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1909年のフロイト/アブラハム往復書簡(5)

70A(16/05/1909)
 モルの主催する心理学協会での発表のためご無沙汰していた。演題は「成人の心理生活における幼児の幻想」。モルはいつものように友好的で、議論に油を注がないように自戒していた。フロイト来訪の件についてはフロイトの述べたヴァージョンとはまったくちがっていた。モルについては悪評を耳にすることが増えている。今度は距離を置くつもり。顧客横取りの一件[編注によれば詳細は不明]についても不利な立場にいる。帰途ベルリンに立ち寄るとの由、たのしみで仕方がない。オッペンハイムは病気さもなければ出張中で、仕事は順調そのもの。午前中に九人の患者(うち六人は分析)。大洪水の記述を除いてランクの本は気に入った。抑圧の諸効果についての今後のかれの研究に期待する。広場恐怖症は脚光を当てるに値するテーマとは思わないだろうか。このケースをかなり見ていて、父か母への固着がみられる。この種の患者は不安にとらわれるときじぶんが小さいと感じていて、四つん這いで歩きたいと願い、まわりの人が極度に大きく見える。じぶんが歩けない幼児であるとの幻想が明らかだ。じぶんのからだが縮んで大地に埋没すると感じている。胎児になるもしくは母胎に回帰する願望がみられる。この見解に賛成であろうか。

71F(23/05/1909)
 オッペンハイムから離れていられるのはよろこばしい。ベルリンでは75歳の兄[エマヌエル]を避けてお宅へ伺いたし。夏はアメンヴァルトに滞在するが、仕事に集中したいので会えない。モルの奴は医師ではなくヘボ弁護士。アブラハムの論文の本数が減っているのは分析への関心を失っているからだと言うので、じぶんが論文発表を半年置きにすべく助言したことを伝えた。[このあとさらに罵倒がつづく。]広場恐怖症を幼児の空間感覚に帰すことができることはわかっていた。空間不安は飲み込まれたいという幻想だ。つづきはお会いしてから。

72A(15/06/1909)
 休暇はオランダで過ごすのでいずれにしてもお訪ねできない。フロイトのベルリン訪問時にはブレーメンに用事ができた[休暇中に会いたいという申し出を拒否されたことに対する腹いせか?]。足および衣服フェチの同僚を分析。この手の患者に治療の効果はあるのだろうか。

73F(11/07/1909)
 ユングもアメリカに同行することはご存知だとおもうが合流のタイミングは未定。

74A(13/07/1909)
 ユングの同行は初耳。オッペンハイムの精神分析批判論文。

76A(10/11/1909)
 神経学会での発表の際、「どんな神経症患者においても出会ったことがないほどの抵抗」につきあたる。新聞で話題の偽霊媒師。

77F(23/11/1909)
 「精神分析について」執筆。神経学協会の発表「夢幻的状態」を「年報」に載せては如何。ウィーンの状況はアイティンゴンよりお聞きかと存ずる。かれに委ねた写真をご覧になれば私がアメリカの件でいかに体を削っているかがわかるであろう。臨床上の新たな発見はなし。ご同僚に患者を譲る余裕もなし。「年報」には載せるべきこと多し。『日常生活の精神病理学へむけて』第3版を近日中にお送りする。つづけて『性理論三篇』の第二版の作業に入る。「応用論集」にはレオナルド論(アイティンゴンにだけ話してある)のかわりにあなたのセガンティーニ論を載せたい。オッペンハイムという若い神話学者の協力をとりつけるつもり。「あなたの」オッペンハイムはウィーンにいるが会わなかった。とくに会いたくもない。ゼミナールを開講中。近くあなたの「ヒステリーと早発性痴呆の差異」をとりあげる。

78A(24/11/1909)
 お写真を額に飾る。セガンティーニ論はあなたのレオナルド論に匹敵するものではないだろうがまとめるつもり。ユリウスブルガーの小著はいまだに妥協的。これは幼児性転移の産物。リーマンなる作家が人は夢解釈によっては幸福になれないと主張。


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1909年のフロイト/アブラハム往復書簡(4)


66A(05/03/1909)
 「一般的覚書」は教えられるところ多し。オッペンハイムはあいかわらず性的要因を認めようとしない。外傷神経症についてはさしあたってとりくむ意志はない。オッペンハイムの病院で性的なことがらを扱うのはむずかしい。とりあえずセガンティーニについてまとめられたら「応用論集」に載せたい。同論集の「夢と神話」は未読。両性愛者の分析が成功裏に終わりそうだ。すでにお話ししたヒステリーの症例も然り。

67F(09/03/1909)
 オッペンハイムの了見は狭すぎる。あなたもいずれ袂を分かてるだろう。「夢と神話」は仲間内では大好評。ユングが19日に来訪予定。アメリカ行きが決定。ある方面では不興を買うかもしれないが。弟(アレクサンドル)とフェレンツィ[ユングの名前は出していない]も同行の予定。

68A(07/04/1909)
 「年報」に読みふける。「ハンス」症例は一気に読んだ。その他の論文がすべてチューリッヒ派のものであるのは驚き。ユング論文(「個人の運命にとっての父の意味」)に期待していたが、新味に欠ける。「父」がこれほど重視されていることにはあなたも賛成なのだろうか。わたしの多くの症例ではむしろ母が決定的に重要だ。それ以外の症例では父と母のいずれが優位であるかは決定できない。ビンスヴァンガー論文(「ヒステリー分析の試み」第一部)は冗漫。第二部も知れたもの。そもそも半年にまたがって一つの症例を発表するという神経が浅はか。アメリカ行きはとくに反感を買うことはなかった。行き帰りにベルリンを経由するかどうかが知りたい。ベルリンではユリウスブルガー以外は何ひとつ動きなし。ユリウスブルガーは私に分析を受けている(ここだけの話だが、理由は神経不安)。アイティンゴンが来訪。素材を山ほど抱えているが発表に至らず。アイティンゴンの指摘によって『夢解釈』第二版の二箇所のミスに気づく(「比較精神科学」「1809」)。年号の取り違えについては推測がつく。とはいえいずれのミスにおいてもランクが損をしているのはなぜなのか。オッペンハイムについてはもっと寛容に判断すべきだろう。去年の夏、オッペンハイムは謎の病にかかったが、私のみるところ重度の神経症ないし不安ヒステリーであった。つまりかれはなにごとかを締め出している(この件は内密に)。くだんの男性患者の分析は家庭の事情で中断、新たに二件分析を引き受ける。じぶんじしんのうちに症状行為を発見。分析中、患者の答えを待っているあいだに、じぶんは両親の写真によく目をやる。患者に幼時の転移を発見するといつも同じことをしていることがわかった。そしてその眼差しには罪悪感が宿っている。「両親はおまえのことをどう思っているだろう?」というかのような。二歳の娘に二度ほど浣腸をしたところ、もう二度としてほしくないと毎日言うようになった。明らかに浣腸をせがんでいるのだ。これ以外に肛門愛の徴候はかのじょにはない。

69F(27/04/1909)
 目のカタルやマルタの病気の再発などでご無沙汰していた。もちろんチューリッヒ派の優遇は認識している。ユングの見解についてはほぼあなたに同意する。これまで同性の親のほうが重要だと考えてきたが、これには個人差がある。ユングが全体の中の一要素だけを取り出していることには理がある。ベルリンにはアメリカからの帰途、立ち寄る予定。ユング夫妻ついでフィスター来訪。フィスター来訪の半時間前にモルが来るが、喧嘩別れ。『日常生活の精神病理学にむけて』第3版にとりかからねばならないが、診察で手一杯で健康状態も万全ならず。できれば若い人に委せたい。ランクの本についてあなたの考えを聞きたい。『夢解釈』のミスはすでに解明済み。ランクにたいしてふくむところはまったくない。

1909年のフロイト/アブラハム往復書簡(2)


62A(31/01/1909)
 マチルドの結婚につきさぞご多忙のこととお察しするが、分析について助言を請いたし。知らない人といると話も食事もできない患者の不安は、男性に向けられた視欲動の抑圧に由来するとおもわれる。これは少年時に一緒の床で寝ていたサディスティックな兄の存在に関係している。この兄は自殺したが、兄の晩年の記憶が患者に欠けている。この患者がとくていの食物を受け付けないのは他のケースに一般化できるだろうか。母親と一緒の床に寝ていた両性愛患者の魚ぎらいは月経臭に由来している。同じような症例をご存知であろうか。

63F(02/02/1909)
 くだんの患者が食べることを性的行為と見なしていることはあきらかだ。肛門の機能が上方の口へと翻訳されている(話すことも含めて)。すべての同性愛者において抑圧されている肛門性愛を考慮することで容易に解明が可能であろう。食物嫌悪はいまだほとんど手つかずの領域であるが、後者の患者と同じ原因をもつことが多い。『年報』の準備が火急である。ランク『英雄の誕生』はすでに印刷にまわっている。追伸:わが家のうれしい大騒ぎはほどなく終息のはず。

1909年のフロイト/アブラハム往復書簡(その1)


58F(10/01/1909)
 便りがないのは先便[ユングとアブラハムの反目を嘆き、「われわれにはアーリア人の仲間がどうしても必要だ」と述べた書簡]の批判にあなたが傷ついたからだと察する次第。あくまでもあなたへの友情からしたこととご理解願いたし。

59A(12/01/1909)
 便りをしなかったのはずっと病気であったため。誤解なさらぬよう。

60A(13/01/1909)
 あらためて音信不通にたいする弁解。あなたの手紙にまったく気を害してなどいない。ベルリンかザルツブルクでの再会を願う。モートン・プリンスからの手紙のことをブリルとジョーンズにお伝えくださってかまわない。カナダに移住したと聞くジョーンズはどうしているだろうか。家庭の問題を抱えているが仕事は順調。ランクの著作と年報を心待ちにする。

61F(17/01/1909)
 杞憂であって安心した。学会は今年は中止。ジョーンズからカナダ人をこきおろす手紙が来た。シュトロメイヤーの論文への賛辞。年報の校正刷りであなたの論文をハンス症例の次に配したユングの配慮もよろこばしい。ランクの論文を掲載した第五号は印刷にまわっている。クラーク大学から講演の依頼は、経済的理由により拒否せざるを得ず残念。あなたの分析の知らせはうれしい。ヒルシュフェルトの同性愛の発生についての仮説の誤りをあなたは説得することができるだろう。モルの新雑誌については音沙汰なし。掲載予定だった論文(「ヒステリー発作にかんする一般的覚書」)は Sammlung zur Neurosenlehre に収録しなければならない[この論文は最終的にモルの雑誌に掲載された]。いたるところで事態はうごいている。

1908年のフロイト=アブラハム往復書簡(その5)


52A(10/11/1908)
 昨晩のことをお知らせしたくてうずうずしていた。「ベルリン精神医学・神経疾患協会」で「親族婚と神経症」について話をし、全体として成功をおさめた。オッペンハイムの指摘をとっかかりにして、オッペンハイムとフロイトの見解を繋げた。無用な反論を引き起こしそうな話題(同性愛との関係etc.)は避けたが、性理論を完全に擁護し得た。フロイトの名を挙げるのをほどほどにしたのも功を奏した。幼児性欲の概念を除き、オッペンハイムの賛同をも勝ち得、非公式に賛辞を受け取った。ツィーエンらの攻撃は受けたが、盛況のうちに閉会。いまや道は平坦だ。晩冬にはより「重装備」で攻勢をかける。ユングにも「年報」用に発表原稿を送付した。シュテーケルの著書はベルリンでよく読まれており、医師たちの精神分析への関心を高めている。フロイトの著作の再刊も好評である。ドイツ神経学会が来年10月にウィーンで会合を開くが、攻勢をかける余地があるだろうか。モルの著作は無理解に満ちている。

53F(12/11/1908)
 発表原稿拝読。アブラハムのとった戦略は正解である。幼児性欲理論への抵抗によって、『三篇』が『夢解釈』と同じくらいの価値をもつ仕事であるとの思いを強くしている。モルの著作は悲惨かつ不誠実。状況が急変しないかぎり、ウィーンの学会を自分は見送る。遠方のあなたとは立場が違う。ウィーンの同胞諸氏にむやみに戦争を仕掛けて怒号の雨を降らせるには及ぶまい。逆にわれわれを血祭りにしようと待ち構えている彼奴らに待ちぼうけを食わせてやることこそわが狙いである。あなたは自分の判断で出方を決めてほしい。現在、「精神分析の一般的方法論」を執筆中なるも進捗は遅々たるもの。長女マティルデが婚約。

54A(23/11/1908)
 マティルデ婚約への祝辞。『夢解釈』第二版拝受。当初売れなかった本の重版が何年も経ってから刊行されるという例はめずらしい。『三篇』への抵抗の大きさは自分もつねづね認識している。『三篇』は自分のフェイヴァリットである。掘り下げて研究する価値のあるアイディアに満ちているからだ。対して『夢解釈』は完璧な書物なので、自分などには付け加えるべきものが何もない。さらに『三篇』が好きな理由は、凝縮した記述にある。一文一文につねに発見がある。ウィーンの学会はともかく、われわれの会合はどうするのか。自分のところには分析例が不足している。精神分析を始めて一年、所得は思っていた以上に増えたが、投資額を上回るものではない。当初幻覚症状を呈していた患者はいわゆるメランコリー的な錯乱思考のメカニズムをあらわすようになっている。幻覚の諸形態における心因というテーマにもそのうち取り組みたい。追伸。帝国議会での傑作な lapsus linguae。rückhaltlos と言うべきところを rückgratlos。ついでに傑作な書き間違い。歯科医に恋している女性患者が家族に宛てて「すばらしい Prozedur」と書くべきところを「すばらしい男性 Creatur」と書き送った。

55F(14/12/1908)
 多忙に明け暮れているが、文通を途切れさせないために挨拶を送る。書評の抜き刷りを送付したし。「年報」は印刷中。

56A(18/12/1908)
 書評ではツィーエンへの実際の反論の辛辣さを和らげて書いた。ベルリンの状況は良好。オッペンハイムの病院にて17歳のユダヤ人貴族を分析。5年前より背中の痛みと性的な神経衰弱を訴えている。家族内での同一の症状。これまででもっともやりがいを感じる症例である。一月前、シャルロッテンブルクにフロイト派の集会ができた。アブラハムの患者の文献学者が勤務先の校長にフロイトとアブラハムの著作を渡したところ、感化された校長が同僚の教師たちと活動を始めた。校長はこれらの著作を知らない者を遅れていると見なしている。書店主によると、遅れていると思われないために教師たちが『夢解釈』を競って購入しているらしい……。外傷神経症についての自著の英訳を「異常心理学雑誌」のモートン・プリンスに送り、出版したいテーマについて話したところ、原稿を送るよう言われたが、もともと出版の意図はなかったようで、だいぶ経ってから不採用の通知とともに脂まみれの原稿が返送されてきた。さらに不快な知らせがユングから届く。印刷中の「年報」ではアブラハムの書評が保留になっているとのこと。おそらくユング自身の論文に差し替えたのだろう。事後通告とはデリカシーを著しく欠くやり方だ。そこでユングに丁重に返事を書いた。ドイツとオーストリアの文献の書評をとりやめるのはいいとして、フロイトの著作の書評はぜひ載せてくれと。多くの同業者に需要があるし、第一分冊に載せるのが妥当である。いっそ三点とも印刷を拒否し、ユングに権限の限界を悟らせてやるべきだった。フロイトの意向に適うように自分の要求は可能なかぎり抑えたつもりだ。グラディーヴァの彫像とそっくりな彫像についての資料を同封。

57F(26/12/1908)
 資料への謝辞。ユングとの新たな確執は遺憾。チューリッヒではよく話し合い、わかってくれたものと思ったし、最近もアブラハムとの和解をよろこぶ手紙を受け取っていた。今回の件ではユングに分がある。編集長としての責任を果たすためには力技も必要であり、今回のふるまいはアブラハムへの悪意によるものではない。第一分冊には親族婚の論考を載せられただけで満足すべきだ。第二分冊への繰り下げは誠意を欠いた扱いとは言えない。ユングにたいして無用な不信を抱かぬよう。それは迫害コンプレクスの前兆だ。今回のことから遡って以前のユングの態度を事後的に非難しないでほしい。自分は「年報」の編集に影響を及ぼさないように努めてきた。自分と同じようにふるまってほしい。そのことで名誉が失われることはない。大義をめぐるユングの将来的な態度についてのアブラハムの予言は当たらなかったではないか。われわれを取り巻く敵意の存在もわれわれに結束を促している。かねてから二枚舌だったモートン・プリンスの今回の仕打ちは嘆かわしい。あなたさえよければ、ブリルとジョーンズに「異常心理学雑誌」への執筆をとりやめさせてもよい。今日はラジウムのおかげで何時間も調子がよい。これは奇跡の元素だ。こうした大きな利得はまさに利得の大きさゆえに台無しになるものだ……。自信をもちたまえ。今回の事態もわれらが先祖伝来の粘り強さが解決してくれるだろう。クリスマスにはシュタインとフェレンツィを招待している。ベルリンのアブラハム博士が合流してくれれば豪華な顔合わせになるのだが。診察が多忙で「精神分析の一般的方法論」は滞っている。ミュンヘンにもシャルロッテンブルクのに似たサークルがあるそうだ[オットー・グロス主催]。とはいえ、どんな学問も大衆化することでたいせつなものを失ってしまうものなので、喜んでばかりもいられない。ハンス症例は激しい反論を引き起こすであろう。われわれにはアーリア人の仲間がどうしても不可欠だ。さもなければ精神分析は反ユダヤ主義の餌食になるだろう。
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