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『ヒステリー研究』

 『ヒステリー研究』(1895年)


 「誘因」(Veranlassung)としての「心的外傷」は、往々にして「小児期に起こった出来事」に帰される。

 ヒステリーにおける外傷が「心的外傷」であるとし、外傷神経症の定義をヒステリー一般に拡張しようとする見解は、本書以前にも、本書にも見られるが、この時期のフロイトは、誘惑理論に確信を深めつつあった。初版では、二つまでの症例(カタリーナ、ロザーリア・H)において実父による性的虐待の事実が叔父によるそれと婉曲化?して表現されていた。

 「偶発的な契機がヒステリーの病理にとっては決定的である」

 「心的外傷ないしはそれへの回想というものは、異物のようなものとして作用し、この異物は侵入後なおもやむことなく作用をおよぼし続ける原動力とみなされなければならない」

 「異物」という比喩は、もっとあとの箇所で「浸潤物」(Infiltrat)と言い換えられる。それは患者の自己とはっきり切り離せず、治療においてはそれだけを摘出することはできない。

 異物として侵入した誘因が「潜伏期」を経て、あるきっかけによって「事後的に」(本書では使われていない語)顕在化する。その意味でヒステリー症状は「多元決定」的である。

 この場合の多元決定とは、「くり返し複数のきっかけがあって、そのせいで同一の情動が呼び起こされる」ケースのことである(ブロイアー「理論的考察」)。

 「患者自身も、周囲の人々も、ヒステリー症状はただ最後のきっかけによってのみ生じたのだと考えるものだが、しかし、たいていその最後のきっかけは、すでに他のさまざまなトラウマによってほぼ完成していたものを発現させたにすぎないのである」。そうしたきっかけは「動力因 causa efficiens」とはみなせない。(同上)

 本書において多元決定という語は、ラプランシュ=ポンタリスも指摘するように、器質因と外傷とのそれという意味で使われる場合もあれば、より一般的な意味でも使われる。

 「それまで健康であった者において、ヒステリー症状が形成されるには、かならず複数の因子がともに作用せねばならない。ヒステリー症状は、フロイトの表現を借りると、つねに『多重規定』されている」(同上)。公衆便所で口唇性交を迫られたことをきっかけに無食欲、嚥下の違和、嘔吐の症状を来した少年においては、「先天的な神経面での特徴、驚愕、性的な事柄が著しく乱暴な形でいきなり子供の心の内へと入り込んできたという因子、そして、規定的要因として、胸の悪くなるような嫌悪(=吐き気)という表象」。
 
 そもそもが単一的な症状で現れることの少ないヒステリーは複雑怪奇なもの。「いまだかつて記述されたことのない、きわめて複雑な思考対象」のイメージをあたえるために、フロイトは、さまざまな比喩に訴える。まず、線状の配列。そして、同心円的な層次構造。これらは形態学的な範疇。さらに「分岐はしながら収斂性をおびた線体系」をなし、ジグザグ運動を特徴とする「不規則で、何度も折れ曲がった道」である「論理的な糸」。これは力動的な比喩。これらはいくつもの「結晶」「結び目」を形成しており、それをほぐしていく過程が「ジグソーパズル」にもなぞらえられている。

 「私の書く病歴がまるで小説のように読むことができ、いわゆる科学としての真剣な印象を欠いているようにみえる点はわれながら奇妙な感じがする」。「ふつう作家の仕事と目されているような詳細な心情的現象の描写」は、ヒステリーの性質そのものが要請するものであるとし、フロイトはそれを精神病と対比する。器質的な病因をもつ精神病とちがい、ヒステリーは患者の歴史のうちに原因をもつということだろう。

 ストレイチーは「恒常原則の形をとった力動的な仮説がすでに外傷と除反応の理論の基盤となっている」ことを強調している。恒常原則は、ブロイアーによる電話回線の比喩においてもっとも明解に提示されている。「脳内部の伝導路は電話回線のようなものだと考えるとしても、機能するときにだけ[……]電気的に興奮する電話線のようなものだと思ってはならないだろう。むしろそれは、恒常的に定常電流が流れ、そして定常電流が消失すると興奮しなくなる電話回線のようなものなのである」(「理論的考察」)。

 ストレイチーによれば、本作中、ブロイアーの貢献に帰すべきなのは、「幻覚が心像から知覚への『後退』であるとする考え、知覚と記憶の機能が同じ装置によっては果たされ得ないとする命題、拘束された心的エネルギーと拘束されない心的エネルギーの区別と、それに相関する1次と2次の心的過程の区別」(『フロイト全著作解説』)

 さらにストレイチーによれば、ブロイアーは心理学的な説明を強調しているが、じっさいには神経学に依拠しており、逆にフロイトは神経学にこだわっているが、心理学的な分析に至っている。

 「あなたの病気を取り除くためには、私より運命の方に分があることは疑いもありません。けれども、あなたのヒステリーのみじめさをありふれた不幸に変えてしまうことにわたしたちが成功するのだったら、それだけでもずいぶんとくをしたということになる、とお気づきになりましょう。ありふれた不幸に対してなら、あなたも心の生活の回復によって、ずっとたくみに防衛をすることができましょうから」。

 すばらしい締めくくりである。この巻末の一節において、初版では「神経組織」となっている部分が1925年の版で「心の生活」に差し替えられている。ここにストレイチーは、神経学からの決定的な離反を見てとっている。


 ストレイチーらによると、以下はそれぞれの述語の(狭義における用法の)初出とされるが、あまりあてにならない。
 
 「患者の忘れたいと思っていて、そのために故意に意識的思考からこれを押し出して (verdrängen) しまい、抑制し、制圧して……」

 「私はふつうの生活の実例から、ある表象に解消されていない情動が備給されることは、いつもある程度までは連想を寄せ付けないことからくること、また新しく備給 (Bezetzung) される情動との不和を伴うことを明らかにした」

 「患者[アンナ・O]は『無意識のうち』(unbewusst)に第二状態の産物が刺激として作用しないかぎりは、意識は明瞭で、とりみだしたところもなく、意志的にも知覚的にも正常であることの証明を提供していた」

 「患者が分析の内容から浮かびあがってくる苦痛な表象を、医師の人格に移して (übertragen) おいてそのことを恐れる。[……]医師への転移は、にせの結びつき Mésalliance によって生じる」

 「ヒステリー症状は、フロイトの表現を借りると、つねに『多重規定』されている(überdeterminiert)」


 最後に、無意識が数度にわたり、「知性」「思考」と表現されていることにも注目しておきたい。


 引用は『フロイト著作集』および中公クラシックスの訳をお借りした。

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「強迫と恐怖症、その心的機制と病因」


「強迫と恐怖症、その心的機制と病因」(1895年)

 強迫には次の二つの要素が含まれる。(1)患者を圧倒する「観念」(2)この観念に結合された「情緒状態」。

 (2)は恐怖症では不安であるのに対し、真性強迫では他の情緒状態(疑い、後悔、怒りなど)。

 真性強迫においては(2)のほうが主要素。(2)には必然性があり、一定しているが、(1)は恣意的に変化する。(2)が永続化した一方、(1)はもはや強迫の病因と関係のある正当な観念、もともとの観念ではなく、その代替物、代理物にすぎない。(1)と(2)の不釣り合いな取り合わせが、強迫につきものの不条理感を説明する。こうした置き換えは、相容れない観念にたいする自我の防衛行為である。
 
 「観察例XI――マクベス夫人のケース。手を洗う行為は象徴的なものであり、自分が失ってしまったことを悔いている精神の純粋さを、肉体の純粋さによって代理させるという目的をもっていた」

 恐怖症で問題なのは置き換えではない。「見出されるのはただ情緒状態、不安に満ちた情緒状態だけであり、これが、ある種の選択によって、恐怖の対象となるにふさわしいありとあらゆる観念を生じさせる」。「広場恐怖などのケースでは、しばしば不安発作の記憶が語られる。じつをいえば、患者が恐れているのは、そうした発作を起こすことが避けられないと自分で思いこんでいる特殊な状況のもとで、当の発作に襲われることなのである」。(1)がなくて(2)しかない、つまり「心的機制が存在しない」かぎりで恐怖症は不安神経症の一部をなしている。

1894年のフリース宛書簡


1894年のフリース宛書簡


 95年に発表された「『不安神経症』と分離することの……」と関連する内容が随所にみられる(とくに草稿E)。

 不安については、すでに93年11月27日の書簡33にこうある。
「不安を性的濫用の、心的ではなくてむしろ身体的な帰結に結びつけることを思いつきました。まったく静かなまったく冷感症の女性における中絶性交後の不安神経症の素晴らしく純粋な一症例が僕にそのことを思いつかせたのです」

書簡38(2月7日付)

書簡39(4月19日付)
 心臓発作。鼻原因説を唱えていたフリースが、動揺して今度は喫煙を禁じたことをフロイトは責めている。マリアンネ・クリュルによれば、この発作がフロイトに不安についての草稿(E)を書かしめた。
 Er夫人はメランコリーであり、不安は無関係との診断。

書簡42(5月21日付)
 『ヒステリー研究』への確信。「ほとんど一人だけで神経症の解明に携わっています。彼らは僕をほとんど偏執狂と見なしています。ところが僕は、自然の大きな秘密の一つに触れたというはっきりした感覚をもっています」

 神経症の3つの機制:(1)情動変態 Affektverwandlung(転換ヒステリー)(2)情動移動 -versetzung(強迫観念)(3)情動取り換え -vertauschung(不安神経症、メランコリー)

 神経症の要因:変質(Degeneration)、老衰、葛藤(防衛)、突発。

 草稿D「大神経症の病因と理論について」

 草稿E「不安はいかにして発生するか」
 「不安は蓄積された性的緊張から変態によって生じた」」
 「身体的な性の緊張が蓄積されるところに――不安神経症。心的な性の緊張が蓄積されるところに――メランコリー」
 内因性興奮に対しては、「特異的な反応」だけが効果をもつ。
 「内因性緊張は連続的あるいは不連続的に増大するが、それが一定の閾に達したときに初めて気づかれる。この閾を越えて初めてそれは心的に利用され、一定の表象群と関係を持つに至る。そしてこの表象群が次いで緊張除去の手はずを整える。つまり、身体的な性的緊張は一定の値を越えると心的リビドーを呼び起こし、この心的リビドーが次いで性交その他を実行に移す」

書簡43(6月22日付)
 禁煙の経過。

書簡48(8月18日付)
 草稿F(その1):失恋でリビドーが減少した不安神経症者K

書簡49(8月23日付)
 草稿F(その2):症例Kの遺伝的素質。「身体的な性的興奮の心的克服における弱さ」。別のメランコリー患者の症例。

書簡52(12月17日付)
 草稿G:メランコリー
 「メランコリーと不感症の間には際立った関係がある」。「メランコリーは典型的に激しい不安と組みになって現れる」。「メランコリーの本質はリビドーの喪失についての悲哀にある」……

 性図式による、心的性群の興奮量の喪失の諸条件の説明。メランコリーの3つの形態。「不感症はメランコリーの原因ではなく、メランコリーの素質の徴候」。
 メランコリーによる衝動貧困化と心的制止。「心的性群が興奮量を非常に大量に失うと、言わば心的領域への回収が生じ、これが隣接する興奮量を吸い上げるように作用する。連合したニューロンはその興奮を引き渡さなければならず、このことが苦痛を引き起こす。というのは、連合の解消は常に苦痛だから」。神経衰弱との類似性。

「ある特定の症状複合を『不安神経症』として神経衰弱から分離することの妥当性について」

「ある特定の症状複合を『不安神経症』として神経衰弱から分離することの妥当性について」(1895年)


 神経衰弱と診断される事例のうちには不安神経症のケースが混じっているとして、不安神経症という範疇を定義し、他の神経症から区別しようとしている論考。

 不安神経症とは、「一義的に優先する対象を欠いた、純粋な不安を主ととした、しかも現実的要因の果たす役割の明らかな神経症のことである。このような意味で、不安神経症は、不安がある特定の代理対象に固定された、不安ヒステリーとかあるいは恐怖症とははっきりと区別される」(ラプランシュ=ポンタリス)

 特定の対象から切り離された情動としての「不安」は、フロイトのその後の重要な概念となるだけに興味深い論考だ。

 「不安な予期は神経症の中核症状である。[……]不安な予期においては、一定量の拘束されずに漂う不安が存在しているのであり、それが予期において、表象の選択を支配し、また、絶えずお誂え向きの表象内容があればそれに結びつく準備をしているのである」
 
 この場合の「予期」とは、対象を求めてさまよっている段階の不安であり、これは「準備段階」とも言い換えられている。のちにフロイトはこのような特定の対象に向けられたものではない不安の自覚を signal と表現することになる。

 不安は性的な原因に由来する。性的能力の衰退、性交未遂、性交不安、禁欲など、なんらかの理由によって満足させられない性的興奮が不安を生み出す。これがなんらかのきっかけによって、身体的な症状へと「転換」される。

 「結果が生ずるには、もともとの病因に加えて他の要件(素因、個々の病因の集積、他の日常的な有害事象による促進)も必要になることがある」のだが、性生活に関する諸々の有害事象は「単独で見出される場合もあれば、その作用を補強する効果が認められている他の日常的な有害事象と並存して見出される場合もある」。

 「対外射精という特定の性的な有害事象は、それ自体では不安神経症を引き起こすことはできなくても、少なくとも不安神経症になるための準備状態を提供はする。不安神経症は、特異的な要因の潜在的な作用の上に、別の日常的な有害事象が加わるや否や発生する。日常的な有害事象は、特異的な要因を量的に補足することはできるが、質的に代替することはできない。特異的要因こそが常に神経症の形態を決定する要因であり続けている。私はこの主張を、神経症の原因に関して、より包括的に証明できるよう努力したいと思っている」

 なんらかの日常的な有害事象をきっかけに、性的不満足に由来する興奮の集積(=不安)がとくていの表象と結びつき、そこに捌け口を見出す。

 「……心的な領域にある性的な表象群はエネルギーを付与され、リビード緊張という心的状態が出現する。そして、この緊張状態は緊張状態の終結を目指す圧力をもたらす。こうした心的な加重からの解放は、特定の仕方でしか可能ではなく、その仕方を私は特定行為あるいは十全行為と名づけることを提案したい」。この「十全行為」がすなわち身体症状。

 換言すれば、「不安神経症の徴候」とは「性的な興奮への応答である特定行為を控えることの代理現象」である。

 神経衰弱が(自慰などによる)興奮の貧困化をその特徴とするのとは逆に、不安神経症は興奮の「集積」によって際立つ。げんに「不安神経症になるのは、性的能力を失っていない男性と不感症ではない女性である」。こうした興奮の集積という事態を不安神経症はヒステリーと共有している。そのかぎりで「不安神経症はヒステリーの身体面での双子の片割れである」。そのいずれにあっても、「心の力量不足」が「異常な身体的過程の出現」を促し、興奮が心で処理される代わりに身体的な側面へ「逸脱」するのだ。

 ただし、「その転換の過程において神経症が表出される興奮が、不安神経症においては純粋に身体的(身体的な性的興奮)であるのに対して、ヒステリーの場合には心的(葛藤によって惹起されたもの)である」というちがいがある。いずれにしても、不安神経症とヒステリーの密接な関係は、不安神経症を神経衰弱から分離するための強力な手がかりとなり得る。

 父親の死によって発病した患者の例への言及があるが、そこで父親の死は対外射精による不安を顕在化させるための「日常的な有害事象」としか見なされていない。

1893年のフリース宛書簡


〔46〕1893年のフリース宛書簡

 「神経症理論」ならぬ「神経症物語」。

 草稿B
「遺伝性のものでないすべてのヒステリーは外傷性ヒステリーである」「すべての神経衰弱は性的なものであらねばならない」「性的神経衰弱者は常に同時に一般的神経衰弱者である」

 神経衰弱の病因公式。「遺伝的素質」を度外視するなら、疾患は(1)「不可欠の条件」(性的要因)と(2)「誘因となる諸要因」(器質的要因etc.)の相互作用によって顕在化する。(1)が十分に作用していない場合、(2)によって「補充」される必要がある。
 
 神経衰弱は男性の性的能力の減衰に起因する。女性の神経衰弱も男性の側の性的能力の減衰によって引き起こされ、その場合ほとんどのケースでヒステリーを併発する。

 草稿C/1
「性的有害因子にはその直接の作用とは別に潜在的な神経衰弱を形成する素質付与要因がある」

 草稿C/2
「本来の神経衰弱の病因は、それが他の神経質状態から区別されるかぎり、Abusus sexualis に、性的機能の濫用的行使にある……。この要因は、それだけで、健康な神経系を神経衰弱的な神経系に変化させるに十分であるという意味で、あるいは他の事例においては、それが、他の有害因子がそれだけでは引き起こすことができない神経衰弱を引き起こすように作用する、不可欠の前提であるという意味で、特異的な[spezifisch]病因である」
 ここでの Abusus sexualis とは、とりあえず性的虐待(誘惑)という意味ではなく、マスターベーション等を指すもののようだ。

 この年の書簡には他に、ブロイアーとの葛藤、フリースの鼻神経症、数字理論への関心などが読みとれる。

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