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「防衛-神経精神症」

〔45〕「防衛-神経精神症」(1894年)

 フロイトの最初の精神病論。

 防衛という機制を軸に、前半では神経症が、後半ではその極端な形としての精神病が論じられる。 

 「病者の観察から『恐怖症および強迫表象についての心理学的な理論』が得られるとともにヒステリーの理論についても寄与するものがあった……」。観察から理論へ。

 ヒステリーの3つの型。
(1)類催眠ヒステリー:「夢に似た独特の意識状態」としての意識分裂(2)防衛ヒステリー:「意志活動の結果としての意識分裂」。遺伝的・器質的要因のない後天性の(akquiert)もの
(3)鬱滞ヒステリー:外傷的な刺激に対する反応が起こらない。

 本論では(2)の防衛ヒステリーが論じられる。

 「こういった[外傷的出来事の]相容れない表象は、女性の場合たいてい性をめぐる体験や感覚の土台の上に現れてくる。患者たちはまた、期待どおりの非常にはっきりとした態度で、防衛しようとしていた自分を、つまり出来事を『脇へ押しのけ』[fortschieben]、考えず、抑え込もうと意図していた自分を、想い出すのである。[……]わたしは、こういった類いのことを思考の外に押し出そう[aus Gedanken zu drängen]とする意志の努力が病的な行動であると主張することはできない」

 「防衛の能力を有する自我は、相容れない表象を《到来しなかった》表象として取り扱うという課題を自分自身に課す」。最終章において、この機制は Verwerfung と呼ばれるだろう。

 「この想い出-象徴は、解消できない運動神経の神経支配として、あるいはひっきりなしにくり返し生じる幻覚的な感覚として、寄生虫のように意識のなかに住まい、逆方向に働く転換が生じるまでそこに留まりつづける。つまり抑圧された表象の記憶痕跡は、消え去ってしまうのではなく、その時点から二番目の心的[表象]集合体を形成するようになる」。
 この「二番目の心的集合体」は「ヒステリー性の分裂の核」であり、それが「『外傷的要因』のなかでいったん作り上げられてしまったら、この核はそれ以外の要因のなかで成長するようになる……」

 「性的表象をそれ以外の、それにふさわしい、しかし相容れなくはないような表象に結びつけること——これは意識が関与せずに生じる過程である。それはただ推定されるだけの、しかしいかなる臨床=心理学的分析をもってしても証明できない過程である。もしかするとつぎのように言ったほうが正しいかもしれない。それは心的な性格をもつ過程ではまったくなく、物理的な過程であって、その過程によって生じる心理的結末が『情動からの表象の分離とその情動の誤った結合』という言葉で表現されていることが実際に生じているかのように見えるのだと」

 物理的過程の「心理的結末[psychische Folge]」としての一次過程、というわけか。

 最終章においては、防衛神経症の考察から精神病のメカニズムの解明へと歩が進められる。

「防衛にはさらにもっと精力的で効果的な種類のものがある。この防衛の本質はすなわち、自我がその堪えがたい表象をその情動ともども棄却してしまい(verwurfen)、自我はあたかもそのような表象が自我のなかに、一度たりとも入り込んではいなかったかのように振る舞うという点に存する」という幻覚性の精神病。

 「わたしが注目する事実は、こういった幻覚性の精神病の内容が、病気のきっかけによって脅かされていたあの表象を強調しているという点にあることである。[……]すなわち自我は、精神病への逃避によって堪えがたい表象を防衛していたのである。したがってこのことが達成されてしまった過程にあっては、逆に自己を知覚することも抜け落ちてしまうし、心理学的=臨床的分析を行うこともできない」。

 精神病においては堪えがたい表象ともども「主体」そのものが排除されてしまうわけだ。

 「自我は、堪えがたい表象から自らを切り離すけれども、その表象は、現実の一部と切り離されずに繋がったままになっている。であるから自我がこの営みを貫徹することによって、自我は現実から全面的に切り離されるか、あるいは部分的に切り離されてしまうのである」。

 幻覚が生ずるのは後者のケースである。のちにシュレーバー症例において解明されるごとく、幻覚とは治癒への努力である。幻覚性精神病において、Verwerfung は不完全にしか起こっていないということになる(完全に起こっている場合は、早発性痴呆になるのだろう)。

 「防衛精神病が、ヒステリーあるいは混合神経症の経過のなかで挿話的に現れることはまれではない」。境界例であろう。

 「防衛神経症に関するこの記述に用いた補助表象について手短に述べてみよう。それは——わたしたちはこれを測定する手段をもたないのだが——心的な諸機能について量としてのあらゆる特徴を有するなんらかのもの(情動総計[Affektbetrag]、興奮量全体[Erregungssumme])が区別されるべきであるという表象である。それは、増量したり[Vergrößerung]、減量したり[Verminderung]、遷移したり[Verschiebung]、放散したりする[Abfuhr]ことができ、表象の記憶痕跡のなかにまで広がり、言うなれば身体表面に広がっている電荷のようなものである。この仮説は、[……]物理学者が電気的な流体の流れを仮定するのと同じ意味で用いられている」

 以上、訳文は岩波『フロイト全集』に拠る。

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「シャルコー」


〔44〕「シャルコー」(1893年)

 「我々はシャルコーが、人間が体験しうる最大の満足は何かを新しいものだと見取ること、すなわち何かを新しいものだと認識することだと言うのを聞くことがあった。そして何度も繰り返し、シャルコーの話はこの『見取ること』(Sehens)の難しさとそこから得られるものの大きさに戻るのであった。シャルコーは言う。いったい全体、医師(Menschen in Medizin)はどうして前もってそれを見るべきであると教えられた事柄だけしか見ないようになってしまったのか。新しい事柄——新たな疾病像——が突然見えるようになるのは、大変素晴らしいことである。しかもこの新たな疾病像とはおそらく人という種と同じくらいに古い疾病像なのだ。今や私[シャルコー]には三十年来病室で見過ごして(übersehen)きた多くのものが見えると言わざるを得ない」(『フロイト全集』第1巻)

 ジャン=ミシェル・レーは、übersehen という語の両義的なニュアンスについて考察している。

 キュビエ的な分類学者にして、ピネル的な「解放者」としてのシャルコー。「パリ動物園の前にあるキュビエの彫像は多くの動物の像によって取り囲まれているが、それは彼が動物世界の偉大な知悉者であり、記述者であることを示している」。「シャルコーが彼の全権威をもって、ヒステリー現象は本当に存在し客観的なものであると主張したので、ヒステリー即仮病という考えはなくなっていったのである。シャルコーは小規模ながら、解放の行為を再現したのであり、それ故にサルペトリエールの講堂にはピネルの絵が飾られたのである」

 「神経疾患の中でももっとも不可解な疾患」ヒステリー。ヒステリーにおける心の「特異状態」においては、「全ての印象や想起を束ねる連合の帯が解けてしまって[いる]」……。「意識の分裂理論はヒステリーの謎の解答としてはあまりに現実離れしていて、予備知識無しに康平に観察した場合、この理論を納得することは難しいという反論は不当である。実際、中世においてはこの解答が選択され、悪魔による憑依がヒステリー現象の原因であると説明されていた。両者の相違は、言うなれば、中世という暗く迷信的な時代の宗教的な用語の代わりに現在の科学的な用語がさしかえられたというだけのことである」。「意識の分裂理論」は、睡眠時と覚醒時のそれを考慮すれば納得できるはずなのに。

 外傷後のヒステリー性麻痺が器質的な素因を背景として患者の脳を支配した「表象」が生んだものであることを証明したことによって、ヒステリーの機制の解明者という栄誉に浴したシャルコー。しかし、ヒステリーの病因論においては遺伝的要素のみを認め、それ以外の要素を誘発因(agents provocateurs)としか見なさず、結果、ヒステリーを変質(Entertung)に帰した。

 シャルコーの臨床研究は、弟子のジャネ、ブロイアーを通じて、「神経症理論」として実を結ぶ。「神経症理論は、司祭の幻想の産物である『悪魔』を心理学的な公式に置き換えれば、中世的解釈と一致している」。シャルコーの疾病記述的な方法の限界は、ベルネームによる催眠の心理学的な基礎づけによって乗り越えられた(晩年のシャルコーは催眠の治療効果を否定していた)。

「器質性運動麻痺とヒステリー性運動麻痺の比較研究のための二、三の考察」


〔43〕「器質性運動麻痺とヒステリー性運動麻痺の比較研究のための二、三の考察」(1983年) 

 フランス語論文。なかなかに読み応えがある。 

 『失語症』論における「投射」(末梢→脊髄)と「代理」(脊髄→灰白質)の区別に照らして、器質性運動麻痺が次のように分類される。

 a)末梢-脊髄神経系麻痺(「細部の détaillé 麻痺」)=投射麻痺

 b)大脳麻痺(「ひとかたまりになった en masse 麻痺」)=代理麻痺

 器質性神経疾患を「装う」能力において際立つヒステリーであるが、ヒステリーが「投射麻痺」を装うことはない(ただし、ヒステリー性拘縮についてはこのかぎりではない)。弛緩状態でのヒステリー性麻痺は、単一の筋肉を侵すことはけっしてなく、つねに「ひとかたまりの」麻痺である。

 ただし、ヒステリー性麻痺は、「末端に近い領域のほうが軀幹に近い領域よりもつねに重い障害を被る」という原則にしたがわないことにおいて、大脳麻痺とも区別される。

 ピンポイントでの「局部的な麻痺」(単麻痺)はむしろ投射麻痺の特徴に近い。大脳麻痺においては、「運動伝導神経繊維が脳内の行程の長い範囲にわたってあまりに接近しすぎているため[要するに繊維の数が足りない]、単独で損傷を被ることができない」。それゆえ、ヒステリー性麻痺は、二種の器質性麻痺のいわば中間に位置する。

 ヒステリー性麻痺が代理麻痺の一種であるとしても、その場合の代理は特殊なあり方をしている。それがどのようなものかという問いに対する答えは、「神経症理論の大きくて重要な一部分を含んでいるかもしれない」。

 神経症の署名のごとき第一の特徴:「ヒステリーは度を過ぎた顕れ方をする」(シャルコー言)

 器質性麻痺においては中途半端な麻痺が多いのに対し、「ヒステリー性の麻痺は、しばしば、これ以上ないというほど完全である」。

 「ヒステリー麻痺とは、はっきりした境界をもち、過度な強さを備えた麻痺である。ヒステリー性麻痺はこれら二つの性質を同時に所持しているのであり、まさにその点で器質性大脳麻痺ともっとも際立った違いを見せる。……[器質性の]皮質性単麻痺は、完全になものになると同時に範囲の限定されたものであり続けることはできないのである。……ヒステリー性麻痺は、たとえば、腕なら腕を限定的に侵すのであり、脚や顔面には痕跡すら見出されない。しかも、その腕なら腕において、ヒステリー性麻痺はおよそ麻痺なるものが到達しうるかぎりの強さを示す」

 こうした点にこそ「神経症の典型的な刻印」、「神経症の本性」が見出される。

 「私は物事を現にあるがままに捉えなくてはならない」……

 器質性麻痺において一義的なのは、損傷の「性質」ではなく、損傷の「規模と位置」である。ヒステリー性麻痺においては、「性質」のみが重要である。

 シャルコーによれば、ヒステリー性麻痺における損傷は「純粋に力動もしくは機能にかかわる損傷」である。フロイトはこの曖昧な言い回しによって名指されているものを、器質性損傷(たとえば、一過性の貧血状態といった「死体に痕跡が残らないような損傷」)と同じものと理解するべきではないと釘を刺す。

 「ヒステリー性麻痺の損傷は神経系の解剖学的構造からまったく独立しているはずである。なぜならヒステリーは、麻痺やその他の形をとって顕れてくるとき、まるで解剖学的構造など存在しないかのように、あるいは、まるでそんなものをなにも知らないかのように振る舞うのだから。[……]ヒステリーは神経の分布のしかたを知らないし、それゆえ末梢-脊髄神経系麻痺すなわち投射麻痺を模倣することがない。[……]ヒステリーは諸器官を、それにつけられた名前の通俗的な意味、民間で了解されている意味に解する。つまり、脚とは脚の付け根までのことであり、腕とは衣服の上から見ても形がわかるような身体上部の出っ張りのことである。腕の麻痺に顔面の麻痺を付け加える理由などないのである」。

 「最後に私は、ヒステリー性麻痺の原因となる損傷がいかなるものでありうるかについて考察を進めてみたい。私は、それが実際にいかなるものであるかを示すとは言わない。私にできるのはただ、ヒステリー性麻痺の諸特性に矛盾しないなんらかの概念化をもたらしうる思考の路線を提示することだけである」

 「私は、付随する器質性損傷のない、少なくとも、いかに繊細な分析をもってしても、目につくほどの大きな損傷が見あたらない、機能変性が存在しうることを示してみたいと思う。いいかえれば、ある原始的機能の変性の適当な例を提示しよう。そのために私がお願いするのは、心理学の領域に足を踏み入れるのをお許しいただくことだけである。[……]ヒステリー神経症を説明するためには心理学に目を向けねばならないと、われわれに最初に教えたのはシャルコー氏である」

 「ヒステリー性麻痺や感覚脱失その他において働いているのは、諸器官や身体全般のありふれた、民間に伝わる表象である。こうした表象は、神経の解剖学的構造についての専門知識にではなく、われわれの触覚や、とりわけ視覚に、もとづいている。それがヒステリー性麻痺の諸特徴を規定するとすれば、ヒステリー性麻痺は神経系の解剖学的構造のいかなる概念も知らず、そこから独立しているはずである。ヒステリー性麻痺の損傷は、それゆえ表象の変性、たとえば腕の観念の変性だということになるだろう」

 「心理学的に考察した場合、腕の麻痺は、腕の表象が自我を構成する他の諸観念と連想関係をもつことができない、ということのうちに存する。[……]腕は、まるで諸連想の働きにとって存在していないかのように振る舞うのである」

 「ある家臣が、君主が自分の手に触ったからといって、その手を洗おうとしなくなったという笑い話がある。この手と王の観念とのあいだの関係は、どうやら当の個人の心的生活にとってあまりに重要なので、彼はこの手が他の諸関係のなかに入っていくことをなんとしても拒もうとするのである。[……]これはたんなる比喩ではなく、表象の心理学の分野に足を踏み入れるなら、ほとんど同一のことがらである」

 「ヒステリー性麻痺のすべてのケースにおいて、麻痺した器官や廃棄された機能は、大きな情動的価値を携えた下意識の連想にはめ込まれていることが判明する」

 以上、訳文は『フロイト全集』による。

「催眠による治療の一例」――「対抗意志」によるヒステリー症状の発生についての見解

 
〔42〕「催眠による治療の一例」――「対抗意志」によるヒステリー症状の発生についての見解(1892年)

 「私はあれこれのことをするだろう」という表象(=「意図」)に対し、「私は意図したようにそのことをやり通せないだろう」という反対表象がある。

 同様に、「あれこれのことが私に起こるだろう」という表象(=「期待」)に対し、「期待に反したことが起こってしまうのではないか」という反対表象がある。

 通常の健康な状態では「抑え込まれ、制止され、連想から排除されて」表に出てこない「反対表象」が「神経症の土壌において」生じてくる。

 神経症においては「一次的に存在する状態として、気分変調や自己意識の劣化」が想定される。ちなみにこの状態は「メランコリーにおいて最も高度に進展する」。 

 反対表象は「単純な神経症状態では、一般的な悲観的傾向として表出されるが、神経衰弱では、たまたま何気なく感じたことが思わぬ連想を引き起こして神経衰弱者の多様な恐怖症にきっかけを与える」。

 以下、反対表象の現れ方をめぐる神経衰弱とヒステリーという「二大神経症」の鮮やかな対比。

 「神経衰弱では、病的に亢進した反対表象は随意的表象と結びついて意識的行為を生み出すが、この反対表象は随意的表象からは差し引かれるので、神経伊衰弱者の際だった意志力の減退を生じることになる。意志力の減退については神経衰弱者が自覚している事柄である」。

 一方、「ヒステリーでは意識の解離が起こる傾向があるが、それに相応する形で、表面的には制止されている不快な反対表象が意図との関連を外れてしまい、分離された表象として存続し続けている。そして患者自身もしばしばその表象に対して無意識的なのである。別けても極めてヒステリー的なのは、この制止された反対表象は、意図を実際に遂行することが問題となる場合には、正常な状態において随意的な表象がそうであるのと同様の容易さで身体的な神経支配を通して現実化されてしまう[sich objektiviert]ということである。反対表象は、自分が思った通りに体が動かせないことを驚きを持って自覚した時点で、いわば『対抗意志』として確立される」。

 授乳できなくなった母親は、「自分の恐れにおそらくは気付いておらず、授乳を最後まで行おうとする固い意志を持っており、ためらいなくそれに取りかかる。しかし、いざその段になると、あたかも赤ん坊に決して授乳をすまいという意志を持っているかのように振る舞ってしまう。そしてこの意志は、授乳作業をしないで済むように仮病を装おうと考えているならば並べ立てられるであろうような主観的な症状を一つ残らず呼び起こすのである。[……]さらに、対抗意志は身体を支配することにおいて仮病よりも勝るので、仮病では作り出せない多くの客観的な消化管の徴候もこれに加わる。神経衰弱における意志力の減退とは対照的に、ヒステリーでは意志の倒錯が生ずるのであり、神経衰弱の諦めを含んだ優柔不断さとは対照的に、ヒステリーでは自分には理解できない内面的な統合不全に対する驚きと怒りが存在するのである」。

 「正常な意識によって制止され拒絶された不快な反対表象こそが、ヒステリー性の素因を形成する契機においては突出しており、さらに、身体を神経支配する突破口となっている」

 「抑圧されている表象群、わけても苦労してようやく抑圧されtれいる表象群こそが、人がヒステリー性の消耗に陥った場合に、ある種の対抗意志に沿う形で行為に変換される」

 愛する女性の名を人前で叫んでしまうのではないかという反対表象に取り憑かれ、教室で「マリア!」と叫んでしまった男性の例に思わず頬が緩む。

講演「ヒステリー諸現象の心的機制について」

〔41〕講演「ヒステリー諸現象の心的機制について」(1893年)

 シャルコーは、暗示によって外傷性麻痺を再現することを通して、麻痺が、外傷そのものによってではなく、外傷の表象によって生じることを証明した。しかし、シャルコーは、麻痺以外の症状、および非外傷性ヒステリーのメカニズムについては解明していない。

 この課題に切り込むに際して、フロイトは「外傷」の観念を一般化し、外傷性ヒステリーと非外傷性ヒステリーの区別を撤廃するという戦略に訴える。
 「外傷性麻痺と一般的な非外傷性との間には完全なアナロジーが存在する。[……]前者では一つの大きな外傷が作用したのに対して、後者はたった一つの大きな出来事が確認されることは稀であり、情動に満ちた一連の諸印象つまり受難史の全体が確認されるという差異でしかない」。

 「今日では、外傷性ヒステリーをもたらす大きな機械的な外傷の場合においても、作用するのは、機械的要因ではなくて、驚愕情動つまり心的外傷であるということを疑う人はもはやいない」。

 「以上のことから、まず明らかになるのは、シャルコーがヒステリー性麻痺に対して与えた外傷性ヒステリーの図式が、全く一般的に、すべてのヒステリー諸現象に、あるいは少なくともその大多数にあてはまるということだ。どのような場合でも重要なのはいくつかの心的外傷の作用なのであって、それらの心的外傷がそのようにして発生した症状の本性を明確に規定しているのだ」。

 「したがってあらゆるヒステリーは心的外傷という意味で外傷性ヒステリーとして理解できる」。


 かくのごとくすぐれて多元決定的なものとしてある心的外傷は、それだけ見極めにくい。

 「すべての症例において、心的外傷による症状決定が、それほどはっきりと見通せるわけではない。誘因とヒステリー症状の間に、言わば、象徴的な関係しか存在しないことはしばしばである」。

 たとえば、「突き刺すような」眼差しで見つめられた苦痛に発する眉間の痛み。あるいは、社交界に「ちゃんと登場する(rechte Auftreten)」ことができないのではないかという不安に発する「右足」の痛み。

 「このような象徴化が、多くの患者によって、一連のいわゆる神経痛や痛みを作り出す際に、利用されることになる。あたかも、心的状態を身体的状態によって表現しようという意図が存在しているかのようだ。そして語法[Sprachgebrauch]がそれらの橋渡しの役割を果たすのだ」。


 心的外傷のメカニズムを説明するに際し、「興奮量」という観念が導入される。それは「異物のイメージ」をとおして提示される。

 「我々が催眠下で聞き知ったあの誘因[Anlaß]と、後年にヒステリー性の持続症状として残る現象との間の因果関係は、そのような性質のものだろうか。そういう因果関係は多種多様であり得るだろう。例えば、そういう因果関係には、誘発因[Auslösung]のタイプとして挙げられるような性質のものもあるだろう。例えば誰か結核の素因のある人が、膝に打撃を受けて、その結果として結核性の関節炎が発生してくるとすると、これは単純な誘発因だ。しかしヒステリーでは事情は異なる。さらに別の誘発[Verursachung]の仕方があって、これは直接的な誘発だ。この誘発を、異物のイメージを使って図式的に理解してみよう[veranschaulichen]。そういう異物は病原として除去されるまでずっと刺激を与え続ける。《原因がなくなれば、作用もなくなるのだ[Cessante causa cessat effectus]》。ブロイアーの観察が教えるところによれば、心的外傷とヒステリー現象の間にあるのは、この後者の様式の連関である」。

 「人間がある心的印象を経験するとき、その人の神経系の中では何かが亢進するということであって、その何かを我々は目下のところ興奮量と名づけておきたいと思う。さて、すべての人間のうちには、その健康を維持するために、亢進した興奮量を減少させるという努力が払われている。興奮量亢進が感覚性通道に生じるならば、興奮量減少が運動性通道に起きることになる。したがって、誰かに何かが降りかかると、その人はそれに対して運動性の反応をとる。最初に受けた心的印象のうちでどれくらいが後に残るのかは、この反応に左右される……。[……]こういう反応の仕方には、さまざまな種類がある。全く軽度の興奮亢進に対しては、おそらく、自分の身体に何らかの変化を与えること、例えば、泣く、罵る、暴れるとか、それに似たことで十分対処できます。[……]いつの場合でも、最も適切な反応は、何らかの行動を取ることだ。とは言っても、あるイギリスの学者[ヒューリングス・ジャクソン]が機知をきかせて述べたように、敵に対して矢の代わりに罵詈雑言を浴びせた人間こそが文明の創始者だったのだ。このように、言葉は行動の代替になるし、状況によっては、唯一の代替だということになる(告解がそうだ)。[……]もっとも、健康な心的機制は、心的外傷の情動を除去するのに、たとえ運動性の反応や言葉による反応が不首尾に終わったとしても、他の手段を有している。つまり、それは、連想による加工であり、対照的な表象によって除去するという手段である。侮辱を受けた者が、殴り返さず、罵詈雑言も口にしない場合に、彼が侮辱による情動を軽減させることができるのは、彼が自分の内に、自分には品位があるのだとか、侮辱してきた相手は下品なのだというような、対照的な諸表象を呼び起こすことによってである」。いずれの方法を選ぶにしろ、その結果として、「元々強力にその想起に付着していた情動は、最終的には強度を失い、とうとう情動を失った想起は時間とともに忘却され、摩滅していくことになる」。ところが、ヒステリー者にあってはこうした「摩滅」が起こらず、諸印象は生々しいものとして残る。

 外傷の想起は、出来事の経験そのものの正確な再現である。

 「この[外傷的]出来事についての想起は他の出来事についての想起よりもはるかに桁外れに強い生々しさを備えたものであったということ、その出来事に結びついた情動は実際にその出来事が起こった際に生じた情動と同程度に強いものであったということ。実際にはそういう心的外傷は当該の患者の中でいまだ作用し続けることでヒステリー現象は続いているのであり、患者がそれについて語り尽くした途端にヒステリー現象は終結するのだ、と想定せざるを得[ない]」

 過去を生き直すという不可能事は、そもそも人間の根源的な欲望であるとされる。

 「我々の治療は、人間の最も熱烈な欲望の一つ、つまり何かを二回体験できるようにしたいという欲望に沿うものなのだ。[……]我々はヒステリーを治癒させるのではなく、終わってはいない反応を完遂させることによって、ヒステリーの個々の症状を治癒させるのだ」


 その他の覚書。

 「ヒステリーの病因に看病が認められるのはよくあること……」

 「共通のテーブルを使用する習慣があったために、患者たちが、自分の憎悪している相手と食事を共にせざるを得ない」という事情に関係した吐き気は、「人物から食べることへと転移する」。


 以上、訳文は岩波版『フロイト全集』に基づく。

症例「ニーナ・R」についての四つの記録文書

〔40〕症例「ニーナ・R」についての四つの記録文書(1891~94年)

 父親の側の「遺伝的負因」。あまり聡明ではない善良な母親。ヒステリー的な複雑な神経症に罹患し、生活無能力者の弟。

 情愛を示すことのない父親の態度が患者の不満の「素地」となって、食事のときに顔を合わせることが気詰まりになり、嘔吐を伴うヒステリー性食欲不振に。

 食欲不振の誘因として、腹膜刺激症状(子宮の腫大)という器質的な背景あり。

 「『活発なユダヤ娘』という周知のタイプの範例」だが、「いつも『ややこしい』性格で、治療にあたった医者が皆いまだに彼女の性格と病気とを切り離すのは難しいと感じている」。

 どういうふうに「ややこしい」かというと、「熱狂しやすく、心酔しやすく、興奮しやすく、わざとらしく」「風変わりなところがあって」「他人に配慮するということがなく」「こましゃくれていて、現実離れしたところがあり、物思いにふけりがち」で、「どこにいても、不満で、退屈し、自己や世界に対する苦痛を感じて」いた。「精神面では色っぽい女」だったが、「身体面ではひどくかまととぶっていた」。「顕著な知性」を備え、「理想的なことに関心を向けたり高度な精神的刺激を得たいと骨を折ったりするわりに、自分が次になすべき義務を果たすのを忘れたり環境と調子を合わせるのを忘れる」といったように「人格に生まれつき不全なところがある」云々。フロイトもブロイアーも最後まで彼女の信用を得られなかった。

 女性によく見られるように、マスターベーションの習慣を止めた結果、初めて病気の症状が前面に出てきた。マスターベーションじたいは神経衰弱の特徴を強く感じさせるものであったが、「はっきりとはしない多くの[心的な種類のものであったり、運動性のものであったりする]ヒステリー諸症状」がこれに加わった。

1892年のフリース宛書簡


〔31〕フリース宛書簡<12>(1892年5月25日)
 フリース婚約(9月結婚)への祝辞。

〔32〕フリース宛書簡<13>(1892年6月28日)
 この手紙からフリースを Du で呼ぶ。ブロイアーの発案による『ヒステリー研究』発表への言及。

〔33〕フリース宛書簡<14>(1892年7月12日)

 フリースの妻の家族が住むブリュール(チチェーリエ・Mが引っ越していた土地)でのたのしいひととき。

 フロイトがフリースに気晴らしに書くように奨めていた「鼻の本」についての励まし。

 「僕のヒステリーはブロイアーの手の下で変えられ、広げられ、切り詰められ、その際、部分的に消え去ってしまいました。……ここから何が出てくるのか、まだまったく分かりません」。

 憎っくきマイネルトの死についてのコメント。「先週僕はめったにない人間的な楽しみに恵まれました。マイネルトの蔵書から僕に合ったものを探し出す機会があったのです。まるで野蛮人が敵の頭蓋骨から蜂蜜酒を飲むようなものでした」。

〔34〕フリース宛書簡<15>(1892年10月4日)
 フリースの反射神経症についての校正刷りを同封。『小児の反側脳麻痺に関する研究』の「第二部」(『ファウスト』のそれになぞらえて)を執筆中との報告。

〔35〕フリース宛書簡<16>(1892年10月21日)
 男性ヒステリーが疑われる(?)患者に対する神経炎とのハイトラーの診断に対し、フリースの診断(扁平足)を擁護するつもりであること。ヒステリーについての講義には「不運なことに」ブロイアーが出席する。キップリングの『幻の人力車』と『消えた光』を読むように。

〔36〕フリース宛書簡<17>(1892年10月24日)
 くだんの患者についての意見。

〔37〕フリース宛書簡<18>(1892年10月31日)
 フロイトの妹とマルタの兄夫婦がアメリカに移住するための寄付を呼びかける。

〔38〕フリース宛書簡<19>(1892年11月3日)
 寄付への謝辞。

〔39〕フリース宛書簡<20>(1892年12月18日)
 『ヒステリー研究』「暫定報告」発表の予告。クリスとドイツ語版編集者の注には、フロイトブロイアーの立場の違いが<類催眠ヒステリー>と<防衛ヒステリー>との対立であるとの『自己を語る』の一節が引用されている。


 「草稿A」

 「生得的な性的虚弱をともなう生得的な神経症は存在するか、それとも性的虚弱は常に青少年期に獲得されるのか。(子守女、他の誰かによるマスターベーション)」。同注によれば、ここは広義の誘惑理論の初出。

 「遺伝は倍率器(Multiplikator)とは異なる何かか」。「『不安神経症』に対する批判について」(1895年)でも同じ語が用いられているとの編集者注。

 「ある種の性的異常が風土病的になっている地方からの観察」。クリス注によれば、「異なった文化的条件の下での臨床的研究の意義」に触れた最初とのこと。

『ヒステリー研究』に関連する三篇

〔30〕『ヒステリー研究』に関連する三篇(1892年)


1. 1892年6月29日ヨーゼフ・ブロイアー宛書簡

 「私は無邪気にも自分の書いた頁を何枚かあなたにお渡しして満足しておりましたが、その満足感も、ずっと考え続けることによる苦痛(Denkschmerzen)につきものの居心地の悪さ(Unbehagen)には負けてしまいました。私が頭を悩ませている問題は、我々のヒステリー論のような立体的なもの(etwa so Körperhaften)をいかにして平面的に(flächenhaft)記述する(darstellen)ことができるのか、ということなのです。主たる問題はおそらく、我々が歴史的な提示の仕方をする(darstellen)、すなわち、病歴の全部または最良の二つの病歴から始めるか、あるいはむしろ説明を与えるために考案した我々の理論でもって独断的に始めるのかということです。私は後者のやりかたに決めたいと考えておりま[す](zuneigen)」(『フロイト全集』第1巻、岩波書店)

 『全集』では、「平面的」に対立させて「立体的」と訳されている körperhaft という語にいろんな含みを読み込むことが可能だろうが、ヒステリー症状の鵺のような多面性はたしかに「立体的」というイメージをも喚起する。

 そうした「立体的なもの」を「平面的」な記述に変換(翻訳)するにあたっては、本質的に置き換えられないまま残ってしまうものがある。そうした残余がもたらす感覚をフロイトは「居心地の悪さ」と呼んでいるわけだ。

 「持続諸症状は正常な機制に対応しているように思われるのであって、これらの症状は反応の試みであり、一部ではその反応の試みが異常な経路で行われる。ヒステリー性のものでは、これらの異常な経路が残ってしまうことになる。これらがいつまでも残ってしまう理由は……。興奮量は、その一部が、異常な経路(内部の変化)へと遷移(Verschiebung)されて、それらの興奮量は解消されることはない」
 依然として問題になっているのは変換ということである。 


2. ヒステリー発作の理論にむけて

 ヒステリー症状は、本質的に多様であり、その「全体像」において「典型」として現れることはめったにない。それゆえ、それについての「理論」はいまだ存在せず、あるのは「記述」だけである。

 「我々の知る限り、ヒステリー発作に関しては理論はいまだ存在せず、ただ、それに関してはシャルコーに由来する記述があるだけだ。その記述で挙げられているのは、稀にしか出現しないような、すべてがそろっている「《ヒステリー大発作》である。シャルコーによれば、そのような『典型的な』発作は四つの段階から成り立っている。[……]すべての段階は、それぞれが独立して、形成され、延長され、修飾され、脱落させられるので、シャルコーによれば、ありとあらゆる多種多様な形態のヒステリー発作が成立することになる。医者としては、典型的な《大発作》よりも、それら多様な発作を観察する機会の方が多い」。


3. 覚え書き

 そのような「理論」構築の前提となる仮説。
 「我々は既に……ヒステリーの素因の特徴づけをもくろむ次のような仮定を取り上げることなくして、ヒステリー諸現象の成立の条件を論することは不可能であった。その仮定とは、ヒステリーにおいては一時的な意識内容の解離が容易に生じるということと、連想によって結びついていない個々の表象複合がいきなりばらばらにされてしまうという事態が容易に生じるということである。よって我々はヒステリーの素因を、そのような状況が(内的な原因によって)ひとりでに発生するか、あるいは、外部からの諸影響によって容易に誘発されるという点に求めることになるのだが、その場合に我々は、ある系列においては、この二つの要因がさまざまに程度を変えて関与しているものと見なしている」。
 スタンダード・エディションの注によれば、このくだりは、のちに「相補系列」(Ergänzungsreihe)と呼ばれるものの初出。

「性生活[は]その人の人格の別の部分に向けて(zur sonstigen Person)強烈な対立を突きつけ」、「性生活の諸表象は反応すること[ママ]が不可能」。

「講演『催眠と暗示について』についての報告」


〔29〕「講演『催眠と暗示について』についての報告」(1892年)
  
 催眠は存在するのか。つまり、特有の「身体的・物質的特徴」をそなえた状態として定義できるのか。もしくは単なる暗示の産物であって実体はなく、「詐欺」や「自己欺瞞」にひとしいものなのか。

 フロイトは前者つまりサルペトリエール学派の立場に自身を位置づけつつ、上の二者択一を巧妙に骨抜きにしようとする。ナンシー学派の暗示の定義にしかるべき変更を加えるという条件の下で、催眠が暗示の産物であるというかれらの主張を受け入れるのだ。

 「催眠などというものは存在せず、単にさまざまの種類と程度の非暗示性が存在しているだけだ」とするデルブフ(Gesammelte Werke の注が想起させるように、ベルネームも「すべては暗示のうちにある。そのかぎりで(comme quoi)催眠は存在しない」と慎重な留保をつけながらも述べている)が催眠と暗示のあいだに想定する偽の対立がひとまず退けられ、暗示と他の手段(命令、教示 etc.)による心的影響とが注意深く区別される(以前のテクストでもやっていた)。

 「『暗示』はベルネームによって、自分のものではない表象が脳に導入され受容されてしまう心的作用として定義されている。しかし、この定義には、定義としては広すぎるという問題がある。この定義では、人と人との間に交わされるどんな心的な影響も暗示であるといった推察を許すことになり、その結果、催眠に際して我々にとって不可思議な現象を引き起こす暗示からその特徴を奪ってしまうことになるからである。[……]これとは対照的に、演者[フロイト]は命令、説得、教示等々といった例を挙げて、暗示の特徴を確認しようと試みており、暗示とは脳が外部から与えられた表象を、批判のための材料が自由に利用できる状態にあるにもかかわらず、無批判に受け入れてしまうことであるという結論に達している」
(兼本浩祐訳、『フロイト全集』1巻所収)

 暗示と宗教的信仰心の相違点にも触れられる。暗示と宗教的信仰心については、のちの『群衆心理学と自我の分析』でも考察の対象になるが、両者の類似点ではなく、相違点が問題にされているのが興味深い。

 「催眠状態による被暗示性は、他の条件による被暗示性とは若干異なっている。すなわち、他の軽信性の亢進が、原因となった条件と関連した暗示によってのみ引き起こされるのに対して、催眠状態ではそれは無差別的である。たとえば宗教的に被暗示性が高まっている人たちは自らの信仰に内容的に合致する暗示に対してしか軽信的ではなく、どんな内容に対しても一般的に軽信的だというわけではない。そういった人たちは、たとえば、ルルドで奇跡によって病気が治ったという話はそれ以上深く尋ねもせずにそのまま受け入れるであろうが、食べ物がそこには無いのにあるという錯覚を与えようとした場合には、どこにそんなものがあるのかと詰問するであろう」

 そもそもフロイトが暗示にこだわるのは、神経症の心因性を重視しているからである。そこに器質因しかみようとしない医学的治療を批判するために、フロイトはアクロバティックな論法に訴える。

 「医学的な治療を[……]自然科学的知識全体の上に(auf die Gesamtheit der jeweiligen naturwissenschaftlichen Erkenntnisse)据えようとする正規の医学と並行して、非専門家による野党的な『在野』医学(eine laienhafte, oppositionelle >>wild<< Medizin)がどの時代にも(jederzeit)存在してきた。そして、その主要な特徴は、まさに治療の科学的な基盤を脇に除けておく(beiseite zu lassen)ことなのである。[……]こうした素人療法の効能は疑う余地がなく、過小評価すべきものではない。しかし、その効能の本性を考えてみた場合、我々の解剖学に基づいた推論に矛盾する仕方で治癒した症例は一例もないと言うことはできるであろう。[……]素人療法の成功例は、常に原理的には治癒可能であると正規の医学でも説明できるような症例であって、正規の医学でもその治療に相当数の症例で成功するような場合である。それでも留意しておくべきは、こうした在野医学が、我々の科学的医学とおおよそ同じ治療法を選択しているにもかかわらず、合理的な治療が上手くいかない何例かの症例で実際に治癒をもたらすこともあるということである。それ故、素人療法のどの部分がその効能を生んでいるのかを探究する価値は十分ある……。その方向で省察を重ねてみると、素人療法に効果をもたらすのは心的要因でしかありえないのではないか……。その理由として挙げられたのが、素人療法による病気からの寛解は[……]そのすべてにおいて暗示という心的要因の存在が明瞭に認められるということであった。」


 心身の相互作用について、医学的治療は身体から心的なものへの影響によってとらえるが、「正規の医学教育によって昨今背景に取り残されている別系統の諸事象」は、その逆もまた真なりと教えている。
 フロイトの結論は大胆である。宗教のみならず、科学そのものが一つの暗示だとするのである。

 「人間は一般的に、自身が熱中する対象をあまりにも貪欲に追い求める。その結果、自分が追い求める対象の前ではあたかも暗示をかけられたかのようになり、論理的な筋道を妨げられてしまう。科学的な真理は、確かに熱中するに値する課題である。[……]我々に必要なのは偏見なく検証をすることだけであり、暗示療法の『熱心な支持者』として振舞うのも、厳しい敵対者として振舞うのも、科学的な人間にとっては同様に不適切だ」

 のちに『幻想の未来』などにおいて、フロイトは「健忘」(催眠における暗示に特徴的な付随現象とされている。「催眠における健忘は、我々が意識のまったく異なった時点での状態を相互に結びつけるのを差し控えることから派生しているだけではないか」)に陥ったかのごとく、この洞察を忘れ、宗教と科学を対立させる挙に出るだろう。とはいえ、ドイツ語版全集の注が指摘するように、「素人による精神分析について」における科学主義批判の先駆をここに読み取ることも可能である。

シャルコー『火曜講義』翻訳への注解抜粋

〔28〕シャルコー『火曜講義』翻訳への注解抜粋(1892年)

 「ヒステリー発作の中核(Kern)は、それがどのような外観(Form)をとったとしても、想起だということであり、その疾患の成立にとって重要な意味を持つ場面の幻覚的な再体験(Wiederdurchleben)だということである」(兼本浩祐訳、『フロイト全集』第1巻所収、強調は原文)

 身体的外傷に由来するとされる「いわゆる『外傷性』のヒステリー」については留保が置かれ、ヒステリーの病因となる外傷はあくまで「精神的な外傷」であり、それは「想起」によって事後的に病因となるとされる。「外傷というのは、運動反応によって十分に処理すること(entledigen)ができなかった神経系の興奮増大としても定義できるかもしれない。ヒステリー発作というのは、外傷に対する反応を完結させる(vollenden)試みとしてもあるいはvielleicht)理解できるかもしれない」(強調原文)。


 「『理屈はたしかにその通りでしょう。しかし現実がこうであることは変えられません(La théorie, c’est bon. ; mais ça n’empêche pas d’exister.)』。
 現場で実際に起こっていることを直視せよとシャルコーは言っていたのである(Wenn man nur wüßte, was existiert)」(強調原文)

 シャルコーの名台詞はその呪文のような響きとともにフロイトの心に刻み込まれたのであろう。それにつづく一節は、いわば師の言葉についてのフロイトなりの註釈であろうが、これまた詩のような含蓄に富む。兼本氏は『踊る大捜査線』ふうの超訳をあえて試みていらっしゃる。


 神経症の遺伝的要因については……
 「《神経障害素質血統》学説は、確かに早急に修正を必要としている」が、「この神経疾患[広場恐怖]は、さまざまの強さで獲得される(erworben werden)ものであって、遺伝的負荷があれば同じ病因に基づいていても当然病勢はより強くなる」(強調原文)。

 そのほかのトピックとして、ヒステリーと夢のパラレリスム、ヒステリーてんかんという混乱した概念への疑念など。

 翻訳および注釈全篇についてのコメントも(できれば)追ってアップしたいです。

シャルコー著『火曜講義』への訳者序言

〔27〕シャルコー著『火曜講義』への訳者序言(1892年)

 「シャルコー教授は、自分のまえに連れて来られた患者のことをまったく知らないか、表面的なことだけしか知らない。教授は、聴講者のまえでもふだんの診察のときと同じに振る舞うよう自らに課している。ふだんと違うのは、教授が声に出して考えること(laut denken)、自らの思考(Vermutungen)の流れ(Gang)、診察の流れに聴講者を参加させることだけである。教授は患者にいろいろな質問をし、一つ一つの症状を確かめ、それによってケースの診断を下すのだが、その診断をさらなる診察によってもっと絞ったり、確認したりするのである。わたしたちが気づくのは、シャルコーは目のまえにある(vorliegend)ケースを、自らの経験にもとづきつつ、彼の記憶のなかにある(ruhen)さまざまな病像の全体と比較しており、そのケースの症状(Erscheinung)をこういった病像の一つと同定するのである。……そしてそれに加えて鑑別診断に関する見解が述べられる(sich knüpfen)。シャルコー(Vortragende)は講義をしながら、どうしてそのような診断に至ったか、その根拠を明らかにしようとする。……さらにケースの臨床上の特徴についての議論が続く。病像あるいは『<疾患単位>』(アンティテ・モルビード)は、考察全体の基礎となるものであるけれども、一つの症状系列(Erscheinungsreihe)、しばしばさまざまな方向へ広がってゆく症状系列をなしている。ケースの臨床的評価は、こういった系列のなかでそのケースにしかるべき場所をあてがうことをその内容とする。系列の中間にあるのが『典型例」(テュープ)、すなわち病像を意識的かつ意図的に図式化した極端な病型である。……ドイツでは病像や典型例は重要ではなく、ドイツの臨床医の発展史から説明できるそれ以外の特徴が目立つ。すなわち、病状および症状同士の関係を生理学的に解釈しようとする傾向である。フランス人の臨床観察は、生理学的な観点を二の次としたことによって、疑いなくその独自性を獲得している」(渡邉俊之訳、『フロイト全集』第1巻)

 眼と声と思考のスリリングなインタープレイのなかで、過去と現在、主観と客観、深層と表層、静態と動態という諸次元が一瞬のうちに交通するシャルコーの講義に読者みずから立ち会っているような気持ちにさせるフロイトの筆の冴え。シャルコーもフロイトも徹底して視覚型の人間であった。こうしたくだりには病像(Krankheitsbild)から出発するシャルコーの視覚的方法論からフロイトが学びとったものが歴然と現れている。

 「シャルコーは[……]いま観察しているケースと自分の経験(Erinnerung)から取り出してきた類似のケースに関する説明を結びつけ(knüpfen)、真に臨床的なテーマである病因、遺伝、あるいはほかの疾患との関係についてきわめて重要な議論を展開する。そのときわたしたちは、観察者の眼の鋭さ(Scharfsinn)に惹きつけられるばかりでなく、その話し方(Kunst der Erzählers)の魅力のとりこにもなって、どのようにして医学の体験(Erlebnis)から新しい認識(Erkenntnis)が生まれてきたのか、それを明らかにするちょっとした物語に聞き入るのである(lauschen)。そうすればわたしたちはこの教師とともに、神経病理学に関する病像の考察からはじまって一般病理学に関する根本的な問題を議論するところまで進むことができる。すると突然、わたしたちのまえに、医師や教師というよりも、賢者が立ち現れてくるのである(sieht man… den Lehrer und den Arzt hinter dem Weisen zurücktreten)。この賢者の開かれた感覚は、世界の働き(Weltgetriebe)の活発で(bunt)大きなイメージ(Bild)を自分のなかに取り入れており、神経疾患は病理学の気まぐれ(Laune)の産物などではなく、[世界の働きの]関連(Zusammenhang)全体の必要不可欠な構成要素として理解すべきであることを、わたしたちに感じさせてくれる(ahnen lassen)」

 「マイスター」「教授」「教師」「医師」「観察者」「演技者」「物語作家」「賢者」……と絶妙な言い換えを施しつつ提示される師の肖像を翫味しよう。

1891年のフリース宛書簡

〔24〕フリース宛書簡[9](1891年5月2日)

 「二、三週間したら私は、私自身が比較的熱心に関与している(ich selbst mit größerer Wärme beteiligt bin)失語症に関する小冊子をあなたにお送りする喜びを味わうでしょう。私はそのなかでは大変生意気で、あなたの友人のヴェルニケと、リヒトハイムやグラースハイと剣を交え(messe meine Klinge)、おまけに、高くそびえる偶像マイネルトを引っかきさえします(kratzen)。あなたがその成果に対して何を言われるか、私はまったく興味津々です」(河田晃訳『フロイト フリースへの手紙』)。

 河田氏の訳では「比較的熱心に」となっている部分を、石澤誠一氏は「したたかな情熱をもって」と、かなり強い意味で理解しておられる(平凡社刊『失語論——批判的研究』解題)。größer という比較級のニュアンスじたい曖昧至極だが、原文では selbst(〜さえ)という語が添えられていることにとりあえず着目しておきたい。この selbst はとりあえず河田訳では「〜自身」の意でとられているが(アンヌ・ベルマンによるざっくりした仏訳ではスルーされている)、すぐ次の文でふたたび使われているだけに(kratze selbst…)それなりに執拗な印象を残すことはたしかなようだ。

 messen は、英訳では cross 、仏訳でも croiser と訳されているが、直訳すれば、「私の剣[の長さ]を測る」。ヴァレリー・D・グリーンバーグは(よせばいいのに?)この言い回しに「精神分析的意味」を読み込み、すぐあとのパラグラフで報告される次男オリヴァーの誕生と関係づけるという挙に及んでいる。「生殖の遂行能力は標準に達したが、アカデミーの競争での象徴的な成功はまだ達成されていない。われわれは彼の失語症の本のなかに、彼の知的反対者の理論と、(この著書のなかにかくされた意味として)反対者たち自身に対する競争的な身構えの実例を見ることができる」(安田一郎訳『フロイトの失語症論』)。かどうかは別として、たしかに、現に交えているのではなく、今まさに交えんとして武器を点検しているという言い回しは大いに含蓄に富んでいる。


〔25〕フリース宛書簡[10](1891年8月17日)

 「親愛なる筆無精の(spätschreibend)友よ!」
 「私の生活は目下こんなふうに進行しています(laufen)」。文字どおり、この時期のフロイトは走り回り、移動をくりかえす。ライヒェナウとウィーンの往復生活。小旅行。転居。「私が動くことのできる唯一の時期は八月の最後の週でしょう」。しかし、なんとしても会わねばなりません。ひょっとしてあなたの方が移動していただけないでしょうか。


〔26〕フリース宛書簡[11](1891年9月11日)

 フリース来訪のうれしい報せがスムースに届かない何らかのハプニングがあったようす。「9月15日、ウィーン9区、ベルク通り19番地で」(am 15. Sept, in Wien IX, Berggasse 19)。これはフロイト家の新しい住所。9が執拗に列挙される(原文では巧妙にカモフラージュされている)シュルレアリストの暗号文めいたメッセージは、フリース理論へのなんらかのほのめかしなのだろうか。
 フロイトはベルクガッセの新居を散歩中に見つけ、衝動的に契約を結んだという。不便な家ではあったが、社会主義者ヴィクトール・アドラーがかつて住んだアパートだったという事実がフロイトを夢中にさせたらしい。アドラーは社会主義的理想に燃える若き日のフロイトが熱狂していた人物の一人である。


「催眠」(『臨床医のための治療事典』項目)


〔23〕「催眠」(『臨床医のための治療事典』項目、1891年)

 ナンシー派に入れあげていた時期のフロイトによる催眠の啓蒙記事。当時、世間でも業界でも催眠は危険で胡散臭い療法と見なされていたが、フロイトはもとより催眠を完全な治療法であるとは考えていないし、その効果はつねに一定の条件下でのみ得られるものであることを強調している。ただし、その条件を満たすかぎりで、催眠は現存する療法のなかで最善であると考えていた。

 「催眠治療という領域は、神経性疾患のそれ以外の治療方法にくらべてはるかに抜きん出た領域であることは間違いない。催眠が症状だけにしか影響を及ぼさないという非難、しかもほんのすこしの時間だけしか影響を及ぼさないという非難も正当なことではない。催眠治療がただ症状にだけ照準を合わせて、病的過程をないがしろにしているのであれば、この治療もそのほかのすべての治療が辿らざるをえない同じ道を辿っていることになる」(渡邉俊之訳『フロイト全集1』)。

 催眠に限界があるのは、他のあらゆる療法に限界があるのと同じことであり、そのことによって催眠の価値が下がるということはない。フロイトが反論するのは、催眠の個々の欠陥に対する批判に対してであるというよりも、完全な治療法の存在を傲慢にも前提する発想そのもの、さらには催眠がそのような完全な治療法としての基準を満たしていないという勝手な言いがかりに対してであるといえようか。のちのフロイトはやはり、精神分析そのものを理想的な療法などとは見なさなかった。


 「催眠が非常に危険(die großen Gefahren)であると言われたり書かれたりしていることはすべて、作り話の世界のものである。治療上有効なほかのすべての治療法にもあてはまることだが、許されない目的のためにそれを乱用するというようなことがある。しかしそれを除けば、ほかに気をつけなければならないことは高々、ひどく神経質症的な人物において生じることだが、催眠がくり返されたのちに自発的に催眠状態になってしまうという傾向である。このような自発的な催眠状態を患者に禁止するのは医師の役目である。しかしながらこのような催眠状態は、外部からの影響を非常に受けやすい人にしか生じないだろう。自らの意志に反して催眠状態になってしまうほどの敏感な人たちに対しては、『あなたに催眠をかけることができるのはあなたの主治医だけですよ』と暗示をかけることによってほとんど確実に守ることができる」(強調原文)

 催眠の欠点に対する批判をストレートに論駁せず、その欠点をいったん認めたうえで、その批判そのものを骨抜きにするという迂回的で跛行的な文章の運びはフロイトとくゆうのものだろう。


 臨床家を読者に想定した文章だけあって、描写は具体的で、アドバイスは実践的。と思いきや、不意に高度に思弁的なくだりに出くわしたりするところはやはりフロイト。

 「患者が『自分は催眠に不安はないけれども信じていない』(er glaube nicht an sie)とか、『それが何の役に立つのか分かりません』(er glaube nicht, daß sie ihm nützen können)と言うときには、[その患者は]催眠に不向きというわけではまったくない。このときにはつぎのように言えばよい。『催眠を信じろと要求はいたしません。しかし最初に注意力とすこしの順応性を求めますが』と。たいていの場合、こういった患者の催眠に無関心な態度は催眠のすぐれた助けとなるのである。その一方で、すすんで催眠を受けようとしたり、すすんでそれを求めようとしたりすることそれ自体が、催眠の妨げとなる人々もいることを言っておかなければならない。『信仰』も催眠の一つである( zur Hypnose >> Glauben << gehöre)ことは世間一般の意見とまったくかみ合わないものだろうが、『信仰』は催眠にほかならない」

 催眠への信用と被暗示性の関係という臨床的な話題から、いきなり<信>一般の議論へとワープしている。すでにフロイトが催眠をさまざまな日常的な事象(睡眠、愛……)と同一視していたことを想起しよう。ちなみにここでの指摘は、後年の『群衆心理学と自我の分析』の重要なパートにおいて深められることになる。

『失語症の理解にむけて』(その2)


〔22〕『失語症の理解にむけて——批判的研究』(続き)


 「近年の神経病理学全体に浸透したあの考え方――つまり神経系のさまざまな機能を解剖学的に規定しうる神経系のある領野に局限するという考え方。すなわち『局在』と密接に関わっているので、総じて失語把握のためには局所的因子がもつ意味について検討せなばならなくなるだろう」(金関猛訳『失語論——批判的研究』平凡社)

 まさに「局在」というトポロジカルな概念が問題になっている本書にあっては、フロイトの言葉そのものが空間的なイメージに彩られている。

 「さて脳研究史における輝ける一時代に立ち帰る(zurückgreifen)ことにしよう」

 フロイトにおいて、「道」は特権的なメタファーである。フロイトの思考はしばしば「歩み」に喩えられる。

 「私はそれら[諸家の所論]を検討するなかで、研究をさらに前進させんことを望むものである。……彼[ヴェルニケ]は、病理学的な言語障害を局在化された脳疾患によって説明することによって、生理学的な発語行程を理解するための道を切り開いたのである(den Weg finden)……」

 フロイトが選びとる「立ち戻る」ことは無償の身振りではない。冒頭に引いた課題は、どこまでも歴史的な文脈に規定されたものだからだ。この課題は論文の末尾で反復されている。

 「私はここで改めて私見の核心を数行で要約しておきたい。失語に関する一昔前の研究者には、大脳皮質中で言語障害に特別な関わりをもつ箇所は一箇所しか知られていなかった。彼らの知識はこのように不完全なものであったため、当時の研究者は言語装置の機能面での特性から言語障害の多様性を説明しようとした。ところがヴェルニケが、ヴェルニケ中枢という名で知られるようになった箇所が感覚性失語と関わりをもつことを発見すると、人々は、局在という観点のみによってその多様性を理解しうると考えるようになった。われわれは、こうした考え方においては失語に対して局在という因子のもつ意味が過大評価されており、改めて言語装置の機能面での条件を考慮する必要があると考えるのである」

 一読すれば明らかなように、フロイトの失語論は、失語の器質因を否定して心因を説いたものなどではまったくない。フロイトはそのような単純な道をたどって彼の「心的なもの」を発見するに至ったのではない。じっさい、フロイトはヒステリー論のなかで、心因がしばしば器質因に身をやすつことをくりかえし述べている。というわけで、本書中でも器質因の重要性がくどいほどに強調されることになる。とはいえ、単純素朴な器質因は退けられるだろう。フロイトが敬意を込めて引くアレン・スターが錯語症状について述べているように、器質因はしばしば「多種多様な領野の損傷」に由来する多重決定的なものなのだ。本書はフロイトならではの中庸の精神の賜物だ。

 本書の戦略は明解である。中枢的なものを複数の機能の結節点に脱構築することがそれだ。

 「いわゆる中枢の破壊によって生じるとされる症状は、単に複数の伝導路が同時に遮断された場合の症状と同じ性格をもつ。したがって、中枢の破壊という仮定はすべて、複数の伝導路の損傷という仮定に置き換えることができる。(しかしその場合でも、心的機能を中枢に個別に局在化させるという考え方を無視することにはならない)」

 その支えになっているのは、イギリス的な経験論哲学の伝統にほかならない。まさにこの時期、フロイトは『J・S・ミル全集』の翻訳に助力している。

 「哲学の助けを借りて言えば、対象表象には[視覚性、聴覚性、触覚性、運動感覚性などの]表象のほかには何も含まれていないのであり、そして感覚印象はある『物』のさまざまな『属性』を代弁しているが、しかしそもそも『物』という見せかけが生じるのは、われわれがある対象から得た感覚印象を列挙する際に、その連合の連鎖にさらに数多くの新たな感覚印象が付け加わる可能性を認めているからである(J・S・ミル)」

 この伝で、「言語中枢」なる幻影も、少なくとも生理学的な意味では否定され、それがバスティアン的な「変異」のさまざまな様態へと解体される。本書の末尾で、フロイトはバスティアン的な「変異」概念をジャクソンの「退行」概念にオーバーラップさせ、さらには留保つきながら、それらが師シャルコーの失語論(言語連想の個人差)に重ねみられている!

 付言すれば、本書の冒頭における「立ち帰る」という身振りは、ジャクソンの「退行」概念となにほどか響き合っているようにも感じる。ジャクソンのこの概念は、ひとり本書だけではなく、フロイト主義全体を大きく規定している参照項である。

 さて、本書の究極的な攻撃目標は、いまひとりのマイスター(師=巨匠)であるマイネルトの「大脳皮質中心説」だ。それによれば、脳のその他の部分は大脳皮質の補助器官にすぎず、身体は大脳皮質の触覚、触手にすぎない。

 ここでフロイトは失語症の議論から「横道」(Abschweifung)に迷い込んだふうを装いつつ、本書のもっとも重要な論点を展開している。「大脳皮質中に、局所解剖学に類似した、完全な形での身体の投影図が構成される」とするマイネルト一流の「投影」概念に対し(マイネルトは大脳皮質を「網膜」になぞらえている)、フロイトは、末梢において受容された感覚的印象が大脳皮質に到達する際に線維の数を著しく減少させ、「きわめて頻繁な灰白質による中継と枝分かれ」を被ることで、もはや写真的な「投影」どころか単なる「代行再現(Repräsentation)」のようなものに姿を変えると反論する。

 ここでわれわれはただちに『夢解釈』第7章の有名な図を想起することになる。夢思考(無意識的欲望)は幾重ものフィルターにかけられているのであり、フィルタリングされていない夢思考そのものなど存在しないという『夢解釈』の根本的な認識に通じるものがこのくだりに読みとれるのだ。石澤誠一氏ふうに言うなら、ここにおいてフロイト=ラカン精神分析が産声を上げたということになるのだろう。


 「備給」という精神分析用語(もちろん軍事的なコノテーションがある)は、受容された記憶像が書き込み可能な皮質細胞のなかに取り入れられる過程(心的なものが生理学的なものに還元される手品!)を表現するために使われる比喩として、マイネルトの引用文のなかではじめて出てくる。
 フロイトの皮肉に満ちたコメント。
 「それは、たとえば、ある街が植民によって外壁の外へと領地を広げるように、皮質中のそれまで充当(Besetzung)を受けていない場所の占領によって可能となるのである」。
 これに対するヴァレリー・D・グリーンバーグのとぼけたコメント。 
 「この特別の隠喩は、神経解剖学の文脈では著しく場違いであるが、それは1860年代と70年代にウィーンが以前に築かれた城壁を越え、最後に城壁があったところに建設された環状道路(リングシュトラッセ)を越えて、ドラマティックに膨張したことから得られた印象に由来したのかもしれない」(安田一郎訳、前掲書)。
 ラプランシュ=ポンタリスの『事典』によれば、この概念の初出は4年後の『科学的心理学草稿』および『ヒステリー研究』であるということになっている。

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