タンポポ」。「犬」(chien) →「糞を放る」(chier)→「ガス状排泄物」(『ジェルミナール』)→ Flatus[放屁=風]+イギリス+スペイン→ Flavit et dissipati sunt [無敵艦隊+『ヒステリー研究』]

 第二の場面(「検閲」ゆえ分析不能とされる)においては、革命時代のある貴人に同一化。この貴人が「鷲」と獣姦し?、大便失禁を病んでいることを聞いたのは「宮廷[Aula =講堂]顧問官」から。「部屋」(大臣の貴賓客車を一瞥した記憶から)=「女」(Frauenzimmer)。「女管理人」はフロイトが恩義に背いた女性。「ランプ」はグリルヴァルツァーから。

 第三、第四の場面(やはり「内的な検閲」の存在)。幼年期の「誇大妄想」(ラブレー?)に由来する「自画自賛」(「抜け目のない自分」、「グラーツ」……)という一貫したテーマ。この旅行のために買った「新しいトランク」(「茶色がかった紫」)。幼児の考えでは「新しいもの」は「人目を引く」。
 夜尿をしていた二歳の頃、「N[街]で新しい奇麗な赤いベッドを買ってあげる」と父親を慰めた出来事(「街で買った、あるいは買わなければならない」溲瓶)。トランク[=箱](女性)と溲瓶(男性)の組み合わせ。
 七歳~八歳の頃、両親の前で排便し、父親に「ろくなものにならんぞ」と言われたことで傷ついた功名心。これに類した場面がフロイトの夢のなかにくり返し現れ、その都度フロイトは自分の業績や成功を数え上げている。結末部では、父親との「役割交代」によって父親に復讐している。男は父親で、男の隻眼は緑内障を示す。緑内障の手術はコカインによって成功したのでフロイトの手柄であり、よって父親の言葉は否定される。
 「溲瓶=眼鏡(Glas)」。ゾラ『大地』(父親が寝床を濡らす)、パニッツァー(思考は現実化する)。「計画」=「父親への反逆」。「溲瓶」は、ヒステリー者が「ガラクタ」(もっとも無害でありきたりな経験)から空想を創作するという発見(誘惑理論の放棄)への「自画自賛」。

 尿意は夢の原因ではなく、逆に夢の結果である。

 馬車のくだりは第6章において、不条理な夢の例としてふたたび言及される。御者が道を知らずに進むことを揶揄った日中の記憶に、「貴族=御者」(国家を御する)および「弟=御者」(「お兄さん」)のアナロジー、さらに「女管理人」の家での「Vorfahren」と「Nachkommen」の多義性を利用したなぞなぞ遊びの記憶が重ねられている。「くたくた」「君とは行けない」「走ってしまった」は弟との会話が基になっている。「もう走ってしまった(vorfer gefahren)」は、トゥーン伯爵が「乗り付けた vorgefahren[Vorgefar 先祖]」から。貴族の功績は手間暇かけて生まれた(Nachkommen[子孫])だけだというフィガロの台詞への共感:「先祖を誇りにするなんて馬鹿げている。自らが[先]祖になったほうがよい」という想念が背後にあり、夢に馬鹿げたことが含まれているのは、この「馬鹿げている」という考えの表れである。


〔以下、コメント〕「君とは行けない」はフロイトが一度に多くの場所をまわりたがるので「くたくたになる」というアレクサンドルの文句ゆえに彼とイタリア旅行に行けないと断った会話が基になっているが、アンジューによると、アレクサンドルの同行を断ったもうひとつの隠された理由は、ミンナ・ベルナイスとの水入らずで旅する計画を立てていたためである(→「ホルトゥルンの夢」)。アンジューは、フリースの関与していないこの夢においては、フリースに対する転移がアレクサンドル(陰性)およびミンナ(陽性)によって担われているという説を立てている。

 「イルマの注射の夢」に次いで長い夢であり、もっとも文学的な引用が多い夢である(つまり西欧的な教養による武装をこの夢は必要としていたのである)。革命50周年の日は、フロイトが教授職に昇進するはずの日でもあった(このときに「素敵な夢」を分析し、「教授、母、乳母」の夢を見ている)。

 ごった返した「大講堂」は「イルマの注射の夢」を想起させる舞台装置だ。そこから「逃げ出さなければならない」という閉所恐怖症的なオブセッションは尿意の命ずるところであろうが(「廊下」は言うまでもなくトイレへ通じる客室の廊下である)、フロイトの鉄道恐怖症の表現を読み取ることもできるかもしれない。「固い材料」でできた「茶色がかった紫」の「葉脈」ないし「縒り合わせた細長いもの」が男性器を暗示していることは見やすい理だ。ちなみに、ユダヤの戒律は父親の性器を見ることを禁じているらしい。「急な上り坂の狭い道」について、フロイトは何もコメントしていないが、フライブルクの家にそれを思わせる階段があったらしい。上りつめたところに乳母とフロイトの部屋があったようだ。 Frauenzimmer は蔑称であり、乳母を暗示している可能性もある。また、急勾配は論文「遮蔽想起について」の山地をも想起させる。アンジューは、フキタンポポが「植物学研究書の夢」におけるシクラメンと「遮蔽想起について」のタンポポの媒介の役割を果たしていると指摘している。アンジューはまた、「美しい調度品のある部屋」が娼館を暗示していると述べている。7~8歳児の記憶は状況の不自然さから、夜尿を叱責されているという説、あるいは両親の閨房を覗き見て床に放尿したという説があるようだ(アンジューも後者の信憑性の高さを認めている)。なお、1914年のテクストでフロイトは夜尿症と野心の関連について述べている。
 この夢は先行する「ホルトゥルンの夢」「屋外便所の夢」とスカトロジックなモチーフを共有しており、じっさい、座位、[菫の]香り……といった肛門期を連想させるモチーフが多く見られる。

三人のパルカイの夢:『夢解釈』第5章(4)



◎三人のパルカイの夢(1898年9月~10月)
「夢の源泉としての幼児的なもの」の事例として、そのつぎに紹介されるフロイト自身の夢(途中に他人の夢の数例が挟まる)。

 1898年9月、フロイトは妻マルタとダルマチアを訪れ、その後妻をラグーサに残してカッタロに赴く。シニョレッリの名についての度忘れは、その途中で起こる。ラグーサに戻り妻と合流、スパラットさらにトリエステへと足を延ばしたあと、妻の健康状態を考慮し、ふたたび一人でブレシア、ミラノ、パヴィエ、モンツァ、ベルガモをめぐり、ミラノからウィーン行きの汽車で帰国している。

 空腹のまま就寝したフロイトを苛む(plagen)「生の欲求」が、ギリシャ神話における生を授け、滋養をあたえる母親像を想起させ(乳房は性欲のモチーフをも準備する)、幼児期に彼自身の母親が掌の「表皮」を見せ、死について説教した六歳の頃の記憶を呼び起こす。このときの母親のこねるような身振りが「団子」を呼び寄せるが、それはクネードル(団子)に授かった「表皮」についての(組織学上の)知識へと繋がっていく。ついでにクネードルが被った剽窃 Plagiat 被害が、「三人の女」(十三歳の頃に初めて読んだ小説の登場人物。そのうちの一人がPélagie)と「外套」[=避妊具 Plagiostomen]を結びつける Wortbrücke の役割を果たすと同時に、Brücke の研究室での至福の日々(「知恵の乳房[=精神的な滋養]」だけで足りていた日々)を想起させる。「名前=皮膚」(Fleischel、Goethe、Freud)をめぐる揶揄による自身の[幼年時の]不愉快な思い出からの連想上に Popovic [Popo = 尻]が召喚され、さらにカッタロで買い損ねた掘り出し物の記憶(慎重さへの後悔)が、食欲、性欲を含めた夢における carpe diem(「人生は短く、死は不可避」)の鉄則、および「対抗想念」として自制と性的懲罰についての記憶を呼び起こす。さらに、「台所」は「ラテンの台所」[薬局]経由でコカイン[空腹を緩和]を呼び出し、フライシェルの死へと繋がる。

 フロイトはこの夢を最後まで分析することを拒んでいる。なお、同じ章の「(c)身体面の夢の源泉」の項に、短い要約的記述が見出せる(G.W. 238)。

 死と性の結合はシニョレリの度忘れと共通するテーマ。死というテーマは三人の女神の一人が体現するものでもある。性のテーマは、小説の主人公の狂気によっても暗示されている。団子をこねる仕草は性(自慰)と死を結びつける。衣服の夢は、偽装された裸体の夢であり、露出症的な欲望を表す。「トルコ風の模様」が性のモチーフと結びつくことについては、シニョレッリの度忘れを参照。「外套」の「襟飾り」への「驚き」について、フロイト自身は何もコメントしていないが、グリンシュタインによれば、恥毛に覆われた女性器への暗示を読み取れ、ついでに「長い縞」は男性器である。彼から「外套」を取り上げようとする「見知らぬ男」は父親である(アンジュー)。二人の男が親しくなる結末は、この夢がエディプス・コンプレックスの解決というプロットをもつことを暗示していると解することもできる。

 夢の源泉の一つである幼年時に読んだ小説(『ヒュパティア』?)において、ペラジアという女性は主人公が近親相姦的と言えるかもしれない愛情を注ぐ妹であるらしい。

 この夢の分析にフリースへの言及はないが、アンジューは「剽窃」というモチーフのうちに両性性の概念をめぐる二人の確執を読み取ろうとしている。両性性は『夢解釈』の残された最大の課題と見なされている。「性的な夢を説明しようとすれば、まだ明らかにされていない倒錯と両性性の問題に深く関わっていかざるを得ない」(G.W. 612)。フリース宛書簡[208]をも参照。さらにアンジューは、ヘルダーによるゲーテへのあてこすりをめぐる記述から、二人の友情がフロイトとフリースのそれと重なるとほのめかす。

 乳房が空腹と性欲を満たすという観点には欲動概念の先駆が見てとれる(アンジュー)。また、フロイトの名をめぐる冗談(「娼婦」)のくだりによって、この夢は一連の娼婦をめぐる夢(「トゥーン男爵」「Non vixit」)の先駆となるだろう。アンジューは「性的罰」という結論部に娼館通いをする息子に対する父親による罰を読み取ろうとしている(梅毒=死)。

ローマの夢:『夢解釈』第5章(3)

『夢解釈』第5章(その3)

 「ローマの夢」(1898年1月)は、以下の一連の4つの夢からなる。いずれもローマに行きたいという願望の表れと解される。フロイトは1876年、奨学生の身分でトリエステに滞在して以来、何度かイタリアを訪れていたが、それまでローマに行ったことはなかった。

◎車窓からテヴェレ川を見る夢
 前日に見た有名な銅版画が再現されている。フロイトによる分析はこれだけであるが、「テヴェレ川とサンタンジェロ橋」は、バチカンに近い。バチカンはユダヤ人迫害の中心地であると同時に、「父」(=教皇)を戴く場所でもある。フロイトの鉄道恐怖症にひっかけた解釈はいくらでも可能であろう。

◎丘の上からローマを見る夢
 霧に包まれたリューベックおよび丘の上からのグライヒェンベルクの風景の記憶が素材になっている。霧の中の街が、遠くにあるはずなのにはっきり見えることがいぶかしい。「約束の地を彼方から眺める」というモチーフが見てとられているが、この「内容に富んだ」夢に深入りすることをフロイトは拒否している。
 アンジューは、一連のローマの夢において、視覚と書字の結合という共通した構成を見てとり、遠くの風景の不思議な明晰さがこれに関係しているとほのめかす。また、この夢を女性の裸体を見ることに関連づける説もある(blank screen)。

◎暗い水の流れる川と白い花の咲く野辺を見る夢
 ラヴェンナ(かつてイタリアの首都だった)の白い睡蓮の記憶と、カールスバートのテプル川沿いの谷の黒い岩の記憶が基になっている。「カールスバート」は、糖尿病患者の療養地であることとによって、ツッカー(=砂糖)氏を召喚する。ついでに「私の『体質』がもってくれたら――カールスバートまで」という小咄も引き合いに出される。道を尋ねることに関しては、「すべての道はローマに通ず」から来ている。それに関連してさらに、もうひとつのあこがれの都市であったパリをめぐって「フランス語のさっぱりできないユダヤ人」の小咄について触れられている。
 夢の誘発因は、フリースからのプラハでの「会議」の提案である。「会議」で砂糖と糖尿に関する話題が出る可能性があった。

 第一の夢においては、ユダヤ人にとって忌まわしいローマが、第二の夢においては憧れのローマがそれぞれ外部から眺められていたが、第三、第四の夢において、フロイトはすでにローマに到達している! 
 夢の前半は事物表象が、後半は語表象が問題になっている。川岸の描写はダンテ(ラヴェンナで没)を想起させる。この夢はフリースがイタリア(ナポリ、ポンペイ)での「会議」を断った(代わりにプラハを提案した)ことへの失望を反映しているが、ダンテの『神曲』とともにナポリ(「ナポリを見て死ね」)およびポンペイは、死というモチーフを想起させる。さらにツッカー氏(Richelieu 同様、固有名詞=一般名詞)は、死に至る病とされていた糖尿へと通じることで、やはり死のモチーフを呼び起こす。
 この夢の視覚像を、発見されつつあった発達段階論に結びつけ、風景を構成する要素がひとつひとつ特定の身体部位に対応しているとする穿った解釈もあるようだ。

◎ローマの街角にドイツ語のポスターが張り出されている夢
 上の夢の直後に見られた夢。1897年12月3日付のフリース宛書簡[149]にもこの夢についての記述がある。
 前日にフリースに書いた手紙(?)の中で、プラハでの民族主義運動の高まりへの危惧を表明していた。夢は、フリースにプラハではなくローマで会いたいという願望と、「ドイツ語に対してもっと寛容になってほしい」という「学生時代に由来する願い」をともども表している。フロイトがチェコ生まれであり、幼年期にチェコ語を理解したことから、夢には「幼い頃の印象との多岐にわたる関係が見出される」ことがほのめかされる。次に、ローマをあきらめてナポリへ旅行する計画を練っていたときに、ハンニバルの名前が連想されたことが想起される。さらにハンニバルと自分の境遇を重ねつつ、ハンニバルを英雄視していたギムナジウム時代の記憶へと遡る。そして、ギムナジウム上級生の頃、同級生たちの反ユダヤ主義に直面して民族意識が芽生え、同じセム系のハンニバルがますます輝かしく見えてきた記憶がたぐり寄せられる。こうして、少年時代のハンニバルへの感情(ハンニバルとローマは、それぞれユダヤ人の「粘り強さ」とカトリック教会の「組織力」とを象徴していた)が事後的に固定化され、ローマに行きたいという願望が、フロイトの他のすべての願望の「隠れ蓑」でもあれば「象徴」でもあるものへと格上げされた(「忍耐と専心」によって努力すべき目標としての願望充足)。ここで、10歳~12歳の頃に経験した有名なエピソードが紹介される。散歩中、キリスト教徒に帽子を払い落とされた父ヤコプが黙って泥の中の帽子を拾いあげたというそれである。父親のこの卑屈な態度を目の当たりにすることで、息子にローマへの復讐を誓わせたハンニバルの父親はますます輝かしいオーラで包まれることになった(ハンニバルの父親の名の取り違えについては1899年11月12日付のフリース宛書簡[225])。フロイトはさらに記憶を遡らせ、ハンニバルへの感情が、もっと以前のマッセナ(ひいてはナポレオン)への憧れに由来することが語られ、そうした「戦士理想」がもとはといえば、生後3か月の頃の甥ヨーンへの感情に発するものであることがほのめかされる。

 第二の夢と同様、ここでもフロイトの「驚き」が強調されている。アンジューはこの夢に、完璧なドイツ語を身につけ、成功したユダヤ人知識人の鑑であるフロイトが抑圧してきた他言語(チェコ語、両親の母国語であるイディッシュ語)の痕跡の回帰を見てとっている。ラテン語という古い言語がドイツ語という新しい言語に置き換えられていることは、フロイトが幼年期に話していたチェコ語を現在の母国語であるドイツ語に置き換えてきたという来歴と並行的である。ポスターは「イルマの注射の夢」の化学式を想起させ、学問の習得(=社会的成功)を表す。学問の習得はまた「法則」の発見でもあるが、「法」が記されたボードの典型はモーセの石版である。というわけで、第二の夢で「約束の地」を眺める者として召喚されていたモーセに、ここでふたたびフロイトは同一化している。ドイツ語に象徴される社会的成功は、敗者(辱められた父親、ハンニバル、ヴィンケルマン、メッセナ)への同一化(これは天才の幼年期に共通の特徴であるという)を抑圧している。

 一連の夢には、エディプス・コンプレックスの発見(1897年10月15日)の痕跡が見てとれる。第三の夢において、フリースはローマを見たいというフロイトの欲望を押さえつけると同時にフロイトに「道」を教える「父」の役割を担う(アンジューによれば、「砂糖」氏とはイルマの夢のトリメチラミン氏と同様、フリースにほかならない)。

『夢解釈』第5章(その2)

 第5章(続き)


◎若い友人がサロンで弔辞を述べる夢(?)
 夢を喚起するにたる複数の体験が「統一体」を形成することの例。フロイトは「よい関係になかった」老婦人を夢の中で殺している。


 以下、「置き換え」によって夢の内容が「無害」なものになっている5例。


○市場の八百屋でも肉屋でも買い物ができない夢
 「もっとも古い幼年期の体験は、それ自体としてはもはや手に入りません」(数日前のフロイトの言葉)。「そんなのだめ(Das kenne ich nicht.)。行儀よくしなさい(Benehmen Sie sich anständig.)」(前日、患者が料理女に言った言葉)。この二つの聴覚的記憶が夢の素材。後者においては、kennen と benehmen の音の類似によって、無害な「そんなのだめ」の方への情動の「ずらし」が生じ、「行儀よくしなさい」が抑圧される。「行儀よくしなさい」は、「アスパラガス」と「黒大根[Schwarzer, rett’Dich 黒ん坊、引っ込め]」を陳列した店を「閉め忘れる」という「図々しい振舞をする不作法者」に向けられた言葉。
 この夢の背後には、「私[フロイト]の側からの不作法で性的な挑発行為とこの婦人の側の防衛に関する空想」が潜んでいる。


○ピアノ調律は無駄だという夢
 安物[Kästen]の調律は「無駄」。上着を脱いでも「無駄」。胸郭[Brustkasten]を見ても「無駄」。ピアノが「気持ちの悪い」安物で、「変な」音がするのは、体型(「小さい方の半球」および「大きい方の半球」)への不満が芽生えた身体的成長期の記憶に帰しうることをフロイトはほのめかす。
 「逆の事柄による置き換え」という意味で、「買い物ができない夢」と対をなすと言われているが?


○冬用の上着を着るのが恐ろしいと思う夢
 「かぶせ物[コート=コンドーム]」が破れて妊娠したという人の話を前日に聞いていた男性の危惧。


○折れた蝋燭の夢
 うぶな女性が結婚後にかつて耳に残った歌詞の「アポロン蝋燭」が性的な意味を担うことを教えられ、「ある課題」を「うまく果たせなかった」寄宿学校での記憶が事後的に賦活された。「アポロン蝋燭」は、それ以前に見た処女パラスの夢と結びついている。
 この夢の内容は「無害」というより、あからさまに性的不能を意味しているとも思えるが、「蝋燭」があくまで幼年期の記憶に結びついていることがポイントだろう。


○スーツケースに本を詰め込む夢
 上と同じ女性の夢。前日じっさいにしたことの夢。「小さなbox」。



(b)夢の源泉としての幼児的なもの

○昔の家庭教師が乳母のベッドの中にいる夢
 幼年期に目撃した性的場面の記憶をそのまま再現している。アンジューは同種の「トゥーン伯爵の夢」「野外の便所の夢」への参照を促している。

◎黄色いライオンの夢(1898年8月?)
 「多年性」の夢の例。「三十代の医師」とはフロイト自身であることがセルジュ・ルクレールらによって確認されている。ライオンとは、子どもの頃に大切にしていた陶器の置物。「黄色」は、同じく偽装された自己分析である黄色い花の「遮蔽想起」を連想させる。
 このあと、同じ多年性の夢として、ある女性がくりかえし見る追いかけられる不安夢がつづくが、これはドイツ語版全集(Gesammelte Werke)では削除されている。

◎ナンセンの夢(1898年8月?)
 上と同じ「同僚の先生」、つまりフロイト自身の夢。ナンセンについてはフリース宛書簡(1898年8月20日)に記述がある。ナンセンの北極旅行期を読んだあとで、ナンセンに電気治療をする夢を見た。これは大人が探検旅行について話すのを聞いて、Reisen[旅行]と Reissen[リューマチ]を取り違えて笑われた幼児期の記憶が基になっている。

 アンジューによれば、旅と痛みの結びつきが夢で想起されるのは、フライブルクからウィーンに移住してきた幼いフロイトが祖国や乳母や姪のポーリーヌに対して感じていたノスタルジーに由来する。
 「夢の舞台となる『凍土』は別れと愛するものを喪失することへの不安を表しているかもしれない」(『フロイトの自己分析と精神分析の発見』)。さらに電気治療というモチーフは、フロイトの医者としての出発点に遡る。

 セルジュ・ルクレールは、動詞の reissen に「むしりとる」という意味があることを根拠に、黄色い花についての「遮蔽想起」との関連を指摘している。また、アンジューによれば、8月26日から31日の間にフロイトはフリースの念願の娘の誕生を知ったが、その娘はかつてフリースが幼い頃に亡くした姉妹と同じポーリーヌという名前を授かった。つまり、「遮蔽想起について」の登場人物であり、「ナンセンの夢」にも一役買っているフロイトの姪と同じ名前である。旅行と痛みの結合は、娘の出産に立ち会うためにイタリア旅行に同行できなかったフリースとその妻イーダの産みの苦しみをも連想させるとアンジューは述べている。「このように、フロイトの夢は事物表象よりも語表象にますます重きを置くようになる」(前掲書)。

 「ナンセンの夢」と「ひじょうによく似ている」例として、この直後にふたたび「植物学研究書の夢」への言及があり、本を「引き裂く」幼年時の記憶が想起させられる。そこで本の頁をむしりとることが、「中国分割」という政治的な出来事になぞらえられていることも興味深い。

 さらにその直後、フロイトは「ヨーゼフ叔父さんの夢」に立ち戻り、分析の続きを長々と行っている。

植物学研究書の夢:『夢解釈』第5章(その1)

 『夢解釈』「第5章 夢の素材と夢の源泉」の冒頭(「(a)夢における真新しい事柄ととるにたらない事柄」)において、前日あるいは当日の体験が素材になっているフロイト自身の夢が手短に列挙される。今したい買い物をある時期まで待たねばならないという女性の話にもとづく「女性を待たせる夢」以下、「植物学研究書の夢」、「社会民主党の委員会から書状が届く夢」、「通りで二人の女性(母と娘)を見かける夢」、「定期刊行物の予約講読を申し込む夢」および「男が一人、海の真ん中の険しい岩の上にいる夢」。最後の夢は、1894年12月にアルフレッド・ドレフュスが悪魔島への流罪を宣告されたことをふまえている。「植物学研究書の夢」を除き、夢の日付は不明(アンジューによる)。


◎植物学研究書の夢(1898年3月8~10日)

 この夢は相異なる時間の層が錯綜して織り上げられたもの。時間軸を整理しておこう。

(1)幼年時代

 五歳のとき(1820年頃)、父に与えられたペルシャ旅行記の頁をアンナとともに引き裂く。

 朝鮮薊の花びらをむしるように引き裂いたとある。この記憶は医学生時代に「本の虫」になった記憶の「遮蔽想起」であると想定されている。


(2)ギムナジウム時代

 「虫」の清掃用に十字花科の「標本」を与えられる。

 十字花科は菊科と同種。フロイトの「好物」である菊科の朝鮮薊を妻がよく買って帰る。

(3)医学生時代

 「本の虫」になる。試験で十字花科について問われる。本代がかさむことへの父の小言。

 試験であやうく答え損ねたことについては、「研究書」に没頭する「本の虫」である「自分は勤勉」であり、植物学の勉強を怠けてはいないと夢の中で弁解している。

 父の小言は、「嗜好」に没頭しすぎるとの前夜のケーニヒシュタインの小言に対応している。

(4)研修医時代(?)

 自分で描いた「図版」を同僚に罵られる。

(5)1884年7月

 「コカについて」発表

(6)1884年9月

 コカインについてのコラーの実験

(7)その直後

 父の緑内障手術


 ここまでが比較的過去の出来事。それから四年が経過して……

(8)数日前

 記念論文集

 コカインをめぐるコラーの業績が掲載されている。

(9)前日

 フリースからの手紙

 フリースの「千里眼」については3月10日付の書簡160に言及がある。「完成したその本が目の前に置かれ、その頁をめくるところが見えます」。この一節は、「本が本当に完成して私の前に置かれていたらどんなによいだろう」というフロイトの願望を呼び起こした。

(10)当日(午前)

 ショーウィンドーにシクラメン属の植物研究書を見かける。

 シクラメンは妻の好きな花だが、自分は買って帰ることが少ないとの自責の念。誕生日に夫から花をもらえなかったL夫人(妻の友人)。

(11)当日(夜)
 
 眼科医ケーニヒシュタインとの会話。

 さまざまな記憶の「内面の興奮」を伴う想起。L夫人、論文集も話題に。ゲルトナー[=Gärtner 庭師]夫妻に出くわしたため中断。

(12)夢見

(13)翌日(午前)

 白日夢(フリースの友人の眼科医に緑内障の手術をしてもらい、コカイン研究について賞讃される。同僚に診察してもらうのはわずらわしい)

 この白日夢は、父の緑内障の手術の記憶に基づいている。この手術にはフロイトも立ち会い、コラーが麻酔をかけ、ケーニヒシュタインが執刀している。

(14)翌日(夜)

 夢解釈に着手。

 ゲルトナー夫人が「花やいでいる」印象はこのときに想起された。

(15)3月10日

 フリースに手紙を書く。

 夢の源泉になるのは幼児期の記憶であり、最近の記憶は夢見のきっかけにすぎないという理論的発見が報告される。

(16)現在

 『夢解釈』執筆

 ケーニヒシュタインとの会話で「フローラ」という女性患者が話題になったことはこのときに想起された。


 —— 以上の素材が夢分析のなかで提示されている順序と衝き合わせてみることは有意義であると思われる。


 この夢の内容については、「イルマの注射の夢」(および「ヨーゼフ叔父さんの夢」)と同様、自己弁護、自己正当化をテーマにしている。「それどころか、この夢は、イルマの注射の夢で取り上げられたテーマをなおも継続し、二つの夢を隔てる時間的間隔のなかで付け加わった新たな素材を通じて、さらにそのテーマを突き詰めている」。

 夢の源泉は、夢見前夜のケーニヒシュタインとの一時間強におよぶ会話で興奮とともに呼び覚まされた記憶であり、シクラメン属の研究書を見かけたことは夢見のきっかけにすぎない。会話によって想起された記憶と研究書の記憶が植物をめぐる表象圏の下に結び合わされ、「高い心的価値」をもつ後者が「ささいな印象で、付随状況でしかない」前者に置き換えられたのだ。

 さまざまな源泉の中でも決定的なのが本を引き裂くという幼年期の記憶である。「私には、この夢の最終的な意味が、幼年期のこの場面の内容にきわめて緊密な関係をもっているとはっきり言えるのである」。夢を見た直後にフリースに宛てた書簡にはこうある。「生物学的には、夢の生活は例外なく生涯の先史的な時期(1〜3歳)の残滓に由来するように思われます」。この記憶はフロイト自身によって「遮蔽想起」であると見なされている。アンジューも指摘するように、ユダヤ人家庭で本が大切にされていたことなどを考えれば、たしかにこの記憶は本当らしくない。興味深いのは、この記憶が、論文「遮蔽想起について」で紹介されることになる事例と内容的に酷似していることだ(フリース宛書簡によれば、この論文は1899年5月に発送された)。そこでフロイトは甥のヨーンとともに幼い姪の花を「むしり取る」。ここに幼年期の性的願望を見てとることはたやすいだろう。ある論者は妹アンナへの近親相姦的欲望を見てとっている(「もし話題にされている女性患者がフローラではなくアンナという名であったら」……)。ついでに言えば、花の図版を開くという身振りにも、性的な含みが読み取れる。この夢の分析において「昇華」の概念の萌芽が見出せるという見解もあることを付言しておこう。「思考において、私は自分がしたいようにし、自分にとって唯一正しいと思えるように自分の人生を作り出す自由を求めて、情熱に突き動かされた弁論を行っている。その弁論が夢に相当する。しかし、そこから生じた夢には無頓着な響きしかない。私は研究書を書き終え、それは私の前に置かれ、色つきの図版が入っており、どの挿絵にも乾燥植物が添えられている。それはまるで戦死者の横たわる野の静けさのようだ。猛烈な戦闘のことはもはや感じ取れない」(G.W.470)。

 アンジューは、フロイトがシクラメンを妻に買って帰らないことには彼自身の性的能力の衰弱が暗示されているとし、「研究書」(コカイン、ヒステリー、夢)を書くことがその負い目に対する代償と見なされているとほのめかす。フロムもこの夢に「萎れた花」という象徴を読みとり、性愛をあきらめて「野心」に生きようとする決心を読み取っている。性的能力の衰弱についてはフリース宛書簡144において「性的な興奮も僕のような人間にとってはもはや役に立ちません」との記述も見られるが、この一節にはさまざまな解釈があるようだ。また、「萎れた花」は、早く閉経期を迎えたマルタにあてはまるという説もある。

 さらにこの夢には父殺しの欲望とフリースへの非難が反映されているという解釈もある。

 緑内障の手術の白日夢にエディプス的な状況が読み取れるという説(フロイトはオイディプスのように身分を隠している)。あるいは同じ場面でコラー(コカインについての業績を独り占めした)がフリースと同一視されているという説。アンジューは、幼年期の記憶がフリースの「千里眼」についての言及のすぐあとに提示されていることを根拠に(実際には色つき図版についての記述が挟まっている)、フリースが「夢の本」を引き破るという状況が暗示されているとし、これはフリースの両側性の理論を破壊したいというフロイト自身の願望に対応するものだとしている。また、ゲーテの引用中の fliessen という単語はフリースを連想させ(フリースがメフィストフェレスになぞらえられている)、さらにシクラメン(cyclamen)の中に隠されている cycle とは、フリースの周期理論を暗示すると述べている。シクラメンは「事物表象」としては幼年期の性的欲望に送り返され、「語表象」としてはフリース的な「周期」を暗示するという意味で多重規定されている。多重規定については次の記述がある。

 「夢内容におけるそれぞれの要素は多重規定され、夢の想念を多重的に代理している」。さらに言うと、「夢の要素が夢の想念によって多重的に規定されているだけではなく、個々の夢の想念もまた夢における複数の要素によって代理される」(「名簿式比例代表選挙」の比喩)。

 さて、この夢は、第5章の二つめの項目「夢の源泉としての幼児的なもの」においてさらに短く言及されたあと、第6章の冒頭近くにおいて圧縮のメカニズムの例としてふたたびとりあげられる。夢の描写には若干の異同がある。「ある植物」に関して「(どんな種類かはっきりしないままだ)」との断り書きが追加してあり、標本に関して「まるで植物標本室からとられてきたようだ」という記述が削除されている。分析においても新たな情報や解釈が若干もたらされている。まず、ケーニヒシュタインとの会話が「同僚同士での診療にはどう報いたらよいか」をめぐるものであったこと(夢見の翌日に見た白日夢を参照)。さらに、「植物学研究書」という表象が「植物(学)」と「研究書」という二つの系列を繋ぐものであること(「結節点」)。朝鮮薊の背後にはイタリアの想い出が控えていること。さらに同じ第6章で置き換えのメカニズムの例として、および「情動の抑え込み」の例として短く言及される。

 最後に、夢解釈が恣意的であるとの非難に釘を刺している一節を引いておく。たとえば、ゲルトナー夫人の「花やいだ」印象とか「フローラ」という名前は、一見こじつけに思えるとしても、「このような想念の諸関係が生じなかったとしたら、たぶん別の関係が選び出されていた」。

 「その日の二つの印象[研究書と会話]のあいだにふんだんな仲介関係を十分に作り出せなかったなら、夢はまさに別のものとなっていただけのことだ。その日の別の些末な印象がその夢に対して『研究書』の役割を引き受けていたであろう。その種の印象は大群をなして私たちのもとに押し寄せてくるが、私たちはそれらを忘れ去ってしまうのである。そして、その別の印象が会話の内容とつなげられ、そして、それが夢内容においてその会話の代理をしていただろう、しかし、実際にはまさしく研究書の印象がこの運命を担ったのだから、それがたぶん両者を結び合わせるのに最適な印象だったのだろう。レッシングのお利口ハンス君のように『この世のお金持ちばかりがたくさんお金をもっている』のをいぶかる必要などまったくないのである」。

『夢解釈』第4章(その2)

『夢解釈』第4章(その2)


○薫製の鮭の夢
 「夢というテーマが精神神経症と内的な関係をもつこと」の一例として紹介されている。

 「先生は、夢は充足された欲望だといつもおっしゃいますね。でも今からお話ししようと思うのは、まったくその逆のことが起きるという内容の夢です」。

 晩餐会に出す予定の鮭がなくて困るという内容だが、これは夫が褒めている女友達が晩餐会で好物の鮭を食べて夫好みの肉付きのいい女性になってほしくないという願望の表れ。

 「つまり、女友達の欲望を充足させたくないというのが彼女自身の欲望なのである。しかし、その代わりに彼女が見たのは、自分の欲望が充足されないという夢だった」。

 このヒステリー患者は、女友達に「同一化」することで、[自分の]欲望が満たされないという事態をわざわざ「現実に」作り出している。


○姉の幼い息子が棺に横たわっている夢
 同じく、夢が欲望充足であるという説への反論を論駁するための例。

 溺愛する幼い甥を亡くした女性が、もう一人の存命中の甥の葬儀に立ち会う夢を見た。亡くなった甥の代わりにもう一人の甥が亡くなった方がよかったという願望の表れなのだろうか、「それほどに私は悪い人間なのでしょうか」、という彼女の問いをフロイトは退ける。

 実は甥の葬儀の際、かつて恋愛関係にあった作家が弔問に来ていた。存命中の甥が亡くなれば、また作家が来てくれるだろうという願望の表れなのだ。彼女は作家との仲を引き裂かれた後、その代償に亡くなった甥に愛情を注いでいたのであった。彼女は夢を語った日にコンサートに行く予定であったが、そのコンサートにはくだんの作家も来ることを知っていた。


○十五歳になる一人娘が箱の中で死んでいるのを見る夢
 小箱を意味する Büchse は女性器を表す隠語でもあり、箱の中の子どもは母体中の胎児を意味する。実は娘は望まれた子どもではなかった。子どもの死は実際に欲望充足だったのだ。
 
 以上二例はいずれも愛する家族の死を内容としており、類型夢の一種である。


○自分の家の前で逮捕される夢
 愛人宅で一夜を過ごして自宅に戻ってきた男の夢。逮捕の名目は嬰児殺しであった。避妊に失敗していなければよいという願望の表れである。数日前、フロイトはこの男と堕胎について世間話をしていた。さらに、男は膣外射精の習慣によって不安神経症に罹っており、その不安が夢における欲望の充足を覆い隠している。中絶の罪に問われるのが男の方である理由は、男が過去に別の女性に中絶をさせていたことによる。


○租税に対する厳しい刑罰が告知される夢
 脱税の罪に問われるほどの高額所得者になりたいという願望の反映。この夢はある小咄を思い出させる。結婚願望が強い女性が粗暴な男に求婚された。周囲は結婚したら虐待されると反対したが、女性は結婚願望を満たすために虐待されることを自らの願望にまで高めていた、というもの。


 「夢=欲望充足」というテーゼについてのまとめ:「これらの夢を解釈すると、そのたびに行き当たるのが、語るのも、考えるのもいやだというテーマであることは偶然[ではない]。……夢にこうした不快感がくりかえし現れるからといって、だからそこに欲望はないということにはならない。他人には伝えたくない欲望や、自分自身でも認めたくない欲望はどの人間にもある。……夢は、(抑え込まれた、あるいは、抑圧によって追い出された)欲望の(偽装をほどこした)充足である」。


 不安夢についての付記:「ある表象が不安をともなって現れる。しかし、不安はその表象にハンダ付けされているだけで、別の源泉に由来する」。

ヨーゼフ叔父さんの夢:『夢解釈』第4章(1)


「第4章 夢の歪曲」(その1)


◎ヨーゼフ叔父さんの夢(1897年2月)

 フロイトはこの夢を分析することに大きな抵抗を感じた。

 教授職に推薦されたフロイトが、同じ推薦を受けた二人の友人をゴルトンの合成写真さながらに叔父ヨーゼフに重ね合わせることで烙印を押し(一方は「阿呆」ゆえに、他方は「犯罪者」ゆえに)、自分が教授に昇進する願望を表現したもの。友人R(レオポルド・ケーニヒシュタイン?)がヨーゼフであるという考えが浮かぶや否や、Rに対しこれまで感じたことのない愛着が湧いた。自分はかねてからヨーゼフを嫌っていたから、これは奇妙である。実はこの愛着は、Rを貶めたいという夢の願望を逆転させたものである。そのかぎりでこの愛着は夢内容の「歪曲」に奉仕している。

 『夢解釈』のなかでこの夢は「イルマの注射の夢」と並び立つマトリックス的な夢の地位を占めるが、他人に罪を着せることで自分の潔白を主張するという夢の内容自体もまた「イルマの注射の夢」の反復である。

 夢の中では「私には叔父は一人しかいない。ヨーゼフ叔父さんだ」と述べているが、注で、実際には伯叔父たちのうちの5人に会ったことがあると訂正され、次のように付け加えている。「私はそのうちの一人を愛し、また尊敬していた。しかし、私が夢解釈に対する抵抗を克服した瞬間には、私は自分に向かって、『私には叔父は一人しかいない。夢の中で思っていたあの叔父だけだ』と言ったのである」。フロイトには一族の恥であるこの叔父の存在がそれだけ重荷だったということだろう。ヨーゼフはイギリスで製造された贋金を使用した罪で告訴されたが、この犯罪にはマンチェスターに移住したフロイトの義兄たち(長男エマニュエルと次男フィリップ――母アマリアより一歳年少で、幼い頃のフロイトにとって父親のイメージを体現していた)も噛んでいたらしい(クリュル『フロイトとその父』)。「私の父は当時、悲嘆のあまり、数日間のうちに白髪になってしまった」。

 さて、この夢は第5章の「夢の源泉としての幼児的なもの」の節でふたたび取り上げられる。1989年3月15日付フリース宛書簡[161]に、この夢の分析の続きが予告されていることから、アンジューは続きの執筆は翌年であると推測している(さらに、この夢が「ローマの夢」と「黄色いライオンの夢」の間に挿入されているのは偶然ではないという)。

 第5章でこの夢は「夢において描き出される欲望それ自体が幼年期の生活に由来すること」、言い換えれば、「子どもがその衝動をそなえたまま夢の中で生き続けていること」の例として挙げられている。

 その際、フロイトの「功名心」(「友人オットーが具合悪そうに見える夢」の主題でもある)に関連して、新たに幼児期の二つの記憶が想起される。フロイトが生まれたばかりの頃にある農婦が母親に向かって「この子は偉人になる」と予言したこと。そして、フロイトが11~12歳だった頃(人民内閣の時代)に流しの即興詩人が「この子は大臣になる」と予言したことだ。

 夢は、ユダヤ人でも大臣になれた当時にフロイトを引き戻し、フロイト自身が大臣の立場に立ち、(フロイトがその憂き目に遭ったのと同じく)二人のユダヤ人に教授職への就任を拒否することで、自分の教授職就任の道を閉ざした大臣に報復している。これがフロイト自身の解釈だが、アンジューによれば、「この説明はきれいすぎて、完全に本当であるとは思えない」。

 そして第6章でふたたびこの夢が言及される際に新たに召喚されるのはフロイトの父ヤコプである。

 「叔父の夢では、二人の人物に属するがゆえにぼやけてしまった容貌のなかで、ブロンドの髭という特徴が強調されて現れ出る。さらに加えて、ブロンドの髭には、髪が白くなることへの関係を介して、父と私自身へのほのめかしが含まれている」(G.W. 299)。

 アンジューは、夢で非難されているのは、叔父の人物像に置き換えられた父ヤコプであるとほのめかす(父への非難に関してアンジューは「生まれ故郷の町の参次会から書状を受け取る夢」への参照を促している)。


 その他にもアンジューは興味深い指摘をしている。

 Rがケーニヒシュタインであるとすれば、黄色い髭のKönig (王)とは、フリードリッヒ一世(「赤髭王」という紛らわしい通称)ということになる。このファミリーロマンスは、フロイトの功名心という主題と関係している。

 「黄色」は、その後、遮蔽想起「黄色い花」と「黄色いライオンの夢」で登場するが、この夢が初出。

 ヨーゼフという固有名詞については「Non Vixit の夢」でも問題にされているが、ブロイアー、フライブルクの医者ヨーゼフ・プーア、さらには旧約のヨセフを連想させる。ブロイアーおよびヨーゼフ・プーアに対するフロイトの憎悪の念を考えれば、彼らが叔父と同じ「阿呆」扱いされるのは理に適っている。旧約の人物ヨセフについては、フロイト自身との共通点が指摘されている。いずれも父ヤコプと二度目の妻の長男であり、いずれも「功名心」に富んでいる。

 また、「弱い叔父」というテーマには、一歳年上の甥ヨーン(遮蔽想起「黄色い花」の登場人物)への競争意識が関係しているかもしれない。次のくだりは「遮蔽想起について」の高山植物の色のヴァリエーションについての記述をなんとなく想起させはしまいか。

 「以前、友人Rは真っ黒な髪をしていた。しかし、黒髪の人は、髪が白くなり始めると、若い頃に見事な美しさを誇った償いをせねばならなくなる。黒髭は一本ずつ好ましからざる色の変化を遂げる。最初は赤茶色に変わり、そののと、黄色がかった茶色に、そしてそれからようやく真白になる。友人Rの髭は今やこの段階にある。ちなみに私の髭もすでに同じ段階にあって、それを見るとしゃくに障る」(第4章)。


『夢解釈』第2章、第3章


 以下、◎はフロイト自身の夢、○はそれ以外の夢を示す。夢のタイトルは中公クラシックス版のインデックスに準じる。


「第2章 夢解釈の方法」
 
◎イルマの注射の夢(1895年7月24日)
 「今や私は夢解釈を完成した。[「ただし、おわかりいただけるだろうが、解釈の仕事に際して私に思い浮かんだことすべてをここで報告したわけではない」— 1909年の注]この仕事をする間に、……私には夢の『意味』が明らかになった。私は、夢によって実現される意図があることに気がついた。その意図こそが夢見の動機であったにちがいない。夢はいくつかの欲望を充足する」。

 フリースを免責し、「理想的なフリース像を救う」(ゲイ)欲望を読み込むシュール以来の解釈に軍配が上がる。「手紙」のくだりには、手紙の返事をくれないフリースに非難の手紙を書きたいという願望が読み取れる(アンジュー)。



「第3章 夢は願望充足である」

◎水を飲む夢
 「イルマの注射の夢」以外の願望夢の例。「いつでも好きな時に、いわば実験的に生じさせることができる」夢。「不精者の夢」。

 「夢を見ることが、実生活上でもよくあるように、行為の代わりをする。水を飲んで喉の渇きを消そうとする欲求は、友人オットーやM博士に対する復讐への渇望と同様、残念ながら、夢によっては満足できない。しかし、満足させようとする自発的な意志は両者に共通する」。


◎エトルリアの骨壷の夢(1899年春?)
 上の夢のヴァリエーション。妻に骨壷から水を飲ませてもらうが、骨壷の灰のせいで塩気が強く、逆に目を覚まさざるを得ない。

 アンジューによれば、テーマ的にも近い「自分の骨盤を解剖する夢」(99年5月)と同時期の夢であるが、時期的には98年春の可能性もある。

 98年4月にフロイトはアクィレでエトルリアの遺跡を見ている。同年5月の「海辺の城の夢」の分析のなかにはエトルリアの化粧道具への言及があり、死のテーマと結びつけられている。さらに同年9月にはオルヴィエトでシニョレリのフレスコ画とともにエトルリアの開放された墓を見学している。
 
 「この夢で暗示されているフロイトの最後の願望[もはや所有していない骨壷を取り戻したいという願望]はのちに実現される。彼はイギリスで火葬に付され、遺灰はエトルリアの骨壷でこそないが、少なくともお気に入りのギリシャのクラテルに安置されることになる」(アンジュー)。


◎ベッドを離れて洗面台の前に立っている夢。
 若い頃にくり返し見た「不精者の夢」。


○病院にもう来ているのだから、わざわざ行くまでもないと自分に言い聞かせる夢
 ブロイアーの甥(ルディ・カウフマン)の夢とされる。1895年3月5日のフリース宛書簡[55]で紹介されており、シュールによれば、この箇所は、夢が願望充足であることを7月25日の「イルマの夢」に先だって理解していたことの証拠である(『フリースへの手紙』編注)。


○冷罨装置の夢
 同じく「睡眠中の刺激が作用して生じた夢」。この患者はエンマ・エクスタインであり、鼻の手術が顎の手術に置き換えられているという説がある。フリース宛書簡[55]の編注参照。


○生理が始まったという夢
 友人の妻の夢。彼女の生理は実際には止まっているはずで、夢ははじめての妊娠を告げている。「母としての苦労が始まる前に、もうしばらくのあいだ自由を楽しんでいたいと願っている」。


○ブラウスの胸のところに母乳のしみがついているのに気づく夢
 同じく妊娠を告げる夢。「二番目の子どもには、最初のときよりももっとたくさん乳を飲ませてやりたいと欲している」。


○ドーデ、ブルージェ、プレヴォーが愛想よくしてくれる夢
 子どもの看病で長く人と会わずにいた女性が看病後に見た夢。病室に入って来た清掃係の顔と舞踏会で愛想よくしてくれる作家の顔をだぶらせている。「そろそろもう少し楽しいことがあってもよさそうな頃だわ」。


 以上紹介された単純な夢の典型として、つづいて子どもの夢の数例が紹介される。

 「私は、児童心理学が成人の心理学に対してある役目を果たすべきだと考えている。それは、下等動物の構造とか発達の研究が、もっとも高等な動物の構造探究に対して果たすのに似た役目である」。


○ジーモニーの山小屋に行く夢
 次男オリヴァー(5歳)の夢。1896年夏の遠足の際、実現できなかった山小屋訪問を夢の中でそのまま実現した。


○近所の少年が家族の一員になる夢
 長女マティルデ(8歳半)の夢。同じ遠足の際の夢。この夢は「神経症の理論のために価値がある」。「娘の夢は、一時的な一体感を持続的な養子縁組に作り変えたのだった。夢の中では、いっしょにいるということが、弟たちとの関係に基づいたかたちで表されているわけだが、娘の愛着はまだこれ以外のかたちは知らなかったのである」。


○ローラーの山小屋やアモーに行く夢
 八歳の少女の夢。「パパがしてくれた約束の充足を夢の中で先取りした」。


○湖で船に乗る夢
 次女ソフィー(3歳3か月)の夢。


○アキレウスと馬車に乗る夢
 長男マルティンの8歳の時の夢。


○イチコ、ノイチコの夢
 三女アンナ(19か月)の夢。苺の食べ過ぎを戒める子守女への報復。フロイトの母アマーリエの同種の夢が注で紹介される。


○サクランボを食べてしまう夢
 甥ヘルマン(22か月)の夢。


 幼児の夢のしめくくりに動物の夢のオチがつく。「ガチョウは何の夢を見るのか」「トウモロコシの夢」という諺の問答には「夢が願望充足であるとする理論全体が含まれている」。


故郷の町の医者の夢:『夢解釈』(その1)

◎故郷の町の医者の夢(1897年10月中旬。以下、夢の日付はアンジューの推定による)

 「イルマの注射の夢」に先立ち、『夢解釈』(1900年)で最初に紹介されるフロイト自身の夢。


 さて、夢は覚醒時には想起されない記憶を素材として利用することがある。

 「覚醒してから振り返ってみると、夢内容に自分の知っていることや体験したことの一部だとは認められない素材が現れていることがある。確かに、そうしたことが夢の中で起きたのは想起されるが、しかし、それを現に体験したこということ、またそれがいつであったのかは想起されない。そうすると夢がそういった源泉から素材を汲み出してきたのかは不明なままになり、夢が独創的な活動をすると信じたくなる気持ちにも駆られる。ところが、それから長い時を隔てて、ある体験をすると、それによって、もう失われてしまったと思われていた、ずっと以前の体験があらためて想起され、そのようにして夢の源泉がついに明らかになることがある。こうした場合、人は、覚醒時の想起能力の及ばなかった事柄について、夢の中では知っており、それを想起していると言わざるを得ない」。特に幼年期の記憶である。

 この夢においては、ギムナジウムの歴史の教師[ヴィクトール・フォン・クラウス]の人物像がフライベルクでかかっていた医者[ヨーゼフ・プーア]の人物像を覆い隠している。母親の証言により、この二人には隻眼という共通点があったことが明らかになった。

 この夢はフリース宛書簡[142]にも登場している。この書簡は、エディプス・コンプレックスについての最初の明確な記述が見られるきわめて重要な書簡であるが、そこでこの夢は、書簡[141]で紹介された「小さな羊の頭」の夢と関連づけられている。「小さな羊の頭」の夢では、フロイトの“誘惑者”と見なされる子守女(レジ・ヴィッテク)が「ひどい治療」を施して金を受け取ることが、フロイト自身の医師としての無能力への自己非難と解釈されていた。ところが、フロイトの母親の証言により、この解釈は変更される。子守女は実は泥棒であり、夢の中でフロイトが「医者の母親から金を受け取った」のは、実際には子守女が「医者[=フロイト]の母親から金を受け取った[=盗んだ]」ということである。フライベルクの医者が隻眼だったことをフロイトが母親から知ったのもこの時である。「一つの夢がたくさんの恨みをこの医者の上に集中させ」、隻眼という共通点を通じて医者の人物像が善良な教師の人物像の影に隠されたのだ。

 初版では、この夢の記述は次の一節で締めくくられている。「その医者に最後に会ってからもう38年も経っており、私は、自分の知るかぎり、覚醒時の生活においてその人のことを思い出したことは一度もなかった」。1909年の版ではこのあとに「たとえ私の顎の傷によって彼の治療を思い出してもよかったのに」という一節が挿入され、1922年の版でふたたび削除されている。

 さらに歴史の教師については、1909年の追記(G.W. 282)に、顎の傷については1919年の追記(G.W.566)の他、「遮蔽想起について」、『精神分析入門』に言及がある。

 アンジューによれば、医者の両義的な人物像には、同じヨーゼフという名の叔父に対する両義的な感情が反映されており、さらにフリースの「隻眼」とも関係がある。


 初版本からの引用については中公クラシックスの訳文をお借りした。

1900年のフリース宛書簡

書簡232(1900年1月8日付)
 「新世紀――この世紀で最も僕たちの関心をひくことは、多分、それが僕たちの死亡年月日を含んでいるということでしょう」。

「僕は、少なくとも僕の存命中の承認は当てにしていません」。

「もうこんなに長い中断(12月24日―1月7日=14=28/2)は起こらないようにしてください」。


書簡233(1900年1月12日付)
 「一歳半までの自体愛の時期が教育の本来の試合場であるに違いない」。


書簡234(1900年1月26日付)
 「本当に何も起こっていません」。99年5月以来、新しい症例は一例のみ。4月から5月にかけてさらに4人の患者がいなくなる。


書簡235(1900年2月1日付)
 「全般的に言って僕は、君がつねづね僕をひどく過大評価していることに、すでに何度も気がついていました。……僕は少しも科学者ではなく、観察者ではなく、実験家ではなく、思想家ではないのです。僕はコンキスタドール気質の人間――もし君がこれを翻訳したいなら、冒険家――でしかなく、そのような人間の好奇心、大胆さ、そして粘り強さなら備えています。人はそのような人々を、彼らが成功を収め、実際に何かを発見したときだけ高く評価し、そうでなければ彼らを傍らに投げ捨てるのが常です」。

 「僕は今ニーチェの本を手に入れました。僕は僕のなかで沈黙したままでいる多くのことに体する言葉をそこに見出すことを期待していますが、まだそれを開いていません」。


書簡236(1900年2月11日付)
 フリースの精神病の母堂へのいたわりの言葉。「僕が君を助けることができればよいのに、こういう事態でそもそも助けることができるならよいのに、と思います」。

 患者が増え、診察室が活気を帯びてきた。

 「全体的に見て僕は、僕たちが知り合って以来のいつよりもローマから遠く離れています」。


書簡237(1900年2月22日付)
 「僕もウィリアム・ジェームズを権威者として名前は知っています。僕はまだまだ幽霊たちに動かされたくはありません」。


書簡239(1900年3月11日付)
 「熱に浮かされたような活動のなかで夢を完成した昨年の夏の大きな躍進の後、僕は愚かにもまたもや、今や自由と幸福への一歩が踏み出された、という希望に酔いしれていました。その本の受容とその後の沈黙は芽生えつつあった環境に対する関係を再び破壊してしまいました」。「君は僕の享楽がどれほど制限されているか知っています。僕は良いものを何も喫煙してはならず、アルコールは僕にはまったく何もしてくれず、子どもをつくることは僕はもう終えており、人との付き合いは僕には断たれています」。


書簡240(1900年3月23日付)
 「今過ぎたばかりの半年ほど僕が君や君の財産との共同生活に絶えずそして心底から憧れた半年はこれまでありませんでした。君は僕が深刻な内的危機を通り抜けたことを知っています。もし僕たちが会うことがあれば、君には僕がその危機の間にどれほど年を取ったか分かるでしょう。だから僕は、君がこの復活祭の日々の再会を提案していると聞いたとき、強く気持ちを動かされました。矛盾をもっと微妙に解決する術を心得ていない人は誰でも、僕が即座にその提案に同意しないのを理解できないことだと思うでしょう。……他の内的な理由、計り知れないものの凝集状態という理由があり、……僕の心に重くのしかかっているのです。僕は内面的にひどく貧しくなっています。僕は僕の空中楼閣をことごとく破壊しなければなりませんでした。そしえ、ちょうど今僕はそれを再建する勇気を奮い起こしているところです。崩壊の破局の間であれば君は僕にとってきわめて貴重だったでしょう。現在の段階では僕は自分の言っていることを君にほととんど理解してもらえないでしょう。……僕を圧迫しているもののを取り除く手助けは誰にもできません。それは僕の十字架です。僕はそれを担わなければなりません。そして本当に、僕の背中は、それに適応するうちに、はっきり分かるほど曲がってしまいました」。


書簡241(1900年4月4日付)
 「僕は自分のしていることが大多数の人々にとって不快だということを知っています」。


書簡242(1900年4月16日付)
 「僕は、治療の見かけ上の果てしなさが規則的に起こることであり、転移にかかっているということを理解しはじめています」。クリスによれば、転移の機能への最初の明確な言及。

 
書簡243(1900年4月25日付)
 ゾラの「多産性」を扱った講演について見た夢。ある女性患者への逆転移に関連しているようだ。


 パラノイアの元患者(M・W夫人)の自殺。


 書簡244(1900年5月7日付)
 「僕の特別な――おそらく女性的な――側面が要求する友人との交際の代わりになる人は誰もいません……」

 「どの批評家も、問題と解答のあいだにそんな不均衡があるか僕よりもはっきり見ることはできません。そして、僕が足を踏み入れた最初の人間であった精神生活の未知の領域のどれも僕の名前で呼ばれず僕の法則に従わないということが、僕にふさわしい罰でしょう。……僕は本当にもう44歳で、年取った、いささかみすぼらしいユダヤ人です」


 書簡245(1900年5月16日付)
 ブロイアーを「成功崇拝者」「性格的に弱いすべての者が従っている最も通俗的な世界宗教の信奉者」と罵っている。


 書簡246(1900年5月20日付)
 「僕がブロイアーと縁を切ることができないのはなぜか、僕は自分に尋ねてみました。そして、最近の度忘れの一例が僕に答えを出してくれました」。ある店のショーウィンドーを明瞭に視覚的記憶に留めていたのに、どうしてもその場所を見つけられない。実はそこはブロイアーの家の向いであった。この度忘れは『日常生活の精神病理学』でも紹介されている。


 書簡248(1900年6月12日付)
 「果たして君は、いつかこの家に次のように書かれた大理石板が掲げられるようになると思いますか。

  1895年7月24日、ここでドクター・ジクム・フロイトに夢の秘密が解き明かされた。

  そうなる見込みは今までのところわずかです。しかし、最近の心理学書(マッハ『感覚の分析』第二版、クレル『魂の構成』その他)——これらは皆、僕の仕事と同じような方向を目指しています——で夢に関して何が言われているか読むとき、やはり僕は、あのお伽噺の小人と同じく、「お姫様は知らない」ということを嬉しく思います」。


 書簡246(1900年6月18日付)
 イルマの注射の夢が夢の「公式」を明らかにしたことの確認。


 書簡253(1900年9月14日付)
 「八月のある日、推薦されたすべての者が、不肖私を唯一の例外として、教授に昇進したのです」。

 「迷信の心理的根源についてのちょっとした着想」。ある老婦人を見舞おうと馬車に乗った際に、御者が行き先を間違えたという「偶然の出来事」。「僕たちが外部の偶然の出来事に意味を付与する場合には、僕たちは僕たちの内部の偶然はつねに(無意識的な)意図であるという知識を外部に投影しているのです。それゆえ、このおぼろげな知識が偶然の出来事が目的にかなっていることに対する僕たちの信念の、つまり迷信の源泉です」。


 書簡254(1900年9月24日付)
「『日常生活の精神病理学』をゆっくりと執筆中です」。


 書簡255(1900年10月14日付)
 フリースがほのめかす「[フロイトの]ベルリンへの旅行に逆らう名指されない動機」とは、ブロイアーと関係があるらしい。「彼[ブロイアー]と縁を切ることは不可能です」。「イーダはまだあの時ほどあのように短い時間にあのように頻繁にあらゆる可能なことについて僕の正しさを認めたことがありません。このことは彼女の内心における一つの白状されていない訂正からの移動に違いありません」。母親の病気についてのアドバイスのことを述べているのだろうか。フリース夫人はかつてブロイアーに夫とフロイトの関係について警告されたことがあった。

 診療室は繁盛しており、「また新しい、そして手持ちの合鍵のコレクションでスムーズに開く、十八歳の少女の症例がもたらされました」。彼女がほかならぬドラ。


 書簡258(1900年11月25日付)
 「自分の部族の最後の者——あるいは最初の者、そしてひょっとすると唯一人の者——であること、これらはひじょうによく似た状況です」。……かくて19世紀は幕を閉じる。

「ある正夢」


「ある正夢」(1899年)

 B夫人が、かつての家庭医だったK博士に会う夢を見たちょうどその日、夢のなかと寸分違わぬ場所でK博士にばったり会った。これは正夢なのだろうか? 

 事実は逆で、夢はB夫人が実際にK博士に出会った瞬間に「創造」された。彼女は実際にK博士に出くわすまで、この夢を想起しておらず、出会った瞬間に、同じ場面を夢で見た「確信」が生まれていた。

 B夫人は、若くして結婚した最初の夫が病気になってから、K博士の世話になっていた。同じ頃に世話になっていた弁護士もK博士と言い、夫人はこの弁護士と不倫の関係を結んだ。当時、彼女が自室で弁護士を恋しがって泣いていると、当の本人が訪ねてきたことがあった。フロイトによれば、B夫人の「正夢」は、実はこちらの場面を内容としている。

 その後、B夫人は再婚し、ふたたび未亡人となったが、K博士(弁護士)はまだときどき仕事でB夫人を訪ねていた。くだんの夢を見た日の前日、彼女はそろそろ彼の訪問があるのではないかと期待したが、来なかった。それゆえ彼女はその晩、かつて会いたがっていた彼女の許に本人が「偶然」訪ねてきた場面を連想させる夢を見た。しかるに過去の過ちを想起したくないので、夢は覚めるとすぐに忘却されてしまった。医者のK氏が弁護士のK氏の「遮蔽役」となることで、この夢ははじめて、歪曲されたかたちで、想起されることを許された。

 予言的な夢は、このような「事後的な創造」である。

1899年のフリース宛書簡

書簡188(1899年1月3日付)
 「自己分析が少しばかり貫徹され、空想は後の時期の産物であり、その時期から最初の幼児期に遡って投影されるものだということを僕に確証してくれました」。この成果は、論文「遮蔽想起について」に紹介されているとおり。

 「『最初の幼児期に何が起こったか』という問いに対する答えは、『何も起こらなかった。しかし、性的興奮の萌芽があった』という内容です」。

 「僕は君が来るまでここで不機嫌と暗闇のなかにいます。僕は思う存分ぐちを言い、僕のゆらめく光を君の確固とした光で燃え立たせ、再び元気になります。そして、君が去ったあと、僕は再びものを見る眼をもち、僕の見るものは美しく、素晴らしいのです。これはまだ来ていなかった期日にすぎないのでしょうか。それとも、どんな目的にも間に合う多くの日々から、待つ者に与えられる精神的影響によって、期日は生み出されるのではないでしょうか。時間のために力が考慮されなくなることのないように、何らかの場所がそのために残されなければならないのではないでしょうか」。クリスによれば、このくだりでフロイトはフリースの周期理論に対してはじめて疑念を表明している。

 六十歳の男性と関係している若い女性。男性は彼女の裕福な父親と同一視されており、「彼女の空想に付着しているリビドーを流動的にすることができるように作用している」。

 パロロ虫。


書簡190(1899年1月30日付)
 ブルクハルトの文化史を読んでいる。


書簡191(1899年2月6日付)
 「この人またはあの人が今死ななければならないということを打ち明ける勇気がもはや人々にないとすれば、古い宗教に取って代わったはずの科学という宗教の影響はいかに小さいのでしょうか。……キリスト教徒は、少なくとも、まだ二、三時間前に臨終の秘蹟を授けてもらいます。『お前は自然に対して死の借りがあるとシェイクスピアが言っているではありませんか。僕のときには、より一層の敬意をもって僕を扱い、いつ僕が覚悟をするべきか僕に言ってくれる人が誰かいればよいと思います。僕の父はそれをはっきり知っていて、それについて何も言わず、最後まで立派に平静を保っていました」。ボスニア=ヘルツェゴヴィナのトルコ人たちのように?(書簡177)


書簡192(1899年2月19日付)
 「あの途方もなく大きな作品……その作品は哀れな人間の力にはあまりにも困難であり、思考のあらゆる動きを必要とし、次第に他のすべての能力と感受性を消耗させてしまいます。それは、人間の組織に浸潤し次いでそれに置き換わる、一種の腫瘍組織です」。

 症状は抑圧される思想の願望充足であると同時に、抑圧する思想のそれでもある(罰、自己処罰)。「自己処罰は自慰の最終的な代替物」。

 ヒステリー性嘔吐は、空想上の愛人を想像妊娠している点で抑圧される思想の願望充足であると同時に、嘔吐によって衰弱し、美しさを失って男の気を惹かなくなるという点で抑圧する思想の願望充足でもある。「一対の矛盾する願望充足がその症状の意味なのです」。
 
 Eの赤面・多汗症の分析。


書簡194(1899年3月19日付)
 「つい先頃僕はシュニッツラーのパラケルススを見て、いかに多くのことを詩人が知っているかに驚きました」。


書簡198(1899年5月25日付)
 「それ[「遮蔽記憶」論文]は作成中すごく僕の気に入りましたが、このことはそれのこれから先の運命の悪い前兆です」。


書簡199(1899年5月28日付)
 おんどりとめんどりのユダヤジョーク(「悲しませときなさい」)。

 「夢は出来上がるでしょう。このオーストリアがこれから二週間以内に滅亡すると言われているということも僕の決心を容易にしました。どうして夢もそのとき一緒に滅びなければならないでしょうか」。


書簡200(1899年6月9日付)
 「夢はさまざまな願望に変化した同一の願望をその都度充足しようと試みます。それは眠る願望です! 人は眠りたいから、目覚めなくてよいように夢を見るのです」。


書簡201(1899年6月16日付)
 患者が少なく、一日二時間しか働いていない。


書簡203(1898年7月3日付)
 フリースとフロイトの母親の健康状態が不安定であることの精神的影響。


書簡209(1899年8月6日付)
 『夢解釈』の構成。「全体は散歩の空想を手本にして構想されています。はじめに、(木を見ない)著者たちの暗い森があります。望みがなく、間違った道に満ちています。次に、覆い隠された切り通しが一つあり、そこを通って僕は読者を案内します。……そして突然、高みと眺望と、『さあ、あなたはこれからどこへ行きたいですか』という質問」。


書簡211(1899年8月27日付)
 「それ[夢の本]には間違いが246あるでしょう。——それらを僕はそのなかに残しておくつもりです」。この数字については『日常生活の精神病理学』において分析されている。
 
 復活祭に二人だけで十日間、ローマで過ごそうという誘い。


書簡213(1898年9月11日付)
 『夢解釈』脱稿。

 「すべての夢見る人もまた我慢できないほど既知に富んでいます。そして、彼らは必要に迫られてそうなのです。というのは、彼らは板挟みの状態にあるし、まっすぐの道が彼らには閉ざされているからです」。

 ドレフュスの有罪判決に対する不快感。


書簡214(1899年9月16日付)
 予告なしにベルリンを訪問してフリースを驚かせるつもりが、洪水でベルヒテスガーデンに足止め。しかもブロイアーも同じところに滞在しているので地獄。


書簡215(1899年9月21日付)
 [『夢解釈』に]「君がいかにしばしば登場するか、驚嘆すべきです」。


書簡216(1899年9月27日付)
 フリースが父親の役割を重視しないことへの不満。

 「Autodidasker」の夢の検閲部分をフリースは見抜いた。

 「例の金魚は捕えました」。相変わらず診察室は閑古鳥が鳴いている。一人しかいない患者の診察も一月先。


書簡217(1899年10月4日付)
 「自分たちだけのものであったものを手放す際のつらい気持ちを君は適切に描写しています。実際また、僕にこの作品をこれほど嫌にならせたのは、そんな気持ちだったに違いありません。それ以来僕はそれが気に入っています――確かに大いにではありませんが、以前よりはずっと。手放したのが思想の財産ではなく、感情の財産だったので、僕は一層つらい思いをしなければなりませんでした」。


書簡218(1899年10月9日付)
 「つい先頃僕は、僕の仮想の快-不快説の一部をイギリスのある著者マーシャルの本のなかに見出すという喜びを味わいました」。


書簡219(1899年10月11日付)
 心的装置ψ
 ヒステリー的-臨床的
 性、器質的
 
 「奇妙なことに一番下の階が動揺しています。性の理論が夢の本のすぐ次の後継者かもしれません」。


書簡220(1899年10月17日付)
 「もしオナニーが同性愛に還元され、後者つまり同性愛が、それも(両性における)男性的同性愛が、性的渇望の原始的な様態だとしたら、君はどう思いますか。(最初の性目標、幼児期のものに類似、内界を越えて出ることのない願望)」。自体愛の先駆的記述。


書簡222(1899年11月5日付)
 ハンニバルの父親の名前。

 「僕はまだ女性的なもの+++をどう扱ったらいか分かりません」。「+++」(悪魔払い)は『夢解釈』のイルマの夢の分析にも登場する。

 「どのように予知夢が生じ、それが何を意味しているかを理解」した。詳細は論文「ある正夢」で明らかにされている。


書簡224(1899年11月9日付)
 「それではやはり君の沈黙が奇異な感じを与え不気味に思われたとき、僕は正しかったのです。……僕は夢の本のなかの何かが君にあまりにも強く反発を感じさせたのだと思いました」。


書簡225(1899年11月12日付)
 「これら[ハンニバルの父親]は記憶の誤りではなく、移動であり、症状です」。


書簡227(1899年11月26日付)
 「次の本は『性理論と不安』という表題です」。


書簡228(1899年12月9日付)
 「ひょっとすると僕は最近、新しい事柄を始めて見抜くことに成功したかもしれません」。神経症選択が性的外傷を体験する年齢に相関しているというすでに放棄して久しい考えに代わり、性理論とのつながりが二、三日前に見えた。「性の階層の最下層は自体愛です。……それは次いで異体愛に取って代わられますが、確実に特別な流れとして存続します。ヒステリー(とその変種である強迫神経症)は異体愛的であり、その主要な道は、実際、愛された人物との同一化です。パラノイアは同一化を再び解消します。それは、放棄されていた幼児期のすべての愛された人物を回復し、自我そのものを他なる諸人物に解消します」。


書簡229(1899年12月21日付)
 Eの治療への展望。Eの空想の根底にある出来事を発見したことがシュリーマンによるトロイアの発掘になぞらえられている。この発見は、フロイト自身の鉄道恐怖症の解明にも光を当てることになった(この功績に対してEに「エディプスとスフィンクス」の絵が贈られた)。くだんの恐怖症の正体は「貧困化空想」ないし「饑餓恐怖症」だった。「それは僕が幼児期に食い意地が張っていたことによるものであり、家内に持参金がなかったことによって(このことを僕は誇りに思っています)呼び起こされたのです」。


書簡231(1899年12月29日付)
 父親賛歌の詩。フリースに息子が生まれたことへの祝辞だが、フリースの母系重視をフロイトが快く思っていないことは書簡216に、フロイトが女性の謎について手がかりをつかめずにいることは書簡222に確認できるとおり。

「遮蔽想起について」

「遮蔽想起について」(1899年)

 この論文では、フロイトがかつて軽症の恐怖症から解放し、それ以来「心理学的な諸問題についての興味を持ち続けていた」「大学教育を受けた38歳の男」の幼年期のある記憶が分析されている。この「男」とは、ほかならぬフロイト自身のことである。「彼[フロイト]は昨年のこと、既に分析において一定の役割を演じていた彼の幼年期想起に私[フロイト]の関心を向けさせた」。それゆえこの分析は「自己分析」の一部である。

 男は一歳年上の従兄弟[叔父ヨハン]とその妹と、牧場で鮮やかな黄色のタンポポを摘んでいる。牧場を上がったところに農家があり、戸口に農夫と子守の女性がいる。従姉妹の摘んだ花がいちばん奇麗なので、男と従兄弟は彼女からそれを奪い取る。従姉妹は泣きながら農家に駆け上がり、農夫から黒パンをもらう。男と従兄弟も花を投げ出してパンをもらいに行く。このパンはひどく美味だった。

 幼年期に遡るこの光景をいつから想起するようになったかと訪ねられた「男」は、別の光景の想起がその幼児期の光景を想起する「誘因」になったことに思い当たる。

 実はこの光景は、現実に起きたことそのままではなく、後年の出来事に影響されて改竄されている。十七歳のとき、初恋の相手である少女に抱いた欲望が、幼年時の記憶に投影されているのだ。

 初恋の少女に再会したときに彼女が着ていた黄色い服が、幼年時の記憶のなかで黄色い花として登場している。幼年期の記憶は、後年の記憶の代理として想起されている。

 後年の記憶は性的欲望および死への不安(裕福な彼女と結婚することで饑餓から逃れることが「パン」という「中間表象」によって表されている)をその内容としているので、抑圧されねばならなかったのだ。

 幼年期の場面の中でも、黄色は「花をもぎとる=処女を奪う」という要素を担っていることから黄色が二つの場面の「接点」となる。とはいえ、幼年期の場面では、性的な場面が子どもの喧嘩として婉曲化されている。それゆえ、後年の記憶は幼児期の記憶の中に「避難」したのだ。

 少女の着ていた服は、タンポポのように鮮やかな黄色ではなく、茶色がかった黄色であったが、アルプス山脈では、平野では明るい色をしている花々が山地では暗い色調を帯びていることがよくある。したがって、くすんだ黄色が明るい黄色によって代理されていることは不自然ではない。そもそも、タンポポの黄色が色鮮やかなのは、「心的な強度はある表象から別の表象に遷移することができる」ためである。フロイトは「花の黄色があまりにも全体から浮き立っていて、パンの美味しさも幻覚のように誇張されているように思え[る]」ことを、「ある特定の部分[女体の輪郭といった「最も不適切な部分」]が絵の具で描かれる代わりに立体的に作られている」「パロディの展覧会で見た絵を想起してしまう」ほどだと形容している。本論文では他に、オペレッタのある一節が幻声として聞こえる別のパラノイア患者の事例が紹介されているが、そこでは不快をあたえる別の一節の代わりに、その無害な一節が「病理的な強さと明白さをもって」想起されたという。

 ちなみに、少女と再会した三年後、その同じ土地で男は幼年期の光景に登場する遊び友達らにも再会した(これが「二番目の誘因」となる)。

 このように、抑圧されるべき記憶の代理として想起される記憶、「記憶において後の時期の印象と思考の代理をしていることにその価値があるような想起」「象徴的で類似した関係によって本来の内容と結びついている内容の想起」をフロイトは「遮蔽想起」と命名する。

 「遮蔽想起の概念は、その記憶の価値がそれ自体の内容にあるのではなく、その内容と別の抑え込まれた内容との関係にあるような想起というものである」。

 遮蔽想起には、この例でのように抑圧される記憶に先立つ時期に帰される記憶の場合もあれば(「逆行性」)、逆に、抑圧される記憶よりも後年の記憶の場合もある(「先行性」)。

 遮蔽想起は何もないところから「捏造」されたものではなく、現実の「素材」を「彫刻」することで「改竄」されたものであり、その意味で「本当」の記憶である。ただし、「改竄」される以前のオリジナルの出来事は、ついに知られざるままである。

 「改竄された想起はわれわれが知る最初の想起である。想起の痕跡における素材は、それから改竄された想起が作り出されたのであるが、われわれにその本来の形態を知られないままである」。

 「われわれの幼年期想起は人生の最初の年月を見せてくれるが、その年月が[実際に]そうであったようにではなくて、その年月が後になって呼び覚まされた時にそう見えたようになのである。こうして呼び覚まされたとき、幼年期想起は言いならわされているように心に浮かんだのではなくて、その時に形成されたのであり、歴史的に忠実であろうとする意図からはほど遠い一連の動機がいっしょになって、想起の形成と選択とに影響を及ぼしたのである」。

 「両方の空想はお互いの上に投射され、一つの幼年期想起がそこから作られました」。

 「二つの心的な力が想起の成立に関与しており、一方は体験の重要性を想起しようと欲する動機を持ち、もう片方はしかし――これが抵抗なのであるが――そうした重要性を強調することに逆らう。この拮抗して働く二つの力は互いを相殺するのではない。一つの動機が別の動機を打ち負かすのではなく、たとえば平行四辺形を作る図解のように、妥協的な作用が成立することになる」。

 幼児期の記憶は往々にして、幼児本人がその場面に登場している子供であると同時に、その子供が「観察者が光景の外部から見ているような仕方で」想起される。このような「行為する自我と想起する自我の対照」は、それが遮蔽想起である証拠たり得る。

 ところで、「人生が記憶の力によって出来事の連なった鎖として再現されるのは、生後六、七年目より前ではなく、多くの場合はようやく生後十年目になってからのことである。そうなってから、体現の心的意義と体験の記憶との付着との間に、恒常的な関係が作り出される」。

 事後性についてすでにフロイトは、思春期に至るに際して器質的な性的感覚のみならず、心的装置が成熟を遂げていることをその要因として上げていた。

 「[精神分析における]すべてのケースにおいて、幼年期想起というテーマには心理学的関心が持たれるものだ。なぜならそこでは、子供の心的態度と大人の心的態度の間の基本的な違いが白日の下になるからである」。


 遮蔽想起は、「痕跡」に翻訳された「具体的で視覚的なもの」が、別の「具体的で視覚的なもの」へと再翻訳されていると言い方もフロイトはしている。

「度忘れの心的機制について」

「度忘れの心的機制について」(1898年)

 固有名詞シニョレリの度忘れについては、9月22日のフリース宛書簡ではじめて言及され、『日常生活の精神病理学』の冒頭部にフィーチャーされて有名になったが、後者は本論文のレジュメ的なテクストであり、ストレイチーも指摘するように、本論を「後のテクストの大まかな草稿」と見なすこと(これが大方の見解)は適切ではない(ちなみに、岩波版全集の「解題」はストレイチーの解説の引き写し)。

 トラフォイで受け取った「ある知らせ」が元患者の自殺に関するものであることは、『日常生活の精神病理学』で明らかにされているが、本論文では死に関係があると暗示されているだけ。患者の亡霊が 「Herr」 と自分にすがりついてくるイメージをフロイトは思い浮かべ、振り払おうとしたのではないだろうか。

 ちなみにフリース宛書簡では、 Herr とトラフォイが「性と死」に関連していると暗示されるだけで、詳しい説明は端折っている。また、車中の話し相手が「ベルリン出身のある試補 Assessor(フライハン Freyhan)」であるとされている。

 本論文では「置き換え」のメカニズムについての記述にウェイトが置かれているのに対し、『日常生活……』では抑圧の効果ないし妥協形成という性格がより強調されているように思われる。

 「この別のもの[浮かんできた名前]と求める画家の名前とのあいだにある連想関係が生じたために、私の意志の働きは目的を達することに失敗して、忘れようと思ったことは忘れることができず、かえって忘れようと思っていなかったことを度忘れしてしまった」(『日常生活の精神病理学』)。

 あるいは、

 「私はあるものを忘れようとした自分の目的が完全に成功もしなかったし、完全に失敗もしなかったことを教えられる」(ibid.)。

 Botticelli と Botraffio が浮かんできたとき、フロイトは Bo および traffio という死と性の主題に結びついた語の断片をそれとなく表面化させてしまっている。そのかぎりでフロイトは「忘れようと思ったこと[を]忘れることができず」、「あるものを忘れようとした自分の目的が完全に[は]成功しなかった」ということができるのではないか。
 

 その他の有益な指摘。

 「暫くするとその名前が『ひらめいて』、つい大声で言ってしまい、相手をひどく驚かせる。相手の方は、話し手の度忘れ事件をもう忘れていて、……こう言うのが常である。『その人の名前はどうでもよいではありませんか。とにかくお話を続けて下さい』」。あるあるネタ。

 度忘れは「不快」「心の苦しみ」であり、それゆえに神経症の症状とパラレルである。度忘れのメカニズムはそれ自体でも「おもしろくなくはない」が、神経症の症状の「典型」と見なせることがわかると俄然興味深い。「……抑圧の関与を見逃してはならない。それは神経症の人だけではなく、普通の人間においても質的によく似たあり方で、はっきりと認められるのである」。

 また、精神分析における症状の治癒と同様、想起には「他人」の助けが必要である(『日常生活……』の重要なテーマの一つ)。

 マエストロの名前を失念した際、「私はその時に見た絵画を他の場合よりも生き生きと感覚的に思い浮かべることができた」。そして、探していた固有名詞を想起した後、「この巨匠の自画像の顔立ちに関するあまりにも明確な想起は、まもなく薄れていった」。ここには情動の転移が関係しているのであろう。

 「度忘れのこのようなケースには、思い出して片がつく瞬間までは継続的に不快を生み出すという特性があり、それはたいていは理解できない——そして話し相手には実際に理解されない——ものであり、抑圧された思考の塊が症状に感情を生じさせる能力を与えるときの方法に相似している。その症状の心的内容は、われわれの判断では、そうした感情が結びつくにはまったく向いていないように思われるのであるが、最終的には、他人の側から正しい名前を教えてもらうことで全体の緊張が解けるということでさえ、抑圧と遷移を整復することをめざして努力し、本来の心的対象を復権させることで症状を取り除くという、精神分析療法の有効性を示す例なのである」。

 「記憶については、われわれは知識欲の旺盛なすべての人に開かれた文書保管所のように想像しがちであるが、その機能は意志の向きによる侵害に曝されている。外界に向けられたわれわれの行動の、どの部分もがそうであるのとまさに同じである」

 Signor から Herr への移動は、イタリア滞在を終えたばかりのフロイトの頭がドイツ語からイタリア語へ翻訳することに慣れていたという要因も助けとなった。なるほどね。

 健忘の直前、フロイトは話し相手とトルコ人の死生観を話題にしていた。トルコ人の性愛観については、相手が初対面であることもあり(『日常生活の……』)、話題にするのを控えたのであった。ところで、健忘を招く条件は、その直前に話題にしたこと、しなかったことがすべてではない。ある種の思考が、すでに自分の中で「抑圧された状態」になければならない。「当時の私にとっては、『死と性』のテーマが実際にそういう状態になった。私はその証拠を自己探究からいくつも得ている」。「自己探究」という言葉が自当時進行中だった「自己分析」を含意していることは言うまでもないだろう。


 さて、論文の後半ではフロイト自身が経験したもうひとつの健忘の事例が紹介されている(ストレイチーは言及していない)。

 遠方の街に友人を訪ねた折り、フロイトはウィーンで親しくしている一家から、たまたま同じ街に滞在している主人への言伝をあずかっていた。友人宅に着くと、とりあえずそちらの用事を片付けようとくだんのウィーン人宅に向かったが、住所を記したカードを自宅に忘れてきてしまっていた。ところが、数字を覚えるのが苦手な自分が、いつもなら忘れてしまうはずの番地を正確に覚えていた。ただし、逆にいつもなら覚えているはずの通りの名前と宿屋の名前は忘れており、知人宅にたどりつけずに終わった。これが紹介されている事例のあらましである。

 このエピソードを提示するに先だって、フロイトはつぎのような前説を振っている。「われわれの想起や忘却が持っている意図的な本性について、私はつい最近、隠したいことをつい漏らしてしまうということで教訓的な例を体験した」。

 正確には、通りの名前の代わりに番地が想起されたという「遷移」の例として提示されたエピソードであると言うべきで、「隠したいことをつい漏らしてしまう」という言い方は誤解を招く。あるいはこれはフロイト自身の症状なのだろうか。

 通りの名前が抑圧されたことは、フロイトが訪問を苦痛に感じていたためであろう。友人宅に着くなり、フロイトは「私は一つだけですが義務を果たさないといけないので、それが終わってからご一緒に過ごすことにしましょう」と言っている(一刻も早く済ませてしまいたい苦行であるかのように)。さらに「こうして私はその訪問はできず、奇妙なほど素早く気を紛らわし、友人と過ごすことに没頭した」という記述もある。フロイトが訪ねていかなければならないウィーン人をよほど嫌っていたのか、もしくは(こちらの方が蓋然性が高そうだが)「友人」と過ごす時間を奪われることをよほど苦痛に感じていたのだろう。「隠したいことをつい漏らしてしまう」という言い回しには、「友人」と一瞬でも長く一緒に過ごしたいという別の欲望が顔を覗かせているようにも読める。

 覚えていた数字については、「その番号はあまりにも明確で、嘲笑しているかのようであった」と、記憶の異様な明解さが強調されている。前半のマエストロの自画像の記憶の極度の鮮明度に対応している。(あるいは、Botticelli と Botraffio の想起における Bo の偽りの強調もこれに関係あるのだろうか。)

 「ウィーンに戻って書き物机の前に立つと、私はすぐに、住所が書いてあるカードを『上の空で』しまい込んだ場所を見つけることができた」。

1898年のフリース宛書簡

書簡153(1898年1月4日付)
 フリースとは抑圧と両性性との関係については同意見だが、両性性と両側性との関係についてはそうではないことが確認される。「あらゆる結果のために男性的なものと女性的なものが一体にならなければならないという君の要請は、すでに片側だけで満たされている」とフリース理論の前提を論破。また、フロイトはフリースに左利きと決めつけられていることに抵抗している。「どっちが自分の右あるいは左なのか、そしてどっちに他人の右と左があるのかということが、他の人々には直ちに明白なのかどうか、僕は知りません。僕にとっては(以前は)、僕の右手がどっちにあるのかということは、むしろ、考えなければならない事柄でした。……僕はよく右手で書く動作を試してみたものです」。

 自分の教授職就任を阻んだ大臣に対する皮肉。

書簡154(1898年1月16日付)
「幸福とは先史時代の願望の後になってからの充足のことです。だから富はあのように少ししか幸せにしないのです。金銭は幼年時代の願望ではありませんでした」。

 金銭がらみでまたぞろブロイアーへのいやみ。

 
書簡157(1898年2月9日付)
 「夢の本に没頭」。その間、自己分析はお休み。「神経症の病因論における性」脱稿。読者を不快にするだろうとネガティブなコメント。

 教授職の話は完全に消えたわけではないらしいが、「僕はそれを信じていません」。

 乳母と妻に関わる夢を見たが、妻を非難する内容なので公表できないとの弁解。

 ドレフュス事件のゾラへの共感。

 古い友人マーク・トゥエインの講演を聞く。


書簡158(1898年2月23日付)
 「夢の本のいくつかの章がすでに出来上がっています」。


書簡159(1898年3月5日付)
 「夢の本の一つの章全体を仕上げました」。


書簡160(1898年3月10日付)
 「それ[夢の本]は再び停止しており、その間に問題は深まり、広がりました。僕には、願望充足の理論によって心理学的な解決のみが与えられ、生物学的な、言い換えればメタ心理学的な解決は与えられていないように思われます」。
 「生物学的には、夢の生活は例外なく生涯の先史的な時期(1~3歳)の残滓に由来するように僕には思われます」。
 「僕には次の公式が予感されます。先史的な時期に見られたことは夢を、その時期に聞かれたことは空想を、その時期に性的に体験されたことは精神神経症を生み出す。この時期に体験されたことの反復はそれ自体願望充足であり、最近の願望は、それがこの先史的な時期からの材料と連絡をとり得る場合、その最近の願望が先史的な願望の後裔であるかあるいは先史的な願望によって採用され得る場合にのみ夢に行きつきます」。


書簡161(1898年3月15日付)
 コンラート・フェルディナント・マイヤー賛。ヒステリー論に使えそうな箇所を教示したフリースへの謝辞。
 
 夢の本の章立て案。エディプス王についてのコメントのために調べ物をする必要あり。


書簡164(1898年4月14日付)
 復活祭の旅行の報告。『夢解釈』所収の「海辺の城」の夢にこのときの体験が反映されている。


書簡169(1898年6月9日付)
 「この夢は地獄行きです」。フロイトは、フリースの非難を受けて、ある「根底まで分析された」(シュール)夢を没にしたが、その夢の何がフリースの気に触ったのかに頭を悩ませている。「それは果たして僕の不安ですか、それともマルタですか、それとも Dalles[貧困]ですか、それとも祖国のないことですか?」

 「[C・F・マイヤーの]『グスタフ・アドルフの小姓』のなかに事後性の思想を二回見つけました」。


書簡170(1898年6月20日付)
 「失われた夢についての悲しみはまだ終わっていません」。「代わりの夢」として、家が崩壊する夢を見た(「俺たちは staatliches 家を建てた」)が、くだんの夢との関連からこちらも没に。

 C・F・マイヤーの「女裁判官」の詳細な分析。「すべての神経症者はいわゆる家族小説(これはパラノイアにおいては意識されます)を創作します。これは一方では誇大欲求に奉仕し、他方では近親相姦の防衛に役立ちます。実際、もし[「女裁判官」の]姉妹が母親の子ではないなら、人は非難を免れるのです。……ところで、人はこの物語を創作するために、不貞、庶出、等々の材料をどこから取って来るのでしょうか。ふつう、女中のような社会の下層階級からです。そこではそのようなことはたいへんよくあることなので、人は決して材料に困ることはありませんし、誘惑者(女)自身が奉公している人物であった場合には、そのための特別なきっかけを持ちます」。
 女中については書簡126「草稿L」、および書簡139〜141をも参照。


書簡171(1898年7月7日付)
 『夢解釈』第7章の草稿をフリースに発送。「これはアマチュア騎手イッツィヒの有名な原則にしたがって、完全に無意識の命ずるままに書かれています。『イッツィヒよ、どこまで乗って行くのかね?』――『俺の知ったことか、馬に聞いてくれ』」。落語の「鰻屋」ですな。

 「僕たちの作家」(C・F・マイヤー)の「もっとも美しい小説」『僧の婚礼』は、「後の年月に空想形成に起こる動きを見事に例証しています。その動きというのは、新しい体験を古い時代に遡って空想することです」。


書簡172(1898年7月30日付)
 「君は、いつ老ビスマルクが死ななければならないのか、今すでに算出できるのではないですか」。ビスマルクはこの日に逝去。このころ、フリースの周期理論に対してすでに冷ややかになっている。


書簡173(1898年8月1日付)
 ビスマルクの死をきっかけに、父ヤーコプ(ビスマルクと同じ日に生まれたと主張していた)の死を想起。半ばおちゃらけた周期計算式が続く。


書簡174(1898年8月20日付)
 ナンセンの夢(フリースに教示されたらしい)についての言及。「僕の家族は全員ナンセンに夢中です。マルタはどうやら北欧人たちによって(今僕たちのところにいる祖母はまだスウェーデン語を話します)彼女の生活のなかで実現しなかった青春時代の理想をよみがえらせているようです」。


書簡175(1898年8月26日付)
 「僕は長い間推測していた小さなことをついに理解しました」。ど忘れした固有名詞の代わりに別の固有名詞が割り込むメカニズムのことを述べている。「ユリウス・モーゼン」が抑圧され、「リンダウ」「フェルダウ」が浮かんだというが、分析結果は公表できないと付言。


書簡176(1898年8月20日付)
 リップスの著作中に「意識は感覚器官にすぎず、心的過程はことごとく無意識的」という持論を「まったく明確に再発見しました。ひょっとすると、僕に都合が良いよりいくらか多くかもしれません。『探索者はしばしば自分が見つけることを望んでいた以上のものを見つけた!』」。

 軍拡を戒めるツァーの布告に感動した由。


書簡177(1898年9月22日付)
 「シニョレリ」の健忘についての最初の言及。「いったい誰がこんなことを信じてくれるだろうか」。

書簡178(1898年9月27日付)
 新しい患者の痙攣した両「脚」への羞恥心が幼児期に寝小便を非難された経験に遡ること。「七歳になるまで決まって寝小便をする子どもは、もっと早期の幼児期に性的興奮を体験しているに違いありません」。


書簡179(1898年10月9日付)
 一日に患者を十人から十一人診断して多忙を極める。


書簡180(1898年10月23日付)
 「根底まで分析された実例」(くだんの失われた夢)のブランクが『夢解釈』脱稿への妨げになっている。


書簡181(1898年10月30日付)
 フリース手術の知らせに驚く。この手術は、 Non vixit の夢において一役演じている(編註)。


書簡182(1898年11月6日付)
 「君がよく話していた秘密の生物学的交感の結果として、僕たちは同じ頃に自分の体のなかに外科医のメスを感じ、正確に同じ日々に痛みのために呻いたり、啜り泣いたりしました」。陰嚢縫線にできた鶏卵大のねぶとのことを述べている。


書簡185(1898年12月5日付)
 11月28日に逝去したC・F・マイヤーのコレクションを完璧にすることで作家を追悼。

1897年のフリース宛書簡

書簡115(1897年1月3日付)
「今やすべてがこれまで以上に三歳までの人生の最初の時期へ動いているように僕には思われます」。


書簡116(1897年1月11日付)
 「精神病が発生する条件は、性的濫用が知的発達の第一段階の終わる前、それ故、心的装置がその最初の形態で完成する前(一歳三か月ー一歳半の前)に起こることであるように思われます」。クリスが指摘するごとく、精神病における「誘惑」の年齢が前倒しされている。

 患者の一人(男性ヒステリー)が妹の誘惑者となり、彼女をヒステリー精神病に陥らせたが(「よりか弱い年齢が引き入れられることによって神経症が次の世代で精神病になる[=「変質」]」)、この患者自身、倒錯者から渇酒狂になった男の誘惑の犠牲者であった。賭博癖と同じく、渇酒狂は「それと連合した性的衝動の置き換え」。書簡151をも参照。

 「倒錯は決まって動物愛に行き着きますし、動物的な性質を持っています。それは後に廃棄された性感帯の機能によってではなく、後にその力を失う性的な感覚の作用によって説明されます。その際、動物における(性のためにも)主要な感覚が、人間においては退位させられる嗅覚であることが思い出されます。嗅覚(-味覚)が支配的である間は、尿、糞そして新体表面全体、それにまた血が、性的に興奮させる作用をもっています。ヒステリーにおける嗅覚の強化はおそらくこのことと関係があります。感覚群が心理学的な層形成と大いに関係があることは、恐らく夢における分布から明らかになるでしょう」。編註によれば、ここは肛門期についての先駆的記述。書簡146をも参照。


書簡117(1897年1月12日付)
 「性的濫用、特に肛門におけるLictus (あるいは指)によるものに帰することができるような小児痙攣の症例があるかどうか調べてくれるようにお願いします。……最新の発見は、僕はある患者の単にてんかんに似ているだけの発作を確実に子守り女の側からの舌によるそのような働きかけに帰することができる、というものなのです」。


書簡118(1897年1月17日付)
 「悪魔憑きについての中世と宗教裁判の理論はわれわれの異物理論および意識の分裂と同一である」。「異端審問官が、悪魔の印を見つけるために、再び針で刺します。そして、この類似した状況で犠牲者は(恐らくく誘惑者の変装に変えられて)虚構の形で昔の残酷な出来事を思い出します。こうして、その際、犠牲者だけでなく死刑執行人もまた彼らの最初の青春期を想起します」。

 幼児期の性体験が事実ではなく「虚構」(幻想)であるとほのめかされているかぎりで、この書簡は「誘惑理論からの離反をもすでに予示している」(クリス)。


書簡119(1897年1月24日付)
 「魔女を含めて考える思いつきが活力を得ています」。魔女裁判と病因論(幼児の性体験)を関連づけた前便での思考を押し進め、飛行、箒、金=糞について考察している。
 
 「僕は、われわれは倒錯――ヒステリーはその陰画です――においてはセム系オリエントにおいてかつてはおそらくまだ宗教(モロク、アスタルテ)であった太古の性崇拝の名残に直面しているかのようだ、という考えに近づいています。……僕はその[女子割礼の]儀式がひそかに続けられている太古の悪魔宗教の夢を見、魔女裁判の厳しい治療法を理解します。関連がうごめいています」。

 パラノイア患者は魔女と同じような話をするが、「食事に排泄物を入れられる、夜中にもっとも恥ずべき仕方で性的に虐待される、等々の彼らの訴えは純粋な記憶内容です」。

 「ヒステリーにおいて僕は、愛において課される高い要求で、愛する人に対する卑下で、あるいは、満たされない理想のために結婚できないことで、それが Pater だとわかります。……これに関して、パラノイアにおいては、誇大妄想と素性に関する疎外の虚構との組み合わせを参照してください。これはメダルの裏面です」。家族小説は当時、パラノイアの専有物であるとされていた(編註)。 
 「それとともに、これまで僕が抱いてきた、神経症選択は発生の時期によって条件づけられる、という推測はぐらつきます」。
 大学の人事に関し、教授会で年下の別人が推薦されたことへの不快感。


書簡120(1897年2月8日付)
 「ツェツィーリエ・Mだけが僕の先生であり得た……」。

 「ヒステリー性硬直痙攣は、死後硬直を伴う死の模倣、つまり、死人との同一化」「頭頂部、こめかみ、その他への圧迫感を伴うヒステリー性頭痛は、口での行為の目的で頭が固定される場面の付き物[!]です。……残念ながら僕自身の父親はそのような倒錯者の一人でした。そして、僕の弟のヒステリーと何人かの妹のヒステリーは父のせいです」!!


書簡123(1897年4月6日付)
 「これ[ヒステリー性空想]は、僕の見るところでは、決まって、子どもたちが幼いころに聞いて後になって初めて理解した事柄に遡ります」。


書簡125(1897年4月28日付)
 フリースに関係のある夢(『夢解釈』GW 322)の報告。電報の文面でクリアーに見えるところと多重に見えるところがある。フリースに滞在地を知らせてほしいという「願望の充足」。フロイトの「父性病因論」を批判したフリースへの不満も反映されているらしい。「僕自身が父親の問題においてはまだ不確かですから、僕の過敏さは理解できます」。
 
 フロイトはイーダ・フリースの誘惑者(子どものころ誰が彼女を「子ねこ」と呼んだか)について悩んでいる。

 「父親病因説」についての新たな確証をあたえてくれた新患者。精神病で死んだ兄弟が馬車で精神病院に送られる音を聞いて以来、馬車に乗ることへの不安がある。「以前は私は無邪気でしたが、それ以来私にはいろいろな事柄の犯罪的な意義が明らかになりました。……私は、そのような事柄の罪を犯す人々が傑出した、高潔な人間だということを思うとき、それは一つの病気、一種の狂気だと考えざるを得ず、彼らを許さざるを得ません。——それでは、はっきり話をしましょう。私の分析では、罪のある人びとは、最も身近な人びと、父親か兄弟です」。
 彼女は8歳から12歳まで規則的に父親が夜中に彼女をベッドに引き入れたとき、すでに不安を感じていた。


書簡126(1897年5月2日付)
 「ヒステリーにおいて抑圧を被る心的構造は厳密に言うと記憶ではなく、原光景に由来する衝動である」。

 「草稿L」

 「ヒステリーの建築様式  

 目標は原光景に到達することであるように思われる。これは若干の場合には直接成功するが、他の場合には空想を経由する回り道を通って初めて成功する。つまり、空想はこれらの記憶への接近を阻止するために築かれる心的な前部建築物なのである。空想は同時に、記憶を洗練する[「美化する」]傾向、記憶を昇華する傾向に役立っている。それは、聞かれて後になって利用される事柄を用いて作られており、そのようにして、体験されたことと聞かれたことを(両親や祖先の歴史に由来する)過去の出来事を自分自身が見たことと組み合わせる。……夢のなかでは、確かに、われわれは何も聞かず、見る」。

 「女中の役割  
 
 価値のない女性材料としてあれほど頻繁に父親や兄弟との性的関係のなかで思い出されるこれらの道徳的に低い人びととの同一視によって、非難(盗み、堕胎)を伴う無数の罪悪感が可能になる」。

 「空想形成は夢形成に完全に類似している」。

 子殺しで逮捕される願望夢(『夢解釈』G.W.161)。


書簡127(1897年5月16日付)
 「夢が無意味なものではなく、願望充足であることに、誰もまったく気づいていません」。

書簡128(1897年5月25日付)

 「草稿M」

 「真に抑圧的な要素はつねに女性的なものであるということが推測される。……男性が本来抑圧するものは男色的な要素である」。この見解は書簡146において否定される。

 空想形成における「隔合」と「歪曲」。

 「抑圧は最近のものから後方へ進み、最新の出来事を最初に見舞う」。

 家族小説と広場恐怖(「売春物語」)の関係。


書簡129(1897年5月31日付)
 「道徳の源」。
 「神経症の張本人としての pater を現行犯で捕える僕の願望の充足」を示す「ヘラ」の夢。


「草稿N」

 「両親に対する敵対的な衝動(両親が死ねばいいという願望)も同様に神経症の不可欠の要素である。……この衝動は、両親に対する同情が生じるとき——両親の病気や死のとき——抑圧される。……この死の願望は息子たちの場合には父親に向けられ、娘たちの場合には母親に向けられるように思われる」。フロイト自身、父の死に立ち会ったばかりである。

 「虚構の仕組みはヒステリー性空想のそれと同じである。ゲーテはウェルテルを書くために、彼が体験したこと、ロッテ・ケストナーへの愛と、彼が聞いたこと、自殺して果てる和解イェルーザレムの運命を結びつける。おそらく彼は自殺する意図と戯れ、そこに接点を見出し、自分自身をイェルーザレムと同一視している。……この空想によって彼は彼の体験の影響に対して自分を守る。だから、シェイクスピアが虚構と狂気を並置していることは正しいことが認められる(fine frenzy)」。

 「症状は夢と同じく一つの願望充足である」。

 「『聖なる』ものとは、人間がより大きな共同体の利益のために自分たちの性の自由と倒錯の自由の一部を犠牲にしたことに基づくもののことである。近親相姦(無道なもの)に対する嫌悪は、(子ども時代のものを含めた)性的共同生活の結果、家族構成員が持続的に結合し、他人と接触することができなくなることに基づいている。近親相姦はそれに故に反社会的である——文化の本質はこの前進的な断念にある。『超人』はこれに逆らう」。


書簡131(1897年6月22日付)
 「次の会議で君は僕を『教授殿』と呼びます」。
 「僕達たちは病むことにおいては見事に歩調を合わせるのに創造することにおいてはそうではない」。フリースとフロイトは偏頭痛を共有していた。
 「知的麻痺のこの時期のような何かを僕はまだ想像したことがありません。そして、一行一行が僕には苦痛になります」。「僕は何らかの神経質なことを体験しました。意識にはつかみ得ない奇妙な状態です。おぼろげな思考、謎めいた疑惑。かろうじてそこここに一条の光が差し込んできます」。編註によれば、これは自己分析の開始を暗示している。
 「僕は自分がまゆのなかにいると思っています。そこからどんな獣が這い出てくるか、誰にも分かりません」。
 ユダヤ・ジョーク収集の計画。


書簡132(1897年7月7日付)
 「僕のなかで何が起こったのか、僕には依然として分かりません。僕自身の神経症のもっとも奥深いところからくる何かが神経症の理解の進歩を妨げてきました。そして君も何らかの仕方で巻き込まれていました。というのは、僕の書く力の麻痺は、僕には、僕たちの交際を阻むためのものであるように思われるからです。これはとにかく極めてはっきりしない性質の感情です」。


書簡136(1897年8月14日付)
 「まずイタリアが必要です」。
 「僕を煩わせている主要な患者は僕自身です。……この分析は他のどの分析よりも困難です。それはまた、これまでに得られたものを記述し報告する僕の精神的な力を麻痺させるものでもあります。それでも僕は、それは為されなければならないし、僕の仕事に置ける不可欠の中間部分だと思っています」。


書簡137(1897年8月18日付)
 「僕の筆跡も再び人間らしくなっています」。


書簡139(1897年9月21日付)
 誘惑理論の放棄を決定づける書簡として重要。「僕は自分の神経症学をもう信用していません」。
 「すべての症例で父親が——僕自身の父も除外されません——倒錯の罪を負わされなければならなかったという驚き」しかるにヒステリーの頻度の大きさに比して「子どもに対する倒錯がそのように広がっているとは考えにくい」。
 さらに、「無意識には現実性の標識は存在せず、そのため真実と情動を備給された作り話とが区別できないという確かな洞察」。
 誘惑理論の無効化は、「遺伝的素質」への後戻りを意味するものではないことが確認される。


書簡140(1897年10月3日付)
 「永遠の生命」についてのフリースの所論についての若干のコメントにつづけて近況報告。

 「僕には外面的には極めてわずかなことしか起こっていませんが、内面的にはたいへん興味のある何かが起こっています。僕が問題全体の解決のために不可欠とみなしている僕の自己分析が、四日前から夢のなかで続いており、極めて価値のある解明と手がかりを僕にもたらしました……それを文字で表現することは僕にとっては他の何よりも困難なことで[す]。……僕はただ、僕の場合は父は少しも積極的な役割を果たしていないということ、どうやら僕のほうが自分で類推したことを父に当てはめたようだということ、僕の『張本人』は一人の醜い、年配の、しかし利口な女——この女は僕に愛すべき神や地獄についてたくさんのことを話して聞かせ、僕に僕自身の才能についての高い評価を教え込みました——だったということ、後に(二歳と三歳の間に)matrem[母に]対する僕のリビドーが、それも母と一緒のライプツィヒからウィーンへの旅——この旅の途中で僕は母と一緒に泊まったはずですし、 nudam[裸の]母を見る機会があったに違いありません——をきっかけに目覚めたということ、僕は一歳下の弟(この弟は二、三か月で亡くなりました)を邪悪な願望と子どもの本物の嫉妬で迎えたということ、そして、この弟の死によって非難の萌芽が僕のなかに残ったということ、これらのことを示唆することができるだけです」。

 ついでに「一歳上の甥」(ヨハン)を共犯者として姪に残酷なふるまいをはたらいたことが述べられる。「この甥とこの弟は僕のすべての交友関係における神経症的なところ、それにまた徹底的なところを規定しています」。『夢解釈』で言われているごとく、その後のフロイトにとって、この共犯者と敵は往々にして同一人物のなかに探し求められることになるだろう。

 フロイトは自分の旅行恐怖症がこのときの母親との旅行に発することもほのめかしている。
 
 「この話の根底にある場面そのものについては僕はまだ何もつかんでいません。それらの場面がたしかに出てきて、僕が自分自身のヒステリーの解決に成功したなら、ぼくは、それほど小さかったときに僕に生きるためと生き続けるための手段を用意してくれたあの老婆の思い出に感謝するでしょう」。この話は書簡126で述べられている「女中の役割」についての理論を適用できないのだろうか。父親の関与の奇妙な否定。

 十月四日の早朝に見た夢の報告。「性的な事柄における教師」だった女性に自分の性的能力をなじられる(「小さな羊の頭[=ばか者]」)。現在のフロイトの「治療者としての無能力に対するきわめて侮辱的な当てこすり」。「ヒステリーは治らないという信じたがる傾向は、ひょっとすると、ここに端を発しています」。さらに女は自分のからだを洗った赤味を帯びた水でフロイトを洗い、謝礼にするために金を盗ませる。「老婆がそのひどい処置に対して僕から金を手に入れたように、僕は今僕の患者たちに行っているひどい処置に対して金を手に入れているというわけです」。


書簡141(1897年10月15日付)
 「内的な束縛の感情」によって自己分析が三日間進捗していない。くだんの子守女が泥棒だったことを母親から知らされたことで、前便の解釈に変更点。母親が「箱に入れられて」いなくなる夢の報告。これはフロイト一家の前から突然姿を消した老婆の記憶をふまえている。

 この書簡は、エディプス・コンプレックスの発見が表明された最初のテクストとして重要。
 「普遍的な価値のある唯一の考えが僕の心に浮かびました。僕は母親への惚れ込みと父親への嫉妬を僕の場合にも見つけました。そして今や僕はそれを……早期幼児期の一般的な出来事と見なしています」。ひきつづいてエディプス王への言及。「このギリシャの伝説は、誰もが存在を自分のなかに感じたことがあるので誰もが承認する一つの強制を取り上げます。聴衆の誰もがかつては萌芽的には、そして空想のなかでは、そのようなエディプスだったのです」。
 さらにハムレットについても同じことが言えるとほのめかされる。「僕はシェイクスピアの意識的な意図のことを言っているのではなく、むしろ、この作家は現実の出来事に刺激されて、彼のなかの無意識が主人公のなかの無意識を理解するという仕方で、この劇を書いたのだと思うのです。
 「彼[ハムレット]は最後には僕のヒステリー患者たちと同様に驚くべき仕方で、同じ恋敵から毒殺されるという、父親と同じ運命を被ることによって、自分を処罰させることに成功するのではないでしょうか」。


書簡143(1897年10月27日付)
 「商売は絶望的なほど不景気です。……僕は『内的な』仕事[自己分析]にのみ生きています。……僕が第三者として患者たちにおいて共に体験するあらゆることを、僕はここで再び見つけます」。


書簡144(1897年10月31日付)
 「性的な興奮も僕のような人間にとってはもはや役に立ちません」。
 アンナの寝言:「いちご、すぐり、いりたまご、おかゆ」


書簡145(1897年11月5日付)
 「僕の自己分析はまたもや息詰っています。……僕はここから抜け出るために無理して夢の本を書くつもりです」。


書簡146(1897年11月14日付)
 11月12日、「数週間の恐ろしい陣痛の後に僕に一片の新しい認識が生まれた」。この書簡は、『性についての三論』の内容を予示していることで重要。
 「抑圧に関して何か器質的なものが共に作用していること……以前の性感帯の放棄が問題であること……嗅覚の変化した役割……直立歩行、鼻が大地から遠ざかっており、同時に、地面に結びついている、以前には関心をひいた若干の感覚が——僕のまだ知らない過程によって——不快なものになっている……」。
 「正常な成熟した人間において性の放出をもはや引き起こさない帯域は肛門部と口腔-咽頭部であるに違いありません。……動物においてはこれらの性感帯は効力を持ち続けます。もしそれが人間の場合にも続くと、倒錯が発生します。幼児期には性の放出はまだ後のようには局限されておらず……」。
 放棄された(「没落した」)性感帯は、事後的にリビドーではなく不快感を放出する。「記憶は、現在対象が悪臭を放つように、現実に悪臭を放ち、われわれが吐き気を感じたとき感覚器官(頭と鼻)をそらすように、前意識と意識の感覚は記憶に背を向けるのです。これが抑圧です」。
 正常な抑圧は、「道徳、羞恥心、その他のような、発達上の多数の知的事象のための情動的基礎」をもたらす。つまり、これらは一つ残らず、没落した(潜勢的な)性を犠牲にして発生するのです」。思春期において男性においては存続する性感帯が少女にとっては失われる。つまり「男性的な生殖器帯域」であるクリトリス部位であり、新しい性感帯(膣帯域)が目覚めさせられるまでこの時期の少女が見せる羞恥心はここに由来する。
 「僕はまた、リビドーは男性的要因であり、抑圧は女性的要因であると宣言することも放棄しました」。

 「僕の自己分析は中断したままです。僕はなぜかということを見抜きました。……本来、自己分析は不可能なのです。そうでなければ病気は存在しないでしょう」。

 この書簡は、「退行」という用語が「神経症の力動的説明の中心に移動させられた」最初のテクスト(クリス)。


書簡149(1897年12月3日付)
 プラハの反ドイツデモへの言及。ローマの通りを散歩していてドイツ語の看板をたくさん見かける夢。プラハがローマに置き換えられていたのであり、フリースにプラハでよりもローマで会いたいという願望の充足。「ローマへの僕の憧れは、ついでながら、深く神経症的です。それはセム族の英雄ハンニバルに対するギュムナージウム時代の熱狂を引き継いでいます」。
 三歳のときブレスラウで初めて見たガス灯の炎は地獄で燃えている亡霊を思い起こさせた。旅行不安はこの経験にも帰される。


書簡150(1897年12月12日付)
 「内心の神話」。「自分自身の心的装置のぼんやりした内的知覚は幻想を刺激しますが、その幻想は当然外界に投影されますし、特徴的な仕方で未来と彼岸に投影されます。不死、応報、あの世のすべては、われわれの精神内界のそのような表現です。狂った?精神神話学です」。


書簡151(1897年12月22日付)
 あらゆる嗜好がその「代用」であるような「原嗜好」)としての自慰。この嗜好が治らないかぎり、ヒステリーは治癒せず、それを神経衰弱に変えることで満足するほかないのではないかという疑問。
 強迫神経症において抑圧されたものが出現する多義的な「語表象」(≠概念)。
 「幼児期外傷が本物であること」はまだ完全に否定されていない。
 「ロシア式検閲」。


書簡152(1897年12月29日付)
 Dreckologie への沈潜。E氏の甲虫の夢。
 フリースの左利き理論について「僕たち二人の予感と好みが同じ道を歩まない、これまでの長い間で最初の[疑念]」。決裂への序曲。


「神経症の病因論における性」他一篇

「私講師ジグムント・フロイトの学問的業績一覧」(1897年)

 ウィーン大学の員外教授就任のために私家版として印刷に付されたが、「主として反ユダヤ的理由から」(ストレイチー)就任の話は実現しなかった。無署名の記事のほか、講演「コカインの様々な効果について」(1885)が外されている。ジョーンズによればここには「無意識的な要因が絡んでいる」。誘惑は「比較的狭い意味での性的虐待」(「防衛-神経精神症再論」)、その性体験の内容は「倒錯」(「ヒステリーの病因論のために」)と表現されている。


「神経症の病因論における性」(1898年)

 性生活に神経症の病因を探ろうとしないことは、「医師にふさわしくない気取り」であり、医師に患者の性生活を探る権利を認めることは、治療に際して女性器を診察することが患者の羞恥心を傷つけることにならないのと同様に患者の私生活を侵害するものではなく、麻酔が患者の意識と意思決定能力を剥奪することにならない(かつてそういう議論があった)のと同じように医師に不当に強大な権限を付与するものではない。

 神経衰弱という何でもありのカテゴリーから不安神経症(性的な原因をもつ)を区別するというかねてよりの所論がふたたび確認され、両者の混合症状がめずらしくないことが述べられる(「[それぞれの]病因的契機が、性的過程というまとまりを通じて器質的に相互に結びつく」)。

 「現勢神経症」(この論文において初出)と精神神経症の区別も明示される。神経衰弱は現在の性生活が病因であるゆえ患者を問診することが功を奏するが、精神神経症の病因となる出来事は「遠く離れたいわば先史的な人生の時期、つまり早期幼年期にあり、そしてそれゆえにその出来事とその影響力とは患者自身にさえも知られていない」。しかし、臨床における両者の識別はむずかしい。「神経衰弱だと考えられたこれらの症状の背景には、精神神経症が、つまりヒステリーか強迫神経症が隠れ潜んでいる。とりわけヒステリーは、さまざまな器質的疾患を模倣することのできる病気であるから、現勢的神経症の症状をヒステリーの域にまで高めることによって、現勢神経症の一型であるかのように装うことはいとも簡単にできてしまう」。

 現勢神経症についてのいくつかの誤解。神経衰弱を文明病と見なすことは、同じ社会を構成する者のうちでも特定の者だけが神経衰弱になることを説明できないし、神経衰弱の原因を「過労」に求めることは、コンスタントに知的な仕事に励んでいる人が神経衰弱にならない理由を説明できない。「神経衰弱者が『病気になるほどの過労』と訴えるようなものは、たいていはその質から見ても量から見ても、『精神的な仕事』とは呼べないようなものである」。

 また、[当時評判の]水治療の効果(もしくはその不在)は、水治療そのものによるものというより、治療院に滞在することによる性生活の変化の影響が大きい(夫婦生活が途絶える、自慰をやめる、等)。

 神経衰弱患者を「自慰の習慣から解放」し、「正常な性交に戻す」ことは、有効な「医学的な治療の目標」たり得る。「というのも、いったん呼び覚まされ、一定の期間満足を得ていた性的欲求は、これを黙らせてしまうことはもはや不可能で、単に別の道へと遷移させてやるしかないからである」。これは麻薬など他のあらゆる嗜好からの脱出のための治療にもあてはまる。そもそも麻薬性物質は、通例「不十分な性的享楽の代用になっている」。しかし一方で、「正常な性交」の推奨は、結婚における妊娠の回数を制限すべしという「マルサス主義」と相容れない。「満足の到来を妨げるものは、すべて有害である。しかしながら、もちろん今日のわれわれは、確実で便利で性交の快感を邪魔せず女性の繊細な感情を傷つけないというすべてのもっともな要求を満たしてくれるような避妊手段を持ち合わせていない」。それゆえ、医師の「実践的な課題」は、適切な避妊の方法を指南し、このジレンマを乗り越えさせることにある。

 精神神経症については、その病因を「特殊な神経病素質」(ひいては「変質」)に還元することが治療の放棄にほかならないと糾弾される。「人々は、個人個人の病の歴史をその先祖にまで遡って行きたがるが、その際に行き過ぎを冒し、忘れ物をしたのである。すなわち、個体の胚胎と成熟の間には、長くて意味深い人生の一時期、つまり幼年期がある」。

 「子供の性生活などはまったく無視してよいのだと考えるならばそれは不当である。……子供たちはあらゆる心的な性的活動を、そして多くの身体的な性的活動を、やってのけることができる。……しかしながら、人間という種の組成と進化は、幼年期における十二分な性的活動を回避しようとするものだということは、これもまた正しい。すなわち、人間においては、性欲動の力は倉庫にしまっておかなければならないように見えるが、これは、思春期に至ってそれが解放された時に、文化的な目的に奉仕せんがためなのである(ウィルヘルム・フリース)」。

 外傷の事後的な活性化については、幼年期の性的経験の印象と思春期におけるその再生産との間に、「身体的な性的装置のみならず、心的装置もまた、大幅な変容を遂げる」と指摘されていることに注目したい。「それゆえ、それらの早期の性的経験が作用を及ぼしてくれば、その結果は今度は異常な心的反応となり、精神病理的な形成物が発生してくる」。

 精神分析について。「[『ヒステリー研究』刊行]当時においては、われわれはこの方法[「精神分析法」]でヒステリーそのものを治癒させることはできなくとも、その症状を取り除くことができると控え目に述べたにとどまったが、この区別は、それ以後の私にとっては中身のないものであることが分かってきて、今ではヒステリーと強迫神経症の実質的な治癒を目指す展望が開けてきている」。

 「精神分析という治療法は、現時点では、すべての場合にくまなく適用可能なものではない」。「患者の側のある程度の成熟と理解力が必要」ゆえ、幼児や知的障害者、無教養な人、高齢者(人生経験が長いぶんだけ分析に時間がかかる)には向いていないが、「この先、幼い者たちや、助けを求めて病院にまで赴く人々のために、この治療法をより完全なものにしていくことは十分可能であると私は考えている」。

 「現在、精神分析という治療法が直面している本質的な困難は、この治療法そのものの中にあるというよりもむしろ、医師と一般の人々の、精神神経症の本質への理解不足にある」。

 フリース宛書簡のなかでフロイトは一度ならずこの論考を無価値であるとくさしている。たしかに新味は少ないが、なかなかに読み応えがある。

1896年のフリース宛書簡

書簡85(1896年1月1日付)
 「親愛なる友よ、君のような人間は死に絶えてはなりません。われわれ他の者は君のような人を多いに必要としているのです」。「僕は、君が医者になるという回り道をして、人間を生理学者として理解するという君の最初の理想を達成しつつあるのに気づいています。ちょうど僕が同じ回り道をして、哲学という僕の最初の目標に到達する希望をひそかに育んでいるように。というのは、それが、何のために自分がこの世にいるのかということが僕にまだまったく分かっていなかったとき、僕が本来望んだものなのです」。

 「偏頭痛に関する君の見解は僕をある考えに導きましたが、その結果として僕のφψω理論のすべては完全に作り直されることになるでしょう」。

 
「草稿K 防衛神経症(クリスマスのおとぎ話)」

 防衛神経症は、「正常な心的情動状態の病的逸脱である:葛藤(ヒステリー)、非難(強迫神経症)、屈辱(パラノイア)、悲嘆(幻覚性急性アメンチア)。それらは、どのような解決にも至らず自我の持続的な損傷に行き着くということによって、これらの情動から区別される。それらはその情動の手本と同種の原因によって、その原因についてさらに二つの条件――それが性的なものであるという条件、および、それが性的成熟の前の時期に起こるという条件(性と小児性の条件)――が満たされる場合に成立する」。

 「性的表象においては、記憶が後になって、それに対応する体験が作用した以上に強力に放出的に作用する、唯一の可能性が実現している。そのためには、体験と記憶におけるその反復との間に、復活の効果をそのように著しく強化する思春期が挿入されるという、ただ一つのことだけが必要である。心的機構はこの例外に対して準備ができていないように思われる」。

 「羞恥心が(男性の場合のように)存在しないところ、道徳が(下層階級の場合のように)成立しないところ、あるいは、嫌悪感が(田舎でのように)生活条件によって鈍くなっているところ、そこでは抑圧も、それとともに神経症も、幼児期の性的刺激の結果として生じることはないであろう。しかし私は、この説明はより深い試験に耐えないのではないかと恐れる。私は、性的体験における不快の放出が一定の不快要因の偶然の混合の結果であるとは思わない。日常の経験は、リビドーが十分に高まっている場合には嫌悪感が感じられず、道徳が乗り越えられることを教えている」。「抑圧する力としての『道徳』は単に口実にすぎない」。

 パラノイアにおける「自我変化」。「声」「身振り」「口調」の意義。

 「ヒステリーの条件は、一次的な不快体験があまりにも早い時期に起こらないことである。さもないと強迫観念が形成されることになるだけである。男性においては、この理由で、しばしばこの二つの神経症の組み合わせあるいははじめのヒステリーの後の強迫神経症による置き換えが見出される」。


書簡86(1896年2月6日付)
 「もうブロイアーとはまったくうまくやっていくことができません」。


書簡87(1896年2月13日付)
 「心理学――厳密に言うと、メタ心理学は絶え間なく僕の関心を引いています。テーヌの本『知性』は僕にはひじょうに適しています。僕はそこから何かが生まれることを期待しています」。「メタ心理学」の語の初出。


書簡89(1896年3月1日付)
 「君の原稿を一基に通読しました」。「君が何気なくもらしている言葉のいくつかが僕には大変感銘深かったということを付け加えます。そこで僕は、僕の神経症理論における抑圧の限界、すなわち、その時から性的体験がもはや事後的にではなく現実に作用する時期が第二次歯牙発生と一致することを思いつきます。僕は今はじめて僕の不安神経症をあえて理解します――月経をそれの生理学的な手本として、それ事態を一つの中毒として」。

 「男性更年期[についての考え]もまた僕を大いに喜ばせました」。フロイト自身の性的能力の翳りを暗示する一節?

 末尾にマルタのアンナ懐妊の日付をフリースの周期説にあてはめようとした数式がある。編註によれば、家族の身体的・精神的周期を綿密に記録していたフリースにならい、フロイトもそのまねごとをはじめたらしい。


書簡90(1896年3月7日付)
「春の会議」の提案。


書簡91(1896年3月16日付)
 「僕は全体的にみて進歩に満足していますが、敵視されており、あたかも僕が最も偉大な真理を発見したかのように、孤立して生活しています」。


書簡93(1896年4月2日付)
 「僕は若いとき、哲学的認識への憧れ以外の憧れを知りませんでしたが、いま僕は、医学から心理学へ移ることによって、その憧れを実現しようとしています。僕は意に反して臨床医になりました。僕は……自分がヒステリーと強迫神経症を完全に治すことができるということを確信しています」。


書簡94(1896年4月16日付)
 「僕は期日を割り出すために僕の健康状態を毎日記録しています。マルタから僕は見事な副次月経を得ています。僕については偏頭痛、鼻の分泌物、今日のような死の不安の発作を記録しています。しかし、この発作に対してはティルグナーの心臓死のほうが期日より責任が大きいかもしれません」。彫刻家ティルグナーはこの日、21日に除幕式を控えたモーツァルト像の台座に『ドン・ジョヴァンニ』の一節(騎士の亡霊に殺される場面)を刻ませるよう言い残した直後、心臓発作で逝去。


書簡95(1896年4月26日付)
 「彼女[エンマ・エクシュタイン]の出血はヒステリー性のものであって、憧憬から生じ、たぶん性的に重要な期日に起こったのだという点で、君の言うことが正しいということを証明することができるでしょう(あの女は、抵抗から、僕に[排卵日の]データをまだ提供していません)」。

 「さらに僕はニューロンの動きの問題にまったく凝り固まってしまい、信じられないような試みの後で、君の化学的理論に刺激されて、同様に化学的な見解にたどり着きました」

 「精神医学会でのヒステリーの病因に関する講演はばか者どもからは冷ややかに受け取られ、クラフト=エビングからは、『それは科学的なおとぎ話のように聞こえる』という奇妙な評価を受けました。しかも、彼らに何千年も前からの問題の解答、 caput Nili を示してやった後でこうなのです!」。これ以後、フロイトは精神神経学会のいかなる会合にも出席しなくなったというアンナ・フロイトの発言が編註に。


書簡96(1896年5月4日付)
 「僕は君が満足できるくらい孤立しています。僕を見捨てる何らかの合い言葉が言われました。というのは、至るところで皆が僕から離れていくからです」。「診察室が今年初めて空になったこと、何週間も新しい[患者の]顔を見ておらず、新しい治療をはじめられなかったこと、そして、以前からの治療が一つも完了していないこと、こういうことが僕にはもっと不愉快に感じられます」。

 「彼女[エクシュタイン]は十五歳のときのある場面について話しましたが、その場面で彼女は、そこに居合わせたある若い医師(この医師は夢のなかにも現れる)に治療してもらいたいという願望を抱きながら、突然鼻出血を起こしました。彼女は、ロザネスの手当を受けている間の最初の出血の際の僕の動揺を見たとき、病気の状態で愛されることへの古い願望が実現したと思い、そのすぐ後の数時間、自分が危険な状態にあるにもかかわらず、それまで一度もなかったほどの幸福を感じ、次いでサナトリウムでは、僕を誘い寄せようとする無意識的な憧憬の意図から夜間落ち着かなくなり、僕が夜行かなかったとき、僕の優しさを再び呼び起こす確実な手段として、改めて出血を起こしました」。


書簡98(1896年5月30日付)
 「抑圧の時期は神経症選択によって重要ではなく、[性的]出来事の時期が決定的です」:ヒステリー(~4歳)、強迫神経症(~8歳)、パラノイア(~14歳)。編註によれば、後年の精神分析的認識とは時間的関係が逆に見える。

 4歳までの時期の性的記憶には「翻訳されないものという性格が付着しており[「語表象」に翻訳されない]、そのためにこの時期の性的場面の蘇生は心的な結果にではなく、現実化に、転換に行き着く」。

 「ヒステリーは、症状が場合によっては防衛なしに起こりうる唯一の神経症です……(純粋な身体的ヒステリー)」。

 「パラノイアは幼児期による制約がもっともわずかです。それは本来の意味での防衛神経症であり、……強迫神経症とヒステリーのための防衛の動機になる道徳や性嫌悪からも独立しています。だからそれは下層の平民にも到達可能なのです」。


書簡101(1896年6月30日付)
 父ヤコブの危篤が「会議」の実現の障害になりそうだとの危惧。

 「抑圧理論に関して僕は疑問に突き当たっていますが、それを、同一個人における男性的月経と女性的月経についての言葉のような君からの言葉が解消してくれるかもしれません。不安、化学機序、その他――ひょっとしたら僕は君のところで、僕がそこで心理学的に説明することをやめることができ、生理学を拠り所とし始めることができる基盤を見つけるでしょう」。


書簡102(1896年7月15日付)
 「僕は本当に、これが父の最後の時期だと思います」。老父が「多幸的」との報告は、死に多幸症が先行するとのフリースの周期説をふまえていると編註。


書簡103(1896年8月12日付)
 「僕はもう一度若い頃のように(ヒルシュブューエル――ザルツブルク、君はまだ覚えていますか?)、また、それを復活させることがドレスデンでもうまくいったように、君と一緒に歩き回り、食べたいと思います(君の親愛なイーダは、ブロイアーの蒔いた種が彼女のなかで熟さないように、この箇所を素早く読み落とすべきです)」。編註によれば、ブロイアーがイーダ・フリースに夫とフロイトの関係が結婚生活を危機に陥らせると警告していたとのこと。


書簡105(1896年8月29日付)
 念願の「会議」の後で。「この二日間は鉄泉浴だった、と僕はもし僕が古い治療法の信者だったら言うでしょう。本当にありがとう」。


書簡106(1896年9月29日付)
 「僕はほぼ51歳という有名な年齢の限界までぜひ持ちこたえたいものですが、それがありそうもないように僕に思えた日が一日ありました」。「父は床に就いています。多分これが最後でしょう。ときどき錯乱状態になり、着実に肺炎と大いなる期日に向かって衰退しつつあります」。


書簡107(1896年10月9日付)
 「君は、僕が歴史的時代の空想のような空想を笑わないことを、それも僕がそうする理由を知らないからだということを知っています。それらの思いつきには何かがあります。それは、それらの思いつきと何かを共有している未知の現実の象徴的な予感です。そのときは器官ですら同じではありませんから、人は夫の影響の承認をもはや免れることができません。僕は名誉占星術師としての君に屈服します」。


書簡108(1896年10月26日付)
 「昨日僕たちは、10月23日の夜に亡くなった老父を埋葬しました。……原因不明の発熱、知覚過敏、緊張を伴う昏睡の発作が幾度かありました。……最後の発作の後に肺水腫と本当に安らかな死が続きました。これらすべては僕の危機の時期に起こりました」。


書簡109(1896年11月2日付)
 「公的な意識の背後にある暗い道のどれか一つを通って、老父の死は僕を深く感動させました。……僕は今まったく根こぎにされたような感じがしています」。
 葬儀の夜に見た夢の報告。「目を閉じるよう お願いします」「この夢は、生き残ったものに決まって現れる自己非難の傾向の結果なのです」。編註にあるように、『夢解釈』では葬儀の前夜に見られた夢として紹介されている。


書簡111(1896年12月4日付)
 「僕の悪い時期は典型的に経過しました。……僕は、僕たちの仕事を膠ではり合わせ僕の建物を君の土台の上に置く何かと取り組んでいますが、それについてはまだ書くべきではないと感じています」。

 「僕の仕事についてまっ先に君に洩らすことができるのは題辞です」。「『症状形成』の前には、 Flectere si nequeo superos Acheronta movebo.……」


書簡112(1896年12月6日付)
 「われわれの心的機構は現存の記憶痕跡の素材がときどき新しい関係に応じた配列変え、すなわち書き換えを被ることにより、重層形成によって発生した、という仮説」。「僕の理論における本質的に新しいところは、記憶は一重にではなく、さまざまな種類の標識のなかに蓄えられて、多重に存在している、という主張です。同じような配列変えを僕は以前(失語症)、末梢から来る伝導路について主張しました」。

 W(知覚)→Wz(知覚標識)→Ub(無意識)→Vb(前意識)→Bew(意識)。

 「連続して起こる記録が人生の相次ぐ時期の心的成果であることを僕は強調したいと思います[発生論的観点]。二つのそのような時期の境界では心的材料の翻訳が行われなければなりません。精神神経症の特異性を僕は、この翻訳が一定の材料については行われなかったということによって説明します。……より後の上書きはいずれもより早期の上書きを制止し、より早期の上書きから興奮過程を引き出します。より後の上書きが欠けているところでは、興奮はより早期の心的時期に適用された心理学的法則に従って、当時自由に使えた道を通って処理されます。こうして一つの時代錯誤が存続します。特定の区域ではまだ<Fueros>が有効なのです。『遺物』が成立します」。

 「翻訳の失敗――これが臨床的に『抑圧』と呼ばれるものです。その動機はいつでも、翻訳によって発生するであろう、不快の放出です」。

 通常、不快な出来事は、記憶の想起によって不快の放出を制止するが、性的な出来事の場合、この制止が不可能。「この場合、記憶は何か現実的なもののように振舞います。……それは、性的な出来事が放出する興奮の大きさが時とともに(性的発達とともに)それ自体として増大するからです」。ただし、たいていの性的体験は快を放出する。この場合は制止不可能な快が強迫を構成する。「ある性的な出来事が別の段階で想起される場合には、快の放出に際しては強迫が、不快の放出に際しては抑圧が成立します」。

 「倒錯もまた早すぎた性的体験のもう一つの結果なのです。そしてその条件は、防衛が、心的装置が完全にならないうちは起こらないか、あるいはいつまでも起こらないことであるように思われます」。

 以上は「上部構造」の考察。以下、この図式を「器官の基礎の上に置く試み」がフリースの周期説に沿って延々展開される。
 
 「倒錯か神経症かということの決定の問題を僕はすべての人間の両性性によって解決します。純粋に男性的な人間の場合には性的発達の二つの境界の両方において男性的放出の過剰が、それゆえに快が発生し、それとともに倒錯が成立するでしょうし、純粋に女性的な人間の場合には……」。

 「男性の知的な性質はこうして君の理論の基盤の上で証明されているでしょう」。

 「僕にとってはヒステリーはますます誘惑者の倒錯の結果として、また遺伝はますます父親による誘惑として先鋭化します」?

 「小児期においては性の放出は身体のひじょうに多くの部位から得られる」。

 「ヒステリー発作は爆発ではなく行動であり、快を再生産する手段であるというすべての行動の本来の性質を保持しています」。
 
 「めまい発作、泣き入り引きつけ、これらはすべて他人にねらいをつけたものですが、その他人というのはたいてい先史時代の忘れ得ぬ他人であり、後の誰ももはやこの他人には匹敵しないのです」。
 
 「倒錯的な父」の症例。弟が父親の「誘惑」を受けたことを知っている女性が、自分を弟と「同一視」して弟の頭痛(父親の情事の際に父親の長靴が頭に当たった)を引き受けた。


書簡113(1896年12月17日付)
 「着想に際しての僕の内的な喜びは、明らかに、潜在的な証拠にではなく、僕たちの間での仕事の共通の基盤の発見に関係がありました。僕たちがその基盤の上に共同で決定的なものを築き、その際、僕たちの寄与を各々の財産が見分けられなくなるまで統合する――そこまで行けばよいのですが」。つまり、フリースの周期説の基盤の上に「メタ心理学」を構築すること。

 「不安」の解明が精神神経症の中心点と認めているフリースに「窓から堕ちる不安」(恐怖症)についての教示。「彼らは窓[売春婦]に対する不安を感じ、それを落ちるという意味で解釈するのです」。

 「僕は、自分が明らかに28日ごとの期日に性的欲求を感じず、インポテンツであることに気づきました」。
 
 広場恐怖症の解明への確信。「それは、通りで手当たり次第に男をつかまえる意図の抑圧であり、売春婦羨望――そして同一視です」。

 「シャルコーによるヒステリー発作の図式における『おどけ』の段階に対する説明は誘惑者の倒錯のうちにあります」。

「ヒステリーの病因論のために」

「ヒステリーの病因論のために」(1896年)

 フロイトは、ヒステリー者は幼児期の性交渉をかならず経験しているとする一方で、「幼児期の性の活動がほとんど普遍的な出来事である」ことは「悪しき誇張」と退けている。また、幼児期の性体験がかならずヒステリーを発症させるわけではない。そのひとつの理由として、フロイトは年齢制限説を持ち出している。「私たちの重傷例ではヒステリー諸症状の形成は例外なく必ず生後八年目で始まっている。……第二次歯牙発生の成長促進のおきる生後八年目という年齢が、ヒステリーにとってはある限界を形成しており、この年齢以降はヒステリーの原因形成が不可能になるのだと想定せざるを得ない。それ以前に性体験をしていない人は、それ以降もはやヒステリーに罹患する素因を手にすることはなく、体験した人はその時点ですでにヒステリー諸症状を発展させてくる可能性がある」!

 ヒステリーにおける性器の諸感覚や錯感覚は、「幻覚的に再現された幼児期場面の感覚内容に対応している」。それ以外の排泄器官、腸、喉、胃に現れる症状も、同じ幼児期体験の「派生物」。幼児との性的関係は、そもそもふつうの性交が不可能ゆえ、必然的に倒錯的なかたちをとる。そこでは性器以外が性感帯となる。「幼児期の性場面は、性的に正常な人間の感情からすると、あまりに厚かましい要求なのであり、そういう場面は、放蕩者や性的不能者がよく知っているようなあらゆる暴力的行為を含んでいて、そういう行為では口腔や腸末端が性的に用いられるに至る。……自分の性的欲求を子供で満足させることに何のためらいも感じない人間がそのような満足の仕方をするということに対し、医師は驚くどころか深く納得する。子供の年齢では性的不能であることはきまっているので、そういう不能は、成人が後天的に不能になった場合に堕ちてしまうような差し替えられた行為へと駆り立てられる」! 岩波「全集」の解説にもあるように、この時点でまだ幼児の多形倒錯性についての認識ははっきり提示されておらず、もっぱら大人の側の異常性欲が説教じみた口調で糾弾される。

 ヒステリーにおける心的興奮を引き起こす刺激と反応の不均衡は、外見的なものにすぎない。「ヒステリー者の反応は見かけ上大袈裟であるにすぎないのであって、反応が大袈裟に見えるのは、その反応が生じてくる諸動機について、私たちがそのほんの一部分しか知らないからである。実際には、この反応は興奮を与える刺激に対して均衡がとれており、したがって、正常で心理学的に理解できるものなのだ」。号泣痙攣や自殺企図の引き金となる現在の些細な屈辱の背後には、「幼児期の一度も克服されたことのない重大な屈辱」が隠れている。

 「多層性の廃墟」、「第一番目の場面」の背後に隠れている「第二番目の場面」、「結節点」(「諸想起の協調作業」)、「ジグソーパズル」といったフロイト好みの比喩が(とくに講演の前半で)多用されている。

「防衛-神経精神症再論」

「防衛-神経精神症再論」(1896年)

 「神経症の遺伝と病因」で提示された「誘惑」理論がひきつづき披瀝される。自分の診断したすべて(!)のケースで「誘惑」の契機が確認できるとしているが、「誘惑」が実父によるものであり得ることは、「ヒステリー研究」初版と同様、注意深く隠されている。「誘惑」は基本的に兄妹の性交渉としてイメージされている。

 「二人のきょうだいの両方ともがのちに防衛神経症に罹患することはけっしてまれではない。このことはもちろん、家族性の神経症性素因があるという印象をあたえる。しかしこの偽遺伝性は往々にして驚くべきやり方で明らかにされる。あるケースでは、兄と妹と少し年長のいとこがそれぞれ神経症になった。兄に対して行った分析から、この兄は妹の病気は自分のせいだという呵責に苦しんでいたことがわかった。だが、それ以前にある従兄弟がこの兄を誘惑しており、その従兄弟もまだかつて子守女の犠牲者だったことは、家族のなかでは周知のことだった」!

 「なぜ性的内容の表象のみが抑圧されるのか?」という問題についてのきわめて興味深い注。「性的内容の表象は、性体験そのものと同様の興奮プロセスが生殖器にひき起こされる。身体的興奮が精神的興奮へと変換される作用は、通常、体験のときの方がそれを想起したときに比べてずいぶん強い。しかし、性的体験が性的に未成熟な時期に生じ、それについての思い出が成熟過程あるいは成熟したあとに呼び起こされた場合、」その関係が逆転する。「実際の体験と思い出とのこのような逆転関係には、抑圧というものが成立するための心理学的条件が含まれているようである。……幼少期の外傷体験は事後的に、新たな体験と同じように作用するのだが、それは無意識においてなのである」。

 同じく性的な病因をもつのではあっても、単純神経症(神経衰弱、不安神経症)が性的要因の直接作用であるのに対し、防衛神経症(ヒステリー、強迫神経症、パラノイア)は性的外傷の間接的帰結、つまり外傷そのものではなく、外傷の「心的な思い出-痕跡」の帰結であるというちがいがある。


 Ⅰ章では「ヒステリーの『特異的』病因論」が論じられている。ヒステリー患者に女性が多いのは、幼少期に性的侵害を受けやすいためという指摘はまあ納得できる。

 自慰行為がヒステリーの病因であることはつねづね指摘されてきたが、この自慰行為は「誘惑」をきっかけとするものである!


 Ⅱ章は「強迫神経症の本質と機制」について論じられている。

 フロイトが診断したすべての事例において、強迫神経症とヒステリー的な素地との並存が見つかった。フロイトの推測では、これは普遍的な法則である。上記の例での「兄」と同じく、「誘惑」する者自身がかつては「誘惑」される者だったのであり、「誘惑」における能動性は受動性を前提として生まれるということであろう。

 「強迫表象や強迫感情として意識されるものは、意識的な生活にとって病因となる思い出の代わりに生じた、抑圧された表象と抑圧する表象のあいだの妥協形成」であり、「自我」による「防衛の破綻」としての「抑圧されたものの回帰」である。さらにこの「回帰」に対処するため(「二次防衛」)、強迫は表象や感情から行為へと「転移」されうる。

 上の強迫感情とは、[幼児期の性的享楽への]罪責感がほかの不快感に置き換えられたもの。羞恥心、心気的な不安、社会的・宗教的不安、注観妄想、誘惑不安(=自分の倫理的抵抗力への不信)など。


 Ⅲ章ではパラノイア患者の症例が提示されている。

 強迫神経症もパラノイアも「抑圧」という機制によって起こるが(この時点では「防衛」と区別されていない)、強迫神経症における自己不信(上の「誘惑不安」)は罪責感が抑圧されている以上、信用しなくてもよいものであるのに対し、パラノイアでは自分自身への非難が「投射」という仕方で「抑圧」され、「他者への不信」というかたちをとる。このとき、患者は抑圧されたものの回帰(回帰してくる罪責感)への防衛手段をもたない。

 そのため、「妥協によって意識に達した妄想観念は矛盾なく受け入れることができるようになるまで、自我[=抑圧する審級]の思考作業にいろいろな要求をする。妄想観念はそれ自身何ものからも影響されることがないので、自我が妄想観念に適合せねばならない。したがって、ここで強迫神経症の二次防衛の症状に対応するのは結合性妄想形成、つまり解釈妄想であり、それは自我変容をもたらす」。英語版全集の注によれば、この最後の点には、「終わりのある分析と終わりのない分析」で提示されるアイディアの原型を読み取りうる可能性があるという。
 
 「精神分析」、「抑圧されたものの回帰」、「投射」という述語の初出が本論文に確認できる。

 「誘惑」理論の誤りを認めた1924年の注が含まれている。
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