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1909年のフロイト/ユング往復書簡(その2)


157J

航海中フロイトに施された「分析」の効果。鼠男賞讃。

158F

神話研究の重要性。「レオナルド・ダ・ヴィンチの性格上の謎が突如、天啓のごとくわたしに明かされた」。「フェレンツィとのある計画」(霊媒者との会見でテレパシーへの関心を呼び覚まされたことに関係があるとのアンナ・フロイトの発言が編注に紹介されている)。

159J

「象徴の歴史」への耽溺ゆえの音信不通にたいする謝罪。ヘロドトスのうちに「神経症学説の系統発生的基盤」への鉱脈を発見す。アメリカにおける母親の役割は、文明史上未曾有のもの(男性=羊、女性=狼)。

160F

「神話にも神経症と同質の核コンプレクスが据えられている」。シュテーケルは「杜撰で批判力がない」が、「無意識の感覚にたいしてわれわれのたれよりもすぐれた嗅覚をもっている」。

162J

シュテーケルは「たいていの場合に時宜を得ている」。「神話が語っているものは『自然そのままの』[natürlich]神経症の核コンプレクス」。ヘロドトスにおけるパプレミスの祝祭(棍棒による乱闘)は、アレスが母親と同衾した「自虐的光景」[Flagellantenszenen]の再演。イシスの祭祀なども同様の反復的再現。

163F

「神話にみられる去勢コンプレクス」(「イーデー山のダクティル」)。「エディプスは膨張した足、すなわち勃起したペニスである。まったくの偶然にすぎないが、足フェティシズムの秘密こそわたしの知りたい問題の究極の核心であることに気づいた」。「幼児性欲論が以前にも倍して重要度を加えてきている」。「治療上、このところわたしは抑制されたサディズムの問題に主たる関心をよせている」。「愛の背後には嫉妬と敵意の牙をむきだしにした邪悪な眼差しがいつも潜んでいる」。

165J

「心をあますところなく理解することは、歴史によってしか、もしくは歴史の助けを借りなければ達成できないのではないか。それはさながら解剖学や個体発生の理解が、系統発生や比較解剖学を土台としなければ考えられないのと同断」。「現在われわれが凝縮され、それ以上の解釈を阻止され、ないしは一面的に識別された形態で眺めている個体の心においては、言い伝えによる過去においてひろく解決ずみとされているものしか読みとれないのではないか」。

166F

「協会」にてレオナルド論報告(166)。ユング「父性の運命」中の疾病類型論を評価。

168J

「鼠男」中の「思考の全能」概念が kasuistisch にすぎるのではとの疑念。「ヘラクレス」のような「半神半人」たるフロイトによる命名を後継者たちが無批判に受け取ってしまわぬかとの危惧。思考の全能と迷信。

169F

神話理解に不可欠な幼児性欲説。サディズムにかんして。対立する欲動が神経症発症の根本機制であることはすでに1895年の「不安神経症」論文で確認済みであるが、抑圧する自我と抑圧されリビドーの両者をひとしく考慮することはじっさいには至難の業。アドラーは後者を無視して自説を構築する愚を犯しているが、ユングもその轍を踏みつつあるのではないかとの懸念。

170J

古代の問題は幼児性欲説だけでは説明不可能であり、「むしろ古代は近親姦を目指す闘争とそれに付随する性的抑圧の制定[ディオニソスの狂宴における「性欲の退潮 Rückschlageswelle der Sexualität」]によってひっかき回されている[durchwühren]ようにおもわれる」。

 ユングのこうした指摘は『トーテムとタブー』に刺激をあたえただろう。

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1909年のフロイト/ユング往復書簡(その1)

*フロイト/ユング往復書簡(1909年)


123F——クラーク大学学長スタンリー・ホールからの講演依頼。

124J——アブラハムとの確執、フィスターによるキャンペーン。

125F——フィスター論文(「妄想表象と学童自殺」)への戸惑いと期待。なお、後続する書簡においてはフィスターにたいする信頼の深まりを読みとることができる。アメリカ人の性的な事象へのアレルギーゆえに精神分析が受け入れられないのではないかとの懸念。「わたしがモーセあるならば、あなたにはヨシュアの立場こそふさわしい」。

126J——フィスターと昇華の問題。小児症の観察報告(「吸引オルガスム」)。ユング長男誕生。弟にたいするアガートリの「殺意」。メシーナの地震。

129F——「これは戦争だ(C’est la guerre.)」。アガートリの観察例はハンス症例という「典型」によって説明され、この「典型」を証明するもの(「父にたいする恐怖と成人にたいする不審という神経症の核コンプレクス」)。「最近、フェティシズムの症例についての解釈が少しずつわかりかけてきた」。

133J——「さる女性患者[シュピールライン]が考えられるかぎりの破壊的手段でもってわたしの信頼と友誼を裏切った」。「地獄のくるしみ」。ユング11歳の砌の外傷神経症。アガートリの人形遊び。「政治家」アーネスト・ジョーンズ。

134F——[シュピールラインへの]逆転移は職業的宿命。シュピールラインの一件の報告においてユングは「神学的」な態度に陥っている(「炎、劫火、火刑」という比喩)。

138J——「心霊現象」をともなう症例への「絶望的関心」によって「拷問」にかけられている。フロイトの書斎で起こった有名な「オカルト」的エピソードにかんして「それになにかあるまったく名状しがたいコンプレクスがはたらいているにちがいない、すなわち人間に内在する予知的傾向をつかさどる普遍的なものが存在するにちがいないとの感を深めた。もし『精神分析』が可能であるとすれば、同一の法則にしたがって本来的なるものを創造する『精神綜合』も可能であるにちがいない」。くだんの晩は、「きわめて幸運なことにあなたの父性的な権威にたいする圧迫感からわたしを解放してくれた」。

139F——「あなたを公式に長子として迎え入れ、わたしの後継者とし、あわせて太子としての塗油式をあげたまさにその日の夜、あなたはわたしから父親としての尊厳を剥奪しようとし」たと前置きしつつ、「ふたたび父親の役割に逆戻りして」ユングのオカルト説(「亡霊コンプレクス」)に反論。「なにかを理解しようとしてそのような大きな犠牲を払うよりは、むしろ理解しないほうがましであると忠告したい」。1889年に遡る「61歳と62歳のあいだで死ぬという確信」にとりつかれた体験の報告とその解釈。この「確信」は、『夢解釈』を完成し、これで思い残すことなく安らかに死ねるという「自信」の等価物である。1889年はフリースとの関係が悪化した年であるとして、フロイトはそこにフリースの影を認めている。「わたしの神秘主義はユダヤ教的性格を担っている」。超常的な出来事は、無意識の注意力の高まりが「偶然の協力」(Entgegenkommen des Zufalls)をとりつけたことの産物である。「偶然の協力」は、「ヒステリー症状における身体症状の併発や機知における発語のように、妄想形成と同質の役割を演じている」。

140J——「お宅で出会ったあの禍々しい霊(Geist)はいったい何だったのか」。フェルスターのフロイト攻撃。

142J——ユング転居。『年報』のための「一般的方法論」原稿の催促。

143F——シュピールラインからの「奇妙な手紙」を同封。「硝子の尻」。オットー・グロースよりパラノイア的な著書の寄贈。脱稿のメドが立たない「方法論」の代わりにフェレンツィ「取り入れと転移」を推薦。「鼠男」掲載の打診。

144J——シュピールラインの一件の懺悔。「グロースとシュピールラインはどちらも苦い体験だった」。

145F——ハンス症例にたいする「最初の爆弾」。

148J——シュピールラインへの逆転移の弁明。

149F——「鼠男」を集中的に執筆。「心性のかくも目をみはらせるような芸術活動」。


 そして8月21日、フロイトはユング、フェレンツィをともない渡米する。

フロイト=ユング往復書簡(1908年)

*フロイト=ユング往復書簡(1908年)


58F(01/01/1908)
 敵対派の医師が身に覚えのない女性患者をめぐるフロイトへの中傷をひろめているとの噂について。


59J(02/01/1908)
 「かれ[アブラハム]はわたしよりもあなたの方にいっそうの親近感を抱いたように思われます」。二十六歳の女子学生のヒステリー症例。


61F(14/01/1908)
 アブラハムのユダヤ人気質について。


62J(18-20?/01/1908)
 ザルツブルクで開催予定の第一回フロイト心理学会議のプログラム案。


66F(27/01/1908)
 ユングの「早発的痴呆」論への「精神薄弱児風抗弁」にたいする皮肉。批判者らは「ヒステリーの病原菌もしくはプロトゾーンの発見にいまなお期待をかけている」


70F(02/17/1908)
 パラノイア(フロイトは早発的痴呆というカテゴリーを頑に拒否している)についての特ダネ(Geheimniss)。同性愛的構成要素からのリビドーの「部分的」分離。これはいっしゅの抑圧であり、この分離が完全であると自体愛への回帰が起こり、早発的痴呆になる。
 「フリースはわたしにたいする感情的傾斜を放棄したのちに正真正銘のパラノイアを悪化させました」


72J(20/02/1908)
 フリースについてのフロイトの言葉を受けて「わたしといたしましては、対等な者どうしの信頼関係ではなく父と息子のような信頼関係として、今後のあなたとの御交誼を願えないものかとの感想を抱きました。……この距離をつくるだけでもさまざまな誤解の生じるのを未然に防止できましょうし、自己主張の強いわたしども二人の人間の共存を容易にし、拘束を受けないおつきあいを継続できる鍵となるのではないかとわたしには思われるのです」。
 「ヒステリー者の空想とその両性性との関係」における「公式」について、「このテーゼをもっとはやく、いうなればアムステルダム報告以前にうかがえなかったのがかえすがえすも心のこりであります」。「ヒステリーは主として『種の保存』の領域で動揺し、他方パラノイア(早発的痴呆)は自己保存、すなわち自体愛の領域で動揺しています」


76F(03/03/1908)
 強迫神経症、ヒステリー、パラノイアの神経症選択についての仮説。


79J(11/03/1908)
 三十四歳の女性の症例(「分離」)。ザルツブルクで早発性痴呆について発表予定のアブラハムにたいする嫉妬。「かれの報告が気に入らないのは、あなたのご構想のもとでわたしが想像の翼をひろげていたもの……がかれに先取りされてしまうからです」


83J(18/04/1908)
 早発性痴呆の心因性についてのユングの見解を評価したフロイトにたいし、体質という条件を考慮しなければ「唯心論」(「心という名の実体」)に陥ると留保を置く。児童のヒステリーの成人への適用には、思春期の果たす役割の大きさゆえに限界がある。


84F(19/04/1908)
 児童のヒステリーについての反論。ブロイラーの性的要因の軽視についての批判。ザルツブルクで発表予定のハンス症例は寛解の保証なきゆえ、鼠男について報告することになるであろう。この三日後、ザルツブルクにてフロイトは鼠男についての4時間を越える報告を行った。


87F(03/05/1908)
 「痩せて飢えたカシウス」を彷彿とさせるジョーンズの「節度」のなさにたいしていだいた「人種的な疎遠さ」。遺伝的要因を全否定するジョーンズはこの点でフロイトさえもを反動的とみなしている。
 「あなたとアブラハムのあいだで醸成されつつある確執を看過するわけにはまいりません」


91J(07/05/1908)
 「わたしのアブラハムにたいする客観的判断には、いささかたりとも曇りはないのです。そしてそれゆえにこそわたしとしては同僚アブラハムの特異な個人的性癖にたいして、剥きだしの軽蔑を抱かざるをえないのです」


98J(19/06/1908)
 「ヒステリーの場合にはポンペイとローマの両方が問題になりますが、早発性痴呆においてはひたすらポンペイのみが問題となります」


99F(21/06/1908)
 オットー・グロースの病状はパラノイアであり、早発的痴呆という診断は認められない。早発性痴呆はコカインによる中毒性パラノイアではないか。ユングをめぐるブロイラーへの嫉妬。「かれなんかにあなたを奪われてなるものか」。


102J(12/07/1908)
「わたしにはジョーンズの得体が知れません」


103F(18/07/1908)
 「仲間内でのさまざまな人種の混淆状態はひどく興味深いものでありますが、かれ[ジョーンズ]はケルト人ですので、その点では結果的にはわれわれとまったく無縁なゲルマン民族や地中海人種と軌を一にいたします」


106F(13/08/1908)
 「神経症からはじまったわたしの研究を精神病の各領域に応用していただいて、わたしの衣鉢をついで完成していただくようあなたに懇願したいのです」。「わたしはあなたに好意をもっておりますが、そういった私情をさしはさまないくらいの心得はわたしにだってある、とつけ加えておきます」。
 「いまでは神話が神経症とおなじような核を有しているのではないかと思うまでにいたってまいりました」。滞在先(ベルヒテスガーデン)で「人間としてたいへん魅力をそなえている同志」フェレンツィの度重なる訪問を受ける。


110F(15/10/1908)
 「わたしは Offizierskorps」という思いつきにとりつかれた不安症の男について、「わたしはスイス」と述べるユングの患者との関連性を打診。「ψAにおいて意識化するようになる無意識的なパラノイアが存在するのであって、この観察は、分析中われわれがヒステリー患者を早発性痴呆の過程に誘導しかねないというあなたの御卓見のすぐれた傍証となります」


112F(08/11/1908)
 『夢解釈』第二版。


114F(11/12/1908)
 「[ベルリン精神・神経病学会で攻撃にさらされた]アブラハムから、ベルリンという最前線を死守したとの報告を受けました」


116F(01/01/1908)
 ユングが批判したブリル論文の「ペンシルバニア/パルジファル」を評価。C夫人における男性との同一化。


117J(29/11/1908)
 アブラハムと「いまではこころよく和解できる心境になっております」


118F(11/12/1908)
 「いま『小さなハーバート』症例の中心とおぼしき神経症における核コンプレックスの観念にすっかり魅了されておりまして……」


121J(21/12/1908)
 早発性痴呆における「補償の試み」。「町で行き交う男性という男性にコイトゥスをせがむ」女性の症例。


122(26/12/1908)
 「ハンス」初校と「ドラ」再版。フェレンツィの論文「摂取と転移」。ユングの「補償」説をフェレンツィとともに検討した結果、パラノイア疾患の現象形態(妄想 etc.)が回復の努力であるかぎりでそれは「補償」といえるが(それが成功すればパラノイアからヒステリーになる)、自体愛を「補償」に還元することはできない。「もしあなたがH・エリスのようになんでもかんでも自体愛という用語を適用すべきではないとおっしゃるならば、……真性の自体愛的対象放棄のみに限定するよう提案いたしたくおもいます」


123F(30/12/1908)
 クラーク大学からの講演依頼があるも、仕事を減らすことによる経済的損失を優先する所存。


フロイト=ユング往復書簡(1907年)

*フロイト/ユング往復書簡(1907年)


11F(01/01/1907)
 『早発性痴呆の心理について』についての「批判」への弁明(「これほど遠方にありながらわたしに味方してくださる、もっとも腕利きの協力者たるあなたの気に障るまねをするのは愚かきわまる所業」)……ユングの夢分析への疑義(願望充足の捉え方について)。「原木=ペニス」という解釈の提案……「精神医学のお偉方」には耳を貸すな、「未来はわれわれのものである」。ウィーンでは「わたしどもの新しい理想に手を貸してくれる運動」が芽生えている。「わたしたちの性格、ならびに立場上のちがいにしたがって役割を分担するのが良策ではないでしょうか。つまりあなたにはあなたの上司にあわせながら調停の労をとっていただき、わたしは糖衣を剥いだ錠剤を呑み込む大衆に期待をかける頑固な独善家を演じつづける、といった役割であります」……ユングが論評した「防衛-神経精神症再論」(1896年)の症例にくだした診断(パラノイア)への確信。……「精神毒素」への関心に対する警告。


12J(08/01/1907)
 原木=ペニスという性的解釈への抵抗……ウィーン訪問の決意……「毒素」援用の弁明(「実体的要因」を排除するため)……「防衛-神経精神症再論」における症例についての見解の相違は、たんなる命名上の相違に帰しうる。パラノイアと早発性痴呆症の相違についての若干のコメント。


17J(31/03/1907)
 3月3日、フロイト初訪問後の最初の書簡。「拡大された性欲概念」である「リビドー」に代わる「もっと耳障りにならない包括的な概念」の提案。


18F(07/04/1907)
 「経済活動を支えてゆくのにふさわしい性質として、人があたえたもの、受け取ったもの[の差額]をこまかく取り締まらない一種の知識の共産制を承認しなければなりません」……リビドー概念をめぐる「すっぱいリンゴを甘くしてやろうという努力」をやんわり却下。「抵抗が避けられないのであれば、なぜ最初から抵抗に正面から挑まないのでしょうか」……オットー・ランクは期待薄……『グラディーヴァ論』を送付したき所存。


19J(11/04/1907)
 「ヒステリー型」の早発性痴呆の症例。「ヒステリーにおいては、いつでもコンプレクスと人格全体との総合が認められる」のに対し、早発性痴呆においては「コンプレクスはたがいに孤立して存在する」。「まるで患者の人格というものが、もはやいかなる相互影響もおよぼさないばらばらのコンプレクスに解体してしまったかのような観を呈する」……「しかしなぜ自体愛期への退行が起こるのでしょうか。あきらかに自体愛はなにがしか幼児的なものであり、しかも幼児性は早発的痴呆とは完全にべつものであります」……アムステルダム国際会議にて「現代のヒステリー学説」について報告予定。宿敵アシャフェンブルクとの一騎打ちは必至。


20F(14/04/1907)
 フロイトのほうもアムステルダムでの報告を依頼されていたが、ジャネとの「果たし合い」を余興に仕組んだ悪意あるプログラムゆえに受諾せず。……症例「ゲールリッツの少年」。患者は「エディプス・タイプ」であり、「交接の傍観者」の役割(鍵穴に指を差し込む身振り)と、射精する男性(唾吐き)の二役を演じている。


21J(17/04/1907)
 「ゲールリッツの少年」について[緊張病型ではなく]ヒステリー型との診断。神経症から早発性痴呆への移行過程は解明されていない。そもそも、早発性痴呆の本質そのものがほとんど何も知られていない。……糞尿を飲食する教育ある若い緊張病患者の症例(妹との関係、両性性)。性的興奮の肛門(みぞおち)への置換。


22F(14/04~21/04/1907)
 考察「パラノイアにかんする若干の理論的指標」

 抑圧された性的欲望の回帰としての投影は、内部における「量」的備給が外部において「質」として「知覚」される過程である。不安ヒステリーは自体愛をうわまわる「対象備給の過剰」を特徴とし、外部知覚が内的な備給の過程として見なされ、「なまの言語表象」が恐怖感となる。心気症は対象備給が自体愛に回帰して器質的な不快に転換したもの。心気症とパラノイアの関係は、不安神経症とヒステリーの関係に似ている。いずれも前者は身体的な基礎をもつ。パラノイアにおける防衛は、知覚において不快な表象を意識化することでつねに失敗する。そのためリビドーはふたたび自我に備給し、知覚となった表象を幻覚に変える(二次的な防衛過程)。この幻覚の現実性が妄想において確信される。「投影は抑圧の変種である」。


24J(13/05/1907)
 汚物を体になすりつける教育のある緊張病女性患者の症例(幼児期の記憶の噴出)……フロイトのパラノイア理論への回答。妄想がリビドーに由来するのは正しい。ただし、フロイトの「外部投影」論においては迫害観念の起源しか説明されていないが、早発性痴呆においてはあらゆる個々の事態が外部に投影される。妄想は願望充足と迫害感の混合である。宗教的忘我状態にあって神の幻を見た人が、現実との矛盾によってその対立物をも生み出し、神は悪魔になり、神と一体化する性的愉悦が性的不安に転化するというアナロジー。「現実に向けられる根源的願望」があり、それが妄想を生み出すのだ。「リビドーが対象から撤収されるとあなたが主張なさるとき、その意味をわたしは、リビドーが正常な抑圧理由のため現実対象から引き上げるのであって、さらにリビドー自体は現実対象の空想による模倣に依存し、その結果としてリビドーは幼児期の古い自体愛的遊戯に耽るのだと解釈します」。
 この書簡でユングは自体愛という概念を確信犯的に濫用している。ゲールリッツの少年は「自体愛の最低水準におけるまぎれもない緊張病症状を呈しております」……六歳の少女の症例(誘惑による外傷の捏造)。


25F(23/05/1907)
 「対象からのリビドーの撤収」についての反論。「定義上リビドーは、現実的なものであれ空想上のものであれ、なんらかの対象を保有するかぎり自体愛的ではありません。むしろわたしの考えではリビドーは対象表象から剥離し、そのためリビドーを内面的なものとして特性づけている備給から剥奪し、その結果として外部に投影、すなわち知覚されるようになります」。「パラノイアにおける外部への投影と他の投影との相違」については、明解な回答をあたえていない。……六歳の少女の症例へのコメント。『グラディーヴァ論』で言及された幾何学狂の青年の経過。


26J(24/05/1907)
 『グラディーヴァ論』賛。「鳥」のシンボリズム。早発性痴呆について執筆中のブロイラーは『ブラディーヴァ論』に否定的。「フロイト戦争」の行方は?


27F(26/05/1907)
 イェンゼンからの返事……『日常生活』第二版……alquis の度忘れ


29J(04/06/1907)
 「既得権を自由に駆使するのは許される」という主旨への賛同……早発性痴呆における鬱病の症例(兄への関係)……パラノイアの症例(「断髪」)


30F(06/06/1907)
 「わたしたちの新興思想の社会的承認をもとめる激烈なたたかい」の第一歩としての雑誌発刊の提案。……29Jの二症例についてのコメント(「兄に対する抑圧されざる愛」が兄を思わせる男性からの求婚を契機に抑圧され発病……)。


31J(12/06/1907)
 「大目的」への賛同……三十六歳の女性の症例(母親との癒着)……教育を受けていない患者の症例(コーヒーに入れたパンのかけらを吐く)


32F(14/06/1907)
 パンのかけらを吐く患者へのコメント(排泄物)……「パリ・コンプレクス」と「ウィーン・コンプレクス」


33J(28/06/1907)
 フロイトを訪問したいとのフェレンツィの意向……女子学生の論文……『日常生活』第二版への謝辞と『夢解釈』再版への激励……パリとジャネへの失望……ビンスヴァンガーは精神分析を研究中。


34F(01/07/1907)
 『グラディーヴァ論』の反響いまだ無し……「無意識なるものの認識論上の難点」についての著作の構想……「批判能力を欠いている」シュテーケルによる不安ヒステリーの症例に関連して、不安ヒステリーと転換ヒステリーの関係というテーマ(ハンス少年の症例において扱われることになる)。


35J(06/07/1907)
 パリで知り合ったアメリカ人女性(コーヒーを飲まない、脱肛)……「籠の鳥」についての詩の想念に取り憑かれた女性患者(編注によればザビーナ・シュピールライン)……メスメル、ガル、フロイトという三題噺(ウィーンからパリを経由してチューリッヒへ)……ブレーメン(フロイトを認めたドイツで最初の公立精神病院)出身の助手アブラハムへの期待……ローザンヌでの兵役


36F(10/07/1907)
 新たな文通相手アブラハムへの関心。


37J(12/08/1907)
 アムステルダムでの講演草稿の多難。「悪意に対してあなたがそれ相応の理解を示そうとなさらないのは正しいのだと、最近わたしはだんだんと納得するようになってまいりました。……アメリカは活気に満ちております。三週間前アメリカ人6名、ロシア人1名、イタリア人1名、それにハンガリー人1名が来訪いたしました。しかしドイツは抜け落ちています」


38F(18/08/1907)
 その「ヒステリー的」素質(感銘をあたえ、影響をおよぼしたいという気持ち)ゆえユングは教師として、そして指導者として適役であると鼓舞。


39J(19/08/1907)
 「真理に対する私の噓偽りのない熱誠は、[「ヒステリー的」素質ゆえでなく]あなたの教えを広めるためあれこどの方法を模索し、大目的をその裂け目につぎこむのが最善の策となるのではなかろうかというのがその内実なのです」……フロイトと文通を始めたアブラハムへの「嫉み」。アブラハムのさまざまな悪評……「あなたは性欲をあらゆる感情の母胎として把握なさるのでしょうか。あなたにとって性欲とは人格の一構成要素にすぎないのではないでしょうか。……ヒステリー症状を決定するものの一つとして性的コンプレックスがあげられるとはいえ、昇華や非性的コンプレックス(たとえば職業、身分など)が支配的な条件とはならないものでしょうか」


40F(27/08/1907)
 アブラハムのユダヤ的な出自への関心……「われわれには二つの欲動源があて、性欲はその一つにすぎず、一つの感情は欲動備給の内的知覚であるように思われます。そして二つの欲動源の結合から発生する諸感情がたしかに存在します」


42F(02/09/1907)
 アムステルダム講演を前にしたユングの宣伝役としての適性。「わたしという人間なり、わたしの考え方や話し振りのなかに、なにかよそよそしく人々を反撥させるものがあるのをつねづね自覚していたが、これにくらべてあなたはたれにたいしてでも胸襟を開ける。あなたのような明朗闊達なかたが自己をヒステリー・タイプと考えるなら、さしづめわたしはその一人びとりが閉じこめられた世界で生きつづける『強迫』タイプに属すると告白しなければなりません」
 「いちばん身近にいた友人たちの無関心や無理解」にくるしんだ「苦悩に満ちた孤立の歳月」にあって、「大時化の海で岩にしがみつくような思いをしながら『夢解釈』にしがみつき、それが少しずつ揺るぎない確信となっていって、未知の仲間たちのなかから一つの声がわたしに応答をもとめるまで待命する気になった」。この一つの声こそ、あなたの声であった……。


43J(04/09/1907)
 アムステルダムより。講演は制限時間の延長をみとめてもらえず、途中講壇の憂き目に遭うも、アシャフェンブルクには一矢を報いる。


44J(11/09/1907)
 アムステルダム続報。ジョーンズとの邂逅は収穫。ジャネは「夜郎自大なうすのろ」。フロイトの写真を所望。


45F(19/09/1907)
 ローマより。メダル進呈したし。アイティンゴンがアムステルダムのみやげ話を携えて来訪の予定。


46J(25/09/1907)
 アイティンゴンは「文句なく無能な空論家」……グロースによれば、転移は夫一婦志向の象徴……「性的な抑圧はよしんば多くの病弱な人びとの発病をうながすものであれ、きわめて重大かつ不可欠な文化促進要因であるように思われる」


48J(10/10/1907)
 女性患者の症例。転移によって性的な満足をあたえつづけるべきか、治療を中断すべきかとの相談。「フロイト」協会第1回会合(アブラハムらが参加)の成功。


49J(28/10/1907)
 みずからの「保身コンプレックス」の吐露。「あなたにたいするわたしの畏敬の念が、なにかある宗教的な心酔の特性を帯びる」ことに対する「嫌悪と不信」。それは少年時代に敬愛していた人物から受けた同性愛的な挑発に由来している。女性に注目されることの嫌悪も同根。「わたしはあなたの信頼がこわいのです。反対にわたしが内証事を打ち明けるならば、あなたから同じような反応が返ってくるのではないかと怖れているのです」


50J(02/11/1907)
 フロイトが「異常なまでに弱々しい老人」の姿にかわりはてた夢。「わたしの夢はあなたの災厄+++を代償としてはじめてわたしの心を落ち着かせるのです!」……イェンゼンの「赤い日傘」「ゴチック風の家にて」の分析……「全米心霊研究協会」の名誉会員となる……クリスマスにチューリヒにお招きしたい。


52F(15/11/1907)
 じぶんにたいするユングの「宗教的傾向を帯びた転移」への危惧。


53F(24/11/1907)
 法学者A博士の症例とイェンゼンの2短編との親近性(兄妹の関係)。
「わたしたちの愛の対象は数珠つなぎにつながれているのですから、ある男性の愛の対象には法則がはたらいていて、それはべつの愛の対象の回帰となり、対象同士は無意識的な幼児期の愛の復活をしめす」……グラディーヴァ・ウォークの起源についての憶測(イェンゼンには結核で死んだ足のわるい妹がいた?)


54J(30/11/1907)
 講演「神経学と精神医学にたいするフロイト学説の意義について」の成功。ジョーンズによるフロイト派会議立ち上げの構想。


56J(16/12/1907)
 会議の立ち上げと同時に雑誌創刊の構想。「雑誌の性格は必然的に国際的なものにならなければなりません」。


57F(21/12/1907)
 イェンゼンからの否定的な返信。


フロイト=ユング往復書簡(1906年)

フロイト=ユング往復書簡(1906年)


1F(1906年4月11日付)
 寄贈された『診断学的連想研究』への謝辞。近作の「精神分析と連想実験」への賛辞。これらの仕事については、「事実状況診断と精神分析」でも言及されている。

 「今後あなたがわたしを擁護してくださる立場に立たれるものと確信しておりますが、わたしといたしましてもよろこんで[自説への]修正を受け入れるに吝かではありません」。


2J(1906年10月5日付)
 フロイトの「心理学的な見解」への共感と性理論への疑義。じぶんはヒステリーの臨床体験に乏しいと断りつつ、「あなたの[ヒステリー]療法は徐反応によって解放される情動ばかりではなく、特定の個人的なラポール[転移]にも依存しているため、ヒステリーの起源においてよしんば性的要因が支配的であろうとも、もっぱら性のみに依存しているとはいえないようにわたしにはおもわれます」。

 アシャフェンブルクのフロイト批判に与したことへの言い訳。『早発性痴呆の心理について』の刊行のしらせ。ブロイラーがフロイト派に「改宗」したとの添え書き。


3F(1906年10月6日付)
 アシャフェンブルク批判。「かくてわたしどもは、彼我あい争う二つの世界のいずれかに属する結果とあいなるわけでありますが、いずれは没落するであろう世界といずれは赫赫たる勝利をおさめるにちがいない世界に袂をわかつようになるのは、火をみるよりもあきらかです」。


4J(1906年10月23日付)
 フロイト性理論への留保。性的な欲動を「もっと初期の基本欲動である饑餓の亜種 sub specie として捕捉できるとはお考えにならないでしょうか」。食物摂取の欲動と性欲動という二つの「コンプレックス」はつねに癒着しており、一方の布置はおのずから他方の布置を含んでいるはずだ。

 二十歳のロシア人女子学生のスカトロジックなヒステリー症例。


5F(1906年10月27日付)
 「ヒステリーと強迫神経症のうちにみとめられる基本欲動は、両者間に現存する吻合から、さらには栄養摂取欲動による性的構成要素の侵害からも容易に説明されるはず」としてユングの提案に一定の理解をしめしつつ、「この点はいまなお徹底的な検討を要する「きわどい(ハイクル)」問題である」として自説を譲らぬ構え。いつの日か精神病の研究が答えを出してくれるのではなかろうかとの期待。

 ユングの症例(排便を遅らせることから快感を引き出す。トラウマが三、四歳に遡ること)は、『性理論のための三篇』における自説を裏付けるものである。「父に向けられたリビードの幼児性固着」「肛門期自体愛」。「肛門愛の昇華態である異常に整頓好きで吝嗇かつ強情な性格特性」。症例の基底にある「抑圧された性目標倒錯」……。「いささかあなたをうんざりさせてしまったかもしれません」とのエクスキューズで結ばれる。


6J(1906年11月26日付)
 「あなたのお考えはスイスにて急速な成長をしめしはじめております」。


7J(1906年12月4日付)
 アシャフェンブルクへの協力が「政治的」な理由によるものであったと重ねて弁明。「あなたの主張のいくつかはいまなおわたしの理解を越えたところに屹立しております」。フロイトの治療理論への全面的な傾倒を吐露しつつ、Psychanalyse に対するいくつかの留保。(1)教育のない患者に対する効果への疑念。(2)精神分析が大衆化することによる質の悪化。(3)ヒステリー概念への疑念(破爪病、緊張病)。


8F(1906年12月6日付)
 ユングの返信の「反応時間の加速」。これは「事実状況診断」におけるメソードを念頭に置いたギャグ。

 「わたしは『移設を唱える者』においてはじめて解き放たれる、あのありとあらゆる悪霊につきうごかされざるを得ないわけでありまして、この強制たるや、もっとも御しやすい悪霊といえども支持者たちをわたしとは無縁な独善的で訂正をみとめない奇人や狂信者にしたてあげてしまうのです」。

 治療理論への自信。「転移は神経症が個人の愛情生活に従属しているまぎれもない事実を、なにものにもかえがたい議論の余地ない唯一の証拠として提示しております」。


9J(1906年12月29日付)
 『早発性痴呆の心理について』がフロイトの理論に「特殊な修正」を施したことへの謝罪。ユング自身の夢分析(「裕福な結婚のできなかったこと」)の座礁。「どこにもわたしは幼児的根源を発見できず……解釈を加えるのに途方に暮れてしまいます」。「夢が完全に分析されなくても、夢の象徴作用の立証として利用できるのではないかともおもいます」。「曖昧さ」概念の効用。


10F(1906年12月30日付)
 ユングのヒステリー患者への参考のためとして、排尿をおくらせることで快感を得ていた少女時代の習慣に発する鬱病(不感症)の症例が紹介される。症状は出産不安に関係しているようだが、早発的痴呆との診断は不可能だろうかとの質問。

 訳文は『フロイト=ユング往復書簡集』(誠信書房)に拠る。

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