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フロイト/フェレンツィ往復書簡(1909年10月)


73 Fer(05/10/1909)
霊媒ザイドラー夫人の読心術(フェレンツィはフロイトおよびその親族の画家ヨーン・フィリップとともに Séance に立ち会った)。霊媒によるフロイトの「熟練」「年齢」への言及は、フェレンツィ自身の未熟さにたいする抑圧されたコンプレクスが言い当てられたものか。霊媒はフェレンツィとフロイトがじゅうぶんに理解しあっていないと述べた。「フェレンツィとはまだ11:45」とするフロイトの夢。フェレンツィの抑圧された「ユングへの嫉妬」がフロイトへの承認欲求の不満足として現れた? フェレンツィは読心術を信じたがっている一方で、じぶんはオカルティズムには陥っていないと弁明している。「アメリカは夢のごとし」。こんかいの旅は現地で行き遇ったことよりも道中の交友のおかげで実り多いものであった。

74 F(06/10/1909)
くだんの霊媒の透視はトリックだが、テレパシーはそのかぎりではなさそうだ。しばらくこの件はそっとしておくべし。

75 F(11/10/1909)
予言はナンセンスだが、思考の転移はありうる。「この実験の結果、オカルティズムに与しなければならないのだろうか。もちろん、否。事はたんなる思考の転移である。仮にこのことが実証されれば、信じなければならない。そのばあい、それは心理的な現象ではなく純粋に身体的な現象である。これは第一級の新発見だ。さしあたってこの件は極秘にすべし。……そのうちユングをこの件に引き入れるべし」。

76 Fer(14/10/1909)
ザイドラー夫人への手紙。同性愛患者。

77 Fer(16/10/1909)
夢についての講演。

78 F(22/10/1909)
夢講演を英語媒体で発表しては? アベル「原始語の反対の意味」。レオナルド。

79 Fer(26/10/1909)
フロイトの批判者たちはフロイト理論の断片だけを認めている。ブロイアーをもちあげたり、ユングをもちあげたりといったように。あらゆる批判をまとめれば、フロイト理論を完璧に承認している結果になるが、個々の反対者の結論は概して糾弾的である。「わたしの個人的な[心理的な]健康はイゾルデ嬢(フェレンツィの夢のなかにギゼラ・パロスがこういう名前で登場した)との緊密な交際により良好である。わたしとわたしのかのじょとの関係における完全な率直さをうみだすつらく苦痛な作用は急速に進展している。かのじょの知性と分析の心理学的側面へのかのじょの関心は、克服されることへの抵抗と、ありのままの事実がそれにみあった長い防衛のすえに受け入れられることの辛さを可能にするほどに大きい」。夢による自己分析(たくさんの幼児性)。「わたしはかのじょのうちにあまりに多くのものを見出している。恋人、友、母、学問上の弟子、子供」。
講演をドイツ語で出版するつもりにつき、序文を書いてもらいないだろうか。

80 Fer(30/10/1909)
ギゼラ・パロスの失錯行為の報告(「コーヒーメーカー」、フェレンツィの義兄との関係)。
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フロイト/フェレンツィ往復書簡(1909年1月〜8月)

*フロイト/フェレンツィ往復書簡(1909年)

27F (01/01/1909)
アメリカ行きへの誘い。
 
28Fer (02/01/1909)
「取り込みと転移」の出版元の模索。じぶんはアメリカに随行することが「できる」(金銭的な余裕を含意)との積極的なアピール。

30 F (10/01/1909)
経済的な損失ゆえにアメリカには行かない。「アメリカはわたしに金を失わせるのではなく、もたらすべきだ」。精神分析の性的な基盤へのアメリカ人の反応にたいする危惧。

33 Fer (不明)
赤色恐怖症の症例。

36 Fer (20/01/1909)
「取り込みと転移」においてフロイトを参照した一節の引用(「われわれは神経症者をいかように治療することもできる。神経症者はつねに心理療法的にみずからを治療している。転移を起こすことで」)。

37 F (02/02/1909)
技法論の差し替えとしてフェレンツィ論文を。スタイン(同性愛)分析の提案。

38 Fer (04/02/1909)
スタイン分析の固辞。

43 Fer (23/02/1909)
抑制<行為化。「計画された行為」。

44 F (28/02/1909)
クラーク大学より再度の講演依頼。『神経症小論』下巻刊行。

46 F (09/03/1909)
英語の勉強への意欲。

48 Fer (21/03/1909)
『年報』届く。ユングがフロイトに完全に改宗したのはよろこばしい。

50 F (07/04/1909)
『日常生活の精神病理』のための素材提供にたいする謝辞。イースターにヴェネツィア行き(アレグザンダー、ミンナと落ち合う予定)。

51 Fer (21/04/1909)
同性愛の症例(強度の母親コンプレクス)。「試験管」のメタファー。講義のプラン。

52 F (25/04/1909)
マチルデ手術。ブロイラー論文が幼児性欲説を受け入れている。ランク『英雄の誕生』刊行。モルとフィスターという正反対の客の続けざまの訪問を受ける。フィスターはキリスト(救世主 Heiland)にしてハーメルンの笛吹き男(扇動者 Rattenfänger)のような人物。

56 Fer (01/05/1909)
強迫神経症とおぼしき梅毒患者の症例。“Sperma-Hypochonder”。心気症を抑制して症状化。離婚の空想による恐怖症。転移の形跡なし。無意識的な同性愛的傾向ゆえパラノイアに。殺害妄想。性愛的(同性愛的)象徴にみちた談話。「心気症的パラノイア」は存在するか。もしくは心気症はなべてパラノイア的なのか。

57 F (02/05/1909)
梅毒からの回復期にある類似の患者の例。当初はヒステリーであった。その症状はスペイン語の話者がポルトガル語で話しているような、奇妙ではあるがなじみのある言語を語っているかのごとし。狂った母親への同一化による解決。不平家は昇華された心気症。「別種の病理的形態と言われるものは、じっさいには同じ抑制および代理形成の過程の帰結である」。『性理論のための三篇』2版。

58 Fer (05/05/1909)
くだんの梅毒患者も父親の方が精神を病んでいる。『日常生活の精神病理』で採用された夢(転生)。「狂詩曲ふう」書簡との卑下。

61 Fer (18/05/1909)
もっか分析中の患者は男性のみ。

64 F (06/13/1909)
「鼠男」鋭意執筆中。

66 Fer (30/06/1909)
何度目かの『夢解釈』再読。つねに新たな発見あり。

67 F (04/07/1909)
「鼠男」脱稿。

68 Fer (22/07/1909)
ギゼラ・パロスへの最初の言及(編注)。

71 F (09/08/1909)
アメリカへの幻想はない。「無理に愛してくれとはいいません」(『魔笛』)。アメリカについての本は読まずじまい、キプロスについての考古学書を一冊読んだだけ。かの地で古代キプロスのコレクションを見たいもの。


 8月20日、二人はユングをまじえてブレーメンで落ち合い、翌日アメリカ行きの船に乗る。書簡のかなりのぶぶんが船の便や船室えらび、予算、ワードローブなどについての細かな相談に費やされている。二人の心浮き立つさまが文面に横溢しており、なんとも微笑ましい。

 

1908年のフロイト=フェレンツィ往復書簡(その4)


20F (27/10/1908)
 娘の婚約。白日夢は人に語られないだけに研究が困難。独自の観点を探るべし。

21Fer (22/11/1908)
 『夢解釈』第二版。ハンガリー語における言葉遊び(口=女性器)。

22F (26/11/1908)
 諸般の事情で会合を延期。技法概論は24頁まで進行。ブリルの早発性痴呆分析。『夢解釈』の外国語版。ブリル、ジョーンズ、アブラハム、ユングとの文通。技法と神話。

23Fer (29/11/1908)
 技法論はうれしい驚きだ。この本はわれわれ若輩者にとって是が非でも必要である。当方も技法に関する小さな論文(『投射と転移』の第一部と推測される)に取り組んでおり、ウィーンへの手みやげとするつもり。その際、『夢解釈』のハンガリー語版についてもお話したい。

24Fre (10/12/1908)
 ウィーン行きはクリスマス休暇に延期。

25F (11/12/1908)
 論文(性的不能論?)への謝辞。技法概論は34頁まで進んでいる。クリスマスまでに40~50枚を超えることはないだろうが、感想を述べてほしい。フェレンツィ論文「現在-精神神経症」。パラノイア、心理的インポテンツなどについての議論をたのしみにしている。

26Fer (15/12/1908)
 「幼児期の性理論」誤植の指摘。ハンス症例の刊行が1809年になっているのは、1909という通常ならざる数字ゆえに Antedatieren が起こったものであろう。植字工のミスであろうが、年報刊行の遅れにたいするフロイトの不満の表現である可能性もある。

1908年のフロイト=フェレンツィ往復書簡(その3)


19Fer (12/10/1908)

 このところ自分や別の人の白日夢について調べている。その結果、フロイトの夢理論の正しさが証明された。「詩人と空想」には、歪曲されていない願望の白日夢が解明されている。自分の経験では、夜間の夢と同じくらい歪曲されていることもしばしばである。たとえば、日中にみる不安夢、焦燥感の夢。その場合の「願望充足」は不愉快な表象として現れる。前意識的な願望である場合もあるが、無意識的な願望である場合もある(美術館での地震の空想)。その場合、夜間の夢と同様、移動と圧縮がはたらく。間接的な描写においては健常者と神経症者のちがいが観察される。神経症者にあっては夜間の夢と似ている。健常者にあっては、白日夢における象徴や二重の意味をもつ語は夜間の夢とは別様に解釈される。「二次加工」については、白日夢においてのほうが余地が大きい。精神神経症患者の白日夢は「症状思考」。健常者の白日夢においては前意識的な願望がメインである。両者の白日夢の境界は流動的である。
 音楽家は、空想をこれに関連した旋律に隠していることが多い。
 無意識的な思考を断片化したり歪曲した空想は、神経症者の無意識的空想への移行状態である。無意識的な空想は万人に見られるが、健常者にあっては前意識的な空想や意識的な思考と複合することがすくない。
 パラノイアについて。アルコール中毒性の嫉妬妄想の患者。かれの万人にたいする嫉妬は、アルコール摂取に比例している。このことは、妄想はつねに撤退したリビドーの新たな現れであるというフロイトの見解に倣った自分の見立てと一致する。アルコールは快を生み出すが、対象愛に障害がある場合、そのようなリビドーの追加は苦痛をもたらし、リビドーはその価値をネガティブなものに変えて他の人に押しつけられる(異性愛的リビドーを撤退させた事例)。アルコールによる嫉妬妄想はアルコールの特別なはたらきではなく、毒素によって快が生じたことをきっかけとして、すでに自体愛的になっていた人においてリビドーが増進したことおよび投射と理解しうる。[現在]不安神経症とパラノイアにおける迫害不安とのあいだにも同じような関係がある。いずれの場合にもリビドーの過剰が問題である。
 ユングのパラノイア観についての詳細が聞けないのは残念である。とくに、パラノイアはつねに同性愛の回帰であるとする説について関心がある。対象愛から撤収されたリビドーの一部がふりむけられることで、抑圧されていた同性愛が強化されるが、抵抗によって意識には到達せず、投影によってネガティブな価値に変わり、あるいは象徴的にのみ表現される。これはふつうの迫害妄想にあてはまる。嫉妬妄想の場合は複雑である。異性愛的なリビドーがすべて撤収され、そのリビドーが「幽霊」としてかつて愛していた人にネガティブな価値をともなって向けられる。とはいえ同時に同性に投影され、両者の投影機制が統合されて、そこに嫉妬妄想が繋ぎ合わされる。ふつうの嫉妬にはすでに、女性にたいして同性愛的なリビドーを投影するという一面がある。男性が恋敵にたいするそれと認められていない共感と関心をじぶんじしんと世間にたいして隠すことが、何人かの現代作家の作品において観察される。パラノイア性痴呆から早発性痴呆にいたる道は連続的であり、自体愛と投影との配合はさまざまでありうる。
 あきらかに願望充足的な空想が苦痛であるケースでは、検閲が機能して、幼児的な性愛や幼児的なエゴイズムが罰されている。

1908年のフロイト=フェレンツィ往復書簡(2)


7Fer (28/03/1908)
 医師会での講演「フロイトの研究に照らしての神経症」の成功。二名が陳腐きわまりない異議を唱えただけ。

8F (30/03/1908)
「性格と肛門愛」送付の由。

9Fer (09/05/1908)
 ベルヒテスガーデンでの滞在についての問い合わせ。ジョーンズとブリルがブダペスト来訪。転移についての重要な発見。ランクの『芸術家』読書中。ハウプトマンのギリシャ旅行記。

10F (10/05/1908)
 ベルヒテスガーデンに滞在中にオランダかイギリスに小旅行の予定。

11Fer (08/06/1908)
 ウィーンフロイト協会の会議に出席できないので小さな記事を送付したし。8月15日頃にベルヒテスガーデンに行ければ。

12F (28/06/1908)
 「心理的性的不能の謎」。他の神経症的な障害ではなく性交能力の制止を生じさせる要因は何か。

13Fer (03/07/1908)
 性的不能については神経症の微妙な病因論と関連しており、フロイトにこそその解明を期待したい。アドラーの説は低レベルであり、フロイトの「身体側からの対応」を水で薄めたものにすぎない。量的な要因とともに特定の器官の時間的素質(フリースの周期理論)が関係している可能性がある。器質的な要素をチェックするために家族分析が必要だ。

15Fer (17/07/1908)
 イプセン作品の心理学的意義。『海の夫人』は、強迫表象の精神分析的治療を先駆けている。

16Fer (03/08/1908)
 休暇を早めにとれたので8日にベルヒテスガーデン入りしたし。

17F (04/08/1908)
 9月1日にイギリスに発ち、兄に会わねばならない。執筆(編注によれば、ハンス症例の完成、鼠男の分析、「幼時の性理論」)に忙殺されている。息子たちはフェレンツィとの登山を楽しみにしている。

18F (07/10/1908)
 文通を再開できることをうれしくおもう。チューリッヒ行きは満足できるものであった。ユングはブロイラーから離れ、全面的にわれわれの側についた。ウィーンを来訪したブロイラー夫妻を自宅に招く。
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