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『日常生活の精神病理学にむけて』第3〜11版


*『日常生活の精神病理学にむけて』第3版~第11版(1910~1929年)

 仲間の報告している事例を中心に大量の加筆があるが、ゴミ同然のボーナストラックを詰めこんだ“コンプリート盤”とか“コレクターズ・エディション”といった趣を否めず。拾い物というほどのものは皆無だが、あえてベストトラックを選ぶなら、ルー・アンドレアス=ザロメと飼い犬の哀切なエピソード(6版)ということにでもなろうか。ほかに、愛人を夫と取り違えた婦人の艶笑喜劇ふう一幕(5版)、シュテルケの報告になる厳粛な「燔祭」(同)、もしくは聴診器とジークフリートの剣の機知(4版)はそれなりの感興を催し、誤植や数字や外国語の使用をめぐる指摘、ストリンドベリ、『リチャード2世』、ダーウィン、レンブラントといった固有名詞への言及がそれなりに目を引くていど。

 『性理論についての三篇』第4版以降(1920、1925年)についても、本質的な加筆はなし。  
 

 というわけで、これにて「著作篇」はひとまず完結。次回より本ブログは freudiana 2.0として生まれ変わり、書簡の読破に挑みます!
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『夢解釈』第3版以降(1911〜1930年)

*『夢解釈』第3版以降(1911年〜1930年)

 初出の指摘であると否とを問わず、多少ともピンと来た点のみ頁順に列挙。もとより網羅性を意図するものではない。

・フリース周期説への反論(1911年)。

・「法王が死んだ」という夢(1914年)。

・「子供の無際限な自己愛にとっていっさいの障害はいつも一個の反逆罪であって、峻厳なドラコンの立法のごとく、子供の感情はこのような罪過のいっさいにたいしてただひとつの斟酌の余地なき刑罰、死刑を宣告する」(1919年)。

・夢の内容が夢の形式で表現される例(Lücken)(1911年)。

・「一夜のうちにみるいくつかの夢はすべて、その内容上からは、ひとつの夢とみなすべきである」(1911年)。

・「『夢のなかの夢』は現実の表現・実際の記憶を含み、そのあとにつづく(いわば地の)夢は、たんにその人間によって願望されたことの表現を含んでいる。……夢の作業は『夢をみる』ということそれじたいを拒否の一形式として利用する」(1911年)。

・不安がリビドーに由来するという見解の訂正(1930年、脚注)。

・「象徴は発生史的性質のものである。こんにち象徴的に結ばれているものは、太古の時代にはおそらく概念的かつ言語的な同一性によって一つになっていたのである。象徴関係は、かつての同一性の名残であり記号であるようにみえる」(1914年)。この指摘につづいて夢における象徴についての追記が延々つづく。

・懲罰夢などマゾヒスト的な夢(1911年)が願望充足理論に抵触するとの疑念は、第二局所論の導入におよんで説明可能になる。

・苦しい徒弟時代に戻るロゼッガーの夢に関連して、フロイトじしんの類似の夢が報告される。これは老いを迎えた男のみる若さへの夢である(1911年)。

・ニーチェの引用とともに(夢のなかには「一片の原始の人間性がはたらきつづけており、われわれはそこへちょくせつにはほとんど到達しがたい」)、夢は系統発生的な幼年期へとつれ戻すことが確認される(1919年)。

・「不快夢もまた願望充足である」ことが、出征中の息子がスポーツウェア姿で現れるフロイトじしんの夢にそくして確認される(1919年、既述)。

「防衛過程における自我の分裂」ほか

*「シャーンドル・フェレンツィ追悼」(1933年)

 『性器理論の試み』(1924年)の根幹的な主張は諸欲動の守旧的本質である。同書の予告した「生物分析学」がやがて立ち上げられることになるであろう。晩年のフェレンツィはかつての好奇心と社交性を捨て、治療への燃え立つような欲求だけに生きていた。


*「ゲオルク・ヘルマン宛書簡」(1936年)

 「攻撃性こそが良心の源泉でもある」。送付されたタイプ原稿から「フロイト=ユングの技法」という表現を削除するよう要求している。「そのようなものは存在しません」。列車の夢は死にかかわっている。『薔薇のエーミール』のかきたてるベルリン(1928年からサナトリウムに滞在していた)へのノスタルジー。


*「トーマス・マン宛書簡」(1936年)

 「ヨセフとその兄弟」を読むという「素晴らしい体験がいま終わってしまった、わたしはこの続きをおそらく読めないだろうと悲しんでいます」。

 「ヨセフとその兄弟」第三巻(『エジプトのヨセフ』)の読後コメント。ヨセフをナポレオンになぞらえている。コルシカでは長子に大きな権威が付与されており、次男のナポレオンは兄(ヨセフ)に「死の欲望」にも似た攻撃性を向けていたが(フロイト自身の境遇とどこか重なる)、じっさいにはこの兄は競合者に値しない人物だったので、かれに向けられなかった攻撃性がその後、世界征服の途上で莫大な数の人間に遷移された。エジプト遠征の動機はヨセフへの同一化(すでにジョゼフィーヌへの恋着において現れていた)に発する「空想の合理化」であった。ロシア遠征は「自己処罰」であり、かれはヨセフの夢を反復した。
 ジョーンズによればこのアイディアはこれより二十年ほど前にさかのぼるらしい(1934年のツヴァイク宛書簡にも同じ説が披瀝されている)。

 フロイトの死後に発表され、フロイトがあれほど読むことを欲したシリーズ最終巻『養う人ヨセフ』(1943年)において、マンは一神教の起源をエジプト人に帰す『モーセと一神教』とは相容れない見解をとっている。それによれば、イクナートンの一神教はヨセフによって準備されており、その信仰はヘブライの族長たちによって受け継がれてきた伝統であった。


*「ルー・アンドレアス=ザロメ追悼」(1937年)

 「1912年にかのじょが精神分析の手ほどきをうけるためにウィーンを再訪したときのこと。かのじょと親しくなったわたしの娘は、かのじょが若い頃に精神分析と近づきになれなかったことを悔やんでいると聞かされた。もちろん、かのじょの若い頃にはまだ精神分析はこの世に存在していなかった」。フロイトによれば、この逸話はルーの「女性としての運命のなかでもっとも感動的な一幕」である。


*「反ユダヤ主義にひとこと」(1938年)

 ある「非ユダヤ人」の見解の引用というかたちで、反ユダヤ主義にたいする抵抗の三つのかたち(「愛の宗教」「ヒューマニズムという福音」「真理の宗教」)がいずれも偽善であると述べている。カトリック(『モーセ』の二つめの「序文」では「揺らめく葦」とコケにされている)も市民運動家もおのれの掲げている建前から反ユダヤ主義に抵抗しているだけであって、ほんとうはユダヤ人が嫌いなのだ。「真理の宗教」とはこれまでのユダヤ人差別を反省しようという啓蒙に名を借りた道徳主義的なお題目のことであり、やはりユダヤ人嫌悪と両立不可能ではない。くだんの「非ユダヤ人」は、この事実を見抜いてユダヤ人に「断固して味方」している。フロイトは年のせいで引用元が思い出せないと空惚けているが、じっさいにはクーデンフォーフェ=カレルギ伯爵なる著者の『反ユダヤ主義の本質』にケチをつけたいようだ。なんとも人を食った文章である。


*「防衛過程における自我の分裂」(1940年)

 遺稿。現実の「拒否」と「承認」とによる自我の分裂。「この分裂はけっしてふたたび癒えることなく、むしろときとともに拡大されていく」。

 フェティシストは精神病者のように現実(女性におけるペニスの不在)の知覚を否定するのではなく、退行によって「価値」を「転移」させる。

 症例(狼男のそれとやや似ている?)。3~4歳頃に年上の少女に誘惑されて自慰をはじめるが、乳母に去勢脅威を植えつけられる(その際、去勢者として父親が引き合いに出される)。フェティッシュの創造によって自慰は継続されるが、同時に父親への不安が生じる。この不安はちょくせつ去勢不安としてあらわれず、口唇期への退行によって、父親に食われるというかたちをとった(クロノスが参照される)。さらに、両足の小指に触れられる際の不安な感覚という別の小さな症状もともなっていた。「あたかも去勢の否認と承認のさらなる往復運動のなかに[in dem sonstigen Hin und Her]、さらにもうひとつのより明瞭な表現があらわれてきたかのようであり……」。ここで文章は途切れている。


*「精神分析初歩教程」(1940年)

 遺稿。「精神分析概説」との関連性において興味深い。「概説」の続きであるという説にたいし、イルゼ=グループリヒ・ジミティスは、「概説」の原稿は下書き段階のものであるとして完成原稿のある本論文を別の論文とみなすべきであると反論している。

 とはいえ、『モーセと一神教』のいわば双子のテクストである「精神分析概説」の構成や文体をたんなる未完成ゆえとみなすのはどうか? 本論の冒頭で、フロイトは概論的な著作におけるアプローチの仕方を「発生的」と「独断的」という二つのスタイルに分けている。「精神分析概説」は意図的に後者のスタイルを選択したテクストではないのだろうか?

 心的なものの本質の定義は「深層心理学」の前提ではない。物理学における電気の本質と同じように、それは事後的に知られるべきなにものかである(くだんの「基本概念」)。

 心的なものの本質は意識ではない。心的なものと意識的なものを同一視すると、心的現象と身体的過程の相互関係が無視されてしまう(「並行論」はその解決にはならない)。

 意識が心的なものの「本質」ではないとするとき、フロイトは意識の間歇性という事実に大いに依拠している。意識を心的なものの本質とすることは「心の生活の統一性をばらばらなままにしておく」ことになってしまうので正当化されないとされている。ここに、かれがかつて機知についての統一的な理論を欲したのと同じ欲望をみとめることはむずかしくない。


*「成果、着装、問題」(1938年)

 没後に編集された覚書。 

 「子供における存在[である]と所有[をもつ]」。前者(同一化)が後者(対象選択)に先行するが、対象喪失は同一化への逆行をもたらす。

 神経症者は恐竜が徘徊するジュラ紀の風景に住まっている、というヴィジョン。『転移神経症概論』に関連づけて読まれるべきであろう。

 「個がじぶんの内なる葛藤で滅び、種はもはやじぶんが適応していない外界との闘いで滅びることは、モーセのなかでとりあげられてしかるべきである」。『精神分析概説』と『モーセ』の関連性が示唆されている。

 「空間性とは心的装置の広がりの投射」。カントの空間というカテゴリーの説明として。「心とは延長しており、そのことについて心はなにもしらない」。

 「神秘主義とはエスの漠たる自己知覚である」。

「ヘブライ語版『トーテムとタブー』への序文」「『トーマス・ウッドロー・ウィルソン』への序言」ほか

*「アーネスト・ジョーンズ五十歳の誕生日によせて」(1929年)
 精神分析はすべての人間(先史時代を含む)に普遍的な欲動の蠢きの発見を課題とする。それゆえ「精神分析はさいしょから国際的であった」。


*「ジュリエット・ブトニエ宛書簡」(1955年初出)
 スピノザについてのコメントを求められて。心的世界と物的世界の相互関係についてあたりさわりのないことを述べている。「ジークフリート・ヘッシング宛書簡」(1932年)においても、スピノザについての執筆依頼を断っている。
 ブトニエはルネ・ラフォルグに教育分析を受け、ガストン・バシュラールに師事した精神分析家にして哲学者。1953年にラカンやドルトとともにフランス精神分析協会を立ち上げ、会長となる(ラカンとは後に訣別)。


*「S・フロイト/W・C・ブリット共著『トーマス・ウッドロー・ウィルソン』への緒言」(1966年初出)
 欲望や錯覚の満足を断念することで外部世界の支配をなしとげた人類は、みずからの心的な内部世界(「根源的な欲動の蠢き」)をも支配しようとするに至っている。これに対し、ウィルソンは人間の意志のみを重視し、みずからの期待や願望に反する現実を否認した。ウィルソンはいわば「クリスチャン・サイエンスの方法を政治に転用」しようとしていたかにさえ思われる(「神は善である。病気は悪である。病気は神の本質に矛盾する。ゆえに、神は在るのだから病気はない。病気というものは存在しない……」)。ウィルソンは「ほとんどすべての点でじぶんが達成しようとおもったのとはまったくぎゃくの結果を招き寄せ、『つねに悪を欲しながらつねに善を創造する』[『ファウスト』]あの力とはおよそ正反対の存在である」。
 フロイトはウィルソンを嫌悪していたが、本書の執筆[ただしフロイトの寄与について詳細は不明]をとおして、ドン・キホーテにたいして抱くのと同じような、同情と入り交じった一抹の共感を抱くに至った。そしてウィルソンの引き受けた課題の大きさと本人の力量を比べることで、同情が他の感情を凌駕するに至った。
 健常-病的というカテゴリーは量的な関係によって左右される相対的なものにすぎないので、ウィルソンを病的な性格の持ち主とみなすことはかれの不名誉にはならない。それどころか後世に残るような偉業はしばしば「愚者や道化、夢想家、妄想に取り憑かれた人たち、重篤な神経症者、精神病患者たち」によってなしとげられてきた。かれらは病的であるにもかかわらずこうした偉業をなしとげたのではなく、かれらの「病的な特質」——「発達の一面的な偏り、欲望の蠢きのうち特定のものの異常な肥大化、唯一の意図への無批判で抑制の効かない献身など」——こそが、かれらに「外部世界の抵抗を乗り越えるだけの力」をもたらしたのだ。偉業と心的異常は「不可分一体だとさえ信じたくなる」。


*「ハルスマン裁判における医学部鑑定」(1931年)
 写真家による「父親殺し」裁判についてのコメント。『ラモーの甥』(ゲーテ訳)における先駆的なエディプス・コンプレクス的認識が枕に振られる。
 エディプス・コンプレクスは普遍的であるがゆえに裁判の証拠とはなりにくい。ユダヤ・ジョークにあるように、ペニスがあるからといって不倫をした証拠にはならないのと同じである(『カラマーゾフの兄弟』に言う「心理学は両刃の剣」)。かといってインスブルック大学の鑑定のようにその作用を否認する理由はない。くだんの鑑定による「抑圧」概念の濫用が批判されている。


*「ヘブライ語版『精神分析入門』への序文」(1930年)
 「精神分析が、ユダヤ民族の意志が新たな生命をあたえたあの太古の言語の衣裳[Gewand]をまとって紹介されることになった」。フロイト三十五歳の誕生日に、装丁を変えてヘブライ語の献辞を付した古い聖書を父ヤコブに贈られたというエピソードがあるが……(イェルシャルミ『フロイトのモーセ』およびデリダ『アーカイヴの病』参照)。


*「ヘブライ語版『トーテムとタブー』への序文」(1930年)
 著者はヘブライ語を理解せず、ユダヤ教を信仰せず、民族的理想も共有していないが「それでもなお、みずからの民族への帰属性を否認したことはついぞなく、またじぶんの特性はユダヤ的であると感じており、これをちがったふうに感じたいと願うこともない」。「民族同胞とのこうした共通点をすべて放棄しているのにどこがユダヤ的なのかと尋ねられたら、まだひじょうにたくさんのことがある、おそらくもっとも重要なこと[Hauptsache]がと答えるだろう。しかし、この本質的な点[Wesentliche]が何であるか、著者はまだ明確な言葉で捉えることはできないかもしれない。それはいずれきっと科学的洞察にとって近づきうるものとなるであろう」。
 読者のだれひとりとして著者のこのような心情[Gefühlslage]に容易に身を置くことはできないだろう。著者は前提なき[vorausetzungslose]科学が「新しいユダヤ精神」[Geist des neuen Judentums]に疎遠な[fremd]ままにとどまるはずがないと確信している。


*「『メディカル・レヴュー・オブ・レヴューズ』第三十六巻へのはしがき」(1930年)
 アメリカ人は「精神分析や他の要素[「精神分析から発展したのかもしれないがこんにちでは精神分析と調和しない「他の学説体系」]」をごちゃまぜにし、こうしたやりかたをじぶんたちの“心のひろさ”の証明であると称しているが、そのじつ、かれらの“判断力の欠如”を証明するものにすぎない」。「学業や研修を短縮し、できるだけ早く診療実務で活用しようという一般的傾向」がその一因である。


*「タンドラー教授宛書簡抜粋」(1931年)
 貧困者支援のための自主的な提言。高い市民意識を窺わせる記事。


*「ゲオルク・フックス宛書簡抜粋」(1931年)
 政治犯として服役した作家フックスが囚人の処遇の改善を主張するのにたいし、現在の刑罰制度が「現代の文化的人間を支配する残酷さと無理解の必然的な表出」であり、われわれにふさわしい制度であるとブラックジョークを飛ばしている。「資本主義」という言葉がやはり皮肉たっぷりに使われる。


*「ヨーゼフ・ポッパー=リュインコスと私の接点」(1932年)
 前半は夢理論の概説。夢は「正常な人間の心的障害」である(この場合の「心的障害」には精神病も含まれる)。心的装置は調和した統一体などではなく、享楽や破壊を追い求める大衆を思慮ある上層部の暴力によって押さえつけておくしかない、近代国家になぞらえられるべきものである」。夜間の睡眠状態において「内なる警察権力の厳重な警備」が緩められるが、「無意識はけっして眠らないかもしれない」ので、夜警もすっかり眠ってしまうわけにはいかない。
 ポッパー=リュインコスの『ある現実主義者の空想』は、夢の歪曲についての洞察を、同年に刊行された『夢解釈』と共有している。歪曲されない夢を見る登場人物とは、社会改革家でもある作家のユートピア的な理想の体現にほかならない。ポッパー=リュインコスにたいするフロイトの共感は、この作家がじぶんと同じくユダヤ人としての辛酸を嘗め、現代の文化の理想の虚しさを痛感していることをかれが察知したがゆえのものであった。

『モーセと一神教』(その2)

*『モーセと一神教』(承前)

 選民という観念は二重に逆説的である。民が神を選ぶのではなく、神が民を選ぶという点において。また、ふつうははじめから不可分である神と民族が事後的に結びつけられることにおいて。ところで、モーセ教においては、民を選ぶのは神ではなく人間モーセである。「ユダヤ人を創造したのはモーセという一人の男であった」。

 民族の誕生を非個人的な要因によって説明せず、「偉大な男」に帰すこうした見解は「英雄伝説」への「退行」であろうか。そもそも「偉大さ」を定義するのは「精神的な特性」であり、「偉大な男」はその「自立性と独立性」「仮借なさ(Rücksichtlosigkeit)に達するまでの神のような無頓着さ(Unbekümmerheit)」によって際立ち、「驚嘆」と「信頼」そして就中「畏怖」の対象となるべき存在であり、つまりは子供の目からみた父親の姿である。唯一にして全能な神とは端的にそのような形象のことである。ユダヤ人にとって、モーセと神はだぶってみえていたのであり、モーセの神の形象にはおそらく怒りっぽさや仮借のなさというモーセ自身の性格的特徴が取り込まれていた(Y・H・イェルシャルミによれば、本書はモーセの性格研究として構想されたふしがある)。
 
 モーセ教の偶像禁止は、感性的知覚よりも精神性を重視することであり、そのいみで欲動断念である。断念された欲動は、超自我に愛されることによって代理満足を得る。

 感性よりも精神性を上位に置くモーセ教が「父の宗教」であることは必然である。「母から父への転換は、感覚性にたいする精神性の勝利、つまり文化の進展というべきものを示している。というのも、母性が感覚による証言によって示されるのにたいして、父性とは推論と論理的前提の上に組み立てられた仮定的承認だからである」。それだからこそ子供は「父の名を名乗り、父親の後を継ぐ」。

 神聖(sacer)という観念は、禁止されているということをいみするが、その両義性は父にたいするアンビヴァレンツと同じものである。タブーにしたがうことは、端的に父の意志にしたがうことである。

 モーセ殺害は、太古における原父殺害の反復である(モーセが割礼の導入により民を「神聖」にしたことは、原父による去勢の象徴的代理)。

 一神教の成立によって太古の原父が復活したのだ。原父の回帰にたいするさいしょのリアクションは宗教的恍惚であった(宗教的な恍惚は幼時の強烈な感情の再体験である)。つづいて父へのアンビヴァレンツゆえに敵意が生じるところであるが、モーセ教においては父親憎悪は直接顕在化されることはなく、それへの反動形成としての罪意識が現れた(この罪意識はその後、ユダヤ教の体系に内在化される)。この罪意識は、選民としての期待を実現できないことの「カムフラージュ」でもあった。選民たることの「幸福」は、選民に課された条件(欲動断念)をクリアできない場合、神に罰せられることによって満足させられるのだ。

 「この幸福を断念する気がなかったとするならば、そのとき、みずからの罪深さをみとめることで生じるこの罪責感は、神による罪の免除というよろこばしい事態へと結びついていくしかなかった。神の掟を守らなかったために神から罰されること、これが人々の受けるべき最善の帰結となった」。

 ユダヤ人はモーセによる圧制という条件(もしくは「運命」)によって、父親殺害という系統発生的欲望を達成しやすいポジションにいた。

 直接的な伝達[Mitteilung]のみによる伝承によっては、信仰の強迫性と非論理性は伝わることがない。それをもたらすのは系統発生的な伝承だけである。「伝承はまず抑圧という運命をこうむり、無意識のなかに滞留[Verweilens]する状態をたえぬいて[durchmachen]はじめて、それが回帰してくるにあたってきわめて強力な作用を発揮し、集団を呪縛することができる」。

 本書のアイディアをフロイトから教えられたルー・アンドレアス=ザロメは、神経症者の症状に結びつけられて理解されてきた「抑圧されたものの回帰」のポジティブな性質にいみじくも着目している。「あなたのご見解のうち、私が特に魅了されたのは、抑圧されたものの回帰の特殊な性質です。つまり、考えられるかぎりのありとあらゆるしゅるいの材料と長い間にわたって混じり合ったにもかかわらず、高潔で貴重な要素が回帰してくる、その仕方です。[……]過去におけるもっとも肝心な要素が、あらゆる破壊的な要素や反動的な諸力に耐え、これらに勝利してもっとも真なる所有物として現在なお生き残っているということなのです」。

 「フロイトは一神教の発見をヘブライ人から奪ったが、心理学的にかれらを中心的地位へ復帰させた。なぜなら、抑圧されたものはただかれらのもとにのみ回帰したからであり、これには人類の歴史にとって運命的な諸帰結がともなっていたからである」(マーティン・バーグマンの「対抗神学」的解釈)。

 ユダヤ人の民族的矜持は、いっしゅの「楽天主義」である「神への信頼」に由来する。

 イェルシャルミによれば、『モーセと一神教』の「想起と忘却からなるストーリー」は、聖書の歴史観でもある。「聖書においては、記憶と忘却の絶えざる振動が、史的出来事をめぐる物語すべての主旋律となっている。[……]聖書が第一に要請しているのは、思い出せ、忘れるな、ということである」(『フロイトのモーセ』)。「想起」は精神分析の目標でもあるわけだが、ユダヤ人はじっさいには原父殺害を「想起」せず、モーセ殺害として「行為化」した。「『思い出せ』という命令が一民族すべてにとって宗教的命令となっているのはイスラエルだけであり、他の民族には見られないことである」(『ユダヤ人の記憶 ユダヤ人の歴史』)。


 さて、原父殺害の残余は、「厄災の予感」として地中海諸民族にのしかかっていた。これが「古典古代の老化」の原因(?)。パウロ(ユダヤ人サウロ)はこの「不幸」の原因を「原罪」というかたちで洞察した。「救済」という「妄想」めいた「偽装」の下に「真理の断片」を明るみに出した。「原罪」と「救済」(「選民」思想にとって代わるもの)がパウロ的宗教の柱石である。父を排除するといういみでキリスト教は息子の宗教だ(「妄想と歴史的真理との結びつきを確実にしたのは、犠牲になったのは神の子だったという言明である」)。

 ユダヤ教が原父殺害(モーセ殺害はその反復)を抑圧しつづけているのにたいし、パウロは「救済」の理念(「空想」)によって原父殺害の罪を「想起」した。これによって、ユダヤ人によって特殊化(民族化)された一神教に普遍宗教というアートン教のほんらいの性格の一つをとりもどさせた。それと同時に儀式、母性神、多神教的要素を復活させたことはユダヤ教からの「退行」である。「パウロはユダヤ教を継承すると同時に破壊し」、それによってユダヤ教を「化石」のようなものにした(鉱物学的比喩)。

 ユダヤ人が原父殺害を認めていないことは反ユダヤ主義の理由の一つともなっている。反ユダヤ主義のより根源的な原因は、「諸民族の無意識」からする「選民」への嫉妬である(ギリシャ人はユダヤ人の誇りをユダヤ人の実際の優越性と取り違えて嫉妬した)。割礼の習慣が他民族にあたえる去勢不安(「不快で不気味な印象」)もこれにあずかっている。もっともファナティックな反ユダヤ主義的民族は、もっともおくれてキリスト教に改宗した民族であり、多神教からキリスト教に改宗させられた恨みをキリスト教の源であるユダヤ教にふりむけている。また、ユダヤ人を癩病者とみなすことは「ユダヤ人はわれわれが癩病者であるかのように距離をとる」という想念の投影である。

 より一般的な反ユダヤ主義の原因としては、「主民族」と同じ人種でありながら「異なっている」こと、すなわち内なる他者であることが挙げられる。営利活動や文化的活動におけるユダヤ人の才能が「主民族」のそうした見方を強める。なお、ユダヤ人がよそ者だからという理由は事実に反している。反ユダヤ主義的な土地の多くで、ユダヤ人は最古参の住人である。


 昨年邦訳成った『フロイトのモーセ」において、イェルシャルミはモーセ殺害説を否定している。「もしモーセが私たちの先祖によってほんとうに殺されたのだとしたら、その殺害は抑圧されなかっただろう――むしろ熱心かつ徹底的に、細部に至るまでくわしく記憶され、記録され、イスラエルの不服従の罪として典型的で究極的な事例となっただろう」。

 またイェルシャルミによれば、フロイトの「ラマルク主義」において想定されているのは、「ユダヤ人であることをやめることはできない」ということ、つまり不変のユダヤ性なるものである(民族的・宗教的アイデンティティを放棄したフロイトの内に残る「心理的ユダヤ人」)。それにたいしイェルシャルミは“旧約の英雄たちはすでにしてキリスト教徒であった”とするエウセビオスらの見解を引き、そのようなアイデンティティのふたしかさを問いに付す。

 モーセ=エジプト人説は「粘土の土台のうえに青銅の像を置く」にひとしい挙であるという「建築学的比喩」(イェルシャルミ)。さいしょの「序文」(本文中では後出)では自説が「爪先でバランスをとる踊子」にたとえられている。



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