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『失語症の理解にむけて』(その1)

〔22〕『失語症の理解にむけて——批判的研究』(1891年)
 
 フロイト最初の偉大な著作。前年の「オーギュスト・フォレル著『催眠法』についての論評」においてフランス人たち(シャルコー、ベルネーム)の側に立ってドイツの反催眠的風土を非難したのにつづき、ここではイギリス的教養(ダーウィン、J・S・ミル、スペンサー、ジャクソン)を動員してドイツの失語症研究を攻撃している。標的となるのはまたしてもかつての師匠マイネルトであり、マイネルトの前提する「神経系のさまざまな機能は解剖学的に特定し得る神経系のある領野に局在する」という考え方である。

 それに対してフロイトの結論は「失語症は心的な疾病である」(『医学中事典』の項目「失語症」)ということであると言え、ヒューリングス・ジャクソンの「心身並行説」などに依拠しつつ、記憶像(「表象」)が神経細胞内に保存されるとするマイネルトにおける生理学的なものと心的なものとの混同を退けて「心的なもの」の自律性(というか独自性)を説き、前年の「心的治療」でも考察の対象となった「心的なもの」のあり方を見定めようとしている。

 ヴァレリー・D・グリーンバーグ『フロイトの失語症論』によれば、本書は『科学的心理学草稿』『夢解釈』『無意識』『自我とエス』(加うるに『日常生活の精神病理』)といったのちの偉大な理論的テクストの先駆けをなし、「連合」「注意の分裂」「備給」「コンプレックス」「連合」「生理学的相関物」「発話衝動」「記憶心像」「一次的」「再現(描写)」「自己観察」「自発言語」「転移」といった精神分析的な概念がここではじめて登場する。と同時に、たとえばアントニオ・ダマシオも認めるように、現代神経学の知見ともシンクロするアクチュアリティをもつ。

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1890年のフリース宛書簡


〔19〕フリース宛書簡[6](1890年7月21日)

 前便の「尊敬する友よ(Vereherte Freund)!」ではなく、「愛する友よ(Lieber Freund)!」という呼びかけによって書き起こされる親密な調子の書簡。ベルリン招待への感謝。

 「あなたに再びお会いすること、あなたが何をしておられるのか(was Sie treiben)お聞きすること、私のほとんど消えてしまったエネルギーと科学性をあなたのものによって新たに燃え立たせること(entzünden)を、とても楽しみにしております」

 「1886年から91年までの間、私はほとんど学問的な研究をせず、したがってほとんど何も発表しなかった。自分の新しい職業を成功させることと、自分自身と急速に増えていった家族のために物質的基盤を確保することに心を奪われていたのである」(『自己を語る』)

 付言すれば、この時期に論文が少ないのは、ベルネームおよびシャルコーの翻訳を抱えていたという理由が大きい。


〔20〕フリース宛書簡[7](1890年8月1日)

 「尊敬する友よ!」。フロイトは職業上および家庭の諸事情でベルリン行きを泣く泣く諦める。「もっとも重要な女性患者」[Hauptkllientin] (『ヒステリー研究』のチェチーリエ・M)が発作の時期に入っていたのと、なぜか今回の旅行のことにかぎり妻が苛立っているとの由。自分はもう何年も師を持たず、神経症の治療にかかりきりで、孤立しているとこぼしている。別の機会にぜひとも会いたいと熱烈なラブコール。


〔21〕フリース宛書簡[8](1890年8月11日)

「最愛の友よ(Liebster Freund)!」「素晴らしい(Herrlich)!」。ザルツブルクでの逢瀬を約束。


「心的治療(心の治療)」

〔18〕「心的治療(心の治療)」(1890年)

 冒頭部は比較的よく知られているのではないか。

 「Psyche というのはギリシャ語であり、ドイツ語で Seele に当たる。したがって、心的治療(Seelenbehandlung)というのは心を治療するという意味になる。ゆえに、心的治療という言葉を、心の生活(Seelenlebens)における病的現象の治療という意味だととる考え方もあろう。しかし、これはこの言葉の本意ではない。心的治療という言葉は、むしろ心に起源を持つ治療法(Behandlung von der Seele aus)のことを指しており、すなわちその治療法とは、心の障害に対してであれ、体の障害に対してであれ、とりあえずは直接的に人間の心というもの(das Seelische)に影響を与える手段を用いた治療法のことである。そのための手段というのは何よりも言葉であり、言葉は心を治療するのに不可欠な道具(Handwerkszeug)である」(兼本浩祐訳『フロイト全集』第1巻、強調原文)

 ブルーノ・ベッテルハイムは Seele という語を、その曖昧さもひっくるめて「魂」という意味で理解すべきだと主張しているが、いずれにしてもこの語には明らかにスピリチュアルな含みがある。フロイトは、精神医療がスピリチュアルな伝統と連続的であることを否定しない。心的治療の手段(後の言い方では「素材」)である言葉というものも、言葉というもののうちに古来見られてきた魔術的な力を受け継いでいる。フロイトは「我々の毎日の会話は、薄められた形での魔術に他ならない」とさえ述べている。「どのようにして科学が言葉にかつての魔術の力の一部を復活させようと試みているのか」。これがフロイトの考察の主題となる。

 自然科学の発達により、医学は体に関わる事柄にのみ関心を示し、心に関わる事柄についてはこれを軽視して、哲学者の手に委ねてきた。心と体の因果関係は認識されてはいたが、それはもっぱら心に対する体の影響というふうに一方向的に理解されてきた。

 「医師たちは、あたかもそれを認めると科学の地盤から遊離してしまうと考えているかのように、心の生活に一定の独立性を認めるのを躊躇っているかのように見えた」

 しかし、その逆の影響関係、体に対する心の影響力が無視できないことが、神経症の研究から明らかになってきた。

 「医学研究の成果として、最終的に分かってきたのは、そうした人たちは個々の胃とか目とかの疾患を患っているとみなされて治療されるべきではなく、この人たちの場合に問題とすべきなのは間違いなく全体としての神経系の障害だということである」

 近代医学が否定するスピリチュアルな伝統をフロイトは復活させようとする。とはいえ、フロイトはふつうの意味でのオカルト主義者ではない。フロイトはスピリチュアルな現象を信じるが、フロイトによるスピリチュアルなものの理解の仕方はどこまでも科学的である。超自然的と言われる現象を説明するために、「心の力を超える何事かを引き合いにだす必要があるわけではない。……全ては自然のうちで生起するのである」。たとえば奇跡による癒しという現象をフロイトは迷信と退けることを拒否する。そのかわりに、それをどこまでも科学的に説明しようと試みる。

 「この奇跡による癒しを頭から疑って受け付けず、その報告を宗教心による誑かしと不実な観察の合作として説明してしまうことはたやすいが、それは全く不当なことであろう。たとえこうした説明の試みが当たっている場合があるとしても、奇跡による癒しという事実を完全に荒唐無稽なこととして片付けてしまうには十分ではない。……しかし、奇跡による癒しを説明するために、心の力を超える何事かを引き合いにだす必要があるわけではない。我々の経験知からは理解ができないと認めざるをえないような効力は、奇跡という条件下においても出現しない。全ては自然のうちで生起するのである。宗教的な信仰心の力が、二、三の、実体としては人間臭い動機によって強化されるということも起こりうる。個々の人間の敬虔な信仰心は、群衆の熱狂によって高められることがあり、個々人が聖なる場所に接近するのはしばしばそうした熱狂のただ中においてである。こうした群衆効果によって、個々の人間の全ての心の活動は途方もないほど高揚させられることがありうる。……神の恩寵は常にそれを求める多くの人たちのうち一握りの人にしか与えられないことは誰もが知っている。それ故に、誰もがこの讃えられし者、選ばれし者となることを望むのである。どんな人のうちにも潜んでいる虚栄心が、敬虔な信心の手助けをする。これほど強力な諸力が共同して作用する場合、目的が実際に達成されることが折りに触れてあっても、驚くべきではないであろう」

 「読心術」(「露心術」Gedanken verratens)についても同様。
 
 本論で主題となる「心的治療」とは、事実上催眠療法のことであるが、心が体に及ぼすそのような影響力が極大化される現象としてフロイトは催眠というものを定義している。

 「催眠をかけられた側での心の体への影響が極大になっていることが催眠状態の特徴である」

 そして催眠術者による暗示に、フロイトは言葉の魔術的な効果を見る。

 「催眠術者が被催眠者に対して言葉を通して与えたイメージ(Vorstellung)が、その内容そのままの心と体の振る舞いを被催眠者に引き起こすのである。こうしたことが生じる理由は、一方では従順さのためであるが、他方では観念(Idee)の身体への影響が増大しているためである。言葉はこうした場合には、現実に再び魔法となっているのである」

 とはいえ、催眠には被暗示性の有無、一時的な効果、患者の[無意識的]抵抗といった限界があるし、「催眠は被催眠者の全ての関心を医師その人に集約してしまうという点で、これまで神官や奇跡を起こす人でさえも決して持ったことがないような権威を医師に与える」という危険を孕んでもいる。こうした限界を乗り越える治療法の出現に期待を託してフロイトは筆を措く。とはいえ、その治療法はあくまで催眠という基盤に則ったものであるだろうとフロイトは言う。催眠の限界は催眠の否定を意味しない。

 「安んじて期待してよいことがある。鮮明な目的意識を持った近代的な心の治療が――確かにそれは昔からの治療法をごく最近復活させたものなのだが――、病との戦いに際して医師たちに今よりもはるかに強力な武器を与えてくれるのではないかという期待である。そのための手段と道筋は、心の生活の過程をより深く洞察していくことを通して示されるであろうが、そのそもそもの端緒は催眠の経験を基盤としているのである」

 前年の「オーギュスト・フォレル著『催眠法』についての論評」とは違い、「催眠は我々の夜間の睡眠のようなものではない」としつつも、フロイトは一貫して催眠状態を日常的な心理の延長線上に位置づけようとしている。

 「被催眠者はあたかも我々が夢の中で見たり聞いたりする時のように、見たり聞いたりしている。つまり、被催眠者は幻覚を体験しているのである。被催眠者は、明らかに催眠術者が非常に御しやすい状態にあるので、催眠術者が蛇が見えると言えばそれが見えているに違いないと確信してしまう。そしてこの確信は身体的な側面にも非常に強力に作用するので、被催眠者は本当に蛇を見るのである。もっとも催眠状態にない人でもこうしたことが全く起こらないわけではない」

 あるいは、

 「被催眠者が催眠術者に対して示すこれほどの軽信性は、催眠以外の実生活においては、愛しい両親に相対している子供でしか見られないものであり、自分の心の生活を催眠と同様の従属性で他人の心の生活に合わせてしまう心の在り方は、全身全霊での献身を伴う恋愛関係の一部においてのみ唯一で、しかも完璧な対応関係があるのみである。唯一の対象を敬い、盲目的にその対象に従うことは、そもそも愛というものの特徴の一つである」

 こうした指摘は後年、『集団心理学と自我の分析』(1921年)においてさらに深められることになるだろう。

 あるいはこんな指摘もある。

 「病的なものを探究して初めて、我々は正常なものを理解することができる」


 この論文では、精神分析的な観点にはあえて踏み込んでいない。

 「心に関わる事柄が被っている障害が体に関わる事柄の障害を引き起こすとした場合、こうした心の障害にはさらにその遠因があるが、遠因のことはまた別個の問題であり、ここではとりあえず棚上げしておいても良いであろう」


「オーギュスト・フォレル著『催眠法』についての論評」


〔17〕「オーギュスト・フォレル著『催眠法』についての論評」(1889年)

 1888年にベルネームの翻訳を上梓したフロイトは、翌年、ナンシーにベルネーム本人を訪ね、催眠についてなにほどかの手ほどきを受けている。オーギュスト・フォレルはベルネーム派の医師で、この「論評」は前年の「訳者序文」に引き続き、ドイツの反催眠的な風土のさなかで熱烈に催眠擁護の論陣を張るいわば政治的文書。

 反催眠派の領袖マイネルトが槍玉に挙がっている。フロイトはかつてウィーン大学のマイネルト研究室に所属していたことがある。マイネルトは、催眠状態を人工的に創り出された病的状態「実験精神病」として、催眠の存在そのものを否定しており、催眠をヒステリーと同一視する点で自分はシャルコーと同じ立場であるとうそぶき、「生理学のトレーニングをきちんと積んだ医師であり、その立場で留学のためにウィーンを出発した」はずのフロイトが生理学的な要因を無視して暗示理論に走ったことをある論文で批判している。フロイトはこの発言をずいぶんと根にもっていたらしく、「[論文の]読者諸氏のまえに、評者[=フロイト]のことや評者の生活史の一部を曝した」と糾弾している。

 フロイトはマイネルトらがあからさまにナショナリズムな観点からフォレルの業績を貶めていることに激しく反撥し、かれらを「学問上の権威というものは国籍、民族、土地柄に関して一定の条件を満たしていなければならないという判断欠乏者たち、信じられるものが自分の国の国境止まりであるような判断欠乏者たち」と呼んで、もともとアウトサイダーである自分をフォレルらに重ね見る。「評者はとくに、マイネルトの攻撃に曝されたさい、催眠を支持することで自分が催眠の側に立つ人々と一致団結していると感じたものである」。その結果、催眠擁護論がドイツのアカデミズムを蝕む権威主義の批判、ひいては権威そのものの批判にまでその射程を広げる。この学術論争には、フロイト個人の存在論的な賭け金が積まれているのだ。

 「このような反対者のなかにたとえば、枢密顧問官マイネルトのような人がいる。こういった人々はその業績によって大いなる権威となっているのだが――しかも医療従事者や一般大衆はよく確かめもせず彼らが言っていることをすべてそのようなそのような権威にしてしまう――そうなるともちろん催眠法というものが一定の打撃をこうむることは避けられないのである。ほとんどの人には信じられないだろうが、神経病理学のいくつかの分野に対しては多くの点で炯眼を発揮するような経験豊富な研究者が、それ以外の問題では権威と呼ばれる適性をすっかり欠いているということがあるのだ。すぐれた人物に対する尊敬、とりわけ知的にすぐれた人物に対する尊敬はたしかに人間的本性の最もすばらしい特徴の一つである。しかしこういった尊敬よりも事実を尊敬するほうが上である。権威へ寄りかかることをやめるのであれば、事実の研究から得られた自らの判断をはっきり主張することを、ためらう必要はない」(渡邉俊之訳『フロイト全集』第1巻)。


 反催眠派の主張へのフロイトの反論の仕方には目を見張るものがある。周到ないわば現象学的な手法によって、まず催眠状態への批判、ついで暗示への批判が論駁される。フロイトの戦略は、催眠状態を日常的な睡眠に、そして暗示を医師への信頼(転移)や投薬治療や社会教育と同レベルのものに解消してしまうことで、催眠や暗示の実体そのものを消し、批判を不可能に追い込むという身ぶりに宿る。
 
 「さて、わたしたちが経験的に知っている催眠の作用のことをしばらくのあいだ忘れてみよう。そして催眠にはどういった害の作用がアプリオリに予想されるか自問自答してみよう。催眠による治療法は、第一に催眠状態を呼び起こすことにあり、第二に被催眠者に暗示を与えることにある。この二つの行為のどちらが害になるのだろうか。催眠状態を呼び起こす方だろうか。しかし催眠は、それがもし完全な形で達成されたならば、わたしたちの誰もが馴染んでいる通常の睡眠となんら変わるところはない。ただもちろん睡眠にもまだなお不明な点が数多くある。また催眠は、それがもし十分に達成されていない場合、入眠のさまざまな段階に対応することになる。わたしたちが睡眠において心的な均衡を失ってしまうということは正しい。わたしたちの脳の活動は睡眠のあいだんは障害されたものになっており、しばしば狂気[ワーンズィン]を想い起させる。しかし、このような類推を行ったからといって、わたしたちが精神的に新たに元気になって睡眠から覚めることを妨げるものではない。マイネルトは、催眠が大脳皮質の活動を低下させるという害の作用があるとか、催眠から多幸症が生じると主張しているが、もしこういった意見が正しいとすれば、そもそもわたしたち医師は人間を眠らせてはいけない十分な理由をもつことになってしまう。しかし今日にいたるまで人間はまだ眠ることを好むのであり、催眠を行う行為に催眠治療の危険があるとする考えは気にする必要はなかろう。それでは暗示を与えるほうが害なのだろうか。それもあり得ない。というのは反対者たちの攻撃は、注目すべきことに、暗示にはその矛先がまったく向けられていないからである。暗示を用いることは、古くから医師にはお馴染みであると言われている。医師たちは『わたしたちはみんな本当にいつも暗示をかけてばかりだ』と言う。実際、医師は――催眠を行わなくても――自らの人格の力、自らの語りの影響力――さらには自らの権威の力――などによって患者の注意から病的症状が駆逐される[verdängen いわゆる「抑圧」の意味で使われているものではない、などというくだらない編註が Gesammelte Werke にある]ときほど満足を覚えることはないのである。であるから医師は、一度思いがけずに成功して以来いつでもその再現が望まれる治療を計画的に行う努力をしてはいけないはずはなかろう。しかし暗示は、それでも、ひょとすると非難に値すべきもので医師による自由な人格の侵害なのかもしれない。というのも、医師は人工の眠りのなかでも眠っている脳を支配する力を握っているからである。たいへん興味深いことに、徹底的な決定論者が急に危険にさらされた『人格の意志の自由』の守護者に変わってしまうのが見られたり、患者の『自由に展開してゆく』精神活動に対して大量のブロムやモルヒネやクロラールなどでその蓋を閉じてしまうことにふだんから慣れている精神科の医師たちが、暗示の治療を医師と患者の双方にとって屈辱であると非難するのが聞かれたりすることがある。催眠の暗示で患者の自由を抑え込むのはいつも単に部分的にすぎないことを、人は本当に忘れてしまえるものだろうか。暗示は病気の症状に対して向けられるのである。きっと何回も言われていることだが、人間を社会的に教育することは一般に、必要のない表象や動機を抑え込んでそういったものをよりよい表象や動機に代替することである。日常の生活はどんな人間に対してもさまざまな心的作用をもたらす。こういった心的作用は、覚醒時に関わるものであるけれども、痛みの表象や不安の表象を効力のあるなんらかの反対表象によって取り除こうとする医師の暗示などとは比べものにならないくらい強力に当人を変えてしまう。以上のことを人は忘れることはできない。催眠療法はその乱用をのぞけば危険ではない。乱用はしないという注意深さや不純な意図をもっていないことについて医師として自信がもてない者は、この新しい治療方法には近づかないほうがよいだろう」。
 
 フロイトが催眠および暗示の実体を批判者の目の前から手品のように隠してしまったのは、ぺてんでもごまかしでもない。それは催眠および暗示という対象そのもののつかみどころのない性質に基づく。フロイトはたしかどこかで催眠には「不気味」unheimlich なところがあると述べている。「論評」の最後でフロイトはまさに催眠および暗示というもののこうした性質を問題にする。ナンシー学派は催眠の正体を暗示に見る。よろしい。では、その暗示とは一体何なのか。「暗示の本質[Wesen]」とは何なのか。ナンシー学派はいまだこの問いに答えていない。

 「しかし、それでは催眠法全体[……]を支えている暗示とはそもそも何なのだろうか。こういった問いを発することで、わたしたちはナンシー学派の理論の弱い部分の一つに触れているのである。『すべては暗示のなかにある』という言葉にとどめを刺すベルネームの詳しい研究書のなかには、どこにも暗示の本質、その概念規定について触れられていない。こういったことが分ると、わたしたちは思わず『聖クリストフォロスはどこに立っていたのか』という問いを思い出してしまうだろう。わたしは、ベルネーム教授から個人的に催眠法の問題に関する教えを授かった。たしかそのような幸運な立場にあったときに気づいたことだが、ベルネーム教授は、他人がある人に及ぼす効果的な心的影響であればどんなものでもそれを暗示と呼び、他人に対して心的な影響を与える試みのことを『暗示をかける』と呼んでいる。フォレルは、さらにもっと厳密な区別を行おうと努力している」

 フロイトは、フォレルの考察が不十分なものにとどまるとしつつも、この問題に対して豊かな「示唆」を提供していることをもって本書の最大の価値と見なしている。誰もが知るとおり、この根源的な問いを考え抜くことから精神分析は生まれたのだ。


 ファレルの本は、最後に「暗示に関する刑法上の意義」について触れている。これはフロイトがそれ以前に評したオーバーシュタイナーの本でも扱われている主題である。今回、フロイトはこの問題についてつぎのようにコメントしている。「十分夢遊症状態に入っている者たちに実験室で見かけの犯罪をさせることは、もちろん困難なことではない。しかし、こういった犯罪を容易に行うことができた背景に『これはただの実験である』という意識がどの程度関与していたのか、という問いは[……]それに対する回答をまだそのまま保留しておかなければならない」

1888年のフリース宛書簡


〔14〕フリース宛書簡[3](1888年2月4日付)

 A夫人続報。「A夫人の症例は、実に簡単に、よくある脳性神経衰弱と判明しましたが、これを賢人たちは頭蓋内容の慢性充血と呼んでいます」。電気療法、半身浴によって快方に向かったので、続けて筋肉労働(ミッチェル療法?)を試みたら月経が止まり、そのうち診察を受けにこなくなった。フロイトは腹を立てたようで「ひょっとしたら私にもこの新しい世界市民については共同責任があるかもしれません」などと皮肉っぽく書いている(この患者はもともとフリースのところから送り込まれてきたものらしい)。とはいえまだ治療の望みを捨てていないらしく、妊娠の影響についてフリースに尋ねたりしている。

 医師会での「一大スキャンダル」[Hauptskandal]。どうやら機関紙のキリスト教的な偏向が反ユダヤ主義的と映ったもののようだ。


〔15〕フリース宛書簡[4](1888年5月28日付)

 A夫人はフロイトに愛想をつかしたらしく、保養地の選択をフリースに一任した。「彼女はあなたに決定を委ねる(übertragen)よう私に頼みました」。決定を押しつけられたフリースに言葉の上では同情しながらも、「あなたのものである、妖精たちに対する支配力は、人には転移され得ない」などといやみを飛ばしているところからはフリースへの(A夫人への?)嫉妬が歴然としている。

 『医学中事典』の項目執筆とベルネームの翻訳に時間をとられたので仕事が進んでいないとの嘆き。


〔16〕フリース宛書簡[5](1888年8月29日付)

 ベルネームの訳書と論文一篇に自分の写真を同封してフリースに送る。写真はフリースの願い[Wunsch]によるもの。
 『医学中事典』への失望。ベルネーム訳者序文におけるシャルコー擁護の不首尾。同序文中で暗に批判した反催眠派マイネルトへの呪詛。

「ヒステリー」(『医学中事典』項目)


〔12〕「ヒステリー」(1888年)

 『医学中事典』項目。Gesammelte Werke の編注によれば、「無意識」というタームがはじめて精神分析的な意味で使われたテクストであるようだ。『ヒステリー研究』で提示される指摘がすでに散見される一方で、ヒステリーを遺伝性のものとし、「お仕置き」による「一昔前の」治療に一定の評価をあたえるなど、旧時代的な見地から脱却していない点もあって、いかにも過渡期のテクストという感じ。

 「ヒステリーはその言葉の最も厳密な意味で一つの神経症である。すなわちこの病気では、神経システムの知覚可能な変化がこれまで見つかっていないばかりではなく、解剖学上の技術がなにがしか進歩したらそういった変化が証明されるだろうという期待すらできない。ヒステリーはあくまでも神経システムの生理学上の変化にもとづいており、その本質は、神経システムのそれぞれの部分の過敏性配合比を考慮に入れている公式があれば、その公式によって表現される。しかしこのような生理学=病理学上の公式はまだ見つけ出されていない。したがって現在のところは、この神経症をそこに現れる症状を組み合わせて純粋に疾病記述学的に定義することに甘んじなければならない。それはたとえばバセドー病が、眼球突出、甲状腺腫、振戦、心悸亢進、心的な変化によって特徴づけられ、これらの症状のあいだのさらにくわしい関係を問わないことと同様である」(渡邉俊之訳『フロイト全集』第1巻)

 「ヒステリーはさらに、不完全で比較的軽めの病型から大ヒステリーの型までを広くカバーし、なめらかに正常へと移行してゆく。ヒステリーは神経衰弱とは根本的に異なっている。厳密に言えば、これら両者はむしろ対立関係にある」

 「本来の発作は完全なものならば、三期に分けられる。第一期は「類てんかん」期であって、この時期は一般のてんかん発作、ときには片側性のてんかん発作に非常によく似ている。第二期は「大運動」期で、いわゆる会釈運動、弓形の姿勢(《ヒステリー弓》)、大げさな身振りなどの大規模な運動が現れる。このときに引き起こされる力はしばしば途方もない程度にまで達する。こういった運動をてんかん発作から鑑別するためには、つぎのような見解が役に立つ。すなわちヒステリー性の運動にはつねに優雅さと協調が伴っていて、てんかんによるひきつけの見苦しいまでの粗雑さと著しい対照をなす。また、ヒステリーではどんなに激烈な発作でも大怪我をすることはたいてい回避される」

 「障害の程度が最重症度にまで達しているのに障害の範囲を鮮明に限定できること、このような共存こそがとりわけヒステリーを特徴づけるものである」(強調原文)

 「そもそもこの神経症はなにか新しいものを創り出すことはなく、ただ生理学上の関係を発展させ、それを誇張して表現するだけなのである。ヒステリーという病気のさらなるきわめて重要な特徴は、この病気がけっして神経システムの解剖学的条件をそのまま写し取っているのではないということである。ヒステリーは、それを学ぶまえのわたしたち自身とまったく同じように、神経システムの構造について無知であると言われている。器質性の病気の症状は、よく知られているように、中枢神経という器官の解剖学をきちんと反映しており、そういった病気についてのわたしたちの知識の最も信頼できる源泉となっている。したがって、なんらかの器質的な障害がヒステリーの原因であるという考えは却下されなければならず……」

 以上はヒステリーについての一般的な見解を紹介したくだりであるが、ヒステリーそれじたいがまとう独特のユーモアを模倣するかのようなエスプリに富んだ記述が味わい深い。けだし名文である。


 「精神分析的」な新境地を打ち出しているくだりもいちおう引いておく。皮肉なことに、こちらの文章はなんとも味気ない。

 「ヒステリー的障害が発現するためには、しばしば、その誘発因子が無意識において作用しつづける一種の潜在期、より正確には一種の潜伏期が必要となる」

 「『局在性のヒステリー』がそれぞれの器官の局在性の疾患につけ加わることがある。実際に脆くなっている関節はヒステリーによる関節痛の座となる可能性がある。……こういったケースでは、器質性の病気がこの神経症の偶然上の原因となるのである」

 「ヒステリー症状の原因となっている心的な刺激の源泉を除去する[……]この治療法が納得がゆくのは、ヒステリーの原因を無意識の表象生活のなかに求めるような場合である。その治療の本質は、患者を催眠状態におき[……]。さらに効果的なのは、ウィーンのヨーゼフ・ブロイアーがはじめて行った方法にしたがって、催眠状態にある患者をその病気の心的な前史へと遡らせ、どういった心的な誘因のもとにそれに対応する障害が生じたのか、患者に告白させるような場合である。この治療法はまだ若いが、それ以外の方法では達成され得ないような治療効果をあげている。この方法はヒステリーに最もふさわしい治療方法である。なぜならば、それはこういったヒステリー性の障害の発生と消滅の機制を正確に模倣しているからである」

 「ヒステリーとは神経システムの異常である。この異常は心の器官で[……]興奮の配分が変化したことにもとづく。その症状が示すところでは、こういった刺激の過剰は、意識上の表象および無意識上の表象によって配分されている。神経システムの興奮の配分を変えることができれば、そのようなものはすべてヒステリー性の障害を治すことができる」
 
 その他、男性ヒステリー、失語、ミッチェル療法についての興味深い言及を含む。


〔13〕「ヒステロエピレプシー」
 同じ事典の別項目。「ヒステリー」の項で言及されていたヒステリーてんかんと一般的なてんかん発作との違いを散文的な筆致でくわしく解説し直している。

「H・ベルネーム著『暗示とその治療効果』への訳者序文」


〔11〕「H・ベルネーム著『暗示とその治療効果』への訳者序文」(1888年)

 「ベルネーム(および彼と同じ方向で研究に従事するナンシーの同僚たち)の業績の大事なところはまさに以下の点にある。すなわち催眠の現象を、心理学上正常な生活および睡眠というよく知られている現象に結びつけることで、催眠からそのいかがわしいとされる部分を取り除くことであると。催眠現象が睡眠および覚醒という日常的事象と関係するのを証明したこと、これら両方の現象系列に当てはまる心理学的法則を発見したこと、こういった点にこの本の第一の価値があるようにわたしには思われる。このとき催眠術の問題は完全に心理学の領域の問題としてとらえ直され、『暗示』は催眠の核心であり鍵であると見なされる」(『フロイト全集』1巻、渡邉俊之訳)。

 のちの「日常生活の精神病理」という問題意識がすでにここに宿っている?

 当時のドイツでは催眠についての研究はたちおくれていた。そのつい十年前までは、催眠の存在そのものが信憑性を獲得していなかった。ただしその重要性はうすうす感じとられていて、暗示は「強迫表象」、催眠は「実験[誘発]精神病」などとそれぞれ言い換えられて考察の対象になっていたが、フロイトによれば、こうしたネーミングは催眠が正常な心理現象に基づくという認識を阻害するものにほかならなかった。

 一方、本家フランスにおける催眠研究はというと、催眠が心理学的現象か生理学的現象かをめぐって二つの陣営に分断されていた。前者の代表がこの文章の主役であるベルネームを柱とするナンシー学派であり、後者がサルペトリエール学派で、その親玉はいうまでもなくシャルコーである。ナンシー派が催眠を暗示によって作り出される純粋に心理学的な状態としたのに対し、サルペトリエール学派は、ヒステリーの特徴的な症状が時代と地域とを問わず普遍的に観察されることから、催眠は暗示によって恣意的に作られるものではなく、人間の生理学的構造そのものに由来するとしたのであった。

 フロイトはこの対立が実は偽の対立にすぎないことを明らかにする。フロイトによれば、この見かけの対立は、暗示という言葉のあいまいな使用法に由来している。そこでフロイトは、暗示という語の定義そのものに立ち戻る(フロイトの読者にとってはおなじみの身振りだ。「不気味なもの」などを参照)。フロイトによれば、暗示とは「催眠をかけられている人の脳に外からの働きかけによって吹き込まれ、その人からは自発的に生じたかのように受け取られる意識上の表象のこと」であり、同じく「心的な働きかけ」であっても、単なる命令や通達や忠告とは異なる。フロイトが強調するのは暗示の自発的で内的な側面であり、それを説明するために「表象」という概念が効果的に持ち出されていることは注目に値する。そもそも被暗示性は人間の正常な心的要素であって、たとえば日常的な入眠の際にも、体を横たえ、眼を閉じ、気持ちをリラックスさせるというようなあるしゅの自己暗示的な過程が少なからず助けになっている。「わたしたちが睡眠に入るのはたいてい暗示、すなわち心的な準備や睡眠の予期を通じてである」。医師による外からの暗示は、「わたしたちは内的な過程に対して注意を向けるよりも、外の知覚に注意を向けることのほうにはるかに慣れ親しんでいる」という事実を利用して、この内的なプロセスを誘発したものにすぎない。

 「『暗示をかける』という言葉は、複数の心理状態を連想の法則にしたがって相互に呼び覚ますことと同じ意味になる。眼を閉じることは睡眠をもたらす。なぜならば、眼を閉じることは睡眠という表象にもっとも揺るぎないかたちで結びついている随伴現象の一つだからである。睡眠という現象の一部が、現れ全体のそれ以外の現象を暗示するのである。こういった結合は、医師の意向に左右されるものではなく、神経システムのあり方に存している。それに応じた脳の部分の興奮性の変化、血管中枢の神経支配の変化などの支えがなければ、こういった結合は存在しないだろう」。

 かくして、「催眠についての心的現象と生理学的現象のあいだの対立は、……暗示が、それによって被催眠者に任意の症状を引き起こすことができる、医師から直接与えられる心的な働きかけであると理解されていたかぎりで意味をもつものであった。すなわち、暗示もまた催眠状態にある神経システムの機能的特性に根拠をもつ現象系列だけを呼び起こすし、催眠状態にあっては暗示過敏性以外の神経システムの特徴もまた現れる、といったことが確認されてしまうと先ほどの対立は意味をなさなくなる」。

 「大脳皮質をそれ以外の神経システムと対置させることは正しいことではない。大脳皮質のきわめて重い機能変化がそれ以外の脳部分の興奮性の重大な変化を伴わないということはありそうもないことである。わたしたちは、心的過程を生理学的な過程から、大脳皮質の活動を皮質下部分の活動から正確に分ける基準をもたない。というのも『意識』は、それがどんな意識であれ、あらゆる大脳皮質の活動についてまわるものではないし、その個々の活動に毎回同じ程度についてまわるものでもないからである。それは神経システムの局在性に結びつけられるようなものではない」。

「オーバーシュタイナー著『催眠法――その臨床的および司法的意義』書評」

〔9〕フリース宛書簡(2)(1887年12月28日)

 「私が何によってあなたの好意を勝ち得た[gewinnen]のか、私にはいまだに分かりません……でも私はそのことをたいへんうれしく思います」(以下、誠信書房刊、河田晃訳『フロイト/フリースへの手紙』に基づきつつ訳語を一部改変)

 「私は時折あなたのことを耳にします。もちろんその大部分は驚嘆すべきこと[Wunderdinge]ばかりです」。そりゃ、そうだろな。

 A夫人は「よくある脳性神経衰弱」だつた……。あらま。先便の診断は何だった?

「この数週間催眠術に没頭しています[Ich habe mich … auf die Hypnose geworfen]」。ベルネームの訳書を準備中であると。


〔10〕「オーバーシュタイナー著『催眠法――その臨床的および司法的意義』書評」(1888年)

 その催眠術漬けだった時期に書かれた短い書評(発表は2月)。

 オーバーシュタイナーなる人の本は、催眠の司法的意義[Deutung]――催眠下での犯罪をどう扱うかといった問題のようだ――に触れたところにオリジナリティーがあるようだが、フロイトの書評はその点には踏み込んでいない。

 「特に強調されるべきなのは、科学的に正当な筆者の立脚点である。すなわち筆者は、自身の経験が及ぶ範囲を超えた事象を、ありえないとか虚偽であるとか言ってはねつけることを注意深く避けている。そして、そこで主張されている現時点では摩訶不思議[wunderbar]に映る事象に信憑性があるかどうか[Wahrheit]という問題と、我々の現在の生理学的な見方から説明が可能かどうか[Erklärbarkeit]という問題とを、常に区別しているのである」(兼本浩祐訳『フロイト全集』第1巻、岩波書店)

 これはのちにたとえばテレパシーといった事象に対してフロイト自身がとることになる立場にほかならないが、こうした科学的な慎重さにもかかわらず、ババンスキーのある実験に対して著者がその信憑性を疑う見解を提示している(らしい)ことに対し、同じシャルコー門下のフロイトは驚くべき大胆な論理によって反駁する。

 くだんの実験は、磁石を媒介にして催眠状態にある人から別の人へと暗示が「伝播」(übertragen)したというものだが、

 「磁石が状況によっては人に影響を与えることがあると仮定する必然性がある[müssen]のであれば、磁石の影響を受けた人がさらに別の人に影響を与えたとしてもそれほど奇異なことではないであろう[so dürfe es nicht als absonderlich erscheinen]。ちょうどそれは磁気を受けた鉄の塊が別の塊を吸引する性質を獲得するようなものである。とはいえこうした類推が許されるとしても、神経系が我々がよく知っている五感以外の手段によって他の神経系に影響を与えることがありうる[können]という事実の驚異を減ずるものではない[Diese Analogie verringert … nicht die Wunderbarkeit]。むしろ我々はこの実験を認めることを通して、我々の世界観[Weltanschauung]にこれまで我々が認識してこなかった何か新たなページ[etwas Neues, bisher nicht Anerkanntes]が付け加わり、いわば人格の限界が外へと押し広げられる[hinausrücken]ことを認めざるをえなくなる[müssen]のである」(同上)。

フリース宛書簡(1)



〔8〕フリース宛書簡[1](1887年11月24日)

 そしてついに運命的な出会いが訪れる……。1887年秋、ウィルムヘルム・フリースがブロイアーの奨めにしたがい、ウィーン大学にフロイトの講義を聴講しにくる。その直後の書簡。フロイトは出会いの興奮からまだ醒めやらない。

「尊敬する友にして同僚へ!

 わたくしが本日さしあげるお手紙が職業上のきっかけ[Anlaß]をもっているのはたしかですが、わたくしはあなたに告白することからはじめねばなりません。わたくしはあなたとのおつきあい[Verkehrs]を続けたいと願っております。あなたはわたくしの心にある深い印象を残していかれましたので[zurücklassen]、わたくしがあなたをどのような等級の人間として位置づけなければならないかをあなたに率直に申し上げるにやぶさかではありません。
 あなたがご出発なさって以来、ドクター・A夫人が診察を受けにきているのですが、どう心を決めればよいものかいささかの心痛[Peine]の原因になっています」。

 フロイトはこの患者のヒステリーが器質性のものか心因性のものか思い悩んだ結果、前者と結論を下すに至った。以下、書き出しの調子とは打って変わり、きわめて冷徹で鋭利な筆致によって推論の過程が記述される。

 歩行不能とめまいを訴えるこの患者が仮に神経症だとした場合、神経衰弱以外の可能性は考えられない。

 ところで、器質性疾患と神経衰弱性疾患のあいだの「しばしばあのように困難な鑑別」に際してフロイトが判断の基準にしてきた特徴がある。

 神経衰弱には心気症的変質[hypochondrische Alteration]および不安精神病[Angstpsychose]の現れである新しく現れてくる[auftauchend]感覚の過剰、それゆえ錯感覚[Parästhesien]が伴うということだ。

 それがこの患者には見られない。めまいも一種の失神状態であり、神経衰弱性のよろめきとはちがう。

 この観察が患者の病歴における事実と鋭く結びつけられる(「以下のことを思いつきました[einfallen]」)。

 患者はかつてジフテリアに罹患後、足の麻痺症状を経験しているが、「そのような脊髄の感染性の病気が克服された後に、見かけ上の治癒にもかかわらず、中枢器官に一つの弱点が残され[zurücklassen]、非常に緩慢に発病する系統疾患のきっかけ[Anstoß]が与えられるかもしれません」。

 その論拠として、梅毒と脊髄癆の関係、および急性の感染症と多発性硬化症の関係との並行性が想起させられる。

 こうして形成された「脊髄の抵抗最小点 punctum minimae resistentiae 」が、都会の女性によく見られるような何度かの分娩後の栄養状態の衰え[Decadance]という条件の下で「叛乱を起こし[revolutieren]始めた」というわけだ。

 書簡は電気療法や脳解剖を含む仕事の計画に触れた後、家族の近況によってしめくくられる。

3つの短い書評


〔5〕「アーヴァーベック著『急性神経衰弱』書評」(1887年)

 神経衰弱[Neurasthenie]とは、「アメリカの医師ジョージ・ベアード(1839-1883)が記述した病気で、『神経』による身体の疲労が臨床像の中心となり、その症状はひじょうにさまざまな領域にあらわれる。フロイトは、この症候群のもつ幅が広すぎるので、一部を他の臨床単位に分割すべきであると主張した最初の一人である」(ラプランシュ=ポンタリス『精神分析用語辞典』)。

 この書評によれば、神経衰弱は、「病気とは言えず、むしろ神経システムの反応形式と名付けられるべきものである」。「わたしたちの社会のなかで最も頻度の高い病気であるといってまず間違いのない」神経衰弱は、「恣意的に組み合わされた内容をもつ単なる当世風の病名としてしか受け入れられていない」。そのため、高度の医学教育を受けた医師でさえも神経衰弱のことをろくに知らない。

 一定の留保を置きつつも、フロイトはアーヴァーベックなる人の本がこの鵺のような「病的状態」を把握するために役立つだろうと述べる。とくにこの本の「才気あふれる」[geistreich 機知に富む]ところを買っている。



〔6〕「ウィアー・ミッチェル著『ある種の形態の神経衰弱とヒステリーの治療』」(1887年)

 これも神経衰弱についての本である。当時よっぽどトレンディーな「病気」だったんだろう。

 「あらゆる面で独創的なフィラデルフィアの神経科医、ウィアー・ミッチェルの治療の仕方は、ベッド上での安静、隔離、多めに栄養を摂ること、マッサージ、電気治療といった方法をきわめて厳密に立てられた治療計画のもとで一つに結びつけることによって、神経質症の疲労の重症で陳旧化した状態を治そうとするものである」。

 これはまるでシュルレアリスムだな。「なんでもあり」の病気には「なんでもあり」の治療法ということなのか?「ヒステリー」という言葉がもっぱら通俗的な意味で使われているなどと文句をつけているものの、フロイト自身、このメソードをしっかり取り入れていたのはご愛嬌か。



〔7〕「ベルカン著「聾唖の改善の試みとその成果」書評」(1887年)

 「キラキラと光るガラス玉」「いく種類かの母音、ベルの音、口笛」「いくつかの母音、塔時計が打つ音、鉄道の汽笛」。催眠術を施された聾唖の少年たちの耳にはじめて入ってくる音の風景は、どこかノスタルジックだ。簡潔にして美しい書評である。


シャルコー訳書の「まえがき」ほか一篇

「J・M・シャルコー著『神経系の疾病をめぐるサルペトリエール講義』への訳者まえがき」(1886)

 1885年冬、フロイトがサルペトリエールにやってきたとき、シャルコーは「器質性の変化に基盤を持つ神経疾患から関心の中心を移して、神経症の研究、わけても、ヒステリーの研究に専心していた」。これは1881年にサルペトリエールに神経病理学の教授職が設置されたという偶然的な理由による。このことは「大学記念祭派遣助成金を得て行ったパリとベルリンへの研究旅行に関する報告」(「パリ報告」)でも述べられていた。

 「シャルコーの比較的最近の研究の成果について私は当初は違和感を抱いていたが……」。これは意外な(?)発言。



「あるヒステリー男性における重度片側感覚喪失の観察」(1886)

 公開症例発表。フロイトがサルペトリエールで目を開かれたことは、催眠によるヒステリー症状の人為的再現の可能性と並んで、男性ヒステリーの存在であったと岩波『全集』の「編注」にある。男性ヒステリーの存在を強調したシャルコーの説は、ヒステリーがまだ基本的に子宮の病気であると考えられていた当時、大いに反撥を食らったようだ。「パリ報告」には次のように読める。「シャルコーは……それまで考えられてきたのよりも広範に男性のヒステリーのヒステリー、またわけても外傷性ヒステリーが存在していることを指摘して、神経症の生殖器との関係を適切な程度にまで薄めた」。ヒステリーの原因を女性の生殖器官というとくていの「座」からとりあえず切り離したことで、症状の心因性探究への道が開かれたということだろう。

 この症例発表は、マイネルトの奨めによるものであったが、マイネルトは、ヒステリーの「スティグマ」が「くっきりと目立つ」ような典型例を望んでいた。そもそも、「ヒステリーは恣意的にどのような症状の組み合わせでも生じうるから、ヒステリーに関しては確定された症状論をリストアップすることはできない」という「汚名」を着せられ、それゆえにその研究が敬遠されていたという事情があり、じっさいシャルコーも、症状が「最も完全に出揃った」「完成形」を研究の糸口としていたと「パリ報告」にある。フロイトは聴衆にむけて、そのようなうってつけの患者を調達できなかったとまず弁解している。

 ストレイチーは、この症例研究のわずかな意義を「心理的な要因への関心の兆し」に見出している(『フロイト全著作解説』)。つぎのようなくだりを想定した指摘であろう。
「この運動障害を感覚脱失の必然的な結果であるとは思わないでください。この点にこそ、幅の広い個人的な多様性があるのです」(強調原文)
「これらの『ヒステリー源域』[hysterogene Zonen]と発作誘発[Hervorrufung]との関係ははっきりしません」

フロイトのデビュー作:「大学記念祭派遣助成金を得て行ったパリとベルリンへの研究旅行に関する報告」

「大学記念祭派遣助成金を得て行ったパリとベルリンへの研究旅行に関する報告」(Bericht über meine mit Universitäts-Jubiläums- Reisestipensium unternommene Studienreise nach Paris und Berlin Oktober 1885-Ende März 1886, 1886)

 給費留学の研究報告書のようなもの。履歴書つき。発表されたのは没後(1956年)。Standard Edition の筆頭を飾る(Gesammelte Werke では補巻に収録)精神病理学者としてのフロイトの記念すべきいわばデビュー作が、いっしゅの「自伝」というすぐれてフロイト的な叙述のスタイルをとっていることは注目に値する。同時にこれはパリ時代の恩師シャルコーに対する一連の vibrants hommages の嚆矢をなすテクストでもあり、ポルトレ作家としてのフロイトの面目が躍如したささやかな傑作である。

 「私が最初に訪問した場所であるサルペトリエールは、広大な建物であった。それは二階建ての四角形の家屋であり、その中庭と庭園設備が相まって、ウィーン総合病院を強く連想させるものであった……」(兼本浩祐訳、『フロイト全集』第1巻)

 『コカについて』が、コカの木の外面的な描写から入り、次いでその機能へと論じ進めていたように、ここでも回想の舞台となる病院が、建物の描写からはじまり、おもむろにその「内部」へと移行するという叙述が選ばれている。具体的な描写がいつのまにか抽象的、理論的な記述へとメビウスの環のように反転するフロイト一流の文体がはやくも冴え渡る。

 この場面はさながらヒッチコックの『サイコ』のオープニングのように構成されている。読者は異国からやってきたはじめての来訪者の視点から病院の外壁に歩み寄る。するとキャメラがそのまま建物の窓をすり抜けて読者を建物の内へと誘い、そのままノンストップで、さいごはこの建物に君臨する人物であるシャルコーのいわばクロースアップへと収斂していって長いショットが締めくくられる。

 「私はすぐに訪問する病院をここだけに、講義を受ける師もこの人だけに絞り込んだ」(同上、強調原文)。

 フロイトの文章は徹底して視覚的である。こうした文体に導かれて、読者は病院「内部」をいわば透視するような体験をする。ここにはほかならぬ「幻視者」シャルコーへのフロイトの驚きが反映されている。サルペトリエールがウィーン総合病院になぞらえているのも偶然ではない。ドイツとフランスの神経病理学の橋渡しということこそ、フロイトの留学の目的そのものであったことは、文章の冒頭部分にすでに宣言されている。フロイトはシャルコーの人物像を次のように描き出してもいる。

 「こうしたサルペトリエールの全付属施設および全職員に君臨するシャルコーという人物は、現在六十歳であり、通常我々がフランス人の国民的な徳目に数え上げている活発さや快活さ、洗練された話しぶりをその性質として持つとともに、一般的にはドイツ人の長所と主張されている忍耐力や勤勉さも併せ持っていた」(同上)

 物語の舞台を映し出すさいしょの全景ショット(エスタブリッシング・ショット)のうちに、物語全体が縮図のように象嵌されているのだ。外見の類似という挿話的な印象のうちに、本質的なメッセージが宿っている。フロイトは「対比」という修辞を自家薬籠中のものとしている。

 シャルコーの人物像を伝えるフロイトの筆には、マエストロに対するフロイトの驚異の念が刻印されている。

 「巨匠シャルコーが供覧された症例の一部を独特の言いまわしで『未だその疾病分類は不明という混沌』と表現し、再びもとの分類不能の大海へと戻してしまうと[nach seinem eigenen Ausdruck >> in das Chaos der noch unenthülllten Nosographie << zurücksinken ließ]万座は落胆した雰囲気になったが、別の症例では、症例に触発されて神経病理学の極めて多彩なテーマに関する非常に示唆的なコメントをシャルコーが症例と結びつけて論ずる機会となった」(同上)

 「分類不能の大海」……ねえ、なるほど。言われてみれば潮の満ち干のようなリズムが感じとれる文である。ジョルジュ=アルテュール・ゴルドシュミドは、フロイトの文章を海になぞらえている(『フロイトが海を見る時』)。

 あるいは、

 「解釈の困難な新たな現象を前にした時、まずはシャルコーが躊躇うのを我々は見る。そしてその現象を理解するためにシャルコーが懸命に歩もうとしている道筋につき従い、どのようにしてシャルコーが問題に潜む困難を同定しさらにそれを克服するかを学ぶことができるのである。驚くべきこととして目についたのは、シャルコーが同じ現象を倦むことなく眺め続け[anschauen]、自身の感性[Sinne]を繰り返し予断なしに働かせ続けることで、終にはその現象を正しく理解するに至るということである」(同上)

 「催眠を科学的に研究することを通して[……]、シャルコーはヒステリー症状理論とでも言うべきものに独力で到達したのである。シャルコーはこの症状論が大方においては良く当てはまっていると認める大胆さはあったが、患者の報告が必ずしも正確でないことへの配慮も、その際に怠らなかった」(同上)

 前回引いた同じマルタ・ベルナイス宛書簡(1884年4月21日付)のなかで、フロイトはすでにこう述べている。

 「君も知っているように、研究者の気質には二つの基本的特性がそなわっっていなければならない。試みにおいては大胆、研究においては慎重、というのがそれだ」(『フロイト著作集』第8巻)

 最後にもうひとつ、いかにもフロイトらしい一節を引いておく。

 「私は催眠という極めて驚異的であるにもかかわらずその信憑性が疑われている現象、ことにシャルコーによって記載されている<<大催眠>>に関して自ら経験することも忘れなかった。私は、催眠とは大筋で明白で、その存在を疑う余地のない事柄であるということを驚きとともに体得したが、他方で自分自身の感覚で体感しなければ信じられないほど、不可解な事象であることも理解した」(『フロイト全集』第1巻)

 ここでは「催眠」を「無意識」という言葉で置き換えても差し支えない。フロイトの言葉はこういうつかみどころのない「対象」を追い求めてやむことがない。

『コカについて』

 本ブログでは、フロイトのテクストを原則として年代順に読み、勝手気侭なコメントを加えていきます。どうぞ気長におつきあいください。


「コカについて」(Über Coca, 1884)
 この悪名高い「植物学研究書」は、最初期の神経学諸論文と同様、独・英・仏・日各『全集』には収録されていない。いわばフロイト以前のフロイトの著作と見なされているわけだ。

 コカインについての最初の言及は、同年4月21日付けの婚約者マルタ・ベルナイス宛書簡のなかにある。
 「ぼくは今、またもやある計画と希望に胸ふくらませている。‥‥それは治療上の一つの試みだ。実は今コカインについて読んでいる。……ぼくもこの薬を取り寄せてみて、手近にある資料を参照しながら心臓病に、さらには神経の衰弱状態に試用してみたいと思っている。とくにモルヒネを中止した際の悲惨な状態(ドクトル・フライシュルが陥っているような)に試みたい。ひょっとしたらすでに他でも多くの人たちがこれを研究しているかもしれないし、またもしかしたら全然役に立たないものかも知れない。しかしぼくはこの実験を止めるつもりはない、常に試み常に希求するということが大切であって、そうすればいつかは必ず成功するものだからね、そうだろう」(『フロイト著作集8』)

 結局この情熱があだになり、かれは同僚のフライシュルを死に至らしめ、しかも親友のカール・コラーに功績を横取りされるはめになるだろう。

 手元にあるオン・デマンドの復刻版で正味24ページの論文は、6章からなる。

Ⅰ. コカの木
 「コカの木、学名 Erythroxylon Coca は、4フィートないし6フィートの背丈の、われわれの知るスピノサスモモ(Schwarzdorn)に似た低木であり、南米、とくにペルーとボリヴィアで広範囲に栽培されている。海抜5000から6000フィートのアンデス山脈東側の斜面の温暖な Thälern でもっともよく育つ……」
 冒頭の淡々とした植物学的記述は美しい。どこかルイス・ブニュエルの映画のオープニングを思わせないでもない。

Ⅱ. コカインの歴史と使用法
 「スペインの征服者がペルーに侵入した際に、彼らは人々がコカの木を栽培してそれを崇めていて、コカが宗教的な信仰に密接に結びついてさえいることを知った」。「この神の植物は、飢えた者を満たし、弱った者を強くし、不幸を忘れさせる力を力をもつ」と伝説はおしえる……

Ⅲ. ヨーロッパにおけるコカインの葉

Ⅳ. 動物へのコカインの影響

Ⅴ. 健康な人間へのコカインの作用
「コカインの摂取が健康な人間の体に及ぼす効果を、私は自分自身および他人に対して何度も実験し、コカの葉をめぐる Mantegazza[北米先住民]の言い伝えと一致する結果を見出した。
 最初は、疲れのせいで気分がすぐれないときに、0.05グラムの塩化コカインを水で1%に薄めた溶液を摂取。溶液はかなりどろりとしていて、オパール色がかった光を発し、ちょっと変わった[fremdartig]香りたつ匂いを漂わせている。さいしょは苦みの感覚を感じたが、やがてとても心地よい香りたつような気分に変わる。乾燥させたコカインも多量に服用すると同じような匂いと味を示す。
 服用して数分後、突如として晴れ晴れとなり[Aufheiterung]、軽々とした気分がやってくる。唇と口蓋がざらざらした感触[Pelzigsein 毛皮のようなもの]になり、それから熱くなる感じがする。続いて冷たい水を飲むと、唇は熱く、喉は冷たく感じる。別のときには、口と喉が心地のよい清涼感で満たされる」
 シュールにして官能的な描写である。ここにのちのセクシュアリティの主題を読み取ることさえむずかしくないだろう。

Ⅵ. 治療目的の使用法
 a)刺激剤としてのコカ
 b)コカと胃の消化不良
 c)カヘキシー[悪態症]の状態におけるコカ
 d)モルヒネおよびアルコール常用の場合のコカ
 e)喘息の治療におけるコカイン
 f)催淫剤としてのコカイン
 g)コカの部分的応用
 
 ヨーロッパでは副作用ゆえに治療としての使用法は認知されていなかったが、フロイトはモルヒネ中毒を解消するためにコカインの使用が効果的であるとしている。

 科学的な新見地も含まれていたが、アーネスト・ジョーンズによれば、むしろ「文学的な作品」としての価値が大きい。いわば「作家としてのフロイト」(ムシュク)の出発点がこのテクストに見出されるのだ。たとえこうした見解が、コカインをめぐる一件から読者の気を逸らし、それを若きフロイトの単なる一「挿話」に還元しようとするジョーンズの政治的な立場を反映するものであったとしても、かれはコカインそのものに対するフロイトの熱狂をも見逃していない。

 「この論文には二度とフロイトの書きものに表れなかったような調子がある。それは客観性とあたかも内容そのものを愛しているかのような作者個人の人間的な暖かさの結合が目立っているということである」(『フロイトの生涯』)

 なによりもこのテクストは、その伝記的な価値において貴重である。『夢解釈』で紹介されるいくつかの事例に明らかなように、コカイン体験はフロイトの無意識に大きな刻印を残しつづけることになるのだから。
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