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1895年のフリース宛書簡

書簡53(1月24日付)
 「鼻を持続的にコカインの支配下に置き、……ひじょうに大量の濃い膿を排出[して以来]、……まるで何ごともなかったかのように具合がいい」。

「草稿H パラノイア」

 「妄想観念もまた情動障害の結果であり、心理学的な過程に負っている」。

「彼女[慢性パラノイア患者]はそれを思い出したくなかった。だから彼女はそれを抑圧したのである。彼女は同様にヒステリー的症状か強迫観念を調達することもできたであろう。だが、パラノイア的防衛の特質はどこにあったか」。神経症選択の問題。

 男性器を握らされた女性は、それによって興奮を覚えたために、「悪い女」という非難を抑圧した。それは強迫観念のように置換・歪曲を被ることなく、「実質的な内容は妨害されないまま保たれた」。ただし「以前はそれは内面の非難であったが、今やそれは外から来る不当な要求であった」。このように、「パラノイアには、自我とは相容れない観念を、その事実内容を外界に投影することによって追い払う目的がある」。パラノイアにおける投影は、正常人が頻繁に利用する心的機制の「濫用」である。このように、防衛精神症は正常なプロセスと連続的であると理解されている。


書簡55(1895年3月4日付)
 この書簡からしばらく、エンマ・エクシュタイン(「イルマ」)の大出血の話がつづくことになる。それと並行して、フロイト自身もコカ塗布して激しく膿汁分泌しまくる! 


書簡56(1895年3月8日付)
 イルマのすさまじい大スプラッター描写(例のガーゼの話)。気分が悪くなってしまったフロイト先生、思わず隣室へ退避。戻ってくると「それが強い性[das starke Geschlecht]なんですよ」とイルマに痛烈な皮肉を飛ばされ、面目なし。


書簡57(1895年3月13日付)
 「ブロイアーはダビデ王のようです。誰かが死んでいるとき彼は上機嫌になります」。
 イルマふたたび大出血。「あやうく死ぬところでした」。「僕は頭の中でこの哀れな娘をもう助からないと諦めました」。「僕は彼女が大変好きになっていました」。


書簡59(1895年3月28日付)
 「心理学[後の「草稿」]は僕を大いに苦しめています」。
 イルマは「大変かわいい、上品な女性です」。


書簡60(1895年4月11日付)
 ひきつづきイルマの「生命にかかわるような」大出血。


書簡61(1895年4月20日付)
 コカイン塗布。


書簡63(1895年4月27日付)
 フリースに止められているニコチンを手放せないフロイト。
 「心理学」にのめりこみすぎ、消耗。「僕はかつてこれほど高度のとらわれを経験したことがありません。そこから何かが出てくるのでしょうか?」


書簡64(1895年5月25日付)
 「心理学」の内容についての言及。
 ブロイアーがフロイトの性理論とフリースの鼻理論に理解を示したと上機嫌。


書簡67(1895年6月22日付)
 12月か1月に出産を覚悟。


書簡69(1895年7月24日付)
 「ダイモンよ、なぜ手紙をくれないのですか。……君は僕が何をしているかもうまったく気にかけないのですか。鼻、月経、陣痛、神経症、親愛なる奥さん、そして芽ばえつつある赤ちゃんはどうなっていますか」。
 フロイトはこの日の早朝に「イルマの注射の夢」を見、彼に対してついに「夢の秘密が明かされた」ことになっている。夢についての直接的言及はないが、アンジューが指摘するように、この書き出しの最後の一文を夢のレジュメとして読むことは不可能ではないだろう。「ダイモン」という呼びかけも意味深長。


書簡70(1895年8月6日付)
 防衛のメカニズムの理解に達す。


書簡71(1895年8月16日付)
 ベルヴュー。「心理学」を一時中断。


書簡72(1895年8月28日付)
 ヴェネチア。


書簡73(1895年9月15日付)
 ベルヴュー。「読書をするには暗すぎたし、眠るには早すぎた」車中でついに「草稿」執筆開始。


書簡74(1895年9月23日付)
 「草稿」の執筆継続。投票した自由党は敗北するも、「僕たちの地区は自由主義的なままでした」。
 「一昨日の夢は、願望充足が夢の動機であるという見解のきわめて滑稽な確認をもたらしました」。


書簡75(1895年10月8日付)
 フリースに「鼻と女性の性」執筆を提言。
 「草稿」の三冊のノートのうち、二冊をフリース宛に発送。三冊目については、抑圧の解明が「しっくり行かない」。
 「ヒステリーにおいては、一次的な性的体験が憎悪と恐怖を伴って、強迫神経症においては、それが快感を伴って起こった」。


書簡76(1895年10月15日付)
 「事後性」の発見。「問題の出来事は回想としてはじめて作用するのです」。


書簡77(1895年10月16日付)
 禁煙。


書簡78(1895年10月20日付)
 「草稿」執筆にブレイクスルー。「突然障害が除去され、ヴェールが下がって、神経症の細部から意識の条件にいたるまで見通すことができました。すべてが相互にかみ合っているように見え、歯車装置がぴったり合って、これは今や本当に一つの機械であり間もなくひとりでに動き出すだろう、という印象が得られました。ニューロンの三つの系統、量の自由な状態と拘束された状態、一次過程と二次過程、神経系の主要傾向と妥協傾向、注意と防衛という二つの生物学的法則、質の、現実の、そして思考の標識、精神性的グループの状態——抑圧の性的条件、最後に、知覚機能としての意識の条件——これらすべてが合いましたし、今日もまだ合っています」。
 抑圧を主題にしたヒステリー講演は好評。


書簡79(1895年10月31日付)
 フリースの原稿に感動。「僕より偉大な夢想家でさえある誰かがまだいるという、そして、その人がほかならぬ僕の友人でヴィルヘルムでなければならないという驚き」。
 「あのように熱狂的に報告された、ヒステリーと強迫神経症の快楽-苦痛による解決が、僕には疑わしくなっています。……僕はジグソーパズルを正しく仕上げていないのです」。
 ヒステリー三講演の荒業。


書簡80(1895年11月2日付)
 「小児期の性的濫用」。誘惑理論についての暗示?


書簡81(1895年11月8日付)
 「心理学の原稿を包装し、引き出しに投げ入れました」。
 ブロイアーが医師会で性的病因論への転向を告白。フロイトが感謝すると「それでもやはり私はそれを信じていない」と述べてフロイトの喜びを台無しにした。「君にはこれが理解できますか。僕にはできません」。

「草稿I 偏頭痛」

 「特異的原因」と「平凡な原因」。
 「偏頭痛は性的刺激物質が十分に排出されないときに性的刺激物質によって生み出される毒作用を表す」。


書簡82(1895年11月29日付)
 「心理学を卵から孵したときの精神状態を僕はもはや理解できません。……あれは一種の狂気のように思われるのです」。
 ザックスに心的エネルギーの恒常原則というアイディアを盗まれたと憤慨。


書簡83(1895年12月3日付)
 アンナ誕生。


書簡84(1895年12月8日付)
「草稿J P・J夫人、二十七歳」

『カルメン』のアリアの歌詞と尿意が相乗して「不安に変化した性欲の放出」。

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「神経症の遺伝と病因」

「神経症の遺伝と病因」(1896年)

 シャルコー派は、神経遺伝を神経症の「真の、そして不可欠の、唯一の原因」であるとし、他の要素は「誘発因」にすぎないものとみなす。フロイトは本論文でこれに反論している。

 神経症の病因を遺伝に帰すことは、神経疾患の素質をもつ家族ともたない家族とを截然と分かつことになるが、これは現実的ではない。「神経素因にはさまざまな推移の余地や程度の差があり、いかなる家族もそれをすっかり免れているわけではない」。「後天的に獲得される神経症が存在する可能性は、遺伝的神経病が存在する可能性にひけをとらない」。だとすれば、ある患者の両親の神経疾患が後天的なものである可能性もあるわけで、患者本人の神経疾患を遺伝的とみなすことも不可能になる。

 神経症を遺伝的とみなすことは、神経症の発病を偶然的とみなすことに帰結する。しかるに「神経病理学においても、他の領域においてと同様に、偶然であるようなものはひとつもない」。神経症の「特異的原因」が見究められなければならず、遺伝は「特異的原因」の作用を促す「条件」に帰せられる(そのかぎりで遺伝は「電気回路における倍率器」のようなものである。この比喩は既出)。こうしてシャルコー派の見解が見事に逆転させられる。

 本論文は「誘惑」理論をはじめて明確に提示したテクストとして重要である。

 [多く兄による]「誘惑」は、八歳から十歳までの時期に起こり、思春期にいたってこの記憶が事後的に活性化され、現実を凌ぐリアリティを獲得するにいたる。

 「出来事そのものは思春期のはるか以前に起こったのに、思春期以後に性的記憶がこのように目覚めるということが、記憶の直接的な働きが目前の出来事のそれを凌駕するということを引き起こす唯一の心理学的可能性を構成している」。「目前の出来事」とは、「誘惑」の記憶を想起させる現在の出来事のことを指すのであろう。

 「記憶の心的結果と出来事のそれとのあいだのこの転倒した関係のうちに、記憶が無意識に留まっている理由が含まれている」。

 「思春期以後のすべての出来事、ヒステリー神経症の発展とその症状の形成とに影響すると考えられるこれらの出来事は、協調原因、シャルコーが言うところの『誘発因』にすぎない」

 「これらの[付随的]要因が一次的な病原的刻印とのあいだにもつ連関のおかげで、またこの刻印に吸い寄せられることで、これらの要因の記憶そのものも無意識となる」

 ヒステリーにおいて、「誘惑」は「性的受動性の出来事」として経験され、その際に何も感じないか、「わずかな悔しさや怖れ」が感じられる。一方、強迫神経症においては、「能動的」な経験であり(「欲望に煽られた性的攻撃、性的やりとりへの享楽を伴う参加」)、享楽がもたらされる。強迫神経症患者における罪責感情はこの「先取りされた性的享楽」ゆえに自分自身に向けられる非難にほかならない!

 ヒステリーには女性が罹りやすく、強迫神経症患者に男性が多いのは、前者における性的受動性、後者における性的能動性のゆえである。神経症者のカップルはたいてい幼い頃の恋人どうしで、男性が強迫神経症、女性がヒステリーを患っている!

 ヒステリーが純粋なかたちで発現することが少なく、神経衰弱を併発することが多いことはフロイトの以前の論文でも指摘されてきたが、ここでその理由を、神経衰弱の特異的原因である現在における性生活の変調が、ヒステリーや強迫神経症の特異的原因である早熟な性的経験の記憶を呼び覚ますことに帰している。これは説得的。

 フロイトは神経症の原因を遺伝(誕生以前)から患者自身の幼児期へと移し替えた。家族の問題を遺伝から性交渉へと移行させた。神経症の原因に性的要素を見ることは「新たな、前代未聞の見解ではない。性の乱れはつねづね神経質の原因のひとつに数えられてきた。だが、それは遺伝に遺伝に従属するものとされ、他の誘発因と連関させられてきたし、その病因的影響はごく限られた数の観察例にしか認められてこなかった。それどころか、医師たちは、患者自身がそれを口に出さないかぎり性的問題を追求しない習慣を身につけていたのである」。

 既出の「相対的量」について、次の一節。「遺伝と特異的諸原因とは量的側面によって互いに代理し合うことができる」。

 初出はフランス語。 

「講演『強迫表象と恐怖症の機制』についての報告」ほか2篇


(1)「講演『強迫表象と恐怖症の機制』についての報告」

 講演者自身によるレジュメ。
 
 強迫表象の三分類:(1)外傷(パスカルの例)、(2)強迫観念(3)恐怖症。

 恐怖症においては抑圧がなく、不安だけがある。不安神経症に分類可。

 クラフト=エビングは、フロイトが遺伝的要因を軽視していると釘を刺している。



(2)「P・J・メビウス著『偏頭痛』についての論評」

 ドイツ語版全集の注によれば、エミー・フォン・Nの症例の追加された注にこの文章の影響が認められる。

 以下、フロイト自身の患者における「偏頭痛等価症」の紹介。

 「胃偏頭痛」は「頭部偏頭痛の痕跡」であり、「発作の期間に軽度の前額部圧迫感と光と音に対する明確な過敏性が生じる」。この患者の妹(ニーナR)における「背部偏頭痛」はヒステリー性の痛覚消失をともない、神経症の改善とともに頭部偏頭痛が再発。その後は頭部と背部の偏頭痛が交互に、あるいはばらばらに生じる。同僚の五十代男性における「心臓偏頭痛」。

 最後に偏頭痛と鼻の関係の解明への期待が表明される。フロイト自身の偏頭痛がフリースによる鼻孔内の海綿組織の治療によって軽症化した。

 メビウスの高雅な文体と教養に敬意を表しつつ、その「遺伝的退化形態」説に対しては無関心。


(3)「A・ヘーガル著『性欲動――社会医学研究』についての論評」

 肝心の性欲動そのものを論じていないと一刀両断。


「三部講演『ヒステリーについて』の二つの報告」


 講演の内容を筆記者がまとめたもの。
 それより十年前、学者たちは、ヒステリーを器質的疾患から分離することを課題としていた。いまや、ヒステリーを他の神経症(とりわけ神経衰弱)と分離することが課題である。

 神経衰弱と呼ばれているものは、狭義の神経衰弱、強迫神経症、不安神経症に分類される。

 病因論。「特異的な原因」は、神経症に対して「方向性」と「目標」を与える。月並みな原因は、神経症の「重症度」を規定する。「性的害は全体に対して方向を与えはするが、それを発芽させることはない」。

 「ヒステリー性抑圧の過程は正常領域にその等価物を持つ」。「ヒステリー性の抑圧は正常な抑圧と比べて量的にまさっているにすぎない」。(加えて、正常者は自分が不快な表象を抑圧していることを知っているが、ヒステリー者は知らない。)

 では、ヒステリー者の抑圧はなぜ量的に「度が過ぎている」のか?「[罪悪感]情動を抱きやすい素因は、実際の罪と結びついている。その人は、苦痛な想起を抑圧しようとする。この試みは成功するが、しかし、この成功によって罪悪意識は過大なものとなり、何か驚愕するようなことが起きるにちがいない、という観念が繰り返し回帰してくる。このようにして、その人は行為を想起することなく、純粋に強度の増した罪責意識を抱くにいたる」。この罪責意識は罪の「差替品」である。

 「強迫表象の構造にとってひじょうに重要な連鎖のすべての環は、ある強度でもって、意識の領域に付着している。不快感が苦痛な想起を抑圧するように強要するときは、隣接した環がその想起の強度の相続を引き受ける。つまり、心的効力が、抑圧された想起から罪責意識へと遷移する。いまやその人は、すべての[罪責意識を喚起するに]ふさわしい出来事を肥大化した罪責意識に結びつける……」

 一方で、ヒステリーの抑圧の「度が過ぎている」原因として、「遺伝的ないし個人的な素因」の関与が推測される。

 「第一抑圧」の観念。抑圧は本質的に思春期までに完了し、その後の人生で形成される症状は、思春期に抑圧された表象に結びつけられる。「第一抑圧があって、それにつづけてひじょうに多くの諸症状がその第一抑圧に結びついているのであって、この第一抑圧を取り除くときに、ヒステリーを治療させたという展望が開ける」。

 強迫神経症において、抑圧は二段階(ある想起にともなう心的が特定の出来事[起こるかもしれない罪]へと「譲渡」→罪責意識への「遷都」)であるが、ヒステリーにおいては症状形成と同時的。『心理学草稿』第二部で言われていたごとく、すでに起こっていた抑圧が事後的に顕在化するということだろう。

「『不安神経症』に対する批判について」

 論文「ある特定の症状複合を『不安神経症』として神経衰弱から分離することの妥当性について」において、フロイトは不安神経症と神経衰弱を区別し、前者における不安が性的な不満足、つまり「身体的な性的緊張が心的なものから引き離されていること」あるいは「身体的な性的緊張の心的な処理が阻まれていること」(GW 358)から生まれるとした。この論文に対するレーヴェンフェルトの批判に応える形で執筆されたものであり、因果性についてのきわめて興味深い観点が示される。

 神経症は、「条件」「特異的原因」「恊働的原因ないし補助的原因」「誘因」による「重層決定」によって引き起こされる。「条件」とは遺伝等である(「遺伝は神経症の一つの条件にすぎない」[注1])。「特異的原因」とは、その症状に特有の病因であり、不可欠な要素である。不安神経症の場合であれば、くだんの性的要因。「補助的原因」とは、「感情の動揺や驚愕、あるいは病気や疲労による身体的消耗など」。フロイトは発病の直前に起こった「誘因」(「月並みな原因」)を「本来の原因[動力因]」とみなさぬよう釘を刺しているが、じっさいにはこれらの要因は相互に絡み合っており、はっきり区別することが困難な場合もある。

 「遺伝的要因は不安神経症のもっとも重要な条件ではあるが、しかしけっして必須の条件というわけではない。……特異的な性的要因は症例の大多数において証明される。そうした要因は、一部の(先天性の)症例では、遺伝という条件と区別できないことがある。つまり、特異的要因そのものが遺伝によって部分的に規定されているということがある。言い換えれば、患者はその特殊な性生活のあり方をスティグマとして生まれつき携えているのである(心的な面での不全があって、このため身体的な性的緊張を制覇することが十分にできない)[注2]。……別の一部の非典型例では、特異的原因が恊働的原因のうちに含まれているということがある。どういうことかと言えば、今述べた心的な面での不全が、たとえば過労による消耗などによって生じる場合もあるということである。このようなさまざまな場合があるとしても、症例を全体として見れば、それらは連続的な移行系列をなしている。いくつかの個別のカテゴリーをなしているのではない」。つまりこれら「さまざまな病因論的因子の相互関係」は「量的因子」に還元される(『心理学草稿』における「量的把握」という画期的な観点)。

 アルコールの作用と同じく、さいしょは潜在的に作用している特異的原因にある量が付け加わるか、あるいはそこに「月並みな原因」による負荷がかかることによってある閾値をオーバーするとそれが顕在化し(=量が質化し)、症状が発現する。後者の場合、「月並みな要因が再び取り去られると、[病因の総量は]閾値より下に戻るので、病的現象は消失する。いかなるものであれ神経症の治療の成否は、神経系にあたえられている負荷の総量を閾値以下に下げられるかどうかにかかっている」。

 「特異的要因」は、他の要因と同じく「病因論の多項方程式」を構成する一つの要素に還元される一方で、その特異性をも保持する。「特異的病因は月並みな有害要因によって量的には代表されるが、しかし質的に置換されうるものではない。さらにこの特異的要因は主として神経症の形式を規定する」。


[注1]遺伝的要因は「電気回路に挿入された倍率器」にたとえられている。

[注2]多産な女性は、妊娠期間中に性交渉を控える結果として、常態的に「性的に不自由な状態に置かれる」ことで「先天性の不安神経症」であり得る。逆に言うと、多産な女性の夫が「性的にほとんど不能」であることもめずらしくない。

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