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フロイト/フリース 最後の往復書簡(1904年)


書簡281(フロイトからフリースへ 1904年4月26日付)

 「何人かの有能な若い――僕は君に何も秘密にしようとは思いません――僕の弟子仲間に属する医者たち」が企てている新雑誌創刊への協力の依頼。「至るところで僕の見解に対する賛成の徴候が増えている」。その一つはオイゲン・ブロイラーによるもの。あるいは、スヴォボダの著作は「いくつかの点で僕がその知的な原作者です」。「僕は今や弟子にもっと[スヴォボダよりも]よい人材をももちはじめていると思います」。「死後の勝利については僕は実際疑ったことがありませんでした」。


書簡282(フリースからフロイトへ 1904年4月27日付)

 「君がいっそう高く評価されているという知らせは、僕を心の底から喜ばせました」。が、多忙のため雑誌には協力できない。スヴォボダは周期理論を曲解しているだけでなくその著作は不誠実であり、「君がスヴォボタの本の知的な原作者とみなされなければならないということは僕には本当に残念なことです」。ところで、一年前に材料を見せてくれた「機知」は完成しただろうか?


書簡283(フロイトからフリースへ 1904年7月15日付)

 フリースの義妹の結婚を祝福。


書簡284(フリースからフロイトへ 1904年7月20日付)

 オットー・ヴァイニンガーの著書にフリースの両性性理論からの盗用があるとの訴え。ヴァイニンガーはフロイトの「弟子」スヴォボダと親友であり、フロイトからの情報がスヴォボダを経由してヴァイニンガーに伝わったのではないか?


書簡285(フロイトからフリースへ 1904年7月23日付)

 フリースの憶測を裏付ける報告。ヴァイニンガーは「押し込み強盗」であり、「自分の犯罪者的性質を恐れて」自殺したようだとしながら、ヴァイニンガーに伝わったのは「両性性」という言葉だけであり、ヴァイニンガーは別のところから両性性理論へのヒントを得た可能性もあると弁明。また、スヴォボダは自分の「弟子」ではない。フロイトの患者であったスヴォボダが「僕[フロイト]の本夢理論を反駁するために自分の発見を利用するという神経症的な感謝の仕方」には驚かされた。「僕は目下、『性に関する三つの論文』を完成しつつありますが、そのなかで両性性の論題を可能なかぎり避けています」。性倒錯と神経症者の同性愛的傾向に関する箇所においては触れずにおくことができなかったので、フリースにパテントがあることを注釈で明記する予定。


書簡286(フリースからフロイトへ 1904年7月26日付)

 ヴァイニンガーが別の文献から両性性理論のアイディアを得た可能性はあり得ない。ヴァイニンガーがフロイト本人に会ったことも、フロイトが治療において両性性理論を利用していたことも、スヴォボダがフロイトの患者であったことも初耳である。


書簡287(フロイトからフリースへ 1904年7月27日付)

 これが二人の間に交わされた最後の書簡。スヴォボダへの非難とヴァイニンガーとの会見を忘れていたのは失錯行為であるとの弁明。「君から独創性を盗もうとする僕自身の試みとの共同作用で、僕はヴァイニンガーに対する僕の振舞いとその後の僕の忘却を理解することができます」。さらに「考えは特許を取ることはできません」。しかも、フロイトはすでに性倒錯についての諸文献に両性性理論の存在を確認していたとも。「君は、明敏な頭脳の持ち主なら一人でも容易に若干の人びとの両性的素質をすべての人びとに広げる一歩を踏み出すことができるということを認めるでしょう。もっとも、この一歩は君の新機軸ではありますが」。理論が正しければ正しいだけ、多くの人がそれを思いつく可能性があり、理論が「盗用」されるのはその正しさの証拠だとでも言いたげである。「僕は、君が文献に目を通す際に多くの人びとが少なくとも君の近くまで来ていることを見出すのではないかと恐れています。[……]君はそれ[その証拠]をクラフト=エビングの『性的精神病質』のなかに見出すでしょう」。

 「『日常生活』で率直に報告されている経験以来、僕は僕たちの一人が僕たちのかつての無制限の意見交換を後悔するようになるかもしれないと思い、君の報告の細部を忘れようと努力して成功しました。僕の気前のよさあるいは軽率さが君の財産を思いのままに処理したことで、当時僕は、今日完全な明晰さのなかでしているように、どうやらぼんやりと自分を非難したようです」。

 「君が僕を非難しているこの事件が長いあいだ眠り込んでいた文通を再び目覚めさせたということを、君だけでなく、僕もまた残念に思っています。しかし、君がこういうつまらないことを切っ掛けに僕との文通の時間と意志を再び見出したとしても、それは僕のせいではありません。なんといっても、君は、この数年間[……]僕にも僕の家族にも僕の仕事にももはや関心を示さなかったのだから。僕は今ではもうその苦しみを乗り越えていますし、もはやそれを求める気持ちはほとんどありません」。

 「生まれてこの方ずっと僕は、そこから何が生じるかを気にかけることもなく、示唆をまきちらしてきました。僕は自分が傷つくことなしに、僕がこれこれのものを他の人から学んだということを認めることができます。しかし、僕は決して他人のものを自分のものにして横取りしたことはありません」。脱稿したばかりの「性に関する三つの論文」がフリースの「生物学」の内容を先取りしている可能性があるが、いつ出るのかもわからないフリースの「生物学」の出版を待っているほど暇ではないので、両性性に触れた注の校正刷りを読んでくれるなりご随意に……。


 ……かくて一つの友情が終わりを迎える。盗用疑惑の一件に関してこの後出版された某リヒャルト・プフェニヒによる『ヴィルヘルム・フリースとその追発見者:O・ヴァイニンガーとH・スヴォボダ』という小冊子においては、フリースの仕事に精通していたフロイトが二人の仲立ちとなることで情報提供者の役割を果たしたとされている。この著作による教授資格認可への影響を懸念したスヴォボダは反論の書を出版すると同時に名誉毀損の科でフリースを告訴するが、訴えは聞き入れられなかった。 

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1902年のフリース宛書簡


書簡276(1902年1月17日付)
 エルンストとアンナが猩紅熱に。「彼らは学校へ行くことを許されていないので人生を楽しんでおり、素晴らしく元気に育っています」。『夢解釈』の書評を専門誌にやっとのことで二本発見。

書簡277(1902年3月8日付)
 ついに教授に昇進。

書簡278(1902年3月11日付)
 「僕は少し前に君という僕の最後の聴衆を失っていたので僕の最近の論文[編注:ドラ]を印刷から引っ込めてしまいました」。 

書簡279(1902年9月10日付)
 教授任命に至るいざこざの一部始終。「もうすでに祝辞や贈花が雨あらしと押し寄せていて、まるで性の役割が突然陛下から公に承認され、夢の意義が閣議で確認され、ヒステリーの精神分析的治療の必要性が議会を三分の二の多数で通過したかのようです」。「僕は、新世界がドルに支配されているようにこの旧世界が権威に支配されていることを学びました。……もし僕が三年前に二、三の手を打っていたなら、僕は三年前に任命され、いろいろなことをせずにすんだでしょう」。

書簡280(1902年12月7日付)
 フリースの娘が死産したことへの悔やみ。

1901年のフリース宛書簡

書簡259(1901年1月1日付)

 「君の手紙がついに不安な沈黙を破った今、僕は君に直ちに返事を書くために、日常生活の精神病理を脇に投げています。手紙を書くことが君にとって負担になっていて、君が報告の必要に動かされないということを、君があれほどはっきりと示したとき、僕は君にもう一度便りを促す決心がつきませんでした」。
 フリースの母堂の病気、数少ない患者たち、マルティンの詩、ミンナの健康状態、オスカル・リーの診断結果への不信。ほかに何もなし。


書簡260(1901年1月10日付)

 「日常生活」と「夢とヒステリー、ある分析の断片」を並行して書き進めている。出版社は未定。
 

書簡261(1901年1月25日付)

 周期説への無関心。ミンナは潰瘍に。前日に「夢とヒステリー」脱稿。「これは本当は夢の本のつづきです」。出版元も決定。「日常生活」も同じ出版社に押しつける目論見。


書簡262(1901年1月30日付)

 ミンナの病状の診断。「夢とヒステリー」がフリースに気に入ってもらえるかもしれないとの期待(性感帯と両性性への言及)。半分完成している「日常生活」にふたたび着手の予定。さらに第三の仕事を計画中。


書簡263(1901年2月15日付)

 「復活祭にローマへは行きません。……僕はただ現在から当時の空想のうちの最も美しいものへ逃げていただけです」。数日中に「日常生活」脱稿予定。くだんの第三の仕事(性生活と神経症の関係)は「貧乏人の水っぽい料理」。左利き検査を導入。ミンナの病状改善。ブロイアーに哲学協会での講演を押しつけられるが、キャンセル。


書簡264(1901年3月3日付)

 オリヴァー、ついでエルンスト、ゾフィー、アンナが相次いではしかに。「僕の家は今ちょっとした病院になっています」。ミンナの病状は良好。「日常生活」脱稿。不確定ながら、次の日曜日に診察のためにベルリンを訪問する予定。


書簡265(1901年3月9日付)

 子供たちのはしかがピークに。「夢とヒステリー」の版元から「日常生活」も出ることに。ベルリンには行けず。自分がベルリンにいる夢。


書簡266(1901年3月24日付)

 『夢解釈』の好意的な批評にご機嫌。子供たちとミンナの病状。「運命がそのすべての脅しを同時に実現しないなら、幸福と思わなければならない」というのが「幸福の本質」と見つけたり。


書簡267(1901年5月8日付)

 誕生日にフリースから受け取った手紙と贈り物に対する喜びの言葉。ただし、「魔法に関する箇所を除いて」。「僕は依然として読心術に忠実で、引き続き『魔法』を疑います」。「一籠の蘭は僕に絢爛たる美しさと太陽の灼熱を本当と思わせ、ケンタウロスとファウヌスの描かれたポンペイの壁の壁画は僕を憧れのイタリアへ移します。 Fluctuat nec mergitur!」。エトラッハで水治療を受けに行っているミンナをフロイトはすでに二度訪ねた。回復ぶりは良好。校正中の「日常生活」は「無秩序」で「素晴らしく気に入らない」。


書簡268(1901年6月9日付)

 「毎日二回一定の時間に往診している老婦人が昨日田舎に連れて行かれました。そして僕は、自分が彼女にもうあまりにも長く注射を待たせているのではないかと、十五分事毎に時計を見ています。このようにわれわれは、足枷がとられた後にまだ足枷を感じ、われわれの自由を享受する術を心得ていないのです」。
 夏の滞在地は未定。ミンナは回復。「この世から苦しみと死を追放したいと思うのは愚かなこと」。


書簡269(1901年7月4日付)

 母親の元にいるミンナを訪ね、トゥムゼーに馬車で遠出。「僕の大事な患者の近くに滞在することは僕にとって特別価値のあることです」。ローベルト・ブロイアーと寝台車で同室に。患者L・G。『スフィンクスの謎』。「神話が夢に遡ること」。フリースの家族の病気への心配。クレタ島での宮殿の発見。


書簡270(1901年8月7日付)

 何人かの患者について。くだんの老婦人は逝去。フリースの両親へのいたわり。「僕たち二人がいくらか離ればなれになったことは、まったく隠しようがありません。……例えばブロイアーに関する判断でもそうです。僕はもうとっくに彼を軽蔑しなくなっています。僕は彼の強さを感じました」。かつてブロイアーがフリース夫人に対し、フロイトへの嫉妬をかき立てたことが再び想起させられると同時に、「読心術者は他の人びとにおいて単に自分自身の考えを読み取るだけである」というフロイトに対するフリースの皮肉が糾弾される。『日常生活』にはフリースの影が色濃く宿っており、同書は「君が今まで僕の人生で果たした役割について証言してい」るとされる。「僕は男同士の友情に対する君の軽蔑には賛成しません。……僕の人生においては、……女性が仲間、友人の代わりになったことは一度もありません。もしブロイアーの男性への好意が、彼のすべての精神的なものと同じように偏屈で、臆病で、矛盾に満ちたものでないなら、それは、男性における男性愛的傾向が昇華されて何が達成され得るかということの、素晴らしい例になるでしょう」。トゥムゼーでの楽しい日々。ミンナの病状は変化なし。「僕の次の仕事は『人間の両性性』という表題になるでしょう」。「抑圧は二つの性的な流れの間の反応によってのみ可能であるという着想[……]。この着想そのものは君のものです。僕は君に何年か前、[……]解決は性にある、と言ったことを君は覚えているでしょう。その何年か後に君は、両性性に、と言って修正しました。そして僕は君が正しいことがわかります。だから、ひょっとすると、僕はもっとたくさんのことを君から借用しなければならないかもしれません。ひょっとすると僕の誠実感が君に、この仕事の共著者になるように君に頼むことを強いるかもしれません。そうなると、僕では貧弱になってしまう解剖学的-生物学的な部分が拡大されるでしょう[……]」


書簡271(1901年9月19日付)

 「それ[ローマ]は僕にとっても圧倒的でしたし、君が知っているように、長い間抱きつづけてきた一つの願望の実現でした。[……]僕は完全に、そして邪魔されずに古代ローマに熱中しましたが、第二のローマ[編注:キリスト教のローマ]をこだわりなく楽しむことはできませんでした。[……]僕は、僕の惨めさや僕が知っているその他のあらゆることを心から追い払うことができず、頭を空高く上げている人類救済の嘘を我慢できませんでした」。

「君のこの前の手紙は本当に快いものでした。[……]君が僕に真実以外の何かを言ったのは、これが最初でした。君が君の偉大な仕事に対する僕の態度について書いていることは不当だということが僕にはわかります。[……]君も知っているように、僕には数量的なことに関する能力がほんのわずかもなく、数と量に関する記憶力が少しもありません。[……]僕の心を傷つけた唯一のことは君の手紙のなかのもう一つの誤解、『実際君は僕の発見の価値を台無しにしている』という僕の叫びは僕の治療に関係がある、という誤解でした。[……]『唯一人の聴衆』を失うことが僕には残念でした。いったい僕は他に誰のために書いたらよいのでしょうか。[……]両性性という論題に対する君の返事を僕は理解できませんでした。[……]僕は確かに、両性性の理論に僕が付け加えたものに手を加えること、抑圧と神経症は、したがって無意識の独立性は、両性性を前提としているという命題を詳述する以外には何もしようとは思いませんでした。僕がこの認識の僕の持ち分を拡大するつもりでなかったことは、それ以来『日常生活』のなかの優先権に関する当該の箇所が君に示しているでしょう」。


書簡272(1901年9月20日付)

 送られてきたフリースの講演「鼻と性器の因果関係」についての賛辞。「自分を抑える術を心得ている」「古典的な文体」。


書簡273(1901年10月7日付)

 フリースがフロイトの許に送った患者K. Do夫人についての報告。夫が干渉し、困難な治療に。


書簡274(1901年11月2日付)

 同上。「彼女は興味深い、そして貴重な人物です」。


書簡275(1901年12月7日付)

 くだんの患者の治療は十週間で中断。

1900年のフリース宛書簡

書簡232(1900年1月8日付)
 「新世紀――この世紀で最も僕たちの関心をひくことは、多分、それが僕たちの死亡年月日を含んでいるということでしょう」。

「僕は、少なくとも僕の存命中の承認は当てにしていません」。

「もうこんなに長い中断(12月24日―1月7日=14=28/2)は起こらないようにしてください」。


書簡233(1900年1月12日付)
 「一歳半までの自体愛の時期が教育の本来の試合場であるに違いない」。


書簡234(1900年1月26日付)
 「本当に何も起こっていません」。99年5月以来、新しい症例は一例のみ。4月から5月にかけてさらに4人の患者がいなくなる。


書簡235(1900年2月1日付)
 「全般的に言って僕は、君がつねづね僕をひどく過大評価していることに、すでに何度も気がついていました。……僕は少しも科学者ではなく、観察者ではなく、実験家ではなく、思想家ではないのです。僕はコンキスタドール気質の人間――もし君がこれを翻訳したいなら、冒険家――でしかなく、そのような人間の好奇心、大胆さ、そして粘り強さなら備えています。人はそのような人々を、彼らが成功を収め、実際に何かを発見したときだけ高く評価し、そうでなければ彼らを傍らに投げ捨てるのが常です」。

 「僕は今ニーチェの本を手に入れました。僕は僕のなかで沈黙したままでいる多くのことに体する言葉をそこに見出すことを期待していますが、まだそれを開いていません」。


書簡236(1900年2月11日付)
 フリースの精神病の母堂へのいたわりの言葉。「僕が君を助けることができればよいのに、こういう事態でそもそも助けることができるならよいのに、と思います」。

 患者が増え、診察室が活気を帯びてきた。

 「全体的に見て僕は、僕たちが知り合って以来のいつよりもローマから遠く離れています」。


書簡237(1900年2月22日付)
 「僕もウィリアム・ジェームズを権威者として名前は知っています。僕はまだまだ幽霊たちに動かされたくはありません」。


書簡239(1900年3月11日付)
 「熱に浮かされたような活動のなかで夢を完成した昨年の夏の大きな躍進の後、僕は愚かにもまたもや、今や自由と幸福への一歩が踏み出された、という希望に酔いしれていました。その本の受容とその後の沈黙は芽生えつつあった環境に対する関係を再び破壊してしまいました」。「君は僕の享楽がどれほど制限されているか知っています。僕は良いものを何も喫煙してはならず、アルコールは僕にはまったく何もしてくれず、子どもをつくることは僕はもう終えており、人との付き合いは僕には断たれています」。


書簡240(1900年3月23日付)
 「今過ぎたばかりの半年ほど僕が君や君の財産との共同生活に絶えずそして心底から憧れた半年はこれまでありませんでした。君は僕が深刻な内的危機を通り抜けたことを知っています。もし僕たちが会うことがあれば、君には僕がその危機の間にどれほど年を取ったか分かるでしょう。だから僕は、君がこの復活祭の日々の再会を提案していると聞いたとき、強く気持ちを動かされました。矛盾をもっと微妙に解決する術を心得ていない人は誰でも、僕が即座にその提案に同意しないのを理解できないことだと思うでしょう。……他の内的な理由、計り知れないものの凝集状態という理由があり、……僕の心に重くのしかかっているのです。僕は内面的にひどく貧しくなっています。僕は僕の空中楼閣をことごとく破壊しなければなりませんでした。そしえ、ちょうど今僕はそれを再建する勇気を奮い起こしているところです。崩壊の破局の間であれば君は僕にとってきわめて貴重だったでしょう。現在の段階では僕は自分の言っていることを君にほととんど理解してもらえないでしょう。……僕を圧迫しているもののを取り除く手助けは誰にもできません。それは僕の十字架です。僕はそれを担わなければなりません。そして本当に、僕の背中は、それに適応するうちに、はっきり分かるほど曲がってしまいました」。


書簡241(1900年4月4日付)
 「僕は自分のしていることが大多数の人々にとって不快だということを知っています」。


書簡242(1900年4月16日付)
 「僕は、治療の見かけ上の果てしなさが規則的に起こることであり、転移にかかっているということを理解しはじめています」。クリスによれば、転移の機能への最初の明確な言及。

 
書簡243(1900年4月25日付)
 ゾラの「多産性」を扱った講演について見た夢。ある女性患者への逆転移に関連しているようだ。


 パラノイアの元患者(M・W夫人)の自殺。


 書簡244(1900年5月7日付)
 「僕の特別な――おそらく女性的な――側面が要求する友人との交際の代わりになる人は誰もいません……」

 「どの批評家も、問題と解答のあいだにそんな不均衡があるか僕よりもはっきり見ることはできません。そして、僕が足を踏み入れた最初の人間であった精神生活の未知の領域のどれも僕の名前で呼ばれず僕の法則に従わないということが、僕にふさわしい罰でしょう。……僕は本当にもう44歳で、年取った、いささかみすぼらしいユダヤ人です」


 書簡245(1900年5月16日付)
 ブロイアーを「成功崇拝者」「性格的に弱いすべての者が従っている最も通俗的な世界宗教の信奉者」と罵っている。


 書簡246(1900年5月20日付)
 「僕がブロイアーと縁を切ることができないのはなぜか、僕は自分に尋ねてみました。そして、最近の度忘れの一例が僕に答えを出してくれました」。ある店のショーウィンドーを明瞭に視覚的記憶に留めていたのに、どうしてもその場所を見つけられない。実はそこはブロイアーの家の向いであった。この度忘れは『日常生活の精神病理学』でも紹介されている。


 書簡248(1900年6月12日付)
 「果たして君は、いつかこの家に次のように書かれた大理石板が掲げられるようになると思いますか。

  1895年7月24日、ここでドクター・ジクム・フロイトに夢の秘密が解き明かされた。

  そうなる見込みは今までのところわずかです。しかし、最近の心理学書(マッハ『感覚の分析』第二版、クレル『魂の構成』その他)——これらは皆、僕の仕事と同じような方向を目指しています——で夢に関して何が言われているか読むとき、やはり僕は、あのお伽噺の小人と同じく、「お姫様は知らない」ということを嬉しく思います」。


 書簡246(1900年6月18日付)
 イルマの注射の夢が夢の「公式」を明らかにしたことの確認。


 書簡253(1900年9月14日付)
 「八月のある日、推薦されたすべての者が、不肖私を唯一の例外として、教授に昇進したのです」。

 「迷信の心理的根源についてのちょっとした着想」。ある老婦人を見舞おうと馬車に乗った際に、御者が行き先を間違えたという「偶然の出来事」。「僕たちが外部の偶然の出来事に意味を付与する場合には、僕たちは僕たちの内部の偶然はつねに(無意識的な)意図であるという知識を外部に投影しているのです。それゆえ、このおぼろげな知識が偶然の出来事が目的にかなっていることに対する僕たちの信念の、つまり迷信の源泉です」。


 書簡254(1900年9月24日付)
「『日常生活の精神病理学』をゆっくりと執筆中です」。


 書簡255(1900年10月14日付)
 フリースがほのめかす「[フロイトの]ベルリンへの旅行に逆らう名指されない動機」とは、ブロイアーと関係があるらしい。「彼[ブロイアー]と縁を切ることは不可能です」。「イーダはまだあの時ほどあのように短い時間にあのように頻繁にあらゆる可能なことについて僕の正しさを認めたことがありません。このことは彼女の内心における一つの白状されていない訂正からの移動に違いありません」。母親の病気についてのアドバイスのことを述べているのだろうか。フリース夫人はかつてブロイアーに夫とフロイトの関係について警告されたことがあった。

 診療室は繁盛しており、「また新しい、そして手持ちの合鍵のコレクションでスムーズに開く、十八歳の少女の症例がもたらされました」。彼女がほかならぬドラ。


 書簡258(1900年11月25日付)
 「自分の部族の最後の者——あるいは最初の者、そしてひょっとすると唯一人の者——であること、これらはひじょうによく似た状況です」。……かくて19世紀は幕を閉じる。

1899年のフリース宛書簡

書簡188(1899年1月3日付)
 「自己分析が少しばかり貫徹され、空想は後の時期の産物であり、その時期から最初の幼児期に遡って投影されるものだということを僕に確証してくれました」。この成果は、論文「遮蔽想起について」に紹介されているとおり。

 「『最初の幼児期に何が起こったか』という問いに対する答えは、『何も起こらなかった。しかし、性的興奮の萌芽があった』という内容です」。

 「僕は君が来るまでここで不機嫌と暗闇のなかにいます。僕は思う存分ぐちを言い、僕のゆらめく光を君の確固とした光で燃え立たせ、再び元気になります。そして、君が去ったあと、僕は再びものを見る眼をもち、僕の見るものは美しく、素晴らしいのです。これはまだ来ていなかった期日にすぎないのでしょうか。それとも、どんな目的にも間に合う多くの日々から、待つ者に与えられる精神的影響によって、期日は生み出されるのではないでしょうか。時間のために力が考慮されなくなることのないように、何らかの場所がそのために残されなければならないのではないでしょうか」。クリスによれば、このくだりでフロイトはフリースの周期理論に対してはじめて疑念を表明している。

 六十歳の男性と関係している若い女性。男性は彼女の裕福な父親と同一視されており、「彼女の空想に付着しているリビドーを流動的にすることができるように作用している」。

 パロロ虫。


書簡190(1899年1月30日付)
 ブルクハルトの文化史を読んでいる。


書簡191(1899年2月6日付)
 「この人またはあの人が今死ななければならないということを打ち明ける勇気がもはや人々にないとすれば、古い宗教に取って代わったはずの科学という宗教の影響はいかに小さいのでしょうか。……キリスト教徒は、少なくとも、まだ二、三時間前に臨終の秘蹟を授けてもらいます。『お前は自然に対して死の借りがあるとシェイクスピアが言っているではありませんか。僕のときには、より一層の敬意をもって僕を扱い、いつ僕が覚悟をするべきか僕に言ってくれる人が誰かいればよいと思います。僕の父はそれをはっきり知っていて、それについて何も言わず、最後まで立派に平静を保っていました」。ボスニア=ヘルツェゴヴィナのトルコ人たちのように?(書簡177)


書簡192(1899年2月19日付)
 「あの途方もなく大きな作品……その作品は哀れな人間の力にはあまりにも困難であり、思考のあらゆる動きを必要とし、次第に他のすべての能力と感受性を消耗させてしまいます。それは、人間の組織に浸潤し次いでそれに置き換わる、一種の腫瘍組織です」。

 症状は抑圧される思想の願望充足であると同時に、抑圧する思想のそれでもある(罰、自己処罰)。「自己処罰は自慰の最終的な代替物」。

 ヒステリー性嘔吐は、空想上の愛人を想像妊娠している点で抑圧される思想の願望充足であると同時に、嘔吐によって衰弱し、美しさを失って男の気を惹かなくなるという点で抑圧する思想の願望充足でもある。「一対の矛盾する願望充足がその症状の意味なのです」。
 
 Eの赤面・多汗症の分析。


書簡194(1899年3月19日付)
 「つい先頃僕はシュニッツラーのパラケルススを見て、いかに多くのことを詩人が知っているかに驚きました」。


書簡198(1899年5月25日付)
 「それ[「遮蔽記憶」論文]は作成中すごく僕の気に入りましたが、このことはそれのこれから先の運命の悪い前兆です」。


書簡199(1899年5月28日付)
 おんどりとめんどりのユダヤジョーク(「悲しませときなさい」)。

 「夢は出来上がるでしょう。このオーストリアがこれから二週間以内に滅亡すると言われているということも僕の決心を容易にしました。どうして夢もそのとき一緒に滅びなければならないでしょうか」。


書簡200(1899年6月9日付)
 「夢はさまざまな願望に変化した同一の願望をその都度充足しようと試みます。それは眠る願望です! 人は眠りたいから、目覚めなくてよいように夢を見るのです」。


書簡201(1899年6月16日付)
 患者が少なく、一日二時間しか働いていない。


書簡203(1898年7月3日付)
 フリースとフロイトの母親の健康状態が不安定であることの精神的影響。


書簡209(1899年8月6日付)
 『夢解釈』の構成。「全体は散歩の空想を手本にして構想されています。はじめに、(木を見ない)著者たちの暗い森があります。望みがなく、間違った道に満ちています。次に、覆い隠された切り通しが一つあり、そこを通って僕は読者を案内します。……そして突然、高みと眺望と、『さあ、あなたはこれからどこへ行きたいですか』という質問」。


書簡211(1899年8月27日付)
 「それ[夢の本]には間違いが246あるでしょう。——それらを僕はそのなかに残しておくつもりです」。この数字については『日常生活の精神病理学』において分析されている。
 
 復活祭に二人だけで十日間、ローマで過ごそうという誘い。


書簡213(1898年9月11日付)
 『夢解釈』脱稿。

 「すべての夢見る人もまた我慢できないほど既知に富んでいます。そして、彼らは必要に迫られてそうなのです。というのは、彼らは板挟みの状態にあるし、まっすぐの道が彼らには閉ざされているからです」。

 ドレフュスの有罪判決に対する不快感。


書簡214(1899年9月16日付)
 予告なしにベルリンを訪問してフリースを驚かせるつもりが、洪水でベルヒテスガーデンに足止め。しかもブロイアーも同じところに滞在しているので地獄。


書簡215(1899年9月21日付)
 [『夢解釈』に]「君がいかにしばしば登場するか、驚嘆すべきです」。


書簡216(1899年9月27日付)
 フリースが父親の役割を重視しないことへの不満。

 「Autodidasker」の夢の検閲部分をフリースは見抜いた。

 「例の金魚は捕えました」。相変わらず診察室は閑古鳥が鳴いている。一人しかいない患者の診察も一月先。


書簡217(1899年10月4日付)
 「自分たちだけのものであったものを手放す際のつらい気持ちを君は適切に描写しています。実際また、僕にこの作品をこれほど嫌にならせたのは、そんな気持ちだったに違いありません。それ以来僕はそれが気に入っています――確かに大いにではありませんが、以前よりはずっと。手放したのが思想の財産ではなく、感情の財産だったので、僕は一層つらい思いをしなければなりませんでした」。


書簡218(1899年10月9日付)
 「つい先頃僕は、僕の仮想の快-不快説の一部をイギリスのある著者マーシャルの本のなかに見出すという喜びを味わいました」。


書簡219(1899年10月11日付)
 心的装置ψ
 ヒステリー的-臨床的
 性、器質的
 
 「奇妙なことに一番下の階が動揺しています。性の理論が夢の本のすぐ次の後継者かもしれません」。


書簡220(1899年10月17日付)
 「もしオナニーが同性愛に還元され、後者つまり同性愛が、それも(両性における)男性的同性愛が、性的渇望の原始的な様態だとしたら、君はどう思いますか。(最初の性目標、幼児期のものに類似、内界を越えて出ることのない願望)」。自体愛の先駆的記述。


書簡222(1899年11月5日付)
 ハンニバルの父親の名前。

 「僕はまだ女性的なもの+++をどう扱ったらいか分かりません」。「+++」(悪魔払い)は『夢解釈』のイルマの夢の分析にも登場する。

 「どのように予知夢が生じ、それが何を意味しているかを理解」した。詳細は論文「ある正夢」で明らかにされている。


書簡224(1899年11月9日付)
 「それではやはり君の沈黙が奇異な感じを与え不気味に思われたとき、僕は正しかったのです。……僕は夢の本のなかの何かが君にあまりにも強く反発を感じさせたのだと思いました」。


書簡225(1899年11月12日付)
 「これら[ハンニバルの父親]は記憶の誤りではなく、移動であり、症状です」。


書簡227(1899年11月26日付)
 「次の本は『性理論と不安』という表題です」。


書簡228(1899年12月9日付)
 「ひょっとすると僕は最近、新しい事柄を始めて見抜くことに成功したかもしれません」。神経症選択が性的外傷を体験する年齢に相関しているというすでに放棄して久しい考えに代わり、性理論とのつながりが二、三日前に見えた。「性の階層の最下層は自体愛です。……それは次いで異体愛に取って代わられますが、確実に特別な流れとして存続します。ヒステリー(とその変種である強迫神経症)は異体愛的であり、その主要な道は、実際、愛された人物との同一化です。パラノイアは同一化を再び解消します。それは、放棄されていた幼児期のすべての愛された人物を回復し、自我そのものを他なる諸人物に解消します」。


書簡229(1899年12月21日付)
 Eの治療への展望。Eの空想の根底にある出来事を発見したことがシュリーマンによるトロイアの発掘になぞらえられている。この発見は、フロイト自身の鉄道恐怖症の解明にも光を当てることになった(この功績に対してEに「エディプスとスフィンクス」の絵が贈られた)。くだんの恐怖症の正体は「貧困化空想」ないし「饑餓恐怖症」だった。「それは僕が幼児期に食い意地が張っていたことによるものであり、家内に持参金がなかったことによって(このことを僕は誇りに思っています)呼び起こされたのです」。


書簡231(1899年12月29日付)
 父親賛歌の詩。フリースに息子が生まれたことへの祝辞だが、フリースの母系重視をフロイトが快く思っていないことは書簡216に、フロイトが女性の謎について手がかりをつかめずにいることは書簡222に確認できるとおり。
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