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フロイト=アイティンゴン往復書簡(1906〜1907年)

 ユングの同僚であったマックス・アイティンゴン(1881-1943)は、フロイトに教育分析を受けた最初の人であり、フロイトの弟子にはめずらしく、生涯フロイトに忠実でありつづけた。1927年に国際精神分析協会の会長に選出され、ナチズムの台頭と同時にパレスチナに亡命。それ以後かの地で精神分析の普及に身を捧げた。フロイトとのあいだでフロイトの死の年にいたるまで821通におよぶ書簡を交わしている。


1E(06/12/1906)
 ブロイラーとユングをとおして知ったフロイトの著作を繙き、ヒステリーおよび精神分析の方法について目を開かれた次第。哲学を専攻するロシア人の女子学生の症例についてご意見を仰ぎたし。精神神経症とヒステリーを併発している。神経衰弱、強迫、恐怖症にくわえ、「ヒステリー的転換の全開過程」とみなすべきものが観察される。心的なものへの転換である。仕事は手につかず、自殺の企図がある。精神分析を適用する余地があるのではないか。ウィーンのサナトリウムに入所させることは可能であろうか。

2F(10/12/1907)
 精神分析の対象になるであろう。ウィーンのサナトリウムは高額である。経済的、健康上の問題がなければわたしどもでお預かりします。

3E(03/01/1907)
 問題ありません。よろしくお願いいたします。

4F(07/01/1907)
 患者をウィーンに寄越してください。わたし本人が診察します。

5F(27/01/1907)
 あなたがスルツ(Emile Löwy Sulz)を評価していないのは残念です。ロシア人医師のサナトリウムをお勧めします。

6F(18/09/1907)
 2時から3時半頃は在宅しておりますので、その時間にご来訪ください。発信地はローマ。アイティンゴンはフィレンツェでフロイトに(偶然?)出会い、ともにローマに来ていた。翌19日にフロイトを訪問している。


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1907年のフロイト=アブラハム往復書簡(その1)

*1907年のフロイト=アブラハム往復書簡(その1)

1F(25/06/1907)
 アブラハムの同年の論文「早発性痴呆の症状学にとっての幼児性的外傷の意味」の高い評価。ヒステリーの前史との注目すべき一致。早発性痴呆において、外傷経験を外化させることはヒステリーよりも容易である。ほかの人たちが取り組もうとしない性的な問題にアブラハムが取り組んでいることはなによりもよろこばしい。


2F(05/07/1907)
 性的外傷は神経症の本来の意味での病因ではなく、神経症の症状学にかたちをあたえるものである。ヒステリーにおける対象愛と早発性痴呆における自体愛。3〜5歳以後の性的外傷は事実であるが、それ以前のケースは空想であるか、そうである可能性がある。幼児が(乳母などによる)誘惑を報告しないのは、外傷時に得られる快のためであり、それが罪責感を生む。マゾヒズム。肛門性欲といった幼児の倒錯性は正常な成人にもある。最初期の幼児にあっては意識と無意識の区別がいまだ生じていないので、幼児は性的衝動に対して無意識的に反応する。神経症の条件は性的潜伏期にあり、事後的に抑圧が起こって発病する。早発性痴呆の自体愛は幼児の正常な自体愛への回帰にほかならない。

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